第217話

 貴族街の見回りをしている3人の冒険者が去った後、それを見送っていたメイドのアシエがレイの方へと振り向く。


「さぁ、レイさんに、セトさんも。中へ入って下さい。すぐに旦那様を呼んできますので」


 ニコリと笑みを浮かべて門を開きながらレイとセトを中へと招き入れる。

 その言葉に頷き、門の中へと入ったレイとセトだったが……


「グルゥ……」


 どこか残念そうにセトの鳴き声が響く。

 門はともかく屋敷に入る為の扉はそれ程に大きくなく、セトが入るのは少し無理があったのだ。身体だけなら何とか入るのだが、背中から生えている翼がつっかえる。


「あー……その、申し訳ありませんけど……」


 どこか困ったように呟きながら、レイへと視線を向けるアシエ。

 その様子に苦笑を浮かべ、レイはセトの頭を撫でながら言い聞かせる。


「悪いな、セト。いつものように外で待っててくれ。寒いようなら宿に戻っていてもいいけど、どうする?」

「グルゥ」


 鳴きながら視線を庭の方へと向けるセト。


「庭で待たせて貰ってもいいか?」

「あ、でもその……庭は……」


 どこか言い淀むアシエの様子に、何を言いたいのかを何となく理解するレイ。外の通路から見える場所は綺麗に整えられていたが、その奥。通路から見えない場所は手入れが行き届いていないことを気にしているのだろうと。


「気にするな、セトは元々モンスターだからな。山奥とかでも普通に暮らせるから、多少手入れが行き届いていなくても問題は無い」

「……すいません……」


 さすがに貴族の地位にある者の家がこの有様では、メイドとして恥ずかしいのだろう。顔を赤くしながら小さく頷くのだった。


「ってことだ。セトは外で待っててくれ」

「グルゥ」


 分かったとでもいうように頷き、そのまま庭の方へと歩いて行くセト。

 その様子を見送り、アシエはレイを屋敷の中へと案内する。

 屋敷の中は、ある意味でレイの予想通りであり、ある意味では予想を大きく超えていた。

 貴族と言っても金持ちでないというのは予想通りであったのだが、屋敷に入ってすぐのエントランスホールには絵画や美術品の類が一切飾られておらず、見事なまでに殺風景であったのは予想を超えていた。いや、むしろこの大きさはエントランスホールと呼ぶよりは玄関と呼んだ方が正しい大きさだろう。


(……俗に言う、都落ちをした貴族か? あるいは中央の方で何らかの失敗をして辺境に飛ばされたとか)


 そんな風に考えている間にもアシエはレイを案内していき、1分も歩かないうちに応接室へと通される。


「ここで少しお待ち下さい。すぐに旦那様を呼んできますので」

「ああ、分かった」


 食料の入った紙袋を持ちながら軽く一礼し、そのままアシエは応接室を出て行く。

 1人応接室に残されたレイは、取りあえずとばかりにソファへと腰を掛けて周囲を見回す。


「ここもか」


 応接室と言えば、自分の家を訪ねてきた客をもてなすべき部屋だ。つまりは、その家の顔とも呼べる場所の筈である。だがこの応接室には、先程のエントランスホール同様に絵画や壺のような美術品、あるいは飾られている鎧や武器、はたまたモンスターや動物の剥製といった貴族の屋敷に飾ってありそうなものは一切存在しなかった。

 応接室の中を一通り見回し、やがてソファへと腰を下ろす。そのソファにしても一般人が使うにしては上出来なのかもしれないが、貴族が使う家具であると考えると些か品質が劣る物であるのは間違い無い。


(理由は分からないが、貧乏なのは間違い無いんだろうな。これでいて、実はただの吝嗇家だとか言われたらそれはそれでちょっと面白いかもしれないが)


 ソファに座りながらそんな風に思っていると、やがて扉がノックされて先程応接室を出て行ったアシエが入ってくる。


「失礼します。旦那様と坊ちゃまはすぐに来るそうですので、もう少々お待ち下さい」


 そう告げ、手に持っていたお盆からお茶をカップに入れて、レイの前へと差し出す。


(……へぇ)


 そのカップからは仄かに花の香りがし、そのまま口へと運ぶと微かな渋みと共に甘みが広がる。


「美味いな」


 紅茶の味に思わず呟くレイ。

 その言葉を聞いたアシエは、嬉しそうに笑みを浮かべる。


「お口に合ったようでよかったです。実はこのお茶、私の手作りなんですよ。お庭の花を乾燥させて……」

「なるほど、ハーブティーか」

「はい。そうなんです。旦那様もこのお茶が好きで、よくお出しするんですが……あ、すいません。お客様にこんな話を」


 自分で作ったハーブティーを褒められたのが嬉しかったのだろう。笑みを浮かべつつ矢継ぎ早に口を開いたアシエだったが、すぐに失敗したととばかりにその口を押さえる。

 だが、レイに取っては作法やら何やらというのは特に気にするべき物では無い。その態度によって不愉快な思いをするのなら話は別だが、今はそのような思いもしていなかったのだから。


「気にするな。客が貴族ならどう思うか分からないが、生憎と俺はただの冒険者だからな」

「ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げたアシエは、不意にその視線を扉の方へと向けた。


「旦那様と坊ちゃまがいらしたようです」


 そう告げ、壁際による。そしてその数秒後に扉が開けられて2人の人物が入ってくるのを見ると、レイは座っていたソファから立ち上がって部屋に入ってくる人物を出迎える。

 片方は170cm程の大きさだろう。どこか気弱そうな笑みを浮かべており、貴族と言うよりは一般市民のように見える中年の男。鼻の下に髭を生やしてはいるが、それはむしろ男に威厳をもたらすというよりは、より気の弱さを強調しているようにレイには思えた。

 そしてその気弱そうな男の隣にいるのは130cm程の子供だ。年齢はおよそ10歳前後といったところか。


「やぁ。レイ君でいいのかな?」

「ええ。今回依頼を引き受けたランクD冒険者のレイです」

「あぁ、言葉使いはいつも通りでいいよ。何しろ貴族とは言っても、ご覧の通りの貧乏貴族なものでね。いつ潰れてもおかしくないんだよ。それだけに貴族らしいやり取りには慣れて無くてね」

「……まぁ、そっちがそれでいいのなら、俺としてもそっちの方がやりやすいからいいんだが」


 どうやらレイが予想していた通り……否、それよりも更に財政的に厳しいらしい。


(だからこそ、報酬があの金額だったんだろうがな)


「依頼書で既に知っているだろうけど、僕はムエット・シスネ。一応男爵の地位を持っている。……まぁ、今も言ったけど貧乏貴族でしかないけどね。で、こっちは僕の息子のバスレロ・シスネ。バスレロ、挨拶を」


 父親に促され、バスレロと呼ばれた少年は1歩前へと出る。


「初めまして。僕はバスレロ・シスネといいます。街で噂のレイさんにこうして鍛えて貰えることが出来て凄く嬉しいです」


 10歳にしては利発な言葉使いは、やはり貴族としての教育の賜物なのだろう。勢いよく頭を下げるバスレロを見ながらそう考えるレイ。


「さて、挨拶は終わったね。……あぁ、そうそう。アシエ、悪いけど僕とバスレロにもお茶を貰えるかな。君の淹れてくれたハーブティーはどれも美味しいからね」

「分かりました、旦那様。すぐに用意致します」


 壁際に控えていたアシエがムエットの言葉に一礼してお茶の用意を始める。


「さて、まずは座って下さい。依頼についてはお茶を飲みながら説明しますので。……ご覧の通り、うちは良く言っても貧乏貴族。口の悪い人に言わせると潰れる寸前って言われているくらいなんです。……でも、そんな貧乏貴族でも一応は庭持ちの屋敷を持てるんだから嬉しい限りですね。まぁ、その庭も手入れする者を雇う余裕が無いから僕やアシエが管理するしかないんだけど……それでも、その庭で取れた花を使ったハーブティーはちょっとした自慢なんですよ」


 貴族とは思えない程の低姿勢でレイへとアシエの淹れた紅茶を勧めるムエット。

 レイもまた、その紅茶が美味いというのは十分に知っていたので、勧められるままにカップへと口を付ける。

 

「ああ、確かに美味いな。店で出て来てもおかしくない味だ」


 店で出て来てもおかしくないと言われ、頬を赤くして照れるアシエ。そのアシエをメイドというよりは、愛情の籠もった娘へと向けるような視線を向けているムエット。その隣にいるバスレロもまた、アシエが褒められたのが嬉しかったらしく口元に笑みを浮かべていた。

 レイとしてもそんなやり取りを暫く見ていてもいいのだが、そもそもここに来たのは依頼を受ける為なのだ。家族団らんといった雰囲気を醸しだしている3人へと声を掛ける。


「それで依頼についてだが」

「あぁ、すいません。えっと、お願いしたいことは依頼書に書いてある通りバスレロに戦闘訓練を付けて欲しいのです」

「よ、よろしくお願いします!」


 座ったまま、ペコリと頭を下げるバスレロ。


「……いや、ちょっと待ってくれ。やっぱりと言うか、何と言うか……」


 大体は予想出来ていたのだろうが、自分が戦闘訓練を付ける相手が10歳程の子供だと改めて知り若干戸惑ったように呟く。

 そして、ムエットはレイのそんな態度を予想していたのだろう。申し訳なさそうな笑みを浮かべて隣に座っているバスレロの頭を撫でる。


「ええ、レイ君の言いたいことは分かります。こんな小さい子供に1週間程度戦闘訓練をしても大して意味が無いと言いたいのでしょうが……」

「まぁ、な」


 ムエットの言葉に頷くレイ。そもそも戦闘訓練というものは思い立って少しやって、すぐに身に付く訳では無い。レイの場合はゼパイルの知識やレイ自身の驚異的な身体能力、レイ自身が持っていた莫大な魔力。あるいは玲二として子供の頃から山で遊んでいた経験といったものからそれなりに戦闘をこなしているが、それはあくまでも例外的な要素であり、普通の人間がレイの真似をしてどうこう出来る訳でも無い。そして何より。


「俺の戦闘方法は基本的には我流だ。どこかの流派を収めた訳でも無い」


(まぁ、魔獣術でデスサイズが生み出された以上は、しょうがないと言えばしょうがないんだが)


 何しろ冒険者や騎士という存在がいるこの世界でも、大鎌という武器を使う者は極めて少ない。そもそも長物として使うのなら、槍が最も普及しているのだ。その槍に比べて圧倒的に扱いにくい大鎌を使っている者は、レイ自身がギルムの街やバールの街、あるいはダンジョンで見た限りでは自分以外には1人も存在していなかった。もちろん世界中にレイ1人だけということは無いのだろうが、あるいはそうであると言われてもレイ自身納得してしまう程度に大鎌を使う存在は稀少だった。


「良く言えば実戦で磨き上げてきた戦い方と言えるかもしれないが、貴族が学ぶにはちょっと問題があるだろう。もちろん模擬戦の相手とか、そういう意味でなら構わないが、俺の戦闘技術を習得させるというのは百害あって一利無しだぞ」

「ええ、それは分かっています。分かっているんですが……何しろ貴族が習得するような剣技を習うには、相応の道場に通わなければなりません。そして当然のことながら、貴族が通うような道場には相応の費用が掛かります」

「……なるほど」


(確かにこの屋敷……いや、屋敷と表現出来る程に広くはないか。とにかくこの家の様子を見る限りでは、そんな金を出せそうにないな)


 内心で納得しながらも、さらにレイは口を開く。


「理由としては分かった。だが……お前はそれでいいのか? 貴族でありながら、俺のような我流……いや、邪道と表現してもいいような相手から指導を受けて」

「はい。強さに邪道も正道も無いと思ってますから。強ければ強い。弱ければ弱い。それだけです。それに……」


 どこか年齢に見合わないような感じで照れくさそうな苦笑を浮かべるバスレロ。


「父さんも言ってましたが、うちは貴族とは言っても名前だけの貧乏貴族です。いつ潰れてもおかしくないので、そうなった時の為に手に技術を持っておきたいんです。幸い、このギルムの街は冒険者として暮らしていくのには十分な環境が整ってますから。……そう言う意味では王都からこのギルムの街に追いやられたのは、不幸中の幸いだったかもしれませんね」

「う……それを言われるとちょっと弱いんですが……レイ君、どうでしょうか? 本人も、この通り強くなる為の手段は選ばないと言っていますし。戦闘訓練の方をお願い出来ませんか?」


 そう告げ、深く頭を下げるムエット。その腰の低さは貧乏貴族で苦労してきた故なのだろう。そしてそのムエットの隣でバスレロもまた礼儀正しく頭を下げており、壁際に控えているアシエもどこか懇願するかのような視線をレイへと向けている。

 そんな貴族の親子とメイドからの視線を受け、数秒。やがてレイは大きく溜息を吐く。

 元々、今回の依頼はある意味ではランクアップの条件になっているのだ。断るというのは元から考えていない。


(それに、言い方は悪いが冬の間の暇潰しって意味もあるしな)


 こうして、1週間ではあるがレイは貴族の子供に戦闘方法を指南することになるのだった。

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