第216話

「キュ!」


 その日、レイを起こしたのは眩しい朝陽でもなく、あるいは誰かが尋ねてくるノックの音でもなく、可愛らしい鳴き声だった。


「……ん……」


 目を開けたレイの視界に映ったのは、体長20cm程度の小さい竜。エレーナが使い魔として作り出したイエロの姿だった。


「あー……どうしたんだ?」

「キュ!」


 レイの寝ぼけた問いに対し、窓の方へと視線を向けるイエロ。


「キュウ!」


 続けて、テーブルの上に置かれている手紙……レイがエレーナに宛てて書いた手紙へと視線を向ける。

 その様子を見ていたレイは、ようやくイエロが何をしたいのかを理解することが出来た。つまりは。


「エレーナのところに戻るのか?」

「キュ!」


 そんなレイの問いに、小さく頷くイエロ。

 その様子を見ていたレイは、やがて軽くその頭を撫でてやるとエレーナの手紙を包んで持ってきた布切れへと手を伸ばす。


「ほら、ちょっとこっちに来い。エレーナの手紙を持ってきた時のように、風とかで飛ばされないように結んでやるから」

「キュウ!」


 レイの声を聞き、イエロはそのまま羽を軽く羽ばたかせながら膝の上へと飛んでいく。

 それを見ながら、レイは不意に首を傾げる。


(羽の大きさは10cm無い程度の大きさだが、これでよく空を飛べるよな)


 そう思ったのだが、それを言うのならセトにしても同様だった。獅子の胴体を持つセトの背から生えている翼は、とてもではないがその羽ばたきだけで2mを越える巨体を飛ばすことが出来るような代物ではない。


(ま、無難に考えれば航空力学とかじゃなくて、魔力を使って飛んでいるってのが正しいんだろうけど)


 内心で考えつつも、手紙の入った封筒を布切れで包み込み、イエロの胴体へと巻き付けて縛っていく。


「それにしても、お前ももう少しゆっくりしていけばいいのにな。昨日来て、今日にはもう帰るとか……どれだけ急いでるんだよ」

「キュウ!」


 レイの言葉に首を振るイエロ。何しろ元々この大きさしかないので、飛ぶ速度はそれ程早くはない。もちろん地面を移動するのに比べると断然早いのだが、それでもやはり空を移動する他のモンスターと比べるとその速度は特筆すべきものはない。そういう意味では、偶然的な要素もあるとは言ってもイエロが透明化の能力を得たのはある意味で幸運だったのだろう。だが、そんな能力があったとしてもエレーナの住んでいるアネシスまで戻るには相応の時間が掛かるのだ。不幸中の幸いと言うべきか、イエロは使い魔である為に食べ物の類を食べる必要は無いので食事の心配をしなくてもいい。もっとも、その分逆にエレーナに与えられている魔力が切れると消滅してしまうという危険性もあるのだが。

 結局エレーナの使い魔に対してレイが命令できるはずもなく、イエロは短く鳴くとそのまま開かれた窓から外へと飛び立っていくのだった。


「へぇ。さすがに一応竜の姿をしているだけはあるな」


 窓の外へと飛び立ったイエロの様子を見て、思わず呟く。

 数秒程でその特殊な能力を使って透明になったが、それまでの数秒程イエロの飛ぶ様子は小さいながらも、それなりに堂に入ったものだった。

 そしてそんなイエロの姿が透明になったことで見送りも終わり、部屋に入ってきた冬の冷たい風で思わず一瞬震え、すぐに窓を閉めてドラゴンローブを着込む。そして簡単に身支度をし、食堂で食事を取りセトと共に街へと繰り出していく。

 もちろん向かう先は、昨日依頼を受けたシスネ男爵の屋敷がある貴族街だ。

 街中を歩く人々はローブやコートを重ね着して寒さに耐えつつ、吐く息を白く染めながら足早に急いでいる。

 レイとセトはそんな街中をマイペースに歩いていた。何しろレイはドラゴンローブで寒さを遮断しているし、セトにとってこの程度の寒さは全く気にならない。それだけに周囲からは酷く浮いていたが、そんなのはセトを連れている時点で明らかだった為、特に気にした様子も無く貴族街へと向かって歩いて行く。

 貴族街自体は以前のボルンターの件で来たことがあったので、特に迷うでもなく到着する。

 怪しい人物が入らないかどうかを見張っている、門番のような役目として雇われている冒険者もいたのだが、さすがに既にレイのことを知らない筈も無く殆ど顔パスで通される。何しろグリフォンのセトを連れているレイであり、少し前に起きたアゾット商会の一件はあまりにも有名だったからだ。


「えっと、この道を左に行って……3軒目の屋敷か。門にはフクロウの銅像があるからすぐ分かるとあるが……あぁ、確かに」


 道を進んでいたレイは、昨日ケニーに貰った地図を頼りに進んで行くとすぐに目的の屋敷を発見する。だが……


「うわ」

「グルゥ」


 思わず驚きの声を上げるレイと、同意するように鳴くセト。

 何しろ、レイの視線の先にある屋敷は貴族の屋敷と聞いて予想していたものと比べると明らかに小さかったからだ。以前の騒動で乗り込んだボルンターの屋敷と比べると、恐らく5分の1程度の大きさしか無いだろう。

 もちろんそれでも一般の街の住民が暮らしている家と比べると明らかに大きいのだが、それでも予想外と言えば予想外だった。

 そして貴族としては小さい家の門の前には、他の貴族の家とは違って護衛の類は存在せずに誰の姿も無い。


「……なぁ、セト。これはどうすればいいんだ? 勝手に入ってもいいと思うか?」

「グルゥ」


 セトにしても、そんな風に尋ねられてもどう返せばいいのか分からずに首を傾げる。


「さすがにランクCに上がろうかという冒険者だからと言って、貴族の屋敷に無断侵入する訳にはいかないしな」


 正確に言えば、この依頼を失敗にしろ成功にしろ終わらせてギルドに報告して初めてランクCに上がるのだ。それ故に、レイの今のランクはまだDでしかない。


(それにしても……)


 門の外から屋敷の方を覗き込み、思わず溜息を吐くレイ。

 屋敷の外から見える部分に関してはきちんと手入れをされているように見えるのだが、その他の部分。屋敷前の道から見えない部分に関しては殆ど手入れをされておらず、荒れ放題……とまではなっていないが、枯れ草や枯れ木がかなり落ちている。恐らく、夏にこの屋敷に来たとすれば大量の雑草が存在していたのだろう。


(屋敷の規模と庭の様子。これらを考えると、報酬が破格の安さだったのはケチった訳じゃなくて、単純にシスネ男爵家が貧乏なだけだと見るのが正解だろうな。そうなると、依頼をランクCへと上がるための条件というのも、恐らくはギルドとシスネ男爵家で話し合ってお互いの希望をすり合わせた……ってところか?)


 そんな風に考えつつも屋敷に勝手に入る訳にもいかずに、かと言ってこのまま帰ることも出来ない。そんな風に屋敷の前をウロウロとしているレイは不自然極まりない存在であり……


「おい、お前。そこで何をしている!」


 そうなると、当然雇われて貴族街の見回りをしている冒険者達に目を付けられることになるのだった。

 レイの目の前にいるのは、30代程の男が1人に20代程の男女1人ずつの合計3人。それぞれが揃いの鎧と剣を身につけている。


(確か貴族が自分の財力とかを自慢する為とか、あるいはそれぞれが違う装備だと見栄えが悪いから……とかいう理由でだった気がするが)


 そんな風に半ば現実逃避のように考えつつ、口を開く。


「あー、一応俺は別に怪しい者じゃないんだが」

「いやいや、貴族の屋敷の前でウロウロしてたんだし十分怪しいって」


 レイの言葉に20代程の男が軽く返してくる。

 口調は軽いが、その目には油断なくレイを観察しており、何かあったらすぐにでも剣を抜けるようにと柄へと手をかけている。


「……一応聞いておくけど、なんでこの屋敷の前にいるの? しかも見たところ暫くこの屋敷の前にいたみたいだし」


 門の前に降り積もった雪が踏み固められているのを見て、女が呟く。


「グリフォンを連れている魔法使い。確かレイとかいう冒険者だった筈だな?」


 さすがにレイのことを知っていたのだろう。30代程の男の問いに、レイは黙って頷く。


「ああ。ランクD冒険者のレイだ。今日はこのシスネ男爵家から依頼を受けて来たんだが……何しろ門番の類がいなくてな。勝手に屋敷の中に入る訳にもいかずに困っていたところだ」

「ああ」


 レイの言葉に、どこか納得したように笑みを浮かべる20代の男。ただしその笑みは、どちらかと言えば苦笑と表現すべき類の笑みだった。


「……一応、ギルドカードを確認させてくれ。グリフォンを連れている以上はレイで間違い無いと思うが、念の為にな」

「分かった」


 中年の男もレイの説明を聞いて若干態度を和らげたのを見ながら、ミスティリングからギルドカードを取り出して手渡す。


(どうやらこの様子を見る限りだと、このシスネ男爵家の貧乏っぷりはそれなりに有名だと考えてもいいんだろうな)


「確かにランクD冒険者のレイだと確認した。ただ、このままここにいると、俺達以外の見回りにまた声を掛けられると思うが……どうする?」

「いや、どうすると言われてもな。依頼を受けた以上は……」


 見回りの冒険者達のリーダー的な立場であろう中年の男にそう言葉を返したその時、道の向こうからレイ達の方へと向かって小走り掛けてくる人影がレイの視界に入る。


「すいませーん。ギルドからいらした冒険者の方ですかー?」


 そう大声を上げながら走ってくる人影。年齢で考えれば、レイとそれ程変わらない10代半ば程の少女で、コートの下からはメイド服らしきものがのぞいていた。そしてその手には買ってきた食料品らしき物が入っている袋を持っており……


「お待たせして申し訳ありません。私、シスネ男爵家に仕えておりますメイドのアシエきゃぁっ!」

「っと!」


 叫びながら近づいて来たメイドが転びそうになるのを、女冒険者が咄嗟に支える。


「……アシエキャって珍しい名前だな」

「いや、違うだろ」


 若い男の方が呟き、中年の男が思わず突っ込みを入れていた。

 そんな2人を一瞬だけ睨みつけ、女冒険者はメイドが転ばないように支えながら抑えつつ声を掛ける。


「大丈夫?」

「あ、はい。お手数をお掛けしてしまって……」

「いいのよ。でも、雪が積もってて滑りやすいんだから、あまり走らないようにね」

「はい、ありがとうございます」


 メイドは何度も自分を支えてくれた女冒険者にペコペコと頭を下げながら礼を言う。

 そんな様子をどこか面白そうに見ていた若い男の方の冒険者は、やがて落ち着いたのを見計らって口を開く。


「この人はレイっていう冒険者で、シスネ男爵から依頼を受けたって話なんだけど……さっきの君の言葉からいって、君はシスネ男爵の家のメイドで間違い無いんだよね?」

「あ、はい。そうです。お出迎えしないといけないとは思ってたんですが、食料を買っておくのを忘れてしまって。……あら? まぁ、そちらにいるのが噂のセトさんですか。よろしくお願いします」


 メイドは質問に答えると、そのままレイ……ではなく、何故かセトの方へと向かって行くのだった。


「うわぁ。本当にグリフォンなんですね。話に聞いてた通りですよ」


 レイ自身が何度か貴族街に来ている影響か、やはりここでも自分の噂が広がっているのだろう。そう思ったレイだったが、ある意味でそれは大きな間違いだった。貴族派に所属している貴族は中心人物であるケレベル公爵がレイを高く評価しているというのを知っており、さらには貴族派の象徴とも言える姫将軍と交友関係があると知っている為に隙あらば取り込もうとしているし、最大派閥の国王派の貴族に関してもギルムの街にいる以上は何かと噂になっているレイのことは興味深く見守っており、接触を持とうとしている。中立派に至ってはこのギルムの街を支配しているのがその中心人物であることから言うまでも無いだろう。


「あー、セトに関しては取りあえずその辺にしておいてくれると嬉しい。で、だ。俺は戦闘訓練を付けて欲しいとの依頼を受けて来たんだが……」

「あ、はい。そうでしたね。坊ちゃまの戦闘訓練を依頼すると旦那様が仰ってました」


 笑みを浮かべつつ頭を下げてくるメイド。

 仕事の邪魔にならないようにだろう、肩の辺りで切りそろえられている青い髪がさらさらと揺れている。

 どこかほんわかした雰囲気を発しており、笑みを浮かべてレイへと視線を向ける。


「えっと、じゃあ確認だけどこの人に依頼をしたってことでいいんだよね?」

「はい。私はそう伺っています」


 女冒険者の問いに、メイドは笑みを浮かべながらそう答える。

 その様子を見て問題は無いと判断したのだろう。見回りをしていた3人のうち、リーダー格であると思われる中年の男が頷く。


「そういうことなら問題無いだろう。では、我々はこれで失礼する。まだ見回りをしないといけないんでな」

「分かりました。お手数をお掛けして申し訳ありません」


 見回りの3人へと再度頭を下げ、去って行く背を見送るメイドだった。

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