第218話

 シスネ男爵家。元々は現在の当主であるムエット・シスネの曾祖父がベスティア帝国と間で行われた戦争で多大な戦果を上げたことにより、準男爵という1代限りの爵位を受けたのが始まりである。そしてその後もベスティア帝国を相手に幾度となく戦果を上げ続け、その戦果故に男爵に叙任されて正式に貴族の一員となったのだ。それだけの才能を持っているムエットの曾祖父だったが、その息子……ムエットの祖父にその才能は受け継がれなかった。そしてその息子であるムエットの父もまた同様に、貴族として陰謀を巡らせるような才能や人を利用する才能。あるいはムエットの曾祖父のように戦の才能にも乏しかったのだ。そして一時期は男爵家筆頭とまで言われていたシスネ男爵家は没落を続け、ムエットの代には既に名前だけの貧乏貴族と化していた。

 それでも一応は小さいながらも男爵家としての領地はあったのだが……それも王都で行われている権力闘争に巻き込まれ、当然の如く貴族としての才覚に乏しいムエットはいいように利用されて使い捨てられ……結局は領地を失い、ギルムの街へと移住することになる。

 最大の不幸だったのは、ムエット自身がどこの派閥にも入っていなかったことだろう。もちろん王都には国王派、貴族派、中立派のいずれの派閥にも入っていない貴族というのは少ないながらも存在している。だが、それらの貴族はそれを為すだけの実力や庇護者が存在しているが故にどこの派閥にも属さないということが出来ているのだ。何の後ろ盾もなく、能力も無いムエットには王都で巻き込まれた権力闘争に抗う術は無かった。

 それでも中立派の中に数人程親しい存在がいた為に、その縁を頼って中立派の中心人物であるラルクス辺境伯に保護されることになり、王都にいるよりはということでギルムの街へとやって来たのだった。妻の忘れ形見である息子と、唯一の使用人であるメイドのアシエと共に。


「……なるほど。色々と大変だったんだな」


 応接室でムエットからシスネ男爵家の成り立ちを聞かされていたレイが、溜息と共に呟く。

 そんな呟きに対して、ムエットは気弱な笑みを浮かべながら首を振る。


「いえいえ。元々私にとっては貴族としての生活は合わないものでしたからね。このギルムの街での悠々自適な生活はそれ程苦になりません。むしろ貴族として人の内心を探ったり、他人に媚びへつらったりといったような真似をしなくても済むのはかえってありがたいくらいです」


 ムエットがその言葉を本気で言っているというのは、レイから見ても明らかだった。それ程に王都での魑魅魍魎の如き貴族達とのやり取りは精神を削っていたのだろう。


「それに、確かに僕は貴族としての人付き合いの能力や、あるいは男爵に任じられた曾祖父のように武勇に優れている訳でも無い。けど、息子は……バスレロは違う。親の贔屓目かもしれないけど、その武の才能はかなりのものがあると思ってます」

「父上、そんな……」


 急に褒められ、頬を薄らと赤く染めて照れるバスレロ。そんな当主の息子を、アシエもまた慈愛に満ちた笑みで見つめていた。


「まぁ、いいだろう。了解した。ただし、さっきも言ったが俺の戦い方はあくまでも我流。実戦で磨かれたものだ。今はともかく、将来的にどこかの道場なりなんなりに行った時に変な癖が付いていると言われないように、模擬戦がメインになると思うがそれでもいいか?」

「はい! レイさんはこのギルムの街でも最高峰の戦闘力を持っていると聞いています。そんなレイさんとの模擬戦は、間違い無く僕の実力を底上げしてくれると確信しているので」

「……あ、ああ。そうか。それならいいんだ」


 子供らしくない言葉使いに、若干当惑しながらも頷くレイ。そして、やることが決まってからは早かった。


「で、肝心の模擬戦をやる場所だが……この屋敷に道場なんて物はあるのか?」


 そんなレイの問いに、ムエットは静かに首を振る。


「何しろラルクス辺境伯のご厚意でここに屋敷を与えられて住まわせて貰っているんです。道場のあるような立派な屋敷を希望したりは出来ませんよ」

「じゃあ、どこで模擬戦をするんだ? まさかどこかの道場を借り切って……な訳はないか」


 最後まで言い切ることなく、首を振るムエットを見ながら苦笑を浮かべるレイ。

 そもそも金が無くて貧乏だと、シスネ男爵家の当主であるムエット自身が言っているのだ。道場を借り切るような金があったとしたら、冒険者に格安で戦闘訓練を依頼するよりも道場へと通わせているだろう。


「その、申し訳ありませんが……」


 呟きながら、ムエットは応接室の窓へと視線を向ける。


「一応、裏庭はそれなりに広く出来ています。若干荒れていますが……戦闘訓練のように身体を動かすのには、特に問題は無いかと」

「なるほど。まぁ、それもありと言えばありか」

「……え? いいんですか?」


 自分で口に出した割には、レイが頷くと意外そうな顔で尋ね返すムエット。


「ああ。何しろ戦闘というのは道場の中でだけ起きるものじゃない。いや、むしろ冒険者にとっては街の外で戦う以上は山の中だったり、草原だったり、沼地であったり、狭い洞窟の中であったりもするからな。そう考えれば決して悪い場所じゃない。まぁ、基礎が出来ていない状態で戦闘訓練をしてもどうにもならないんだが……その辺はどうなんだ?」

「一応、僕の曾祖父が残した手記を参考して、ある程度の訓練はさせてますが……それで基礎が出来ていると言ってもいいのかはちょっと分かりませんね。悪いですが、その辺は直接バスレロの能力を見て貰ってから判断して下さい」

「……まぁ、依頼人がそれでいいのなら、こっちはそれでもいいが」


 自分に才能が無い為に、才能のある人物へと丸投げするというのも、ある意味では潔いのかもしれない。そんな風に考えながら視線をバスレロへと向ける。


「じゃあ、取りあえず今から裏庭でお前の力を見せて貰おうと思うが……構わないか?」

「はい! すぐに準備してきます。アシエ!」


 レイの言葉に頷き、メイドへと声を掛けてそのまま応接室を出て行くバスレロ。

 その背を見送り、改めてムエットと向き直る。


「どうかしましたか?」

「戦闘訓練と言っているが、実際にはどの辺までやってもいいんだ?」

「どの辺、といいますと?」


 レイの言っていることがよく分からない。そんな風に尋ねてくるムエットに向かい、溜息を吐きながら口を開く。


「例えばだ。打撲程度は構わないとか、骨折程度までなら問題無いとか、そういう意味だ」

「……出来れば怪我はあまりして欲しくありませんが、多少の傷ならアシエの回復魔法で治療が可能です」

「回復魔法?」

「はい。アシエはああ見えて、それなりに高位の治癒魔法の使い手なので」

「……何でそんなのがわざわざメイドをしてるんだ?」


 ムエットの言葉に思わず尋ねるレイ。

 何しろ、回復魔法の使い手ともなれば仕事に困ることはまずない。特に冒険者にしてみれば、依頼の途中で怪我をしたとしても魔法で回復させて貰えるのなら戦力ダウンの心配をしなくてもいいだけに、引く手数多だろう。もちろん戦闘能力が無いのだとしたらマイナス要素ではあるが、それでも前もってそれをきちんと明言しておけばそれ程問題にはならない。あるいは病院に勤めるという手段もあるし、その他にも回復魔法の使い手となれば大抵の場所では歓迎される。少なくても、貧乏貴族で息子の代に貴族としての爵位を残せるかどうかも微妙な男爵の屋敷でメイドをしているような人物ではない。

 そんなレイの思いが表情に出ていたのだろう。ムエットは苦笑を浮かべながら口を開く。


「実はアシエの家は昔……と言っても曾祖父の時からですが、我が家に仕えてくれている家の者なのです。何でも曾祖父に戦場で命を助けられたとか何とかで、それ以来ずっと仕えてくれているんですよ。……僕も、彼女には回復魔法という才能があるんだから、もっとお金を稼げるような仕事をしてはどうかと言ったんですが、せめて家族で自分だけでも仕えさせて欲しいと言われてしまって……」

「……また、律儀だな。今の話を聞く限りでは、アシエの家族は別に仕事を持っているようだが?」

「ええ。何しろ、うちはこの通り貧乏ですのでまともに給料も出せません。ラルクス辺境伯に仕えている給料で何とか生活している状態ですから。……おっと、すいませんがこの件はこれで」


 部屋へと近付いてくる足音に気が付いたのだろう。ムエットは申し訳なさそうに頭を下げてくる。

 そのムエットへと無言で頷くレイ。


(自分が死んだら、確実に路頭に迷う。つまり、それを心配して息子がいざという時に何とか独り立ち出来るように俺を雇った訳か。……貴族というのも遊んで過ごしている訳じゃないんだな)


 内心で呟くレイだったが、もちろんシスネ男爵家は貴族の中でも最も貧しい部類であるのは間違い無いだろう。実際に位の高い貴族になれば、レイが今考えたように遊んで暮らしているという者も少なくは無いのだから。


「レイさん、準備が整いました! お願いします!」

「ほう」


 応接室へと入ってきたバスレロは、動きやすいようにだろうその身にレザーアーマーを身に纏っている。それを見たレイが驚いたのは、そのレザーアーマーが一目見て分かる程に高品質な物だと思えたからだ。

 もちろんレイに美術品の審美眼のような物は無い。あるいはレイの持っている各種のマジックアイテムのように強力な魔力を秘めた物であれば違和感としてそれを察知することも出来ただろう。だが、バスレロが身につけているのはそのようなマジックアイテムでは無かった。だがそれでも、歴史を感じさせる風格のようなものをレイに感じさせたのだ。


「……あの鎧、相当な業物だな?」

「ええ。曾爺さんが使っていたレザーアーマーを仕立て直した物です。何でもランクB相当のモンスターの皮を使っているとかなんとか。……まぁ、その仕立てでかなりの金額が飛んで行きましたが、それでも息子の安全を思えばしょうがない出費ですしね」


 レイはムエットの言葉に頷き、期待を込めた目で自分を見つめているバスレロへと近付く。


「さて。じゃあさっき話した通りにまずはお前の実力を見せて貰おう。何度も言うようだが、俺の戦闘方法は完全な我流だ。当然他の奴を相手にして戦ったことはあまりない」


 話しつつ、レイの脳裏に浮かんだのはギルドの訓練場で戦ったことだった。ランクアップ試験の時と、それから暫くした後でミレイヌと行った模擬戦。そのどちらにしても、相手はある程度冒険者として経験を積んでいた存在だった。


(けど、バスレロはあくまでも素人の子供だ。……アシエが回復魔法を使えるといっても、なるべく怪我をさせないに越したことはない、か)


「はい! よろしくお願いします!」

「ああ、よろしくな。じゃあ早速だけど裏庭まで案内してくれ」

「分かりました。こっちです、先生」

「……先生?」


 おかしな単語を聞いた、とばかりに首を傾げるレイ。

 だが、バスレロは首を傾げて口を開く。


「だって、僕の訓練をしてくれる先生なんですよね? あ、それとも師匠って呼んだ方がいいでしょうか?」

「……先生でいい」


 これまで生きてきた中で先生と呼ばれたことは一切無かったので、若干の照れはあった。だがそれでも、師匠と呼ばれるよりはマシだと判断して大人しく先生と呼ばれることにしたのだった。

 そして応接室から徒歩1分も掛からずに屋敷の裏口へと辿り着き、そこから外へと出る。

 まず目に入ったのは、枯れている草木の類だ。冬だからこそ雑草の類は枯れていて邪魔にはならないが、もし春や夏にここに来たとすれば一面に草木が生い茂り、歩こうとする足を邪魔するだろう。そう思える程には周囲に広がっている枯れ枝の量は多かった。


「え……?」


 だが、その光景を見て驚きの表情を浮かべたのはレイではなくバスレロ。背後から付いてきたアシエもまた声を出さずに驚きの表情を浮かべている。何故なら……


「セト、お前一体何をやってるんだ」

「グルゥ?」


 そう。セトは庭の至る所に散らばっていた枯れ枝の中でも、大きい物を選んでクチバシで咥えて運び、何故か一ヶ所へと集めていたのだ。

 その様子に、思わずどこか呆れた様に呟くレイ。そしてそんな声を聞いてレイの存在に気が付き、セトは喉を鳴らしながら小首を傾げるのだった。

 まるで、何を聞いているのか分からないとでもいった様子のセトにレイは思わず苦笑を浮かべ、バスレロとアシエはただ呆然と庭の隅に作られた枯れ枝の塊を眺める。

 あるいは大きな枯れ枝を集めても、それでもまだ庭に幾つもの枯れ枝が落ちているのに自分の家の庭のことながら驚いたのかもしれないが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る