第215話

「あれ? レイ君。今日はどうしたの?」


 ギルドへと入って来たレイを目敏く見つけたケニーが、笑みを浮かべながら声を掛けてくる。

 そのままカウンターの方へと向かうレイ。

 この時に酒場の方へ向かうという行動を選択しない辺り、レイのアルコールがそれ程好きではないという嗜好の現れだろう。

 また、昼間から飲んで騒いでいる酔っ払い達に絡まれるのを避けるという目的もあったりする。何しろ素面の状態でなら既にレイへとちょっかいを掛けてくるような相手は殆ど存在しないのだが、それが酒を飲んで気が大きくなった時にレイを見かけて……となると色々と面倒な出来事が起こりかねないからだ。


「いや、ちょっと暇潰しに寄ってみたんだが……色々と暇そうだな」

「あははは。何しろ冬だからね。この時期はいつもこんな様子なのよ。ね、レノラ」


 そう言い、横で何らかの書類のチェックをしていたレノラへと声を掛けるケニー。


「そうね。でも仕事が無い訳じゃないのよ。私がやってるような書類のチェックとか。あ、レイさんこんにちは」


 書類を見ながらケニーへと軽く返し、一旦その作業を止めてレイへと頭を下げるレノラ。

 その際に、既にレイも見慣れたポニーテールが軽く揺れていた。


「キュ!」

「……え? 今何か言いました?」


 突然レイの方から聞こえてきた声に、思わず尋ねるレノラ。


「……いや、気のせいじゃないか?」

「そうですか? うーん、ちょっと根を詰め過ぎたかな」


 首を傾げて、ちょっと休憩とばかりに書類から手を離すレノラだったが、レイは視線を自分の肩へと向ける。

 そこには姿を消したイエロがいる。てっきりセトと共にギルドの外で待っているかとばかり思っていたのだが、何故かイエロはギルドへと向かうレイの右肩へと移動してきたのだ。透明になっているからこそ騒ぎにはなっていないが、もしその姿を見せたとしたら幼竜を連れているということでまた騒ぎになっていただろう。いや、あるいはレイだからしょうがないと逆に納得されていたかもしれないが。

 イエロとしても、騒ぎになるような真似はするなと主人であるエレーナから言われている。だがそれ以上に上位の命令。手紙を届けて受け取ってくるという命令の次に優先順位が付けられている命令があった。それを果たすべく、イエロはレイと気安い様子で会話を続けているレノラとケニーの2人をじっと見つめる。まるで、その顔をそのまま記憶して決して忘れないかのように。

 ……そう。即ち、レイの側にどんな女がいるのかを調査するように命じられたエレーナからの指示を忠実に守って。


「そう言えば、灼熱の風はどうした? この前、冬だというのにリザードマン討伐の依頼を受けていたようだが」

「まぁ、ミレイヌさんは色々と無駄遣いが多いらしいから。スルニンさんがちょっと愚痴ってたわ。それでもまぁ、この前の依頼で冬を越せるくらいには溜まったらしいわよ」

「ちょっと、ケニー。そう簡単に他の冒険者の情報を洩らさないの!」


 横で聞いていて、思わず眉を顰めて注意するレノラだったが、ケニーは小さく肩を竦める。


「分かったわよ。全くお堅いんだから」

「あのねぇ。それ以前にギルドの受付嬢の常識として考えなさいよね」

「はいはい。……あ、そう言えば……」


 レノラと話していたケニーは、ふと何かを思いついたかのように書類を取り出す。


「レイ君、いい報告と微妙な報告があるけど……どっちから聞きたい?」


 そう言い、2枚の書類を裏返しにして、ヒラヒラとレイの目の前で振って見せる。


(いい報告……は、恐らくランクアップに関してで間違い無いだろう。バールの街の時にもう少しでランクアップ可能だって話だったのに加えて、ブルーキャタピラーの討伐依頼や、スパイの事件もあったしな)


 レイの脳裏を過ぎるのは指名依頼として処理されたランガからの依頼。恐らく口止めの料金も含まれていたのだろうが、報酬は金貨1枚というランクD冒険者にとっては破格の報酬だったのだ。

 そんな風に思いながら、取りあえずとばかりに口を開く。


「じゃあ、いい報告から頼む」

「分かったわ。じゃーん!」


 そう言いながら右手に持っていた書類をレイへと見せるケニー。

 その書類には予想通りに、レイのランクがDからCへと上がる旨がギルドマスターの決裁印と共に明記されていた。


「ランクCか」


 予想通りの内容だった為に、頷きながらケニーから書類を受け取ってサインを含めた必要項目をペンで埋めていくレイ。

 その様子を見ていたケニーは、どこか呆気に取られながら口を開く。


「あれ? 驚かないの?」

「まぁ、元々もう少しでランクアップするってのはブルーキャタピラーの討伐依頼を受ける前にミンに言われてたしな」

「でもこの短期間でランクCだよ!? ギルムの街に冒険者ギルドが出来てからの最速記録を更新し続けているんだよ!?」


 がーっとばかりに言い募るケニーだったが、レイにしてみればそこまでテンションが高くなる程に喜ぶものではなかった。

 むろんランクが上がったということは、これまでよりもランクの高い依頼を受けられるということであり、より強力なモンスターとの遭遇を意味し、同時に未知の魔石の入手する確率が高まることを意味している。

 それ故に、嬉しいか嬉しくないかと言われればもちろん嬉しいのだ。だが、自分よりも遥かに興奮しているケニーの様子を見て驚くタイミングを見失ってしまったというのもあった。


「むぅ。まぁ、しょうがないわね。それはそれでいいとして……はい、次は微妙な報告の方ね。ランクアップに絡んでる内容だけど」


 その言葉と差し出されたのは、1枚の依頼書だった。内容は1週間程1人の人物に対して戦闘訓練をつけてやって欲しいというものだ。普通と違うのは、その依頼主の場所に『ムエット・シスネ』と表記されていることだろうか。名字持ち、つまりは貴族からの依頼だ。おまけにご丁寧なことに指名依頼となっている。報酬が何と銅貨5枚。


「……」


 その内容に、思わず眉を顰めるレイ。

 何しろこれまで受けた指名依頼と言えば、ダンジョンの探索であったり、バールの街へ薬の材料を届けるものであったり、ギルムの街に忍び込んでいたスパイの捕獲だったりと、面倒事ばかりがこれでもかとばかりに並んでいるのだ。

 もちろん、何らかの理由があるからこそ指名依頼という形になるのは分かっているのだが、それでもこれまでの経験を考えるとどうしても躊躇ってしまうのも事実だった。


(モンスターの討伐に関しての指名依頼なら問題無いんだが……よりにもよって貴族の訓練とか。これ程俺に似合わない依頼も無いだろう。おまけに、この異様に安い報酬とか)


「ほら、そんなに嫌そうな顔をしないの。これもランクアップに関わってくるんだから」

「……ランクアップの時に試験が必要なのはEからDの時と、CからBと聞いてたんだが?」


 以前に聞いた内容を思い出しながら尋ねるレイだったが、ケニーは何でも無いように頷く。


「確かにその通りよ。実際にこれは試験という訳じゃないの。だから、もしこの依頼に失敗したとしてもランクアップに影響はないわ。ただ、Cランクの依頼となるとこういう依頼もあるっていう……そうね、お試しのようなものかしら。だからこそ、報酬がその額なのよ。ランクCのギルドカードは、この依頼が終わった後で渡されることになるわ」

「……なるほど。それで、俺をわざわざ指名して依頼している理由は?」

「その辺はギルドとの交渉の結果ね。向こうにしてもギルドが推薦する人物ならということで納得してるでしょうし」

「依頼の失敗ってのは?」

「向こうからの申告ね。ただ、今回に限ってはあくまでもCランクの依頼を体験するというのが前提だから、普通の依頼みたいに罰金の類はないから安心して」


(さて、どうしたものか。いや、どうしたも何も、ランクアップする為には受けるしかないんだよな。もちろん受けなくてもランクアップは出来るんだろうが、後々何らかのマイナス要素が出て来そうだし)


 ケニーの言葉に溜息を吐き、頷くレイ。そんなレイの右肩の上では、イエロが無言で励ますかのようにレイの頬へと体を擦りつけるのだった。

 無言であるのは、やはり自分の存在が知られないようにという言葉を覚えていたのだろう。その予想外の頭の良さに感心しつつも、レイはケニーとの話を進めていく。


「それで、具体的にはいつその貴族……えっと」

「シスネ男爵よ」

「そのシスネ男爵家とやらに行けばいいんだ?」

「特にいつまでとは指定されていないわ。ただ、一応期限はあるわよ。えっと……今日を含めて10日以内ね」

「10日か。分かった。近い内に行くとするか。シスネ男爵家までの地図を貰えるか?」

「ええ、ちょっと待って。……はい、これ」


 迷う様子も無く、近くにある書類の中から1枚の手書きの地図を取り出してレイへと手渡すケニー。恐らく、レイがこの依頼を断ることは無いと前もって予想していたのだろう。


「……まぁ、いいけどな」

「え? 何が?」

「何でも無い。それよりも用件はこれで済んだのか?」


 もう用が無いなら行くぞ、とばかりに告げるレイだったが、ケニーはカウンターの向こう側から手を伸ばしてレイのドラゴンローブの裾を掴む。


「まだ何か用事があるのか?」

「えっと、用事はないんだけど……食事とか……どう?」


 いつもは年上ぶっているケニーだったが、座っている影響で今はレイの方が背が高い。その状態で上目遣いで食事に誘ってくるケニーに、思わず頷こうとしたレイだったが……


「キュ!」

「ケニーッ、いつも言ってるでしょ。プライベートな話は仕事中にしないでって」


 イエロの小さな鳴き声と共にその右前足がレイの頬へとヒットし、それと同時にレノラの注意する声が響くのだった。

 幸い、レノラの声とイエロの声は殆ど重なっていたので、周囲には特に違和感を持たれなかったようだが……


「……ねぇ、レノラ」

「な、何よ急に。いつもと違ってしおらしいじゃない」

「そうじゃなくて。今、何か変な声が聞こえなかった?」

「……変な声?」

「そう。何か小動物のような……」

「うーん……別に従魔とか召喚獣の類はいないわよ?」

「聞き間違いかな?」


 レノラには聞こえなかったようだが、よりイエロの側にいたケニーには聞こえていたらしい。

 それでもあくまでも小声であった為か、何かの聞き間違いかと思っているようだったが。


「恐らくね。……じゃなくて。いいから、ケニーは仕事の方に集中しなさいよ」

「仕事って言っても……もう殆ど無いじゃない。何しろ殆どの冒険者が仕事を休業してるんだから、当然私達の仕事だって少なくなるでしょ?」

「それはそうだけど」


 ある意味、正論であるケニーの指摘に思わず言葉に詰まるレノラ。

 そんな2人を見ていたレイだったが、透明になっているイエロが前足でレイの頬へと触り、早く移動しようと急かしてくる。

 ……そう、これこそイエロがエレーナから受けていた命令の1つ。すなわち、レイに好意を持っていそうな相手を調べて、あるいはその相手がレイと親しくしようとしたら、出来るだけ阻止するということだった。

 もっともイエロ自体は体長20cm程度の大きさしか無いので、物理的にどうこうするというような真似は出来ない。出来て、今の様に話を誤魔化すようなことだけだった。


「まぁ、とにかく用事が無いようなら俺は行く……」

「おおっ、レイじゃねえか。お前もギルドに来ていたんだったら、俺達のテーブルに寄れよな!」


 レイが言葉を最後まで喋る間もなく、その肩へと誰かの手が乗せられる。

 不幸中の幸いだったのは、相手の伸ばしてきた手が掴んだのが左肩だったことだろう。これがもし右肩であれば、恐らくイエロは突き落とされた格好になり、その姿を晒していたのだから。透明になれると言っても、それはあくまでも見た目だけのものであり、その状態であってもイエロ自身はきちんとそこに存在している。つまり、触れられるのだ。

 その事実に安堵の息を吐き、振り向いた先にいるのは30代程の女戦士だった。恐らく酔っているのだろう。頬が薄らと赤く染まっている。


「フロン」


 振り向いたレイが、女戦士の顔を見ながらその名前を呟く。

 以前ハーピーの討伐依頼を共に受けた、ランクCパーティ砕きし戦士のメンバーであった。

 30代ながらも未だに女盛りといってもいい様子のフロンに、数秒前までレノラとじゃれあっていたケニーが警戒の視線を向ける。

 ギルドの受付嬢であるケニーにしてみれば、レイと同じ冒険者で特定の相手がいないフロンは間違い無く警戒に値すべき相手だった。

 もっとも、これはあくまでもケニーの独り相撲でしかない。フロンにしてみれば、10代半ばのレイはまだ自分の半分程しか生きていない相手であり、とても異性として認識すべき対象ではなかったのだから。フロンにしてみれば良くて出来のいい弟分といった認識でしかない。

 ……尚、間違っても『息子』や『母親』、あるいは『親子のようだ』と言ったりするのは禁句である。それを言った砕きし戦士のもう1人のメンバーでもあるブラッソが、打たれ強さに定評のあるドワーフであるにも関わらず地面に沈んだことを考えれば、それ等の単語の危険性は誰にでも分かるだろう。

 結局この日は、ギルドに併設している酒場でフロンやブラッソと共に宴会に参加させられるのだった。

 それでも幸い酔い潰れる前に撤退出来たのは、レイにとって幸運だっただろう。

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