第210話

 ギルムの街の近くにある林。そこに流れる川の上流にその洞窟はあった。もしギルムの街の冒険者が来たとしても誤魔化せるように、洞窟の入り口をカモフラージュされた洞窟。その洞窟の中には人はおろかモンスターの姿すらもなく、このエルジィンではどこにでもあるようなただの洞窟だった。ただ1つ他の洞窟と違う場所があるとすれば、それは洞窟の地面に描かれている魔法陣だろう。直径3m程のその魔法陣。これこそが転移石で転移する為の目印のようなものだった。

 転移石。ベスティア帝国で開発されたこのマジックアイテムは、ただでさえ難易度の高い魔法である空間魔法の中でも、さらに上位に位置する魔法である空間転移をランクB以上のモンスターの魔石を精密に加工し、幾つもの稀少な素材を用いて付与したものだ。その為、いくらベスティア帝国の錬金術師が有能だったとしても、使用に際して色々な制限が付くのはしょうがなかった。例えば1度に転移出来るのは転移石に込められた魔力の関係上大人2~3人程の重量が限界であったり、さらに転移先には特定の魔法陣を用意していないと駄目だったり。そして最大の制限が転移可能な距離が最大10km程度であるということだった。

 そんな、ギルムの街に潜入していた影達が転移石を使った時の転移先として用意してあったのがこの洞窟であり、そしてその洞窟の地面に描かれた魔法陣が、激しく明滅していた。

 青い光が強く光り、あるいは弱く光る。そしてその明滅が幾度となく繰り返され……次の瞬間、一際眩く周囲へと青い光を撒き散らす。

 そしてその光が消え去った時……


「グルゥ?」


 そこには、体長2mを越えるグリフォンの姿があった。


「グル、グルルルゥ? グルルルルゥッ!」


 突然の転移であった為に、何が起きたのか良く分からなかったのだろう。小首を傾げながら周囲を見回し、更に再び小首を傾げる。

 周囲にあるのは岩壁のみであり、上を見ても岩の天井が覆っていた。唯一の出口と思しき場所には枯れ木や常緑樹の枝、あるいは石といったもので外から見つからないように偽装されている。


「グルルルゥ」


 喉の奥で鳴きながらも、一瞬前にあった出来事を思い出すセト。何らかの魔法、あるいはマジックアイテムの発動を感じ取り、大好きなレイを守る為にその魔力の発せられた小屋へと突っ込んだのだ。そしてその瞬間に数人の人影へとぶつかり、同時に周囲が眩い光に覆われ、気が付いたらこの洞窟の中に存在していた。


「グルゥ? グルルルゥ、……グルルルルゥッ!」


 周囲を見回してレイの姿を探すが、当然ギルムの街から離れたこの場所にいる筈も無い。

 次第に心細くなりながらも、それでも自らを励ますようにして鳴き声を上げる。

 レイとは毎晩宿で離れているし、それに長期間離れるというのはレイのランクアップ試験の時にも経験している。それを思い出しながら、まずは外へと出るべく洞窟の入り口を覆っている岩や木の枝を、前足の一薙ぎで吹き飛ばした。

 幸い入り口はセトの身体でも十分に通り過ぎる程には大きかった為、そのまま外へと進んで周囲を見回す。

 周囲に存在しているのは、冬になった為に枯れた木が殆どで、他には数本程常緑樹の木が視界に入る。

 地面を見れば枯葉が大量に落ちており、雪が降った影響だろう。濡れて湿っていた。


「グルルゥ」


 喉を鳴らしながら周囲を見回すセト。

 だが、当然周囲に誰かがいる筈も無く、もちろん一番いて欲しいレイの姿も無い。


「グルゥ、グルルルゥ。……グルルルルルルルルゥッ!」


 喉をならし、やがて高く……ひたすらに高く自分はここにいると鳴くセト。その周辺に存在していたモンスターの殆どが、その声を聞いて隠れるなり逃げ出すなりしていたのだが、セトにとってそれは関係無かった。

 周囲にレイがいない。その事実がセトに心細さをもたらす。


「グルルゥ……」


 30分程、心細そうに鳴きながらその場で佇んでいたのだが、それでも当然の如くレイの姿はない。当然いつものように笑みを浮かべて自分の頭を撫でてくれたり、掻いてくれたり、背中を毛繕いしてくれるかのように撫でてくれる手もない。

 洞窟の前を行ったり来たりすること、さらに30分。

 レイと引き離された状態に心細さを感じつつも、それでもこの場にいてもどうにもならないと判断するまでさらに1時間。


「グルゥ」


 やがて、ようやくいつまでここで待っていてもレイが迎えに来てくれないと判断して、自分を励ますように小さく鳴く。

 影の男の自白により転移石で転移した場所の情報は既に知らされているのだが、その場にいなかったセトが当然それを知ることは出来無かった。故に、レイが自分の居場所を分からずに迎えに来られないというのなら、自分が迎えに行こうと判断したのだ。

 幸い洞窟の前はそれなりの広さがある。そのまま数m程の距離を助走しながら翼を羽ばたかせ、やがて空中を走っているかのようにその身は空へと浮き上がっていく。


「グルルルルゥッ!」


 すぐにレイに会いに行く。そんな決意を込めた雄叫びを上げ、空高くから地上を見下ろす。


「……グルゥ?」


 その時、セトの視線には予想外の光景が目に入った。つい先程まで自分がいた場所から、そう遠くない位置にある街そのものを覆っている高い壁。それだけなら、あるいは他の街と見間違ったかもしれない。だがその街から感じられる魔力は、間違い無くレイのものだった。つまり、あの壁があるのはギルムの街ということになる。


「グルゥ、グルルルゥ、グルルルルルルルゥッ!」


 つい先程上げたのとは違う、喜びに満ちた遠吠え。その声が先程同様に周囲一帯へと響き渡る。


「グルルゥッ!」


 そして再び鳴くと、セトは視線の先に見える街へと向かって翼を羽ばたかせる。

 地上を行くのであれば、半日以上……進む速度によっては1日程度は掛かるかもしれない距離にあるギルムの街だが、空を飛べるセトにしてみればそれ程の距離ではない。それこそ1時間と掛からずに到着できるだろう。そう思って空を飛んでいたセトだったが、ふと何気なく地上へと視線を送った時、1組の冒険者パーティがモンスターと戦っているのをその鋭い視覚で発見する。そして視覚同様に鋭い聴覚が冒険者パーティの上げた声を拾い上げた。


「ええいっ! リザードマンならトカゲらしく冬眠でもしてなさいよっ!」


 数匹のリザードマンの攻撃を一身に防ぎ続けている戦士風の女。そして、その後ろで杖を手に呪文を唱えている中年の男と、弓を引いては矢をリザードマンへと放って前衛の女戦士の援護をしている弓術士の少女。そのパーティをセトは知っていた。ランクCパーティの灼熱の風。特に灼熱の風のリーダーでもあるミレイヌは、いつも自分に美味しい食べ物を食べさせてくれる相手ということで強く印象に残っている。


「グルゥ……」


 一瞬だけギルムの街の方へと視線を向けるが、レイの居場所は既に把握しており、感じられる魔力からも特に怪我をしていないというのはセトにも感じ取れた。

 ……もちろん、これ程に距離が離れていても魔力を感じ取ることが出来るのは、セトがレイの魔獣術で生み出された存在であり、ある種の魔力のラインによって魂と魂が繋がっているからだ。レイ以外の人物の魔力をこれ程離れた距離で感じ取ることは出来ない。ただし、魔力を感知する能力を持っていないレイはセトの存在を感じ取るというのは出来ないので、これはあくまでもセトからレイへの一方通行の感知なのだが。

 その繋がっている魔力のラインによってレイの状況を理解したセトは、ギルムの街と数匹のリザードマンと戦っているミレイヌを見比べ数秒程迷い、やがて地上へと降りていく。

 本来であれば、ランクDモンスターのリザードマンはランクCパーティでもある灼熱の風にとってはどうということの無い相手だっただろう。だが今は冬であり、足下が雪でぬかるんでいる。それが速度を重視した剣士であるミレイヌの有利さを消し去っていた。

 リザードマンにしても冬の寒さには弱いのだが、動いている間は身体も暖まり動きが鈍ることはない。……その分、一旦体温が下がり始めると極端にその動きが鈍くなるのだが。


「ちょっとスルニン、呪文はまだ!?」

「待って下さい。もう少し……」

「ミレイヌさん、前、前ぇっ!」


 パーティの魔法使いでもあるスルニンへと魔法の催促をするミレイヌだったが、その隙を突いて槍を持ったリザードマンがミレイヌと剣で打ち合っているリザードマンの横からその槍を突き出そうとして……


「グルルルゥッ!」


 灼熱の風の3人にとっては……そして、ミレイヌにとってはさらに聞き覚えのある鳴き声と共に、直径2mを越える体長を持つセトが落下してくる。そしてその落下しながら前足の一撃を振るい、剣でミレイヌと打ち合っていたリザードマンは首を粉砕された。


「え!?」


 思わず声を上げるミレイヌだったが、セトはそれに構わず地面へと殆ど音を立てずに着地する。

 上空から一撃を与えながら急降下してきたにも関わらず、静か極まりない着地はグリフォンであるセトだからこそだろう。


「グルルルゥッ!」


 そして地面に着地した時に衝撃を殺す為に沈み込んだその体勢のまま、反動を利用して再び跳躍。槍を持っていたリザードマンの腹を横薙ぎに前足を振るい、胴体を破砕する。

 そのまま周囲を一瞥し、他に気配が無いのを確認。大きく息を吸い……


「グルルルルルルルルゥッ!」


 鳴き声と共に、そのクチバシからファイアブレスを吐き出す。


「シャアアアアアッ」


 炎の吐息に触れた次の瞬間、リザードマンは全身を炎に巻かれて悲鳴を上げながら地面を転がった。

 幸いなのは、今の季節が冬だったことだろう。もし秋であったとしたら、乾燥した木々や葉に火が燃え広がっていただろうから。


「っ! 今よ、スルニンッ、エクリルッ!」



 我に返ったミレイヌの叫びに、スルニンはウィンドアローを、エクリルは構えていた弓から矢を放ち、最後に残っていた数匹のリザードマンを仕留めていく。

 ミレイヌもまた、足を取られながらも炎に巻かれて地面を転がり回っているリザードマンの首へと剣を振り下ろすのだった。

 そして数分。ようやく落ち着いたミレイヌはいつも街中でみるのとは違う、鋭い目で周囲を警戒しているセトへと視線を向ける。


「セトちゃん……よね?」

「グルゥ」


 ミレイヌの問いかけに、喉の奥で鳴きながら頷くセト。

 その首にはギルムの街中で付けることが義務づけられている従魔の首飾りが掛けられており、目の前にいるのがミレイヌの知っているセトであるというのは間違いがなかった。


「グルルルゥ?」


 大丈夫? と首を傾げつつ尋ねるように鳴くセト。

 その様子に、助かった安堵感、目の前にいるのがセトであるという嬉しさ、そして何よりもセトの愛らしさの前にミレイヌの感情が爆発する。


「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃーんっ! 助けてくれてありがとう! 本当に可愛いし、格好良いし、強いし、可愛いし、可愛いんだから!」

「……ミレイヌ、可愛いというのが随分と入っているようですが」


 そんなミレイヌの様子に苦笑を浮かべつつ、スルニンが杖を手にセトの頭をそっと撫でる。

 首筋に抱き付いているミレイヌが邪魔をするなとばかりに視線を向けるが、年の功と言うべきだろう。スルニンはそれをスルーしつつセトへと声を掛ける。

 オークの集落に対する襲撃の時の出来事で、目の前にいるグリフォンが人間並み……下手をしたら、その人間以上の知性を持っているのは理解していたからだ。……これまで散々ミレイヌに惚気を聞かされていたから、というのもあるかもしれないが。


「助けてくれてありがとうございます。いつもならあの程度のリザードマンに手こずるようなことは無いのですが、今回は色々とタイミングが悪かったですね」

「グルルゥ」


 気にするな、とばかりに首を振るセト。

 そんなセトの様子を少し離れた場所で見ていたエクリルはふと気が付く。


「あれ? セトがここにいるってことは、レイもこの辺にいるの? それにしては姿が見えないけど」

「……グルゥ……」


 何気なく呟かれた言葉だったが、それを聞いたセトは円らな瞳に寂しさを浮かべて首を振る。


「あれ? レイがいなくてセトだけ? ……おかしいわね、あんなにセトを可愛がってたのに」

「グルゥ」


 喉を鳴らしながら、ギルムの街のある方へと顔を向けるセト。

 セトに対する愛ではレイに劣るかもしれないが、それ以外の者達には絶対に負けないという自信のあるミレイヌは、すぐさまその仕草の意味を悟る。


「あっちはギルムの街の方向よね。……じゃあ、もしかしてレイはまだギルムの街にいるの? そしてセトはそこに帰る途中だったとか」

「グルルゥ」


 その通り、とばかりに頷くセト。

 レイの存在を感じ取り、さらには自分と仲のいいミレイヌが目の前にいる。灼熱の風3人の前で頷いているその様子は既にいつも通りのセトであり、1時間程前には洞窟の前で心細く鳴いていたようには一切見えなかった。


「なるほど。理由は知らないけどレイと離れ離れになった訳か。……ん、そうだ。セトちゃん。私達もこれからギルムの街に戻るんだけど、よかったら一緒に行かない?」

「ミレイヌ。セトならギルムの街までひとっ飛びなんですよ? わざわざこっちに合わせて移動速度を落とさなくても……」


 自分がセトと一緒に行動したいというミレイヌへと注意するスルニン。

 だが、ミレイヌにしてもそれだけでセトに頼んでいるのではない。セトの、グリフォンとしての能力は街の外を移動する上で非常に有用だから、というのもあった。


「どうかな? 良かったら私達と暫く一緒に……」

「グルゥ……」


 数秒程ギルムの街の方へと顔を向けて、迷うが……やがて小さくコクンと頷くのだった。

 ああいう風に出て来た以上は、恐らくレイに対して心配を掛けているのも分かる。だが、それでも。自分の首に抱き付いているミレイヌもまた、大好きな人の1人なのだから。当座の危機に関してはレイよりもミレイヌの方が上だと判断し、灼熱の風の一行と共にギルムの街へと向かうのだった。


「全く、ミレイヌが金を使いすぎたせいで冬を越す資金が少なくなってきたんですから、少しは反省して下さいよ」

「分かってるわよ。スルニンってば細かいんだから」

「ミレイヌさんってば、金遣いが結構荒いんですよね。宵越しの金は持たないとか何とか酒場で宣言したって聞きましたけど」

「ちょっ。エクリル。それは……」

「ほほう。その辺、ちょっと詳しく聞かせて貰いましょうか」


 そんな風に会話をしながら。

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