第209話

 じっと自分達の隠れている場所へと近付いてくる2人と1匹の様子を見ていた男と女。

 そして影として鍛えられた聴覚により、自分達の居場所をどうやって見つけたのかを知った男は、ピクリと頬を動かす。

 正直に言えば舌打ちをしたい気分だったのだが、そう遠くない場所にグリフォンが存在しているのだ。その舌打ちの音で自分達の居場所が知られる可能性を考えると、そんな真似は出来なかった。


(いや、嗅覚だけでここまで辿り着いたんだ。恐らく既に俺達がこの辺に隠れているのは知られていると見るべきか。だが、どうする? 襲撃場所からここまでを嗅覚で追って来た以上、この街のどこに隠れても完璧に隠れるというのは難しいだろう。そうなると……)


 男が、自分の懐にある転移用のマジックアイテムへと手を伸ばす。


(転移可能なのは2人……多くても3人。そうなると、こいつらを見捨てていくことになるな。……だが、俺達の最大の目的はあくまでも情報を持ち帰ることだ。この場で全滅するのを考えると、最良の選択肢は考えるまでも無い)


 自分の副官である女へと視線を向ける男。

 その視線を受け止め、全て分かっているとばかりに女は頷く。そして声を出さずに口の動きだけで会話を行う。


「私が他の者達を率いて奴等の注意を引きます。隊長はその隙に転移石を使用して下さい」

「……すまんが頼む。生きて帰れ、とは言わん。やるべき任務をこなせ」


 眉を顰めつつ苦渋の決断をする男。その中にあるのは、何も部下である者達を失うという悲しみばかりではない。一流の影、即ちスパイは当然その育成に大量の資金が掛かっている。その資金を掛けて育て上げ、尚且つ優秀であると認められた者だけが影という存在になるのだ。20人近い影。それを育てるために必要とされる資金や労力を考えると、今回の件はベスティア帝国にとっては大損害と言ってもいいだろう。そしてそれだけの損害を出した上で入手した情報にそこまでの価値があるかどうかと言われれば、それもまた疑問符を付けざるを得ない。

 つまり、今回ギルムの街に対して行った行動の全てを考えると、明らかに赤字以外の……それも、特大の赤字以外のなにものでもなかったのだ。


(くそっ、それもこれも、全てがあのレイとかいう冒険者のせいだ。こうなった以上は、確実にここで集めた奴の情報は帝国に持って帰ってみせる)


「お前達が奴に仕掛け、隙を作ったら俺は転移石を使用して街を脱出する。部下は全てここに残すから、お前が指揮しろ」

「いえ。いざという時に隊長の護衛は必須です。2人程連れて行って下さい。転移石を使おうとしている時に襲われたりしたら、あのレイとかいう男を拠点用に確保してある場所に連れて行くことになってしまうかもしれません」


 女の言葉に男は渋々納得し、他の建物に潜んでいる部下達に対して手信号で短く指示を出す。そして襲撃の準備を整えるのに掛かった時間は10秒足らず。その動きは、間違い無く最精鋭と言っても過言では無いものだった。


(その最精鋭をこんなところで消費するとはな。来春の戦争でこれがどう影響するやら)


 そんな風に男は思いつつ、向こうの隙を突いていつでも転移出来るように懐から転移石を取り出す。後は、自分の護衛として部隊の中でも腕利きの2人と合流するのを待つだけだ。


(向こうが攻撃を受け、それに対処して、そこでここに残る奴等が姿を現す。そっちに警戒をして気を取られたその一瞬。その隙を見逃さずに転移石を発動してみせる)


 準備が整ったのを確認したのだろう。女が外から近づいて来ているレイへとナイフを構え……素早く投擲する。同時に、この場に残る数名の影達も女と同様にナイフを投擲した。

 だが、次の瞬間に起きた出来事は行動の行方を見守っていた男をして、信じられないようなものだった。何しろレイが懐からナイフを取り出すや否や、文字通りに目にも止まらぬ早さで操り、自分へと飛んできたナイフを全て打ち払ったのだから。


「隊長、ご武運を!」

「……」


 女は自らの上司へと短く別れを告げ、外へと飛び出す。同時に、その様子を見ていた他の部下達もまた隠れていた建物から姿を現し、レイ達を包囲する。

 そしてレイの視線が部下達に向けられたその一瞬の隙を男は見逃さなかった。女とその部下達が姿を現したのに紛れるようにして移動してきた2人の部下と目を合わせ、一瞬で意思の疎通を完了し、魔力を流した転移石を地面へと叩きつけようとしたその時。


「隊長っ! 避けてぇぇぇっっ!」


 女の絶叫が周囲へと響き渡り、同時に何かを破壊するような音と共に衝撃を受け、一瞬でその意識を絶たれるのだった。

 男の判断は間違い無く正しかった。もし相手をしているのが普通の冒険者であるのなら。あるいは警備隊だけであるのなら、男の狙い通りに部下達を犠牲にして転移石による転移でこの場から逃げ出すことに成功していただろう。

 だが、その場にいたのは普通の冒険者では無い。ランクA冒険者並みの戦闘力を持っていると噂されているレイだった。そしてこの場合、何よりも致命的だったのは魔力を感知出来るグリフォンのセトがいたことだろう。

 女とその部下達が姿を現し、レイ達を包囲した次の瞬間。セトは自分達を包囲している中でも、先頭にいた女が出て来た小屋から魔力の反応を察知した。それが魔法なのか、あるいは何らかのマジックアイテムなのかは判断出来なかったが、このままでは大好きなレイに危害が加えられるかもしれない。そう判断したセトは、地を蹴り、翼を羽ばたかせ、2mを越えるその肉体と剛力の腕輪というマジックアイテムの効果を用いて魔力を感知した小屋へと突っ込んでいったのだ。

 そしてその結果……


「セトッ!?」


 咄嗟のその行動に唖然とした顔をする周囲の者達と同様に、レイもまた思わずセトの名を呼ぶ。

 だが、セトがその声を聞いた時には既に転移石の効果は発揮されつつあり、小屋の地面に転移するための魔法陣が展開されていた。そしてその転移石を持っていた男と部下達は、セトの体当たりによって気を失ったまま壁へとぶつかり気絶して地面へと倒れている。発動した転移石は地面へと落ちたまま。


「グルルゥッ!?」


 セトが魔法陣に気が付いた時には既に遅かった。地面に落ちた転移石を中心として魔法陣が展開。そしてその魔法陣の中にいた存在……すなわちセトを転移させたのだ。


「……セト?」


 建物の中に突っ込んでいったセトの気配が急に消え、ポツリと呟くレイ。そのレイの隣で何が起きたのかは分からないが、それでも何か拙い事態が起きたというのを理解したランガが、険しい視線を周囲で自分を取り囲んでいる者達へと向けている。

 だが、レイやランガを取り囲んでいる女やその部下達にしても困惑しているのは同様だった。何しろ転移石が発動したのは確かなのだが、その発動寸前にグリフォンが突っ込んでいったのだから。影達の隊長がいるその小屋のような建物が全て壊れているのなら中の様子も理解出来ただろう。だがセトの勢いは凄まじく、壁を倒壊させるのではなく貫通するようにして中に突入した為に、中の様子は全く理解出来無かったのだ。影の隊長がセトの体当たりによって気絶していたというのも不運が重なっていただろう。

 しかし、最大の不運は……


「おい、お前。見た所、お前がこいつらの中で一番上の存在だな? あの小屋の中で何をしていた? ……答えろ」


 己自身の相棒……あるいは、もう1人の己とも言えるセトの気配が急に消えてしまったことに気が付いた、レイという存在が目の前にいたことだろう。

 影の中には魔法を扱う者はいたが魔力を感知する能力を持っている者がいなかったのは、不幸中の幸いだった。もしこの場に魔力を感知出来る者がいたとしたら、その者はまず間違い無くレイ自身から溢れるように噴出している、莫大と言ってもまだ不足な量の魔力に戦意を喪失していただろうから。

 だがそれでも……魔力を感知出来ない者でも、レイの周囲が揺らめいているのは確認出来るし、空から舞うように落ちてくる雪がレイの近くにくると蒸発するかのように消えているのも分かる。


「っ!?」


 莫大な魔力と共に吹き付けてくる殺気に、影として厳しい訓練を受けてきた筈の女は息を呑み、無意識に手が、足が震える。

 カチカチと先程からうるさく聞こえているその音が、恐怖により己の歯が鳴らしている音だと気が付いた時には既に周囲にいた部下達も自分と同様、まともな戦力として使い物にならない状態になっているのに気が付く。


「……答えろ、と。俺はそう言ったんだが?」


 呟きながら、ミスティリングからデスサイズを取り出して大きく一振りする。

 大鎌の刃が風を斬り裂く音は、それだけで自分達を紙の如く斬り裂くことが出来るのだろうと半ば確信させるには十分な鋭さだった。

 1歩、また1歩とレイは自分を囲んでいる影達……そして、その最前線にいる女へと歩みを進めていく。

 レイの間合いに入った時が自分の命尽きる時だ。そう感じつつもレイから向けられている強烈な殺気と、魔力を感じる能力が無いにも関わらず強烈な畏怖にも通じるような違和感に、女を始めとして誰1人として動くことは出来なかった。

 ……そう。その場にいる者達は、だ。


「ちっ!」


 風を斬り裂くようにして飛んできた何かを感じ取り、舌打ちと共にデスサイズを振るう。

 キンッ!

 金属音を発しつつ、レイの魔力を流し込まれたデスサイズは、先程セトが突っ込んでいった小屋から飛んできたナイフを微かな手応えすらもなく斬り裂く。


「全く、こんな化け物がいるとか聞いていないんだがな」


 溜息を吐きながら進み出てきたのは、ここにいる影達を率いる男だった。


「た、た……」


 何か口に出そうとはするのだが、レイの殺気と魔力に当てられて碌に言葉も出ない女。

 だが、目は口程に物を言うという諺通りに、女の視線が男は重要な人物だと表していた。


「……なるほど。お前がこいつらの親玉か。どうやら自分1人だけ逃げようとしてたみたいだが……」


 そんなレイの挑発じみた言葉に、特に表情を動かすこともなく周囲を見回す。

 そこにいるのは動くに動けない部下達。男にしても、向けられている殺気でレイに勝つ……あるいは逃げ延びることは無理だと言うのは本能的に悟っていた。


「お前がここにいるということは、転移する為のマジックアイテムを使おうとしてセトに邪魔されたってことか。……言え。転移先はどこだ?」


 デスサイズを男へと向けて問う。レイの殺気をまともに受けているというのに、女や他の部下達と違って動きが固まっていないのはさすが影の1部隊を率いる隊長と言うべきなのだろう。


「……それを話したら、俺達を見逃してくれる……」


 斬っ!

 最後まで言わせるまでもなく、デスサイズから離れた飛ぶ斬撃、飛斬は男の真横を通り過ぎて男が姿を現した建物を斬り裂いていく。


「取引を申し出られるような立場だと思っているのか? 答えるか、死ぬか。好きな方を選べ」

「……いいのか? 俺を殺したら、さっき転移したグリフォンがどこにいるのかを知る術は無くなるぞ?」


 そう口に出しつつも、男の背中は冷たい汗でびっしょりと濡れている。

 レイから感じる濃密な殺気は、それ程のプレッシャーを掛けていたのだ。


「お前が何も言わなくても、お前の部下達に聞けば教えてくれるんじゃないか? 幸い、俺の魔法には尋問に使えそうなものも幾つかあるしな」


(拙い……な。このままでは俺達は全滅、情報は結局持ち帰れないままと最悪のパターンだ。くそっ、何でこんな化け物がこんな辺境にいやがるんだ。……いや。辺境だからこそ、か)


 戦闘を挑んでもまず勝てない。男にとってそれは既に分かりきった事実だった。そうなると出来ることは部下を見捨てて逃げるか、あるいは降伏するか。


(いや、逃げて逃げ切れる筈もない。特に今動けるのは……)


 視線で部下達の様子を確認する男。レイからの殺気が男に集中している為、男の副官である女は多少動けるようになっていたが、それでも逃げ出すことが出来る程ではない。その他の部下達は言うに及ばずだ。


(なら降伏しかないか。この男の前から逃げ出すのは不可能に近いし、何しろこの殺気だ。下手をすれば全員死ぬ可能性が高い。それよりも降伏して、この男がいない場所で脱走するというのが最善だろう。……情報に関しては届けるのが遅くなるだろうが)


 転移石がまだあるのなら、情報を持ち帰るために部下を見捨てていただろう。だが転移石は作るのに非常に高度な錬金術を必要とし、また触媒や素材に関してもランクBを含めた高ランクモンスターの素材を必要とする。その為、錬金術の発展しているベスティア帝国でもそう容易く量産出来る物でも無く、男が渡されたのもセトに邪魔をされた時に使った1つのみだった。その転移石が無い以上は、部下達を見捨ててこの場を離脱しようとしても無駄に命を散らせるだけだとすぐに悟る。

 幾ら影が任務を達成する為に命を賭けるのを躊躇しないとは言っても、それはあくまでも自分達の命が国の為になると信じるからだ。少なくても、ここで影達の前に立ち塞がっているレイに問答無用で殺される為ではなかった。

 男が考えている間にも、レイはデスサイズに魔力を込め……


「レイ君、もういい!」


 ランガが、その言葉と共にレイの肩へと手を伸ばして動きを止める。

 レイの殺気をその目にしながらも、影の者達と違い、すぐに行動へと移せたのは警備隊隊長でもあるランガの能力が高いということもあるが、やはり殺気を直接向けられた訳でもなかったというのが最大の理由だろう。それでも漏れ出た殺気で動きが止められていたのだから、レイ自身がどれ程に怒り狂っているのかを如実に示していた。


「……」


 一瞬ランガへと視線を向け、やがて小さく溜息を吐くと殺気を収めるレイ。だが、それでも視線はそのままに影を率いる男へと向けられたままだ。


「言え。セトの転移先はどこだ」

「……このギルムの街の近くにある川。その上流にある洞窟の中だ」


 男の言葉を聞きレイの脳裏を過ぎったのは、悠久の力の面々と共にモンスターの素材剥ぎをした川だった。

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