第200話

「レイさん!?」


 ギルドに入って来たレイを見て、レノラが思わずといった感じで叫ぶ。

 そしてその叫びを聞いた周囲の者達も、殆ど反射的にギルドの入り口へと視線を向けていた。

 そこにいたのは、いつものようにローブを身に纏っている人物。一見すると小柄で華奢な外見ではあるが、その中身はとてもそんな可愛いとは言えない性格をしている人物だった。

 周囲からの視線を気にせずに、十日程ギルムの街を留守にしていたとは思えない程いつものようにカウンターへと向かうレイ。

 そんなレイをレノラは嬉しそうに笑みを浮かべて出迎え、その隣にいたケニーは歓喜の表情を浮かべる。


「レイ君!」


 猫の獣人族特有の身体能力を使ってカウンターを飛び越え、そのままレイへと抱き付く。


「大丈夫だった? 怪我とかしてない? あ、怪我じゃなくて病気か。身体に異常とかはないよね?」


 ペタペタとレイの身体をドラゴンローブの上から触りながら、息つく暇も無く尋ねるケニー。

 そんな様子に思わず苦笑を浮かべつつ、自分より若干高い位置にあるケニーの肩を軽く叩く。


「心配するな、俺は全く問題無い。当然魔熱病に関しても1週間経っている以上は安心してもいい」

「良かった……」


 安堵の息を吐いたその瞬間。ケニーの猫耳が生えている頭部へとレノラの拳が落とされる。


「痛っ! ちょっ、いきなり何するのよ!」

「何するのよじゃないわよ。いきなりカウンターを飛び越えるとか、何を考えてるのよ。ギルドの看板でもある受付嬢がすることじゃないわよ」

「しょうがないじゃない、レイ君が無事に帰ってきたんだから。少しくらい羽目を外してもいいでしょ!?」

「非番だったり、休憩時間だったりしたら私も別に気にしないわよ。でも、あんたは今、受付嬢として仕事中でしょ?」

「……はぁ」


 生真面目な表情で注意してくるレノラに向かい、面倒臭そうな表情を浮かべるケニー。

 だが次の瞬間、口元にニヤリとした笑みを浮かべつつ、あからさまにレノラの胸元へと視線を向ける。

 まさに穴が開く程と表現するのが正しいような視線を向けられ、さすがにレノラも羞恥を覚えたのだろう。両手で胸を覆い隠す。

 本人が言ったように、受付嬢はギルドの顔。当然、その受付嬢には相応の服装が求められる。レノラの場合は、きっちりとした服装の中にも女らしさを感じられるようなワンピース状の服装だった。……ただし、ケニーに言わせれば自分のボディラインに自信が無い為にそれを隠そうとしている、となるのだが。

 そんな服装をしているレノラの胸元へとじっと視線を向け……やがて、その視線をレノラよりも盛り上がっている自分の胸元へと。


「ふっ」


 同時に、勝ち誇ったように鼻で笑うのだった。


「ぐっ、……ちょっとケニー。今、何で鼻で笑ったのかしら?」

「え? 別に笑っていないけど? ええ、ええ。自分の貧弱なボディラインに絶望した誰かさんが可哀想だなんて思ってないわよ」

「ちょっ、誰が貧弱よ! 私は普通よ、普通!」


 そんないつものやり取りを小さく笑みを浮かべながら眺めるレイ。

 いつものやり取りだけに、自分の居場所へ帰ってきたとしみじみと思うのだった。

 だが、さすがにいつまでも目の前のやり取りを眺めている暇も無く、2人の肩へと手を置き口を開く。


「それで、バールの街についての出来事をギルドマスターに報告したいんだが、連絡を頼めるか」

「ちょっとっ、ケニーッ! ……え? あ、す、すいません。ちょっと待ってて下さい。すぐにギルドマスターに連絡してきますので!」


 慌てたようにそう言い、ケニーとのやり取りを誤魔化してレイへと告げるレノラ。

 カウンターの奥へ向かおうと1歩踏み出した時、ギルドの内部へと声が響き渡る。


「あらあら、騒がしいと思ったら。ようやく戻って来たのね」


 その声は決して大きな声だった訳では無い。だが、不思議とその場にいる全員の耳へと入っていた。

 白銀の髪と褐色の肌に豊満なボディラインを持ち、イブニングドレスを思わせるような派手なドレスを身につけ、どこか淫靡な雰囲気を漂わせている美貌のダークエルフ。すなわち、ギルムの街のギルドマスターであるマリーナ・アリアンサだった。


「ギルドマスター!? す、すいません。今レイさんが戻って来たのを知らせに行こうと思ったんですが」

「ええ、そうらしいわね。その前に貴方達2人は面白い寸劇を見せてくれたけど」


 ケニーとのやり取りを聞かれていた、あるいは見られていたと知り、羞恥で顔を赤く染めるレノラ。

 そんなレノラの様子に笑みを浮かべつつそっと頭を撫でてから口を開く。


「もう冬に入ってギルドとしてもあまり忙しくないのかもしれないけど、受付嬢としての仕事はしっかりね。……ケニー。貴方もよ」

「は、はいっ!」


 色気自慢のケニーにしても、マリーナを前にしては勝ち目がある筈も無い。自分の得意分野で勝てない相手に逆らうような無謀な真似をせずに大人しくカウンターへと戻っていく。

 その様子を見てから、マリーナは切れ長の目をレイへと向ける。


「お帰りなさい。早速だけどバールの街についての話を聞きたいから、私の部屋に来てくれるかしら?」


 聞きようによっては、誘惑されているとも取れそうな程に艶っぽい仕草で執務室へと誘うマリーナ。

 そんな様子にギルドにいた冒険者達は見惚れ、レノラは顔を真っ赤にし、ケニーはどこか不満そうに頬を膨らませる。

 

「ああ。こっちとしても色々と報告するべきことがあるから、そうしてくれると助かる」


 レイもまたマリーナの言葉に頷き、その後を追って執務室へと向かうのだった。






「さ、座ってちょうだい。今お茶を用意するわ」


 執務室に到着するや否や、ソファに座るように進めると自分でお茶の用意を始めるマリーナ。

 ギルドマスターのやるべき仕事じゃないだろうにと思いつつも、それでもマリーナ自身が楽しそうにお茶の用意をしているのを見ると、何も言わずにソファへと座る。

 そして5分程経ち、やがてレイの前には湯気を立てているお茶とクッキーが置かれていた。 

 マリーナもまた、レイの向かいに座ってお茶へと口を付けている。


「……で、話を聞きたいってことだったが。その前にこれを返しておく」


 ミスティリングから取り出した地図をテーブルの上へと置くレイ。

 罪に問われる可能性もあったのに渡した地図だ。それだけ重要な物だけに、そしてその地図があったおかげでバールの街まで迷わずに向かえた為に、レイは感謝していた。


「確かに受け取ったわ。役に立ったかしら?」

「ああ、この地図のおかげで道に迷わなくて済んだからな」

「そう。なら良かったわ。さて、向こうでの話についてだけど……実は、大体の事情についてはセイスから直接聞いてるからその補完のような形になるのよね」


 チラリ、と執務机の上に置かれている水晶へと視線を向けるマリーナ。その視線を追って、レイもまた納得したように頷く。


「なるほど。向こうと直接連絡出来るマジックアイテムか」


 すぐにそう判断出来たのは、レイ自身もリッチのグリムから貰った対のオーブというマジックアイテムを持っていた為だろう。


(そう言えばダンジョン以来グリムと話してないな。後で連絡を取ってみるのも悪くないかもしれないな)


 そんな風に考えつつも、マリーナに話の続きを促すレイ。


「あら、良く分かったわね。……それで、一応聞いておきたいんだけど。貴方が見たのは本当にダンジョンの核だったの?」

「ダンジョンでは直接見た訳じゃないから確実にとは言えないが、感じた魔力や雰囲気の類から判断して恐らく」

「つまり、確実にそうだと言える訳じゃないのね?」


 マリーナの言葉に小さく頷くレイ。

 正確に言えば、ゼパイルの知識から確実にそうだとは言えるのだが、何しろその件を話す訳にもいかない。かと言って、実はダンジョンで見ましたと話して、それがもしエレーナやアーラから真実が伝わると色々と拙いことになる。そう判断して頷くしかなかったのだ。


「……まぁ、いいわ。貴方がわざわざ嘘を言う必要も無いでしょうし、この件に関してはダンジョンの核で間違い無いと思われる、という表現にしておきましょう」


 その後も、色々と細かい話を尋ね、それに答えていくレイ。

 それはどちらかと言うと、聞き取りと言うよりもマリーナがセイスから聞いた話の整合性を確認しているかのような流れだった。

 そしてやがて30分程で話も終わると、壁に飾ってあった槍を持ってきてレイへと手渡す。


「ご苦労様。今回の依頼を達成と認めるわ。……まぁ、正確に言えばセイスから依頼完了のサインを貰っている以上はそこで達成してたんだけどね。はい、これ。約束の報酬よ」


 手渡された槍を眺めるレイ。

 先端の刃や、柄の部分も含めて全てが深緑とも言える深い緑に染め上げられている。実際に茨の槍を持つのは2度目だが、それでも見惚れる程に美しい、それこそ芸術品と言ってもいいような槍だった。

 1分程じっくりと槍を眺め、やがてマリーナに向かって小さく頭を下げる。


「依頼の報酬、確かに受け取った」

「いいのよ。その槍は私が現役時代に手に入れた物なの。確かに美しい槍で一見芸術品のようにも思えるけど、結局槍は武器なのよ。元々私は魔法使いと弓術士を兼任していたような戦闘スタイルだったから、冒険者時代にもその槍を使う機会は殆どなかった。だから、その槍を託せる力量のある人がいたらいつか託したいと思っていたの」

「なるほど。だが……」


 マリーナの言葉に頷き、ミスティリングからデスサイズを取り出す。


「知っての通り、俺が基本的に普段使う武器はこのデスサイズになる。槍も使うが、その時は普通の戦士とは違って投げ槍として使うことになると思うが」

「ええ、それでもいいのよ。貴方を見た瞬間にピピッとこう、感じるものがあったのよ。自惚れじゃなくギルムの街の冒険者はレベルが高いわ。中にはランクA冒険者だっている。そんな人達なら、その茨の槍を持てば間違いなく使いこなしてくれると思うけど、エルフの勘……いえ、女の勘かしら。とにかく、貴方を見た時にこの槍を託せる。そう思ったの」

「もしその女やらエルフの勘が働いてなかったら、バールの街に救援物資を運ぶ依頼の報酬はどうするつもりだったんだ?」

「恐らく別の物にしたでしょうね。それが何なのかは……」


 そう言い、悪戯っぽくレイへと視線を向けてウィンクを1つ。


「ヒ・ミ・ツ、だけどね」


 色っぽいウィンクを受けながらも、苦笑を浮かべながらデスサイズと茨の槍の両方をミスティリングへと収納するレイ。


「俺としては予想以上にいい報酬を貰えたから良しとするよ。……で、用事が済んだのならもう戻っていいのか?」

「あら、こんないい女がいるのに食事にも誘わないの?」

「それは別の相手に任せるよ」


 レイの言葉に、クスクスと笑みを浮かべつつ扉の方へと視線を向けるマリーナ。


「色々と気を揉んでいる子もいるみたいだから、この辺にしておきましょうか」

「……何?」


 その視線を追うかのように扉へと視線を向け、そっと音を立てないようにしてソファから立ち上がる。そのまま移動して……そのまま扉を素早く開ける。


『……あ』


 扉へと耳を当てた体勢のまま、レイにとっても見慣れた2人の受付嬢は一言洩らして動きを止めた。


「あらあら、ケニーだけかと思ったらレノラまで一緒だったのね」


 お茶の入ったカップを口へと運びながら笑みを浮かべて口を開くマリーナ。

 その口元には悪戯っぽい笑みが浮かべられている。


「ところで2人揃ってここに来ているとなると、ギルドのカウンターはどうなっているのかしら?」

「い、いえ。その……ちょっと他の人にちょっとだけ……」

「あ、あは。あはははは」


 ぎこちなく言葉を返すレノラに、笑って誤魔化そうとしているケニー。そんな2人を見ながら、レイはどこか呆れたような視線をマリーナへと向ける。


「随分と優秀な職員が揃ってるらしいな」

「うふふ。そうでしょ、私の自慢の子達よ。……でも、もっと自慢したいから今日は居残って仕事をやって貰おうかしら」

「え!? ちょっ、そんな。ギルドマスター! 今日はレイ君の帰還を祝って食事に誘おうと思ってたのに」

「あら、そうなの? なら別にそれでもいいけど……査定の方、きっと面白いことになるわよ?」

「ぐっ!」


(……これが、まさに文字通りの意味でぐうの音も出ないという奴か)


 内心でそんな風に思い、小さな笑みを浮かべつつ3人のやり取りを眺めているレイだった。


「レイ君、今日は意地悪なギルドマスターのせいで夕食を一緒に食べられないけど、その代わりまた今度一緒に食事に行こうね」

「あら? 意地悪なギルドマスターとしては、期待に応えないといけないわね。ケニーだけ今日の居残りは多めに……」

「失礼しましたーっ!」


 最後まで言わせてなるものかとばかりに素早く叫ぶと、執務室を飛び出すように出て行くケニー。


「はぁ。……すいませんギルドマスター」


 そんな後ろ姿を見送ったレノラが、マリーナへと向かってペコリと頭を下げる。


「いいのよ。貴方達もレイのことが気になっていたんでしょう?」

「それは……はい。何しろ疫病の流行した街に向かったんですから」

「あら、それだけなのかしら?」


 意味あり気にレノラに視線を向けるマリーナだったが、本人としては本当にそれ以外の感情が無く、純粋に弟を心配する姉のような気持ちだった為に、マリーナの予想は外れて残念そうに溜息を吐くのだった。

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