第201話
「うおっ、今日も寒そうだな」
宿の外へと出て思わず呟くレイ。
その隣では、セトもまた喉を鳴らしてレイの意見に同意している。
周囲を見回すと、地面には薄らとだが雪が積もっている。だがせめてもの救いと言うべきか、現在は雪の代わりに冬にしては暖かい日光が降り注ぎ、地面に残っている雪を溶かして水へと変えているところだった。
バールの街から戻ってきて数日。ようやくその件についての騒ぎも収まってきており、休養に関しても十分ということでセトの散歩を兼ねて、久しぶりにギルドへと行ってみるかと外へ出て来たのだ。
「ここ数日は色々と忙しかったしな」
「グルゥ?」
そう? とでも言うように小首を傾げるセト。
セトにしてみれば、自分に構ってくれる相手が毎日のようにやって来てくれたので嬉しかったらしい。
「まぁ、お前はミレイヌから色々と食べ物を貰ってたからな」
「グルルルゥ」
レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らすセト。
何しろ、自他共に認めるセト好きのミレイヌだ。当然レイがセトと共に疫病の流行っている街へと向かったのを知ると、ショックと心配で数日程寝込んでしまったりもしていたのだ。そうなると当然、戻って来たレイとセト……否、セトへと対する愛情は暴走しがちになり、ここ数日は毎日セトへとお土産の食べ物を持って夕暮れの小麦亭までやってきていたのだ。
セトに対しては一生懸命可愛がり、レイに対してはセトを危険な場所に連れて行くなとばかりに叱りつけ、と。なかなかにその依怙贔屓具合は宿に泊まっていた他の者達に同情される程のものだった。
そんなミレイヌに関しても冬になり、それでもまだ殆ど雪が降っていないこの状況で、最後の一仕事とばかりに灼熱の風のパーティメンバーに連れられて依頼を受けにギルドへと向かったのが今日の朝方の出来事で、レイとセトはそんな状況に触発されて数日ぶりにギルドに顔を出す気になったのだった。
「あ、セト。元気だったかい? 危険な場所に行ってたんだってね? ほら、これでも食べな。今日は私の奢りだよ」
「おお、レイ。久しぶりに顔を見るような気がするな。ほら、どうだ? うちの串焼きは。この寒い中で焼きたての串焼きは絶品だぞ」
「何言ってるの。この寒い中だからこそ、うちで売ってるようなスープが一番なのよ。レイ、ガメリオンのいい肉が入ってるのよ。どう?」
「それなら、そのスープに合うのはうちのサンドイッチで決まりだね」
「ちょっ、図々しいわね、あんた」
そんな風に、レイとセトが大通りを歩いている時に恒例のやり取りをしつつサンドイッチや串焼き、あるいは立ち止まってスープを飲んではと料理を軽く摘みつつ道を進んでいく。
中でも変わったのは、スープの売っている屋台でうどんがメニューにあったことだろう。レイがバールの街に行っていた1週間程の間に、ディショットが知り合いにレシピを教えていたらしい。
(満腹亭だけで売ってれば暫くの間は利益を独占出来ただろうに。まぁ、製法を広めるという意味でなら確かにこれがベストなんだろうが)
幾ら自分達だけで利益を独占していても、結局1つの料理屋でしかうどんを販売していないのならそれはやはり広がりにくいだろう。だが自分の知り合いにうどんの製法を広め、さらにはその知り合いが別の知り合いに……と広めていけば、自然とうどんという食材は広まっていく。職人的な性格のディショットがそこまできちんと考えていたのかどうかは分からないが、その選択のおかげでギルムの街にうどんという食材が広まりつつあるのは事実だった。
(この分なら焼きそばやらパスタやら蕎麦やらが開発されるのも近いかもな。……パスタは出来ればディショット辺りに開発して欲しいんだが。ハスタだけに)
共にガメリオンを狩りにいった同ランクの冒険者の姿が脳裏を過ぎる。
そんな風に考えつつも、慣れた様子でさらにサンドイッチやホットドッグ風の総菜パン、あるいは串焼き、ジュース、果物といったものを露店から買ってはセトと共に食べ、あるいはミスティリングの中へと収納していく。
やがてギルドが見えてくると、セトは何も言われなくてもそのまま従魔用のスペースへと向かい、ゴロリと寝転がる。
そんなセトを見つけた子供達や、あるいはギルドの近くにいた数人の冒険者達がセトに群がるのを見ながらレイはギルドの中へと入っていく。
「……さすがに人の姿はあまりない、か」
そもそも朝と昼の中間。大体午前10時くらいの時間帯である為に、依頼ボードの近くには殆ど冒険者の姿は無かった。
既に季節も冬と言ってもいいような時期になっているので、春になるまで休業を決め込んだ冒険者も多くなってきているのである。
そしてそんな人物達が休業してやるべきことはと言えば……
チラリとギルドに併設されている酒場の方へと視線を向けるレイ。
そこでは、依頼ボードの前とは打って変わったように冒険者達が存在していた。さすがに夜の酒場程の人数はいないが、それでもレイがギルムの街に来た時からギルドへと通った時に見た中では最も多い人数が酒盛りをしている。
「ふぅ」
何となくそんな様子に溜息を吐き、依頼ボードへと向かおうとした時。
「お、レイじゃないか。久しぶりだな」
横からそう声を掛けられる。
そちらへと振り向くと、そこにいたのは3人の人物だった。
極限まで鍛え上げられた肉体に、巨大なバトルアックスを背負った戦士の男。
ローブを身に纏い、その手には杖を持っている女魔法使い。
レイとそれ程年齢は変わらないだろうと思われるが、それでも鍛え上げられた肉体をした剣士の男。
その3人が誰かをレイは当然知っていた。このギルムの街でもトップクラスの戦闘力を持つランクAパーティ、雷神の斧の3人だった。
「エルク、ミン、ロドス。確かに久しぶりだな。暫く見なかったが、どうしてたんだ?」
雷神の斧のリーダーでもあるエルクが、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべつつ頭を掻きながら口を開く。
「いや、ちょっと他の街で厄介なモンスターが出てな。その応援にちょっと遠出をな」
「厄介なモンスター?」
「ああ。竜種だ」
ピタリ。その一言を聞いたレイの動きが思わず止まる。そのまま数秒程して、どこか疑うような視線をエルクへと向ける。
「竜種だと?」
だが、エルクにしてもそんな視線を向けられるのは承知の上だっただろう。苦笑を浮かべつつ口を開く。
「とは言っても、お前が想像しているようなランクSオーバーの竜種とかじゃない。竜種は竜種でも、いわゆる知恵の無い竜。下級の竜だよ。……もっとも、それでもランクAパーティ5組以上でようやくどうにか出来たんだけどな」
その言葉を聞き、思わず納得するレイ。
竜種とは言っても、そこには厳然とした強さの階梯がある。例えば一般的な竜騎士が乗っている飛竜はワイバーンとも言われており、最下級の竜種の1つだ。そしてレイの身に纏っているドラゴンローブの材料となった竜種は人間よりも高い知性を持ち、竜言語魔法という独自の魔法すら使いこなす上級のドラゴン。そしてさらには、継承の祭壇でエレーナが持っていた魔石の持ち主であるエンシェントドラゴンにいたっては千年単位で生きている正真正銘の化け物だ。
「で、どんなドラゴンだったんだ?」
さすがにドラゴンを倒したと聞かされれば、レイにとっても興味深い。その好奇心の赴くままに尋ねたレイに、エルクの隣にいた魔法使い。エルクの妻にして、雷神の斧を実質的に仕切っている魔法使いのミンが笑みを浮かべて口を開く。
「やっぱり君のような少年でも竜種には惹かれるらしいね。私達が倒したのはロックドラゴン。下級の竜種とは言っても十分に強力な相手だったよ」
「ロックドラゴン? 名前から言うと、地竜系か?」
「ああ。空を飛ぶことが出来ない代わりに、非常に高い防御力を持っている。……物理攻撃に対しては、だけどね」
「母さんの魔法があれば、それ程倒すのは難しくなかったけどな」
何故か自分のことのように得意そうに言い放つロドス。
その様子を見ながら、レイは内心で苦笑する。
(どうやらマザコンなのは相変わらずらしいな。いや、ちょっと待て。こうして自慢気に言えるってことは……)
「……もしかして、お前も付いていったのか?」
恐る恐る尋ねるレイ。
確かにロドスはレイとそう変わらない年齢でありながら、ランクC冒険者だ。だが、逆に言えば結局はまだランクCでしかない。とてもではないが、ランクAパーティが複数集まってようやく対処出来るようなモンスターを相手にして、どうにか出来る手段があるとは思えなかったのだ。
「ぐっ」
レイの問いに、思わず言葉を詰まらせるロドス。そんなロドスの頭へとエルクの手が伸び、掻き回すように強引に撫でる。
「がはははは。さすがに俺にしても息子をドラゴン相手に連れて行ったりはしないさ。戦いの時は拠点となる場所の守りに回ってもらったよ」
「だよな。さすがにランクC程度で竜種を相手にするってのは無理がある。ワイバーン程度なら数で掛かればどうにかなるかもしれないがな」
「ぐっ、う、うるせえ。それを言うなら、お前はまだランクDだろうが。ランクが上の俺にどうこう言える立場じゃないだろ」
そう言いつつ、羞恥で頬を薄らと赤くしてレイを睨みつけるロドス。
だが、口ではそう言っているものの、オークの集落で見た戦闘力を思い出すと、もしかしたらこいつらならあるいは? と考えてしまうのだった。
「ロドス。それはちょっと考えが甘いぞ」
そんなロドスに声を掛けたのは、ミンだ。いつものように女らしさを感じさせない中性的とも言える口調で言葉を続ける。
「私が聞いた話だと、レイは疫病の街に薬の材料を持って行くという依頼を受けたらしい。それもギルドマスター直々の指名依頼でな。そしてその依頼も成功させている。それを考えるとギルドへの貢献度や実力は十分だから、恐らくだが近い内にランクが上がる可能性が高いだろう。今回の依頼で無理でも、恐らく後数回といったところか」
「母さん……」
敬愛する母親の言葉に、衝撃を受けたかのように1歩後ろへと後退るロドス。
そんな息子の様子を面白そうに眺めていたエルクだったが、やがてふと何かを思いついたように依頼ボードへと視線を向ける。
「そうだな。確かにロドスが今のまま俺達におんぶに抱っこってのは色々と拙いな。どうだ、レイ。ロドスと2人で何か討伐依頼でも受けてみないか?」
「……はぁっ!? い、いきなり何を言ってるんだよ父さん!」
エルクのその言葉に、反射的に言い返すロドス。
だが、意外なことにミンはあっさりとその意見に賛成する。
「そうだな。確かにそれもいいかもしれないか」
「ちょっ、母さんまで。何でそうなるのさ! 大体仕事に関しては今回の件が終わった後は春まで休業するとか言ってただろ!?」
「……ロドス。確かにお前は若手でも有数の冒険者だろう。だが、それが私達といるおかげで苦労せずにランクアップした。そう思っている者もそれなりにいるのは知っているだろう?」
「それは……」
ミンの言葉に思わず詰まるロドス。
実際、パーティを組んでいる相手が共にランクA。さらにその2人が父親と母親なのだから、そう思う者が出て来るのは仕方が無いと言えば仕方の無いことだった。
もちろんロドスは、ミンが口にしたように若手でも有望な冒険者として期待されている。戦闘力こそ新たに現れた超新星と言ってもいいレイに劣るが、それ以外。特に人当たりの良さや冒険者としての知識に関しては、生まれた時からランクA冒険者の両親と共に行動しているので、英才教育を受けて育ってきたと言っても間違いでは無い。
だがそれ故に、そんなロドスに対して妬み、僻みを覚える者もいない訳では無い。そしてそのような者達が決まって口にするのがランクA冒険者の両親の七光り云々となっていた。当然母親として自らの子供がそんな風に言われるのは面白い訳が無く、それ故に自分達無しでもきちんと腕の立つ冒険者であると示すのは以前から考えていたことだったのだ。
そうは言っても、さすがに自分の愛する息子1人で冒険に出すのは不安でもある。そう思っていたミンにとってはエルクの言葉は渡りに船と言っても良かった。
チラリと横を見て、悪戯小僧そのままの笑みを浮かべている男の顔に苦笑を浮かべる。
もちろん難しいことを考えるのに向いていない自分の夫が、そこまで考えていたとは思えなかったのだが。
「よし、そうと決まれば早速討伐モンスターを選ばないとな。幸い今は既に冬だ。この時期特有のモンスターが出て来たりしているとは思うんだが」
「ちょっ、父さん! 勝手に話を進めるなよ!」
「まあまあ。ミンだって特に文句は無いんだから問題無いだろ?」
「そうだな。お前は私達自慢の息子だ。その実力を考えれば安心してソロでの活動を任せられる」
「母さんまで……けど、うん。分かった。母さんがそこまで言うんなら、俺もやってみるよ」
「全く。その母親にべったりなのはどうにかならないもんかね」
そんな家族のやり取りを目にし、完全に置いて行かれたレイは思わず呟く。
「俺、完全に巻き込まれただけじゃないか?」
元から何らかの依頼を探しに来た身ではあるのだが、それでも若干納得がいかない様子で溜息を吐き、依頼ボードの前に向かった3人の後を追うのだった。
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