第193話

 バールの街に出現した、触れた者を麻痺させる紫の霧。その霧を生み出している原因であるダンジョンの核が既に破壊されていると知ったディアーロゴとセイスの反応は早かった。

 阿吽の呼吸と言うべきか、ディアーロゴに視線を向けられたセイスは即座に頷く。


「うむ。あの霧を発生させていたスライム。そのスライムを生み出していたダンジョンの核が無いと言うのなら話は難しくない。これ以上あの霧の被害が広がる前に、霧自体をどうにかしてしまえばこの騒動は治められるだろう」

「ですが、セイスさん。それをどうやってやるかが問題かと」


 執務室の中にいた中年の男の言葉に、他の者達もまた同様に頷く。

 確かに事態の解決が一気に進んだのはその場にいる全員にとっては歓迎出来るべきことではあったのだが、それだけに事態をどう収めるかについては重要だった。何しろここにいる者達はバールの街でも住民達の利益を代表してきていると言っても過言では無いのだ。もし下手な真似をされたとしたら。そんな思いがあるのもしょうがないだろう。

 だがそれでも、本来の貴族に代わってこの街を治めてきたディアーロゴやセイスの手腕を信じているからこそ、この程度で済んでいると言ってもいいのだが。もしここにいるのがディアーロゴではなくこの街本来の領主だったとしたら。

 ふとそんなことを思った中年の男の脳裏にそんな想像が思い浮かぶ。

 魔法に傾倒している貴族であるだけに、ダンジョンの核というのはこの上なく魅力的なものであっただろう。そう、例えばバールの街の住民を犠牲にしてでもダンジョンの核を成長させ、最終的にはこの街全てをダンジョンにするような行動を取る可能性を捨てきれない程度には。

 背筋にゾクリとした冷たいものを感じるが、すぐに首を振って目の前にいるギルドマスターへと視線を向ける。この街でも最高峰の魔法使いであるセイスなら何らかの手段があるだろうと願って。


「ふむ、そうだな。あの紫の霧が本当に霧なのだとしたら、一番簡単なのは風の魔法で街の外に吹き飛ばすことだろう。あるいは、気温を上げて霧を晴らすという方法もあるが……それらはあくまでも普通の霧に対する対処方法でしかない。実際に試してみないことには何とも言えないな」

「風はともかく火は拙いぞ。特に蒸留酒のある東の貯蔵所は下手をすればそれが原因で引火する可能性もある」


 風と火。その2つの解決法を提案したセイスだったが、ディアーロゴによって即座に火を使う方法は却下される。

 それを聞いていたサザナスもまた同様に頷き、レイは炎特化の自分の出番はほぼ無いだろうと溜息を吐く。

 その溜息を見ていたセイスは不思議そうな顔をしてレイへと声を掛ける。


「レイ。お主程の魔力を持つ者であれば相当に強力な魔法を使えると思うのだが、風の魔法はいけるか?」

「……いえ。残念ながら。確かに俺自身が持っている魔力は大きいのかもしれませんが、基本的には炎特化の魔法使いですので。一応風の魔法を使えないことも無いですが、今の所出来るのは斬撃を飛ばす魔法と風で作りあげた手をコントロールする程度です」

「何と……いや、確かにそこまで強大な魔力を持っている以上は自分が得意な属性以外の魔法を使いこなすのは難しいかもしれんのは確かだが。うーむ、これは参ったな」


 レイへと視線を向けながら大きく溜息を吐くセイス。

 正直に言えば、セイスはレイの魔法を使えばどうにでも出来るのではないかと思っていたのだ。だがその考えはレイの一言によってあっさりと否定される。


(誰も見ていない場所でなら、セトのトルネードとデスサイズの風の手でどうにか出来るかもしれないが……まぁ、どうしようも無くなった時の最後の手段としてその手は考えておくか)


 そう思いつつも、見るからに一流の魔法使いですと言わんばかりの雰囲気を漂わせているセイスがいる以上、別の手段が何かあるのではないかとも思うレイだった。

 そしてその考えが正しかったことはすぐに証明される。

 何かを考え込んでいたセイスが、不意にレイへと力強い視線を向けてきたのだ。

 そんなセイスの様子を不審に思ったのか、やがてディアーロゴが口を開く。


「セイス、どうした? 何か手段があるのか?」

「……うむ。あると言えばある。もっとも、儂としてはちょっと情けない手段ではあるがな。以前ダンジョンで手に入れたマジックアイテムを覚えているか?」

「は? 何だいきなり」


 突然話題が変えられ戸惑うディアーロゴだが、セイスはそれに構わずレイへと視線を向けたまま話を続ける。


「純白の迷宮とか言われているダンジョンで手に入れたマジックアイテムだ。ほれ、アクアゴーレムを相手にする時に儂の魔力で放たれた魔法だけでは倒しきれずに、マリーナが使った」


 その言葉に数秒程何かを思い出そうとして考え込んだディアーロゴだったが、すぐに自分の親友が何を言っているのか分かったのだろう。一筋の光を見つけたかのように強く手を打つ。


「ああ、確か共鳴の首飾りとか何とか」

「そう。それだ。その効果を覚えているか?」

「あれは確か、片方の魔力をもう片方に送り……っ!?」


 それだけでセイスが何を提案しているのか分かったのだろう。セイス同様に、いやそれ以上に力強い視線をレイへと向ける。


「ディアーロゴさん、セイスさん。悪いんですが、2人だけで分かり合ってないで俺達にも分かるように説明して貰えませんか?」


 サザナスの言葉にその場にいる全員が小さく頷き、2人へと問いかけるような視線を向けられた。

 やがてお互いに目と目で会話をしていたディアーロゴが頷くと、セイスがその場にいる全員へと向かって説明を始める。


「儂が持っているマジックアイテムに『共鳴の首飾り』というものがある。これは先程ディアーロゴが口にしたように、魔法使い2人がいて初めて効果を発揮する代物だ。……この時点で、そうそう使い勝手のいい物ではないというのは分かって貰えると思う。……魔力を受ける方、この場合は儂に若干の副作用もあるしな」


 セイスの言葉に、レイも含めてその場にいる全員が頷く。

 基本的に魔法使いという存在は数が少ない。その魔法使い2人が揃って初めて効果を発揮出来るようなマジックアイテムともなれば、確かに使い勝手として考えると非常に悪いだろう。


「2つ1組の首飾りで、その効果は片方の魔力をもう片方に送り込むことが出来るというものだ。つまり、単純計算で言えば1つの魔法を2人分の魔力で発揮出来る訳だな。……もっとも、魔力を送る際にある程度のロスが生じる為純粋に2人分とは言えないが。そしてこの場には水と風の魔法を得意とする儂がいて、強大な魔力を持っているレイがいる。ここまで言えば分かると思うが」


 その言葉に他の者達も霧をどうにか出来ると理解したのだろう。表情が明るく輝く。


「それは、今すぐに出来るんですか?」


 そんな希望に満ちたと言ってもいい問いかけに、レイの方へと視線を向けるセイス。


「儂としては全く問題は無い。……どうだろうか。この街の為に引き受けて貰えると助かるんだが」

「ええ、俺としても問題無いです。このままではようやく魔熱病が片付いたというのに、意味が無くなりそうですし」


 本音としては何らかの報酬を要求してもいいのでは? と考えたレイだったが、そもそも今回の依頼は魔熱病の原因となった大本を調査することだ。そうなると当然、街で発生している霧に関してもその依頼の範疇に入るだろうと判断してその場で頷く。

 そしてレイの言葉を聞いた執務室の中にいた者達は、この事態がようやくどうにか終息する目処が付き満面の笑みを浮かべるのだった。


「よし。なら霧の被害がこれ以上でる前にさっさと片付けてしまおう。セイス、共鳴の首飾りはどこにある?」

「ギルドの執務室に置いてある」

「すぐに取ってこれるんだな?」

「ああ、もちろん」


 ディアーロゴの言葉に即座に返事をするセイス。その顔に浮かんでいるのは、魔熱病に続いてこの街を襲った紫の霧。それをどうにか出来るという喜びに満ちたものだった。セイスにしても、ディアーロゴにしても、別にこのバールの街が生まれ故郷という訳では無い。だがそれでも、自分達が治め、あるいはそれに協力をしているのだから自然と情も湧いてくるのは無理もなかった。


「よし。ならセイスはすぐに共鳴の首飾りを。レイは外で待っていてくれ。そしてセイスが戻って来たらすぐに行動開始だ」


 ディアーロゴの指示に従い、それぞれが行動を開始する。セイスはギルドへと足早に向かい、ディアーロゴもまた指示を出す為に執務室を出て行く。

 レイもまた面倒事に関してはさっさと片付けてしまおうと執務室から外へと出ようとした、その時。


「レイ!」


 背後からサザナスに声を掛けられ、その動きを止める。


「どうした?」

「……その、何て言っていいのか分からないが。……この街を、頼む」


 サザナスの態度は今日レイと共に魔熱病の原因を探していた時の軽いものではなく、昨日レイがこのバールの街へと辿り着いた時に見せた真面目な物へと変わっていた。


(公私の区別がきちんとついてるってことなんだろうな。あるいは、こんな性格だからこそ色々と言われつつも部下に慕われてるのか)


 内心でそんな風に思いつつ、小さく頷くレイ。


「任せろ。……ただ、ギルドマスターの話を聞いている限りだと、俺がやるのはあくまでも魔力の供給役程度だからな。その言葉は俺じゃなくてギルドマスターに掛けるのがいいんじゃないか?」

「……だがセイスさんは何だかんだ言いつつも、この街のギルドマスターだ。つまりこの街を守る義務がある。だが、レイは違うだろう? そもそもお前はアウラーニ草の粉末を含む救援物資を持ってくるのが役目だった筈だ。それが何だかんだ言いつつも、魔熱病の原因を調べるような依頼まで受けている。それこそ、自分の身を危険に晒してまでだ」

「あのな、俺は別に自分の身の危険を顧みずにこの街の為に働こうなんて考えてる訳じゃないぞ。お前が聞いてるかどうかは知らないが、救援物資の運搬にしても、あるいは今回の魔熱病の調査にしても、きちんと俺が欲しがるような報酬が約束されているからこそだ。特に魔熱病に関しては、俺の魔力があればまず感染はしないってのは分かりきってる話だしな」

「それでもだ。それでも俺はこの街の為に動いてくれるお前に感謝をするよ」


 サザナスの頑なな様子に、小さく溜息を吐くレイ。


「分かったよ。好きにしろ。それよりも用事がそれだけならそろそろ行くぞ。ギルドマスターが戻ってくる前に外で待っておきたいからな。こんな面倒な事件はさっさと終わらせて残り1週間は寝て過ごしたいからな」

「ああ。俺は麻痺した住民を助ける為、警備兵の指揮があるからそっちにはいけないと思うが……頼んだ」


 背後からサザナスの声と共に送り出され、更に執務室にいた他の者達からも期待の視線を受けつつレイは領主の館を出て行くのだった。






「グルルルゥ」


 レイが領主の館から出て来たのを屋根の上から霧を警戒していたセトが素早く見つけ、翼を羽ばたかせながら地面へと着地する。

 その様子に一瞬レイの近くにいた街の住民が後退るが、すぐにレイの存在に気が付き納得したように頷くと、霧に触れて麻痺している者達の世話や、家族や友人を落ち着かせるべく行動を再開する。

 そんな中をレイとセトは共に歩き、ようやく街の東側に住んでいた者達の避難が一段落したのか、落ち着いて来た周囲の様子を眺めつつ門を通り、近くで指示を出しているディアーロゴと合流する。


「おう、来たか。セイスもすぐ来るだろうから、もうちょっと待っててくれ」

「はい。こちらとしては問題ありません。俺はいつでも行動に移せるので、ディアーロゴさんは皆の指示に専念していて下さい」

「助かる。おい、怪我人や病人は領主の館へと運び込め! 魔熱病の病人は館の中に! あの霧のせいで麻痺している奴等は庭だ!」

「はい!」

「それと、避難してきている奴等を落ち着かせる為だ。まだ食料に余裕はあったな? 炊き出しを始めろ!」

「分かりました!」


 そんな風に指示を出しているディアーロゴの側で、街の東側へと視線を向けるレイ。

 幸いなことに、街の東の一画を包み込むようにして覆っている霧はそれ以上広がる様子は無く、ただそこに留まっている。これに関しては、咄嗟にではあるがダンジョンの核を破壊したレイの判断が功を奏した形だった。もしスライムを吐き出し始めた時に何もせずにそのまま貯蔵所から退避していたとしたら、今頃は街の半分近くまでは紫の霧に覆われてしまっていただろう。


(だが、幸いあの霧の発生は止まっている。そうなると、残るはあの霧をどうにかするだけだ)


 そんな風に考えていると、自分へと近付いてくる足音が耳に入る。

 そちらへと振り向くと、そこには緑のローブを身に纏い、1.5mはあろうかという杖を手に持ち表情を厳しく引き締めたセイスの姿があった。既に臨戦態勢は整っているのだろう。初老に近い年齢だというのに、その姿からは一流の魔法使いとしての凄みというものをレイにも感じさせた。


「待たせたか。早速行こう」

「はい」

「グルゥ」


 セイスの言葉に頷き、セトと共にその後に続くレイ。


「セイス、レイ、頼んだぞ」

「うむ。任せておけ。お主こそ街の住人が怪我をしないようにきちんと采配をするようにな」

「任せて下さい。すぐにでもあの忌々しい霧を消し去ってきます」


 ディアーロゴの言葉に、あるいはその周辺にいた街の住民から向けられる期待の視線を背に受け、2人と1匹は街の東側へと進むのだった。

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