第192話

 貯蔵所の中で見つけたダンジョンの核はどうにか破壊したものの、そのダンジョンの核から生み出されるようにして姿を現したスライム。そしてそのスライムが吐き出したり、あるいは倒された時に残す紫の霧。その霧の危険性を知らせるべく貯蔵所の外へと出たレイが目にしたのは、地面へと倒れ込んでいる2人の警備兵だった。


「ちっ、あの霧はやっぱり猛毒だったりするのか!?」


 吐き捨てながら倒れている2人へと駆け寄るレイだったが……


「……!?」


 近くにいる方の警備兵が必死の形相で自分へと視線を向けているのに気が付く。


「これは、毒じゃない。……麻痺か!?」


 その声が聞こえたのだろう。殆ど動かない身体でありながらも、どうにか小さく頷いてみせる警備兵。


(くそっ、この紫の霧は麻痺効果を持つのか。俺やセトに効果が無かった理由は? 魔熱病の件を考えるとやはり魔力量か? いや、とにかく今は悩むよりも行動だ)


 自分達が出て来た貯蔵所へと視線を向けると、開け放たれた扉はもちろん、建物の至る場所から紫の煙が溢れ出てきている。


「セト!」

「グルゥッ!」


 レイの声に何を言いたいのか理解して鋭く鳴き、背中をレイの方へと向ける。

 それを確認するや、レイもまた自分が担いでいた警備兵をセトの背中へと乗せ、さらにもう1人の警備兵も同様にセトの背へと。

 本来であれば1人しか乗せて空を飛べないセトだが、幸い今回の場合は空を飛ぶ必要も無い。地を走るのなら、その背に2人程度乗せようともそれ程の影響は無かった。


「行くぞ。とにかくサザナスと合流を!」

「グルルルゥッ!」


 その声に頷き、貯蔵所を後にする1人と1匹。

 バールの街の住民にとって幸いだったのは、ダンジョンの核が出現したのが周囲に民家の類が殆ど無い貯蔵所であったことだろう。それ故に紫の霧による被害は街の真ん中で出現した場合に比べて格段に少なくなっていた。だが。


「逃げろぉっ! あの霧に触れると麻痺して動けなくなるぞ!」


 民家の類が殆ど無いと言うのは、逆に言えば少しはあるということなのだ。それ故にレイは大声で周囲へと叫びながらギルドや領主の館がある街の中央へと向かって走る。

 紫の霧にしても何らかの意志のようなものでもあるのか、貯蔵所を覆うようにして姿を現すと普通の霧とは違いゆっくり、非常にゆっくりと動き出す。

 その為にレイの声を聞いた周辺の住民達も異変を察知し、何とか大多数の者が紫の霧から逃げ延びることに成功していた。


「何だ、何なんだよあの霧は! 紫の霧!? あんなもの、この辺じゃ見たことも聞いたこともないぞ!」

「父さん、父さんが魔熱病でまだ家に!」

「リグルス、どこにいるの、リグルス!?」


 半狂乱になって喚く男、自分が霧から逃げるのに必死で家族を助け出せなかった女、子供の姿が見えない為に必死になって探す母親。

 そんな住人の様子を見ながら小さく唇を噛み締め、再び叫ぶ。


「街の中央に向かえ! このままここにいればあの霧で動けなくなるぞ!」


 叫びつつ、周辺の者達が移動を始めるのを見ながらレイもまた中央へと向かう。

 そんな中、数人程の住人は魔熱病に続く現象に心が折れたのかその場に佇み、ただ呆然と自分達の方へと近付いてくる霧を見ているだけだった。






「レイッ!」


 街の中央付近へと到着し、ようやく一息吐いていると突然声を掛けられる。その声の持ち主が誰なのかは言うまでも無い、今日は朝からずっとその声の持ち主と行動していたのだから。


「サザナス!」

「一体、何がどうなっている!? あの紫の霧は一体何だ!?」


 サザナスもまた混乱しているのか、ドラゴンローブの胸ぐらを掴み強引に引き寄せて怒鳴りつける。

 幸い霧の速度は非常に遅く、まだ東の貯蔵所からそれ程街を侵食してはいない。その為に街の東側一帯に住んでいた者達の殆どはこの中央地区へと集まってきており、既に数百人近い人数が集まっていた。そんな中、サザナスがレイの姿をすぐに見つけることが出来たのは、やはりグリフォンであるセトが目立っていた為だろう。


「落ち着け。警備隊の隊長であるお前がその様子じゃ、街の住人達も不安に思う。……説明はする。だがまずはディアーロゴさんやギルドマスターに対する報告が先だ。案内してくれ」

「……分かった」


 小さく頷き、周辺に存在していた警備兵へと素早く指示を出してセトの背に乗っていた警備兵を下ろし、領主の館へと案内するサザナス。セトはレイに頼まれて近くの建物の屋根の上へと降り立ち、霧の動きに変化がないかどうかを見張っていた。

 警備兵達は領主の館を開放して、年寄りや女子供、あるいは病人といった者達を中へと収容している。そんな様子を横目に見ながら、ディアーロゴの執務室へと通されるレイ。

 執務室の中には、ディアーロゴとセイスの他にも数人の老人や中年の男女の姿がある。それらの者の内数名が部屋へと入ってきたレイに向かって何をやらかした、とでも言いたそうな表情で口を開こうとしたその瞬間、他の者達を牽制するかのようにセイスが口を開く。


「おお、来たか。何が起こっているのか説明してくれんか」

「……はい。簡単に言えば、恐らくですが魔熱病の原因は俺とサザナスが見つけたダンジョンの核で間違い無いと思います」


 ダンジョンの核。その話に関しては、サザナスが外の様子を見に行っている時にディアーロゴから聞かされていた。だがそれでも、実際にその目で確認してきたレイの口からその言葉が出ると、文句を言い掛けた口の動きが止まって話の続きを促すのだった。


「それで、外で騒いでいる紫の霧とやらはそのダンジョンの核の仕業だと思ってもいいのか?」


 セイスの言葉に頷くレイ。そのまま周囲にいる者達はもちろん、サザナスからの視線も向けられながら説明を続ける。


「さすがにダンジョンの核程の物が出て来たとなっては俺の一存でそれをどうこうする訳にもいかないので、ディアーロゴさんやセイスさんに指示を貰うべくサザナスに向かって貰ったのですが……」

「うむ。サザナスから話を聞いている時にこの騒ぎが起きた訳だな」

「はい。サザナスが報告に走った後、俺はダンジョンの核に異変が起きないかどうかを見張っていました。幸い魔熱病については一段落していたので特に何事も無いかとは思ってたんですが……」

「その何かがあった訳か」

「はい。ダンジョンの核が脈動を始めたかと思うと、突然その核から不定形のスライムが無数に放たれました」

「……スライム?」


 執務室の中にいた、中年の男が意表を突かれたかのように呟く。

 それはそうだろう。街の全滅すらも心配しなければいけないような出来事が起こっているのに、その原因がスライムだとは。男にとっては最早冗談にしか思えない言葉だった。それは他の者達にしても同様だったが、ただ3人。ディアーロゴとセイス、サザナスのみは違っていた。セイスはレイがどれ程の魔力を持っているのかを知っているし、ディアーロゴは自分のかつてのパーティメンバーであるマリーナが派遣した冒険者ということや、自分の親友であるセイスがその実力に太鼓判を押していることで。そして何よりもかつての冒険者としてレイの実力を感じ取っていた。サザナスも同様にレイの実力がどれ程のものなのかを見抜く程度の実力は持っていたからだ。


「ただのスライムではなかったのだな?」


 スライム如きに、と口を開こうとした中年の男に被せるようにしてセイスが口を開く。

 今は下らない言い争いや責任の擦り付けを行っているような時間は無いのだからと。

 そんなセイスに小さく目礼し、説明を続けるレイ。


「はい。身体から紫の霧を吹き出していました。このままでは危険と判断して攻撃しましたが、自らが致命的なダメージを受けると身体全体を紫の霧へと姿を変えて消滅していくような有様です」

「紫の霧。……なるほど。それが今、東の方に存在している霧の大本か。ちなみに、その霧の効果は分かるかね?」


 セイスの問いに、レイの脳裏に浮かんだのは東の貯蔵庫を守っていた警備兵2人の様子だった。

 詳しくその症状を調べて訳では無いが、それでも身体が麻痺をしていて動けないというのははっきりとしていた。そして、レイやセトがその紫の霧の中を吸っても普通に行動出来ていたことも。


「現在分かっているのは、あの霧を吸い込むなり触れるなりすると麻痺するということです。東の貯蔵庫前にいた警備兵2人はそんな感じでした。ただ、それはあくまでもすぐ分かっただけの効果なので、もしかすると他にもまだ何らかの効果がある可能性はあります。それと……」

「それと?」

「俺とセトはあの霧の中でも普通に動けました。特に俺は霧を発生させるスライムをかなり大量に倒しています。なのに、身体に麻痺のような感じは一切ありません。……恐らく、これもまた魔熱病と同じくある程度の魔力を持っていれば自動的に無効化出来るんじゃないかと」


 魔力を持っていれば霧の効果を無効に出来る。その言葉を聞いた執務室にいた者達は、何とかこの件を収められそうだと知って安堵の息を吐く。

 だが、そこに待ったを掛ける者がいた。共にこの部屋でレイの話を聞いていたサザナスだ。


「レイ、ちょっと待ってくれ。繰り返すが、東の貯蔵所の前にいた兵士が麻痺したんだな? それは俺達が貯蔵所に入る時に話した兵士で間違い無いんだよな?」

「ん? ああ。それで間違い無い」


 レイが頷くのを見ると、微かに眉を顰めて小さく溜息を吐いて口を開く。


「となると……ディアーロゴさん、セイスさん。それに他の皆さんも。これはちょっと危険かもしれません」

「……なるほど」


 サザナスの言葉に、何が言いたいのかを理解したのだろう。セイスもまた苦い表情をその顔へと浮かべていた。

 その隣では、これもまた同様にディアーロゴが顔を顰めている。


「どうしたのだ? あの霧の中でも活動出来るのなら、どうにか対処も可能ではないのか?」


 執務室の中にいた街の実力者の疑問に、サザナスは再び小さく首を振ってから口を開く。


「東の保管所……と言うか、今日活動していた警備兵は、全員が今回流行した魔熱病に掛からない程度の魔力は持っていた者達です。つまり、あの霧を無効化するには魔熱病に感染しないよりもさらに多くの魔力を持っている者が必要になるかと」

「その、具体的にどの程度というのは分かるのかね?」

「残念ながら。そこにいるレイは、セイスさんが言うには強大な魔力を持っているらしいですし、実際にその身で霧を無効化してきたのだからまず問題無いと思いますが」

「それでは、そこにいるレイという人物にダンジョンの核を破壊して貰うという、この街の命運を託さなければいけないというのか!?」


 まだ少年と呼んでも差し支えのないレイに、それもこの街の者ではなく他の街の冒険者に命運を託さなければならないのか。そんな憤りで自分の膝へと拳を叩き付けた中年の男だったが、そこへレイが口を挟む。


「サザナス。言い忘れていたが、ダンジョンの核は既に破壊している。何しろ霧を生み出すスライムを大量に吐き出し続けていたからな。お前にダンジョンの核をどうするか聞いて貰いに行ったままではあったが、緊急措置ということで理解して欲しい」

『……』


 レイの言葉に周囲が沈黙する。

 もちろん絶望による沈黙といったものではない。単純に唖然とさせられた故の沈黙だ。

 何しろ、これからどうやって麻痺をもたらす紫の霧の原因であるダンジョンの核を破壊するかに頭を悩ませなければいけないと思っていたのに、肝心の原因は既に破壊しましたと言われたのだから。


「……もしかして迷宮都市にする方針で話が進んでいたりしたのか?」


 周囲の沈黙に微妙に嫌な予感を覚えつつも尋ねるレイだったが、その心配は無用に終わる。

 次の瞬間、執務室の中にいた者達の顔が希望に輝いたからだ。

 そしてこの部屋の主であるディアーロゴは興奮した顔でレイへと近づき、力を込めて肩を何度も叩いてくる。

 その威力は、もしレイが着ているのがドラゴンローブではなく普通のローブであったとしたら、ダメージを受けていたのは間違い無しだろう程のものだった。


「良くやってくれた。確かにダンジョンの核は惜しいと言えば惜しいが、街に被害を出してまで欲しいかと言われるとそうでも無いからな。俺が任されているのはあくまでもこの街の住人の安全を守ることだし。いや、本当に良くやってくれた。セイス!」


 レイを褒めちぎり、次にセイスへと呼びかける。

 その視線は数秒前までの喜びに満ちたものではなく、既にこの街を治める領主代理としての顔になっている。この辺の切り替えの早さがディアーロゴが優秀である由縁なのだろう。

 そしてセイスもまた、そんなディアーロゴとの長年の付き合いがあるだけに即座に頷くのだった。

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