第194話
領主の館のあった場所から30分程街の中を紫の霧に覆われている東地区へと目指して進むレイ、セイス、そしてセト。ここまで来るとさすがに周囲に動けるような人の姿は無く、たまに見かけるのは麻痺して地面へと倒れ込んでいる住人の姿だ。
(恐らくあの霧に軽く接触されたかどうかして徐々に麻痺していったか……あるいはここまで運ばれてきたのはいいものの、何らかの理由で置き去りにされたといったところか)
「……彼等、彼女等に関しては、霧をどうにかしたら最優先でディアーロゴに保護させよう」
レイの視線の先にいる、地面へと倒れている20代程の女の姿を見てセイスが呟く。レイとしては別にバールの街の住民を責めるような気は無かったのだが、ギルドマスターを勤めるセイスにとっては無言で責められているような気になったらしい。
「お気になさらず。あの霧の状態を考えれば少しでも離れたいと思うのは無理もないですから。それに、俺やギルドマスターがあの霧をどうにか出来れば問題ないですし」
「……そうだな。何とかしたい……いや、絶対に何とかしてみせよう」
意志を固めるように呟き、不意に杖を持っているのとは逆の左手を差し出してくる。
その手に乗っているのは2つのマジックアイテムだった。1つは先程の話に出ていた共鳴の首飾りなのだろう。何らかの魔法金属と思しき艶のある黒い金属で出来た直径5cm程の円形をした首飾り。そしてもう1つは鞘に収められている短剣。
「流水の短剣?」
そう。それは本来、魔熱病の原因を調べた後に報酬として貰う予定となっていた流水の短剣だった。
「うむ。本来依頼の報酬というのは、依頼が完了した後に支払われるものだ。だが、今回の依頼に関してはギルドを通しておらぬからな。報酬の前払いをしたとしても問題は無いだろう。それに……」
自分達が向かっている東地区の方へと視線を向けるセイス。
「それなりに長い間魔法使いをやっておるが、あのような現象は初めて見る。そうなると、何か不覚を取らぬとも限らんからな。今のうちに渡しておきたい」
「……ありがたく、頂きます」
セイスの目には、何としても霧をどうにかするという決意が込められていた。その決意の込められた視線を向けられたレイは、小さく頷きそっと流水の短剣と共鳴の首飾りを受け取るのだった。
「共鳴の首飾りに関しては、儂の付けておる白い方が受信専用で、お主に渡した黒い方が送信専用となる。注意して欲しいのが、その首飾りを付けている間は魔法が一切使えないということだ。魔法を使おうとすると自動的に首飾りを通して儂に魔力が提供されるので気を付けるようにな。まぁ、正確に言うのなら首飾りを付けて魔力を行使するような行動をとった場合は全て儂に魔力が送られると表現するのが正しいだろうが」
「なるほど。なら取りあえず試してみますか」
「うむ。さすがにいきなり本番というのは勘弁して欲しいから、そうして貰えるとこちらとしても助かる」
レイの言葉にセイスが同意する。それを見てから流水の短剣をミスティリングの中へと収納し、共鳴の首飾りを身につける。
そして身体の中に存在する魔力に意識を向けた瞬間。
「へぇ。……なるほど」
身体からどこか力が抜けていくような感じに、思わず呟くレイ。
だが、その隣にいたセイスはそれどころではなかった。
「こっ、これは……レイ、少し魔力を抑えてくれ。魔法を使っていない今の状態だと、儂では受け止め切れん」
苦しそうに呻き、レイへと声を掛ける。
その身体からはレイが見ても分かる程に力が漲っており……いや、漲りすぎているように見えた。例えるのなら、限界近くまで息を吹きこんだ風船と表現するのが正しいだろうか。
そんなセイスの様子を見て、慌てて首飾りを外すレイ。
するとようやく無制限に近い状態で身体に流れ込んでくる魔力が止まり、セイスは大きく息を吐いて安堵の表情を浮かべる。
「……さすが、と言うべきだな。莫大な魔力を持っているのは分かっていたが、それでもこれ程の量だとは。直接この身で受け止めて改めて驚きを覚える」
「すいません。大丈夫ですか? 俺自身としては普通にしてただけなんですが」
「うむ。取りあえずはな。だがお主に渡した共鳴の首飾りに関しては、儂が魔法を使うまでは身につけないでいてくれると助かる。さすがにあれだけの魔力を受け止めると、儂の身体が保たん。……全く、以前の冒険者をしていた時ならまだもう少し何とかなったんだろうが。自らの衰えをこんな時に感じるとはな」
溜息を吐きながらも、内心では実際に魔法を使う前に試して良かったとつくづく思うセイスだった。
「グルルゥ」
そんな2人を見ていたセトが、早く行こうとばかりに喉を鳴らして街の東地区へと視線を向ける。
その鳴き声にレイとセイスはお互いに顔を向けて頷き、足を進めて行く。
「……これは、また」
霧の広がっている境界線まで辿り着き、セイスが思わず呟く。
その視線の先にあるのは、当然紫の霧だ。今いる場所からでも、霧に覆われている場所に数人程が倒れ込んでいるのが見えていた。
幸いなのは、ある程度の範囲以降は霧が広まっていないことか。そのおかげで、麻痺の被害に遭っている人数は当初セイスが話を聞いて予想していたよりも随分と少なくなっている。
「ギルドマスター」
「ああ、分かっている。早くこんなことは終わらせよう」
頷き、持っていた杖を手に魔力を集中するセイス。
それを確認したレイは、共鳴の首飾りを身につけてセイスへと魔力を送り始める。
「ぐっ!」
先程よりも遥かに多い魔力に、一瞬息が詰まるがそれでもレイから流されてくる魔力に耐えながらセイスは呪文を唱え始める。
『我が魔力を糧とし、風の精霊の大いなる怒りを我が前に現したまえ。その怒りは我が意志のままに。その怒りは我が力のままに。その怒りは我が魔力のままに』
レイから魔力のバックアップを受けることを念頭に、通常の魔法を使う時よりもゆっくりと、だが確実に魔法を編み上げていくセイス。
長年の相棒でもある杖の先端から流れていた風は、当初はゆっくりと。ほんのそよ風程度の強さしなかったのだが、やがて呪文が紡がれるごとにその勢いは増し、さらにレイから流れてくる莫大な魔力を流されることにより徐々に、徐々に風はその大きさを増していく。
その勢いは留まるところを知らず、やがて周囲の空気全てを吸い込むかのような10m程の高さもある竜巻へと成長する。
『シルフの狂乱!』
そして、魔法が発動した。
東地区に突如出現したその巨大な竜巻は、周囲に存在している紫の霧を吸い込むようにその身に蓄え始め、そしてセイスの指示に従って移動を始める。その進行方向にあるのは当然の如く霧の発生源があった場所であり、最も濃い霧が今も尚存在し続けている東の貯蔵所だ。
(……凄いな)
未だに魔力を送りつつ、思わず呟くレイ。
何が凄いのかと言えば、これ程に巨大な竜巻を作りあげながらも街に殆ど被害を出していないところだ。
普通の魔法使いであれば、これ程の竜巻を作り出したのなら周囲に存在している家屋を当然その破壊に巻き込むだろう。だが、セイスは長年の魔法使いとしての経験と才能により、竜巻で破壊された家屋を殆ど出していない。
もちろん全てが完璧に無事な訳ではない。壁に傷が付き、あるいは窓が割れていたりもする。中には建築してから相当の年月が経っていた為に崩れ落ちているような家屋もある。だが、この大きさの竜巻が街の中に姿を現したことによる被害としては無視してもいい程度の被害だった。
「ぐ、ぐぅっ……」
もちろんセイスとしても軽々とそんな真似をしている訳では無い。いや、むしろその額には大粒の汗が大量に浮かび上がっている。
魔力を精緻にコントロールするだけでも難しいというのに、今のセイスはレイから送られて来ている莫大な魔力も操っているのだ。
それでも尚、竜巻のコントロールを乱していないのは、さすがギルドマスターを務めるだけの魔法使いと言うべきだろう。
その竜巻が貯蔵所へと向かうに従い、周囲に存在する紫の霧を急速にその風へと巻き込んでいき、セイスが作り出した時は無色に近かった竜巻は既に薄紫へと染まっている。
「グルルゥ」
脂汗を滲ませているセイスとは逆に、レイは魔力の送り続けているだけなので特にこれといった疲労もなく、心配そうにセイスを眺めながら喉を鳴らしているセトの背を軽く撫でながら道を進んでいく。
本来であれば昏倒してもおかしくない程の魔力をセイスへと送っているのに、それでも少しの疲れすらも見せずに平然としているのは、その身に秘めた莫大な魔力があるが故だろう。
本来なら数分程度の距離だったが、霧を集めながらなのでその移動速度は遅く、10分程歩き続けただろうか。レイの目の前には少し前までダンジョンの核が存在していた東の貯蔵所が見えていた。
「……レイ、これからあの貯蔵所の屋根を壊す。他の場所ならシルフの力で無理矢理竜巻に霧を集めることが出来たが、発生源だったあの貯蔵所は広くて入り口からだけでは全ての霧を取り出すことが出来んのでな」
「分かりました」
「竜巻で集めた霧は上空高くまでまで移動させてから街の外へと運ぶ。そうしたら、お主は火の魔法を使ってそれを燃やし尽くして欲しい。どうやら自然にどうにかなるような代物ではないようだ」
「……はい」
頷きながらミスティリングからデスサイズを取り出し、いつでも魔法を使えるように準備を整えるレイ。
そんなレイの手にいきなり現れた2mを越えるその巨大な鎌を見て微かに驚きの表情を浮かべるセイス。
鎌自体の大きさもそうだが、デスサイズそのものが秘めているマジックアイテムとしての格の高さに驚いたのだ。
セイス自身が持っている杖にしても、エルダートレントと呼ばれている樹齢500年を越える高ランクモンスターの身体から切り取った枝を使って作られている杖だ。だがレイが持っているデスサイズは、そんな自分の杖と比べても確実にマジックアイテムとして格上だと確信出来るレベルの代物だった。
(どこからこれ程の……いや、今はそれどころではないか)
微かに動揺したことにより緩んだ魔法のコントロールを建て直し、貯蔵所の屋根へと視線を向けるセイス。
「行くぞ!」
短くも気迫のこもったその叫びと共に竜巻は貯蔵所へと突っ込み、壁を、屋根を、そして次の瞬間には貯蔵所そのものを破壊する。
同時に、建物の中に残っていたのだろう霧を竜巻が絡め取り、急速にその色を濃くしていく。
竜巻の中には貯蔵所に保管されていた蒸留酒の入った樽も大量に巻き込まれていたが、それはある意味ではレイにとって幸運と言っても良かった。何しろ蒸留酒である以上はアルコール度数は通常の酒よりも高い。つまりは霧を燃やし尽くす時の労力が少なくなるということなのだから。
身体から微かに抜けていく魔力を確認しつつ、いつでも魔法を使えるように首に掛かっている共鳴の首飾りへと触れる。
何しろこの首飾りを身につけていると全ての魔法が使えなくなるという、ある意味では魔法使い殺しとも言えるマジックアイテムなのだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
レイから送られる魔力に息を荒げつつも、必死に貯蔵所の中に存在している霧を竜巻へと飲み込ませるセイス。そして数分程が経過し、やがて竜巻に吸い込まれていく霧が無くなったのを見計らいレイへと視線を向けてくる。
無言で頷くレイに、最後の力を振り絞り一気に竜巻を上空へと浮かせて街の外へと向かわせる。
本来の自然現象では有り得ない光景。魔法であるからこそ可能なその行為に、レイは思わず息を呑み首飾りを軽く握りしめていた。
そして……
「今だっ!」
セイスの掠れた声。それでもしっかりと聞こえたその声に、共鳴の首飾りを外して地面へと放り投げ、セトへと飛び乗る。するとセトは何も言わなくても分かっているとばかりに飛び立ち、既に濃い紫の竜巻と化している存在へと羽ばたき始めた。
同時にレイはデスサイズを手に呪文を唱える。
『炎よ、汝のあるべき姿の1つである破壊をその身で示せ、汝は全てを燃やし尽くし、消し去り、消滅させるもの。大いなる破壊をもたらし、それを持って即ち新たなる再生への贄と化せ』
呪文と共にデスサイズの先端に姿を現す火球。その大きさはレイの魔力を吸い取り大きくなり、急激にその大きさを増していく。やがて直径1m程になった炎を宿したデスサイズをそのままセトの背の上で大きく振るい……次の瞬間には魔法が発動する。
『灼熱の業火!』
その言葉と共に放たれた巨大な火球は、紫の竜巻へと勢いよく飛ぶ。
さすがに威力重視で放たれた魔法の為に火球自体が大きく、速度はそれ程でもない。だがそれでも紫の霧の竜巻と化した存在に何が出来る訳でもなく、次の瞬間、莫大な炎を周囲へと撒き散らしながらその全てを消失……否、焼失させられるのだった。
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