第188話

「……ん……」


 ベッドで布団に包まれて眠っていたレイが、もぞもぞと呻きながら上半身を起こす。……が、次の瞬間には再び掛け布団の中へと戻っていく。

 そのまま数分。ようやく意識がはっきりしてきたのか、再び布団から身を起こすレイ。


「あー……ああ、ああ、そうだったな」


 周囲を見回し、見覚えのない部屋の様子に自分が何処にいるのかを把握する。

 ギルムの街で定宿にしている夕暮れの小麦亭に比べると幾らか落ちるレベルの宿。当然暖房用のマジックアイテムのような高級品がある訳でも無く、部屋の中は冬の冷え冷えとした空気に包まれていた。

 ギルドマスターのセイスに案内された宿だったが、そもそも辺境で大商人やら貴族やらが来るようなギルムの街と、辺境にある程度近くはあるが結局は単なる田舎でしかないバールの街。それ等を考えると、最高級の宿とは言っても施設の充実度や快適性は当然前者には遠く及ばない。レイがセイスから聞いた話によると、料理に関してはなかなかに有名らしいのだが、何しろ現在バールの街は封鎖されており食料も配給制である以上は凝った料理を作ることも出来ず、さらにとある理由から食事に期待することは出来なかった。


「まぁ、その封鎖ももう少しで解除されるんだろうが」


 魔熱病の特効薬は基本的に一晩で効果を発揮する。つまりは昨日レイがやって来てから作られた薬でどのくらいの人数かは分からないが、決して少なくない人数が魔熱病から回復している筈だ。


「……さて確かサザナスが来るとか言ってたな。その前に朝食だけでも済ませておくか」


 前日の夜に食堂で出された保存が効くように焼き固められた黒パンや、野菜や肉が殆ど入っていないスープを思いだして溜息を吐きつつも、着替えや身だしなみを整える。

 元々夕暮れの小麦亭で出される食事では足りずに、買い食いをしてその食欲を満たしていたレイとセトだ。当然配給される程度の食事で足りる筈も無く、かと言って皆が同様に貧しい食事をしている中でミスティリングの中に入っている各種料理を自分達だけで食べる訳にもいかず。


(せめて人目の無い場所で食わないとな。俺はともかく、セトの食事は何とか確保しないと)


 内心で呟くも、サザナスと一緒に魔熱病の原因を探らないといけない以上はそれも難しいだろうと溜息を吐き、1階へと降りていくのだった。

 尚、起きてベッドから出た時には非常に寒がってはいたのだが、それもドラゴンローブを着込んだ瞬間には脳裏の彼方へと消え去っていた。






「おはようございます」


 顔色の悪い20代程の青年が1階へと降りてきたレイに頭を下げて挨拶をする。

 この青年、本来はこの宿を経営している人物ではなく冒険者だったりする。だが宿を経営している両親が魔熱病で倒れた為に、現在は代理として宿を任されていた。

 顔色が悪いのは両親の看病の疲れだろう。そう判断しながら食堂にある席へと腰を下ろすレイ。

 

「どうぞ。……とは言っても、この程度の料理しか出せませんが」


 出されたのは水で薄められた1杯のワインに、昨日も食べた固く焼き固められた黒パンに、干し肉と豆のスープだ。

 本来ならスープにパンを浸して柔らかくしてから食べるのだろうが、レイはそのままパンへと噛ぶりついて強靱な顎の力で強引に食い千切った。

 唖然とした顔をしている青年の顔を見つつ、パンを飲み込んでから気になっていたことを尋ねる。


「両親の様子はどうだ? 薬は行き渡った筈だろう?」

「ええ。これもレイさんがこの宿に泊まってくれたおかげです」


 そう。レイがこの宿に泊まるということで、セイスはギルドマスターとしての権限を使って昨日のうちに魔熱病の特効薬を渡していたのだ。本来であれば依怙贔屓ともとれる行動だが、何しろレイはバールの街の救世主と言ってもいいような存在なのだ。そんな人物を泊める宿であるが故に、きちんとしたサービスを受けて貰いたいという理由だった。また、この件が片付けば今までの反動のように街へと来る者達がいるだろうからその為に宿を使えるようにしておきたいという狙いもある。

 とは言っても、今はまだこの宿の本来の持ち主はベッドで寝込んだままだ。特効薬の効果で既に魔熱病の症状は回復したが、それでもこれまでの魔熱病による消耗でもう少し体力を回復させた方がいいと医者が判断した為だった。


「俺としては出来るだけ早くこの件が片付いて欲しいからな。そうすれば上手い料理も食えるだろうし」

「ははは。父さんと母さんに後で伝えておきますよ。ただ、美味しい料理を作るとなると配給制が終わってくれないと材料の調達が難しいでしょうが」

「そうか。まぁ、そうだろうな。呼び止めて悪かった。他の病人達にも食事を持って行ってやれ」

「はい。では失礼します」


 さすがに焼き固められた黒パンは消化に悪いので、スープのみの朝食を持っていくのを見送り、目の前にある食事を口の中へと詰め込んでいく。そもそも料理人を務めている青年の父親も魔熱病で倒れている為に素人料理としかいえない味なので、パンを噛み千切り、スープで流し込み、ワインを飲むと殆ど義務的と言っても良いように食事を片付ける。

 そして全ての食事を胃の中に収めたところで、丁度タイミング良く食堂へと姿を現した人物がいた。

 レイが昨日バールの街に来る時に顔を合わせた人物のサザナスだ。昨日の約束通りにディアーロゴが寄こしたのだろうと判断して軽く手を上げる。


「よお。ディアーロゴさんから話は聞いてるぜ。あのクソったれな病気の原因を探るんだってな」

「……ここは食堂だぞ? 汚い言葉は慎めよ」


 溜息を吐きつつ、最後に残っていたワインを口へと運び食事は終わる。


「はっ、何言ってるんだよ。そもそも食堂にいるのはお前だけだろ。気にする必要はないって」


 そう告げてくる口調は、昨日レイが正門前で会った時に比べるとかなり砕けた物言いになっていた。


「そう言えば正門は封鎖してる筈だが、食事とかはどうなってるんだ?」

「ああ、それについては問題無い。食事の時間になると街の中からパンとかチーズとかを袋に入れて投げて貰ってるからな。街を封鎖して、食料を配給制にしているにも関わらず食料をきちんとこっちにも回していたんだから、やっぱりディアーロゴさんは凄いよな」

「領主代理を任されるくらいだ。優秀じゃなきゃ無理なんだろうよ」

「くくっ、違いない。まぁ、ここの領主は色々と問題行動を起こして半ば強制的に上の人からディアーロゴさんに任せるように圧力があったらしいけどな。……まぁ、それはともかくだ。魔熱病の原因を探すと言っても具体的にどうやって探す?」


 レイの正面にある椅子へと座りながら尋ねるサザナス。

 何しろこれまでに起こったことがないような事態だけに、原因の予想が出来ないのだ。それ故に探すにしても、何らかの指針が必要だと指摘するサザナスの言葉は正しかった。


「正直な話、戦闘力に関しては自信があるが、頭を使うのはそれ程得意な訳じゃないんだよな。あー、そうだな。まずこの街が他の街と違う特殊な立地の可能性は……いや、ないか」

「ああ。周囲にあるのは普通に草原や畑で、他の街と特にこれといった違いなんか無いさ。立地云々を言うなら、バールの街よりもレイが来たギルムの街がそれっぽいんじゃないのか?」

「確かに」


 何しろ辺境に存在しており、ランクA、ランクSのモンスターが存在している広大な魔の森も近くにある。特異な地形という意味では、バールの街よりも圧倒的に上だろう。


「となると、地形的な問題じゃないと?」

「いや。その可能性を全部捨てられる訳じゃないだろうが、あくまでも可能性として考えると小さいだろ」


 サザナスの意見に頷くレイ。

 レイにしても、セトに乗ってこの街に来た時には周囲の様子を眺めている。立地的な意味で特殊性がないのはすぐに理解出来ていた。

 そして魔の森のような存在が近くにあるとしたら、魔力を感じ取る能力を持たないレイはともかく、セトが感じ取っていただろう。


「そうなると、魔熱病自体が寒くて乾燥した地域でも活動出来るように適応したというのはどうだ?」

「わざわざこんな離れた場所でか? これがもし南の方から徐々に広がってきたのならその可能性もあるが、今回はバールの街で突然流行したんだぞ?」

「……なら、誰かが意図的に広めたとかか?」

「どこがだよ? わざわざこんな田舎にある街で魔熱病を流行させてどこに得がある? ……いや、待て。もしかして」


 レイへと反射的に返事をするサザナス。だが、次の瞬間何かを思いついたかのように首を捻る。


「何か心当たりがあるのか?」

「あくまでも可能性の1つだが。さっきも言ったように、本来のこのバールの街の領主は色々と問題を起こした経歴のある持ち主だ。そんな性格だから、当然周囲の他の派閥の貴族達はもちろん、貴族派の中にも仲の悪い奴はいる。もしその関係で恨まれていたとしたら……」


 あり得るかもしれない。この世界の貴族を数人見てきたレイにとってみれば酷く納得出来る話だった。ラルクス辺境伯のダスカーや、エレーナのような貴族らしい貴族もいれば、貴族としてのプライドに凝り固まったキュステや、嬉々として祖国を裏切るヴェルのような貴族もいるのだ。それ等の顔が脳裏を過ぎり、サザナスの言葉に思わず頷き掛けるも、思いとどまって小さく首を振る。


「いや、恨まれているのは分かるが、かと言って病気を意図的に流行させるような真似は出来ないだろう。それにもしその手段があったとしても、そもそも肝心の魔熱病自体が高温多湿な場所でしか流行しないって条件をどうやってクリアする?」

「……なるほど。そう考えれば、確かに考えすぎか。そもそも、そんな手段があったのなら同じ国の貴族じゃなくて、ベスティア帝国の首都辺りにでも使えば莫大なダメージを与えられるだろうし」

「ああ、確か……に……」


 ベスティア帝国。サザナスの口から出たその言葉に、思わず言葉を止めるレイ。


(錬金術が発展しているとなると、当然相応に技術力も高い筈だ。この世界の病気が俺の知ってるように病原菌を介したものだとすると、もしかして錬金術で何とか出来るんじゃないか?)


 内心で呟き、可能性を検討するが……やがて小さく首を振ってその意見を却下する。


(そもそも、それが出来るのならわざわざ田舎にあるバールの街に仕掛ける必要は無い。サザナスが言ったように王都なりなんなりのでかい都市で使えばいいだけなんだし。そうなると、あるいは実際に使えるかどうかの実験か? それにしたって、使えるのは一度きりだ。バールの街の情報が広がれば、どこだって特効薬の準備はしておくだろうし)


「レイ?」

「いや、何でも無い。確かにベスティア帝国が仕掛けるとしたらこの街に仕掛ける可能性は低いか。そうなると、他に何かあるか?」

「うーん、そうだな……ぱっと思いつくのは今言った奴くらいだな」

「……となると、ちょっと考え方を変えるか」

「考え方を?」


 何を言ってるんだ? という視線をレイへと向けるサザナスだが、それに構わずにレイは口を開く。


「例えばだ。この街だけの特徴と言うと何かあるか?」

「は? いや、だから特に特徴らしい特徴とかは無いってさっき言っただろ?」

「聞き方が悪かったな。そうだな、例えばこの街の名物は何だ?」

「おい、俺達が今話しているのは魔熱病の原因を探すことであって、土産とかを用意している暇なんか無いぞ」

「違う。その特徴が魔熱病を流行させる原因になったんじゃないかと思ったんだ」

「……」


 レイの言葉に、意表を突かれたような顔をするサザナス。

 サザナスにしてもその可能性は考えていなかったのか小さく頷くが、やがて首を捻る。


「もしその可能性が高いとしてもだ。なら何でこれまで魔熱病が流行しなかったんだ? この街が出来てからもう200年以上は経っている筈だ」

「さて、魔熱病が流行する要因が揃うまでこれまでの時間が掛かったのか、あるいは突然変異的な何かか。……可能性としてはそれ程高くはないだろうが、それでも手掛かりが無い以上は出来る所からやっていくしかないだろ。で、この街の名物は?」

「そうだな……他の街に無い、この街だけの特産品となると蒸留酒とかか」

「蒸留酒?」


 その言葉を聞いてレイの脳裏を過ぎったのは、日本にいた時にTVで見た知識や父親が飲んでいたウィスキーだった。


(ブランデーやウォッカとかも蒸留酒だったか。確か、木の樽に入れて保存して作るとかなんとか……待て。そうなると木の樽は何処に保存しているんだ? 個人が作ってるのなら家の中で十分間に合うだろうが、特産品として考えればそんなに大量のスペースは用意出来ない筈)


「サザナス、蒸留酒はどこに保存している? 確か木の樽に入れてるんだよな?」

「あ? ああ。木の樽に入れて専用の保管所に……おい、まさか」

「可能性がある以上は行ってみた方がいいだろう。もし何も無いなら何も無いで、原因の候補を1つ消せる訳だし」

「……そうだな。なら早速行くとするか」


 頷き、2人はテーブルから立ち上がり食堂から出て行くのだった。

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