第187話
流水の短剣という、使いこなせる者にとっては強力な武器にも成り得るマジックアイテム――ただし水に適性の無いレイにとっては枯れることの無い水源としか使いようのない――のアイテムの説明を受けている時、執務室へどこか呆れたような声が響き渡った。
そちらへと視線を向けたレイが見たのは、50代程の男だ。初老と言える年齢だが、それでも引き締まった身体をしているのは恐らく日々の鍛錬を欠かしていないのだろう。
(誰だ?)
内心で呟きつつドラゴンローブの内側にあるミスリルナイフへとそっと手を伸ばそうとするレイだったが、すぐにここがギルドマスターの執務室であることを思い出し手を止める。
目の前にいる相手が誰であろうとも、セイスの知り合いであることに代わりはないのだろうと。
そしてその判断が正しかったことは次の瞬間に証明される。
「ディアーロゴ、遅かったな」
「馬鹿を言うな。アウラーニ草の粉末が手に入った以上、こちらとしても色々と指示を出さなきゃいけないんだぞ。それを何とか済ませて来てみれば……」
そこまで呟き、大きく溜息を吐くディアーロゴ。
それも無理はないだろう。バールの街で流行している魔熱病をようやくどうにかする目処が立ち、これからのことを相談しにギルドまでやって来れば、長年の親友は何故か床に置いたコップをマジックアイテムで破壊しているのだから。
「別に何の意味も無くこんなことをしてる訳じゃない。彼にちょっとした依頼をしようと思ってな。その報酬としてこの流水の短剣を提示して、性能を見せていただけだ」
「彼?」
そこまで聞き、ようやくレイの存在に気が付いたかのように視線を向けるディアーロゴ。
その視線を受け止め、小さく頭を下げてからレイは目の前にいるのが誰なのかをセイスへと視線で尋ねる。
「こいつはこの街の領主代理でもあるディアーロゴだ。儂やギルムの街のギルドマスターのマリーナとは以前パーティを組んでいた仲でもあるな。ディアーロゴ、この少年はレイ。ギルムの街からアウラーニ草の粉末を届けてくれた冒険者だ」
「おおっ! 坊主がアウラーニ草の粉末を届けてくれたのか! 助かった。いや、本当に助かった。これで魔熱病で倒れている住民達もその多くが救われる。全員がというのはさすがに無理だろうが、それでも当初こちらが見積もっていたよりはかなり多くの者が死ななくて済む筈だ。いや、本当に良く来てくれた」
バシバシと乱暴にレイの肩を叩きながら感謝の言葉を述べるディアーロゴ。
そんなディアーロゴに、目の前の人物がこの街を治めている領主代理だと知ったレイは小さく頭を下げる。
「ギルムの街のランクD冒険者のレイです。俺の持ってきた救援物資で、この街に広がっている魔熱病を根絶出来るといいんですが」
「ああ、もちろんだとも。この街にいる冒険者は坊主のようなギルムの街の者達に比べると幾らか腕は劣るが、錬金術師や薬剤師は拮抗してると言ってもいいだろうからな」
自慢そうに頷くが、これはある意味で真実だった。
何しろギルムの街の冒険者達は常日頃から辺境のモンスターと戦っており、自然とその腕は磨かれている。と言うか、一定以上の実力がない冒険者はモンスターとの戦いで死んでしまう為、ギルムの街で冒険者として生きていくことは出来ないのだ。その数少ない例外が街中の依頼専門であり戦闘とは全く関係の無いランクHの冒険者や、あるいは腕の立つ冒険者と行動を共にするという幸運に恵まれた者だけだろう。
それに比べると、錬金術師や薬剤師は基本的にはどこの街でもそれ程極端な差はない。さすがにギルムの街にいる者達に比べれば素材の入手のしやすさから考えて多少の腕の違いはあるだろうが、それも冒険者のレベル程では無い。……魔導都市オゾスのような例外を除いてだが。
「それでだな。この街で魔熱病が流行った原因を彼に突き止めて貰いたいと思って依頼をな」
「……しかし、この坊主はそもそもこの街に詳しくはないだろう? あ、いやもちろんあの女が自信を持って送り出す人材だ。別に坊主のことを馬鹿にしてる訳じゃないぞ」
自分の言葉がレイを軽んじていると思ったのか、慌てた様子でディアーロゴが首を振りながらそうフォローをする。
そんな領主代理へとレイは小さく首を振り、気にしてないと態度で示してから口を開く。
「俺がこの街に詳しくないのは事実ですし、それに所詮はまだランクD冒険者であるのも事実ですから」
「だが、あの辺境のギルムの街でギルドに登録してから最速でランクDまで駆け上がった記録を持っているだろう?」
どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう告げてくるセイスへと苦笑を浮かべながら頷く。
「それはそうですが……」
「それにだ。ディアーロゴには魔力を感じ取る力が無いから分からないかもしれないが、この子はちょっと信じられない程に強力で莫大な魔力をその身に宿している。魔熱病が魔力の量によって発病するかどうかが決まる以上は、これ程安全なことは無い筈だ。……もしこの子が魔熱病に感染するとしたら、それはこの街で抗える者はいないと思っていいだろうな」
「……そんなにか?」
セイスの言葉に、驚愕の表情を浮かべながらレイへと視線を向けるディアーロゴ。
もちろんディアーロゴにしても、元々歴戦の冒険者の1人なのだ。相手の力量を見抜く目は持っているし、その目で見た限りでは目の前にいる少年が尋常ならざる強さを持っているのは本能的に察することが出来た。
だが、それでもやはりディアーロゴは盗賊出身であり、魔力を感じ取る能力は一切無かったのでレイが持っている莫大な魔力は感じ取れずに多少違和感を覚える程度だった。そう、レイ自身が強力なマジックアイテムを見た時に違和感を覚えるのと同じように。
「ついでに言えば、マリーナからの手紙にも何かあったらレイに頼めばいいと書いてあったしな」
「……マリーナめ。いつまで俺達の保護者のつもりなのやら」
既に50代であるディアーロゴやセイスだが、当然ダークエルフであるマリーナはこの2人よりも長い時を生きている。よって、まだ冒険者に成り立てだった時にはこの場にいない数人のパーティメンバーも含めて、マリーナが保護者的な役割を担っていたのだ。……もっとも、リーダーは何故か盗賊であるディアーロゴだったのだが。
「とにかくだ。魔熱病の発生原因をレイに調べて貰うというのは異論無いな? それとお前も言ったように彼はこの街に詳しくない。それを補佐する人員を頼む」
「ふむ、そうだな。……坊主。いや、レイ」
「はい」
「街に入ってくる時に、門を封鎖していた兵士達がいたと思うが、その中にサザナスという人物がいる。面識はあるか?」
ディアーロゴに尋ねられ、レイの脳裏にバールの街に入る時に会話した人物の姿が過ぎる。
「はい。兵士達を率いているという立場だったので、軽くですが会話をしました」
「よし。ならお前にはサザナスを補佐として付けよう。ただ、今日は坊主が持ってきた補給物資の件で色々と忙しいから……明日だな。明日の朝に迎えに行かせる。いや、待て。この街に来てすぐにここに来たってことは、まだ宿も決まってないのか?」
「そうですね。どのみち魔熱病が発症するかどうかの様子見で1週間はバールの街から出られませんので、どこか適当に宿でも探そうと思ってます。ディアーロゴさんもギルドに入ってくる時に見たと思いますが、何しろ俺にはグリフォンの相棒がいますので。……どこか従魔も大丈夫な宿屋があれば紹介して欲しいのですが」
「あぁ、あのグリフォン。立派なグリフォンだったな。ギルドに入る前にあのグリフォンを見た時には冒険者時代の悪夢を思い出したぜ」
どこか遠い目をしながらしみじみと呟くディアーロゴ。
「ほう、それ程のグリフォンか?」
「ああ。俺達が必死こいて逃げだしたあのグリフォンよりも、余程格が上に見えたな」
「それはまた……」
セイスの脳裏には、若い時に辺境の奥地で偶然遭遇したグリフォンの姿が過ぎっていた。
自分達は1流の冒険者だと驕り高ぶっていた時期だっただけに、マリーナが止めるのも聞かずに攻撃を仕掛けるも逆に一蹴されたのだ。そして這々の体で逃げだした、若さ故の暴走とも言える苦い思い出。
「あのグリフォンよりも上か。……どれ、なら宿屋の紹介がてら儂もそのグリフォンとやらを見物させてもらうか。構わんかな?」
「ええ、問題ありません。グリフォン……セトと言う名前ですが、妙なちょっかいを出さなければ人懐っこいので」
「……人懐っこい?」
ランクAモンスターとは思えない言葉に、セイスとディアーロゴの2人は唖然とした視線をレイへと向ける。
その視線は言葉に出さなくても、正気であるかどうかを疑うような色が宿っていた。
そんな視線に気が付きつつも、これが普通の対応だろうと苦笑を浮かべつつ頷くレイ。
自分がどれだけギルムの街の影響を受けているのかを容易に思い知らされる。
(まぁ、辺境であるが故なのかもしれないけどな)
いつモンスターの集団に襲われるかもしれない辺境では、自分達に敵対せずに、少しでも戦力となるのならそれが何であろうと貪欲に取り込んでいく。そんな気概が街全体に漂っているのだ。そしてそのように強かでなければ、今頃ギルムの街はモンスターの襲撃により廃墟になっていただろう。
「と、とにかく。人懐っこいというのはともかく早速従魔を連れて泊まれる宿に案内しよう。今回の魔熱病でその宿も病人の受け入れをしておったが、それでもまだ何部屋かは空いていた筈だ」
「そうしてやってくれ。俺はこのまま館に戻ってこれからの指示を出さなきゃならん。魔熱病の原因究明については先程話した通り、明日の朝に宿の方にサザナスをやるから、細かい話はそっちから聞いてくれ」
「はい。魔熱病に関しては、原因が分からないとギルムの街でも流行する可能性があります。それを考えると、是非とも原因を見つけて何とか対処しておきたいと思います」
レイの言葉に頷き、ディアーロゴは早速館で各部署へと命令や薬の配布方法を指示する為に急いで執務室から出て行き、レイとセイスはその後を追うようにゆっくりと執務室を出て行くのだった。
「ほう、さすがだな」
それがギルドの1階の依頼ボードを見たセイスの口からでた言葉だった。
視線の先には、既に殆ど姿が消えている救援物資の数々。そしてレイが持ってきたうどんの入っていた巨大な鍋はきちんと洗われ、依頼ボードの前へと置かれている。
「あ、ギルドマスター。レイさんも。お料理の方、とっても美味しかったです」
2人の姿を見つけた受付嬢が、笑みを浮かべながら頭を下げてくる。
「喜んで貰えて何よりだ。……それよりも随分と人が少なくなっているが?」
ギルドに入って来た時も職員の姿は少なかったが、今はほんの数人しか残っていない。
それを疑問に思って尋ねたレイだが、受付嬢は小さく頷き口を開く。
「ええ。早速出来た薬を配っているところですから。少しでも人の数は多いに越したことはありませんしね」
「……なるほど」
(確かに病人がどこか1ヶ所に集まっている訳では無い以上、個別に薬を配る必要があるしな。まだ症状が軽いならともかく、魔力の少ない者は立ち上がることも出来なくなってるんだろうし)
レイが内心で頷いていると、受付嬢の視線はセイスへと向けられる。
「それでギルドマスター達はどうしたんですか?」
「何、レイは暫くバールの街に滞在して魔熱病がこの地で流行した原因を調べて貰おうと思ってな。その為に宿屋を案内しようかと思ったのだ」
「ギルドマスターがわざわざですか!? その、もしよければ私が案内しますが」
「いや、今のギルドはどこもかしこも人手不足なのは間違い無い。君にしても見ての通りギルドにいる唯一の受付嬢だしな。それならギルドマスターであるが故に、今はまだそれ程忙しくない儂が案内するのがいいだろう」
「……分かりました。そうですよね、確かに他の子達が復帰するまでは私がここで頑張らないと」
自分自身を元気づけるように両手を握りしめる受付嬢。
この街のギルドには当然他の受付嬢も存在していたのだが、現在その殆どが魔熱病に倒れ、あるいはその看病の為にギルドに出てこられない状況になっていた。
「何、彼が持ってきたアウラーニ草の粉末で作られた薬があれば、そう遠くないうちに皆復帰するだろう。それを信じて今は頑張ってくれ」
「はい! いってらっしゃいませ」
受付嬢の声を背に、レイとセイスはギルドを出るのだった。
「ほう、あれが……確かにディアーロゴが言っていたように儂等が以前見たグリフォンより格上な印象を受けるな」
ギルドから出て、セトを目にするとセイスが呟く。
「グルゥ?」
そしてそんな呟きやレイの気配を感じ取ったのか、セトは寝転がって瞑っていた目を開けると小さく鳴いて近付いていく。
一瞬だけ後退りかけるが、それでも何とかその場に踏み留まるセイス。
そんな様子を見ながら、レイはいつものように擦りつけてきた頭を撫でながらその背を撫でる。
「何と……ここまで懐いているとは。レイ、もし良ければ儂も撫でてみても構わんか?」
「はい。普通に撫でるだけなら特に問題はないかと」
「……良し」
小さく深呼吸し、そっとセトの背へと手を伸ばすセイス。
一瞬だけセイスへと視線を向けるが、害はないと判断したのかセトは撫でてくるレイの手を堪能するのだった。
「おお、おお……これが獣と鳥の王とも呼ばれるグリフォンか」
滑らかな手触りに感動したように呟くセイス。
この後、5分程経ちようやく我に返ってレイとセトを宿屋へと案内するのだった。
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