第186話

 その人物は見るからに魔法使いと思しきマントを纏っており、手には長い杖を。そして魔法使いとしての経験を感じさせる雰囲気を放っていた。

 レイの見たところでは恐らく50代程であり、長い顎髭が胸の辺りまで伸びている。その顔には皺が刻まれているが、それがまた男の魔法使い然とした雰囲気に良く似合っていた。

 魔法使いらしい魔法使い。それがレイが目の前にいるバールの街のギルドマスター、セイスへと抱いた印象だった。

 そしてセイスもまた、レイの姿を見て内心は驚愕に染まっている。


(この魔力は……この者、本当に人間か?)


 目の前にいる、一見すると普通の少年。……否、背も小さくローブに包まれているその身体も戦士達と比べると華奢でしかない。纏っているローブにしても、一見するとその辺に良くあるような駆け出しの魔法使いが使うようなものにしか見えない。だが……


(ここまで己を偽るとはな)


 確かに一見すると駆け出しの魔法使いにしか思えないその姿も、ある一定以上の実力を持つ者。例えばこのバールの街のギルドマスターであるセイスには全く違って見える。


(あのローブは隠蔽の効果があるローブ。つまりは、その効果を隠蔽しなくてはならないほどの一品。そして足にあるのは高速で移動することが出来、尚且つ空を蹴ることが可能なスレイプニルの靴。左腕の腕輪も何らかのマジックアイテムで間違い無い筈。そして右手の腕輪がアイテムボックスか)


 数秒程眺めただけでも目の前に立っている少年が並の存在ではないというのは理解出来る。何よりも少年自身から感じられる魔力が途方もない大きさなのだ。そう、まるでかつて初めて海を見た時を思い出させるかの如く。


「……ギルドマスター?」


 その少年、レイへと思わず視線を向けて固まってしまったセイスへと受付嬢が不思議そうに声を掛ける。


「あぁ、いや。すまない。レイ、だな? 儂はこのバールの街のギルドマスター、セイスだ。マリーナから話は聞いている。良く来てくれた」

「話を……?」


 差し出された手を握り返しながら尋ねるレイ。

 そんなレイの質問に、セイスは小さく頷いて答える。


「ギルドマスター同士は個別に連絡を取れるようになっていてな。それを使って君がギルムの街から出発した時に聞かせて貰ったのだ」

「……あぁ」


 街を封鎖していたサザナスが何故自分の情報を持っていたのかを理解したレイは小さく納得の声を口に出す。


「さて、色々とギルムの街の話も聞きたい所だが、残念ながら今はそれどころではない。早速持ってきたアウラーニ草の粉末を出して貰ってもいいかな?」

「問題ありません。場所はどこに?」

「依頼ボードの前に頼む。そこなら薬剤師や錬金術師を呼べばすぐに薬の作成に入れるだろう」


 セイスの言葉に頷き、早速とばかりに依頼ボードの前まで移動してミスティリングからアウラーニ草の粉末が入った小瓶の詰まっている木箱を次々に出していく。他にも魔力回復用のポーション、怪我を治すポーション、あるいは魔熱病の薬に使うその他の材料といった救援物資の数々も同様に取り出す。


「おお、アウラーニ草の粉末を個別にしてあるのはありがたい。この魔熱病の特効薬はレシピ自体は殆ど変わらないが、薬を作る時に込める魔力の関係で一度に大量には作れないのだ。その為、数人分ずつを纏めてつくるのだが……いや、さすがマリーナだな」


 感心して頷くセイス。

 その説明を聞き、何故アウラーニ草の粉末が1人ぶんずつに分けられているのかを納得しながら、最後に取り出したのはディショットから渡された巨大な鍋だった。


「……これは?」


 その鍋から漂ってくる、何とも食欲をそそる匂いにギルドの中にいた職員達の視線が集まる。そしてその中でも一番レイの近くにいたセイスが興味深そうに尋ねる。


「最近ギルムの街で新しく作られるようになった料理です。取りあえず、ここのメンバーはこれから色々と忙しくなるだろうから、これでも食べて体力を付けて貰えればと」


 同時に取り出したスープ皿に、肉や野菜の入っているスープとたっぷりのうどんを盛りつけてセイスへとフォークと共に手渡す。

 本来であれば汁にうどんを浸したままにしておくとのびてしまって味が落ちるのだが、そこはミスティリング。料理が完成した直後にディショットがギルドまで持ってきたので、そのうどんにはまだ十分にコシがあった。


「この、細長いのは何かね?」

「うどん、と呼ばれている食材で、ギルムでもつい最近開発されたばかりのものです」


 つい最近というよりは数日前と表現するのが正しいのだが、当然セイスにそんなことが分かる筈もない。

 今まで生きてきた中で見たこともないようなその食材に、興味深そうにフォークで巻き取って口へと運ぶ。


「……美味いな、これは」

「口にあったようでなにより。まぁ、本格的な物を食べたくなったらギルムの街に行った時にでも探してみて下さい。……ほら、お前達も。あるのはこの鍋1杯分だけだぞ」


 レイのその言葉に、ギルドマスターでもあるセイスの美味いと断言したことも併せて我も我もとギルドの職員達が集まってくる。

 そんな皆へとスープ皿に盛りつけてはフォークと共に渡していく。

 何しろ数日程度とは言っても、街が封鎖されて食料も配給制になっていたのだ。当然、いつまで封鎖しなければ分からない以上は腹一杯食べられるだけの量を配給出来る筈も無い。よって、決して飢餓状態と言われる程に酷くはないが、それでも心因性的な問題から物を食べられる機会を見逃すような真似は出来なかったのだ。

 そしてそれはギルド職員だけではなく、レイが持ってきた素材を取りに来た薬剤師や錬金術師達も同様だった。それぞれが1杯から2杯程の量を食べて腹が膨れると、薬を作るべくアウラーニ草の粉末やその他必要な物資を持って自分の工房へと戻っていく。


「さて。レイ、と言ったな。ちょっと来てくれるか?」


 見る見るうちに巨大な鍋が空になっていくのを見ていたセイスが、ギルド職員達が酒場のスペースを使って洗った食器を再びミスティリングへと収納しているレイへと声を掛ける。


「まだ何か用事が? 俺が頼まれた依頼に関してはこれで終わったと思っていたんですが」

「確かに君が頼まれた依頼はここに物資を運んでくれたことで無事完了している。だが、それとは別に頼みがあってな」

「……頼み?」


 その言葉で何となく何を言われるのかを理解するレイ。


(俺の魔力があれば、魔熱病が発症する心配はまず無い。そうなると恐らく今回の件の調査とかか。……まぁ、どのみち魔熱病の病原菌が俺の中から消える1週間は街から出ることは出来ないんだ。ならその間に何もやることが無くて暇を持て余しているよりはマシか。もっとも、初めてこの街に来た俺だけに調査を任せるような真似はしないだろうがな)


「うむ。……まぁ、君の顔を見る限りでは大体予想出来ているようだが。付いてきて欲しい」


 レイの様子を見てその察しの良さに内心感嘆しながらも、カウンターの内部へと入っていくセイス。レイもまた、小さく溜息を吐くとその後を追うのだった。






「さて、この部屋に来て貰った理由は大体察しているとは思うが」


 ギルムの街のギルドにあったギルドマスター用の執務室同様に、カウンターの奥にある階段を上った先にあったその部屋でセイスが応接用のソファへと腰を下ろしながら口を開く。


「魔熱病が流行した原因を探って欲しいといった所ですか」

「うむ。察しが早くて助かる」

「……しかし知っての通り俺はギルムの街の冒険者で、この街にもつい1時間程前に来たばかりです。そんな俺がこの街に魔熱病が広がった原因を探ったとしても、見つけ出すのは非常に難しいと思いますけど?」

「もちろんこちらとしてもきちんと手を貸そう。この後で街の領主代理に会って貰うが、その際に助手のような者を付けられると思う」


 そのまま2人共が沈黙して、お互いに相手の出方を待つ。

 だが人生経験という意味では、レイはセイスの足下にも及ばない。その為、先に口を開いたのはレイだった。


「これは依頼と考えてもいいんでしょうか?」

「うむ。当然依頼と考えてくれても構わない」

「そうなると報酬は? この街の危機を救うかもしれない程の依頼です。相応の物を貰えると思っても?」


 冒険者としては当然とばかりに出したその質問に、バールの街のギルドマスターであるセイスもまた当然と頷く。


「当然だろう。冒険者とは報酬を貰って仕事を引き受けるものだ。……とは言っても、見ての通り現在この街は非常事態だ。魔熱病の件が片付いたとしても、金は幾らあっても足りない状態になるだろう。それを踏まえると、金以外の物でとなるのだが……構わんかな?」


 レイの様子を見ながら窺うように尋ねたセイスだったが、レイは数秒の迷いもなく頷く。


「俺としても金を持っててもそれ程使わないので、個人的にはそうして貰えると助かります」


 武器や防具の消耗を気にしなくてもいいレイは、他の冒険者と比べると圧倒的に金銭的な面では有利だ。何しろ他の冒険者達は壊れた武器や防具の買い換え、あるいは修理、調整、メンテナンス等と依頼で稼いだ報酬の中でも半分以上が装備関連で消えることも珍しくはない。下手をすれば稼いだ報酬以上の金額が必要な時もある。

 それを全く気にしなくてもいいレイは、金を使うと言っても宿に支払う宿泊代金やセトと共に買い食いをする食費。冒険に必要な知識を求めての本や、たまに気紛れで買うちょっと便利そうな道具くらいだ。その割には大きな仕事や指名依頼を成功させており、倒したモンスターの素材や討伐証明部位、そして魔獣術の吸収に使われない魔石をギルドへと売り渡すことで金銭的には随分と余裕がある。


「そうか。そうなると出せる報酬としては儂の秘蔵のマジックアイテムとかその辺になってしまうが……どうかな?」

「……具体的にはどんなマジックアイテムを?」

「うむ、ちょっと待っててくれ」


 そう言い、執務室の中に置いてある棚の中を探し始めるセイスだったが、やがて1つの短剣を取り出して持ってくる。

 短剣の刃を納めている鞘には、小粒だが複数の青い宝石が埋め込まれている。一目見ただけで値打ち物だと理解出来る程度の代物だった。ただしその価値はあくまでも美術品としての価値であり、レイの求めるような実戦で使えるマジックアイテムの類ではないように思えた。

 そのがっかりしたような顔を見たのだろう。セイスはニンマリとした笑みを浮かべつつその短剣をテーブルの上へと置く。


「どうやら期待外れといった顔付きだが?」

「個人的にマジックアイテムを集めるのが趣味だと言ってもいいですが、それはあくまでも実戦で使えるマジックアイテム限定です。美術品としてのマジックアイテムは興味が無いので」


 そんなレイの言葉を聞きながらも、セイスは笑みを浮かべたままで短剣をレイの方へと手渡してくる。


「確かにこの短剣は実戦では使えないだろう。だが、冒険者として暮らしていく上ではこの上なく役立つ物の筈だ」

「……役立つ?」

「うむ。まぁ、物は試しだ。その魔力に……おっと、ちょっと待ってくれ」


 短剣を手渡すと、テーブルの上に置いてあったコップをレイの前に置く。


「……このコップをどうしろと?」


 さすがに戸惑ったように呟くレイだったが、セイスはそれに構わずに短剣へと視線を向ける。


「鞘から抜いて、剣先をコップに向けて短剣に魔力を通してみるといい」


 促されるままに短剣を引き抜くレイ。

 その短剣は鞘の装飾に負けず、白く美しい刃をしていた。薄らと青みがかった刃が美しく輝いている。

 そのままセイスに言われるままに短剣の剣先をコップに向け、魔力を通す。

 すると次の瞬間……

 チョロ、チョロロロロロ。

 最初は少しずつ。そしてやがて徐々に勢いを増して剣先から水が流れ出したのだ。


「これは……」

「流水の短剣。文字通り魔力を通すと水を生み出す効果を持つマジックアイテムだ。……だが、どうやら君にはあまり水の適性が無いらしい」

「水の適性が無い?」


 それに関してはレイ自身も理解していた。何しろ自分の魔法は炎特化と言ってもいいのだから。

 それでも適性が無いと言われるとそれなりに面白くない訳で、微かに眉を顰める。そんなレイの様子を見ていたセイスが思わず笑みを洩らす。


「はっはっは。君程に強大な魔力の持ち主でもやはり悩みごとはあると見える。ちょっといいかな?」

「ん? ええ」


 差し出してきた手へと流水の短剣を手渡すレイ。

 それを受け取ったセイスは、テーブルの上にあった別のコップを少し離れた床へと置き……


「水の適性があると、こんな芸当も出来る。……はぁっ!」


 魔力を込めて流水の短剣を振るうセイス。すると次の瞬間には短剣の剣先から水が飛び出て、まるで鞭の如く振り下ろされ……次の瞬間にはコップを砕くのだった。


「これは……確かに凄いな」


 流水の鞭とも言える存在を目にし、思わず呟くレイ。


「どうかね? もっとも君には武器としては使えないだろうが、いずれパーティを組む時もあるだろうからその時に仲間に渡してもいいだろう。あるいは君が使ってみたように何らかの依頼で夜営やら休憩をしなければならない時、水に困るということはこれからなくなるだろう。あぁ、言っておくがこの流水の短剣で作られた水は、発動させた者の魔力によって水の味が変わる。恐らく君程の魔力の持ち主なら水としてもかなり上質で山の湧き水の如く美味しい水が出せるだろう。……どうかな? 依頼の報酬としては十分だと思うが」


 その言葉に頷き、依頼を受けると口にしようとしたその時。突然執務室の扉が開けられ、どこか呆れたような声が周囲へと響いた。


「おい、こんな非常時になにをやってやがる」

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