第177話
「すまない、待たせてしまったようだな」
ハスタの父親であり、同時にこの食堂満腹亭の料理人でもある中年の男がそう言いながら頭を下げる。
「今回はハスタが色々と手間を掛けさせてしまったらしいが、礼を言わせてくれ。俺はディショットだ」
差し出された手を握りながら、レイは目の前に立つ男を素早く観察する。
年齢的にはまだ40代前半だが、毎日食堂の調理場で料理を作っている為だろう。腕の筋肉が非常に発達しており、ランクH程度の冒険者よりは余程戦闘に向いていそうだった。握っている手にも料理ダコとでも言うべきものが存在しており根っからの料理人であることを窺わせる。
1日の内で最も忙しい時間帯を過ぎたからか、その顔には寡黙ながらもどこか穏やかな表情が浮かんでおり、レイがその男を見て感じたのは『料理人と言うよりは職人』という印象だった。
現在の時刻は夜の7時も半ばを回った所。酒場であればまだまだ夜はこれからといった時間だが、この満腹亭は食堂である為、既に客の姿は無い。ディショット自体もエネドラや他の従業員と共に洗い物を済ませ、既に今日の仕事は終わりという状態だった。尚、ハスタの妹であるアルカは既にエネドラに連れられて自分の部屋で眠っている。
「レイだ。さて、早速だが本題に入ろうか。ハスタから頼まれたガメリオンの肉については十分以上に確保できた。通常サイズが1匹に、希少種が1匹。特に希少種は8m以上の大きさを誇っているのを考えるとまず肉の量で困ることはないだろうが……」
「……8m以上、か」
レイの言いたいことが分かったのだろう。微かに眉を顰めるディショット。
「ハスタが取ってきてくれるモンスターを解体する小屋があるが、そこでもギリギリだな」
「あ、でも血抜きはもう終わってるから、本当に解体するだけでなんとかなるよ」
ハスタのその言葉に、ディショットはどこかほっとした様子を浮かべる。
その隣ではエネドラが笑みを浮かべながらお茶を飲んでいた。
「まぁ、解体に関しては今日どうにか出来るってものじゃないしな。明日以降でいいだろう。……残念ながら俺は解体がそれ程得意じゃないから、そっちはハスタに任せることになるだろうが」
「大丈夫です、任せて下さい。小さい時からずっとやってますからモンスターの解体は得意です」
「俺も手伝うから、解体に関しては何とかなるだろう」
ディショットも頷くが……レイがそこに口を挟む。
「その件についてだが、俺に料理のアイディアを出してくれるようにハスタから頼まれてる。だから出来ればディショットにはそっちに集中して欲しい」
「……料理のアイディア?」
訝しげにレイへと視線を向けるディショット。だが、それも無理はないだろう。何しろレイの外見は15歳程度にしか見えない。立派な大人であるディショットにしてみれば、レイはあくまでも子供なのだ。そんな子供に料理のことが分かるのか? 言葉には出さなくても、表情がそう語っている。
「俺はずっと魔法を師匠から習っていたからな。そこで色々な本を読んでる。その中には既に失われただろうレシピの数々もあったんでな」
「ほら、父さん。串焼き屋のゼノさんとかがレイさんにアドバイスを貰って売り上げが増えたって話を聞いてない?」
ハスタに言われ、知人の顔を思い出したのだろう。小さく頷く。
「そう言えばそんなことを言ってたな。そうか、お前さんが……」
小さく頷き、実際に目の前の少年からアドバイスを貰った知人が売り上げを伸ばしているのなら、と話を聞く体勢に入る。
その様子をみながら、コップに入ったお茶を飲んで考えを纏めつつレイは口を開く。
「俺が教えるのは『うどん』という料理だ。……いや、料理というか、そう言う食材と言うべきだな」
「うどん? 聞いた覚えがないが。具体的にはどのような食材だ?」
料理人である自分の聞き覚えのない食材。そのことに好奇心を刺激されたディショットの質問に、レイは視線を厨房の方へと向ける。
「そうだな。まずここでパンを出しているとなると、当然小麦粉はあるよな?」
「あ? ああ。それはもちろん。料理にも使うし当然だろう」
「ならその小麦粉を持ってきてくれ」
「分かった。すぐに持ってくる」
そう言い、厨房へと向かうディショットの背を眺めながらふとレイは内心で考える。
(確か小麦粉には強力粉とか中力粉とか何種類かあったと思うが……パンを作るのとうどんをつくのは同じ粉だったか? まぁ、試してみて駄目だったら本職に丸投げするしかないな)
そんな風に考えていると、紙袋に入った小麦粉を手にディショットが食堂へと戻ってくる。
「ほら、これがうちで使っている小麦粉だ。とは言っても、パンはパン屋から仕入れているだけだからそっちの希望する品質かどうかは分からないが」
「パンを作っていない?」
「……何か拙いんですか?」
レイの呟きにハスタが思わず尋ねてくるが、レイは小さく首を振る。
「いや、俺が読んだ本によるとパンを作る小麦粉を使って作るとあったからな。まぁ、小麦粉は小麦粉なんだし問題は無いだろう」
「……だといいんだが」
「さっきも言ったように、俺が知っているのはあくまでも知識だ。実際にその食材を作ったことがある訳じゃないから、俺が教えられるのはあくまでも本で知ったその食材の作り方でしかない。あと、その食材をどうやって食べていたとかな。それを前提として話を聞いて欲しい」
「それはつまり、細かい調整の類は俺がやるしかないってことか?」
「そうだな。料理人としての腕を期待している。さて、作り方だが。材料は非常にシンプルだ。小麦粉、塩、水。これだけだ」
「……え? それだけなの?」
シンプルと言えばシンプルすぎるその材料に、ディショットの隣で話を聞いていたエネドラが思わず呟く。
言葉には出していないが、それはハスタやディショットもまた同様だ。
「ああ。作り方は水に塩を溶かしてから小麦粉に混ぜて練る。それから……」
そう言い、覚えている限りのうどんの作り方を説明するレイ。
最初は使う材料の少なさにどこか半信半疑のディショットだったが、聞いているうちにいけると判断したのか小さく頷きつつもブツブツと何かを呟いている。
「……で、細長く切ってお湯で茹でる。この時に注意が必要なのは茹で時間だな。生地をどのくらいの太さで切ったかにもよるが……」
説明しつつ周囲を見回し、自分の手。正確には爪へと視線を向ける。
「爪の3分の1くらいの太さが目安で、10分程度だったと思う。茹で具合に関しては、悪いが自分で丁度いいと思う固さを研究してみてくれ」
「作り方の説明に小麦粉や水、塩の分量が無かったんだが、具体的にはどの程度の量なんだ?」
「あー……小麦粉がその紙袋の半分程度で、塩が軽く一掴み程度。水はコップ1杯程度といったところか。悪いが、その辺に関しても実際に料理しながら調整していってくれ」
「なるほど」
「で、茹で上がったうどんは冷水でざっと洗ってぬめりを取って、温かくして食べるならお湯で一旦温めて、冷たい状態で食べるならそのままだが……」
チラリと食堂の外へと視線を向けるレイ。
季節は既に冬に近くなっており、この時期に冷たいうどんを食べるような物好きはそれ程いないだろうと判断する。
(まぁ、醤油とかが無い以上は出し汁とかも出来ないしな)
「温かくして食べるとなると、具体的には?」
「そうだな。例えば今日食べさせて貰った野菜スープ。あれに入れて食べるとかだな。トッピングとして少し濃いめに味付けした肉を乗せるといいだろう。……それこそ、今日俺達が取ってきたガメリオンの肉とかな。他にも濃いめのシチューとかに絡めて食べるのもありかもしれない」
脳裏にカレーうどんを過ぎらせながらそう口に出し、この世界にカレーが無いのを心底残念に思うレイだった。
「どう、貴方。出来そう?」
「……正直、分からん。分からんが……聞く限りではパンの様に保存性は無いものの、料理としての可能性は高いと思う。試してみる価値はあるだろうな」
妻であるエネドラへとそう返すディショットだが、その顔には抑えきれない好奇心や興奮が浮かんでいる。
やはり料理人として未知の料理や食材という物にはどうしても惹かれるのだろう。
そしてレイはそんなディショットの好奇心をさらに煽るように口を開く。
「他にも焼きうどんという調理法があるな」
「焼きうどん?」
「ああ。少し固めに茹でたうどんのぬめりを冷水で取るところまでは同じだが、そこから野菜や肉と一緒に炒める。味付けは……俺の読んだ本だと醤油という調味料を使っていたんだが……知ってるか?」
僅かな期待を込めた問い。
あるいは、ゼパイル一門にレイと同様の現代日本から来たようなタクム・スズノセがいた以上はもしかしたら醤油があるかもしれない。そんな思いで口にした問いだったのだが、現実はそんなに甘くなくあっさりと首を横に振られる。
「いや、そんな調味料は見たことも聞いたこともないな。少なくてもこのギルムの街には無いと思う。可能性があるとすれば、王都辺りにはもしかしたらあるかもしれないな」
「そうか。残念だがしょうがないか。となると、焼きうどんの味付けだが……」
そこまで呟き、ふと思いつく。
(塩焼きそばがあるんだから、塩焼きうどんがあってもいいんじゃないか? まぁ、塩焼きそばの塩ダレは塩以外にも色々と調味料が入ってるんだろうが)
「塩、だな」
「塩でいいのか?」
「ああ。ただし、普通の塩じゃないぞ。塩に色々と他の調味料も混ぜた塩ダレだな。……これも本で知った知識だが、焼きうどんに近い料理に焼きそばというのがある。その焼きそばの種類には塩焼きそばと言うのがあるらしい」
「塩、か。……分かった。検討してみよう。じゃあ早速今からうどんを……」
そう言い、立ち上がろうとしたディショットの服をエネドラが掴んで止める。
「貴方、根の詰めすぎは良くないわ。それに今からうどんを作り始めたら出来るのは真夜中になるわよ? それなら、明日の日中にでも作って皆で味見をしたらいいんじゃないかしら。……レイさんも味見には協力して貰えますか?」
「俺もか? いや、別に構わないが……」
チラリと黙って話の成り行きを見守っているハスタへと視線を向けるレイ。
その視線の意味を悟ったのか、どこか困ったようにハスタは口を開く。
「あー、ごめん母さん。新作料理の味見もいいけど、ガメリオンの解体とかもやってしまいたいんだけど」
「そう言えばそうだったわね。うーん、でも、お肉の解体はハスタ1人でも出来るんでしょう?」
「いや、やれと言われれば出来るけど。さすがにあの量を僕1人でってのは」
「でもうどんに関してはレイさんがいないと、そもそも成功かどうかも分からないのよ?」
「……はぁ、しょうがないなぁ。じゃあレイさん、明日はまず父さんの方をお願いします。それが終わったら、僕の方を手伝いに来て貰えますか?」
母親に対してそこまで言われては、親思いのハスタとしては引き下がらざるを得なかったのだろう。溜息と共にレイへと告げてくる。
そんなハスタを見ながら、頷くレイ。
正直、レイにしてみればこの世界で食べたことの無い麺料理に、期間限定のモンスターであるガメリオンの解体。どちらを選んでも自分には得しかないのでどっちでも構わない、というのが正直な気持ちだった。
「分かった。なら明日は何時くらいに来ればいい?」
「朝のピークが終わって、昼までの時間だから……午前の9時くらいがいいだろう。昼時の仕込みに関しては今から俺が仕上げておくから問題ないだろうし」
「試食の件もあるから、朝食は軽くにしていた方がいいわよ」
「そうだな、そうさせて貰う」
小さく頷き、そろそろ宿に戻るべく席を立つ。
「さて、じゃあ明日に備えて今日はそろそろ宿に戻るか。……ハスタ、殆ど丸1日動きっ放しだったんだし疲れただろう?」
何しろ早朝にギルムの街を出て、雑魚相手とは言っても戦闘をしながらガメリオンの現れる草原まで移動し、さらには1人でガメリオンと戦ってギリギリの所まで追い込まれ、その後は自分が戦いはしなかったがガメリオンの希少種と遭遇。レイが倒した希少種の血抜きをしている間他のモンスターから守り、その後は急いでギルムの街まで戻って来たのだ。
幾ら冒険者が体力に自信があるとは言っても、これではさすがに疲れる。
「あははは。確かにそうかもしれませんね。けど不思議と疲れを感じてないんですよ」
「それは身体が緊張しているからだ。自分でも分かっているだろうに」
レイよりも年上で、さらには長く冒険者をやっているのだ。自分の体調くらいは把握しているのか、どこか気まずそうな笑みを浮かべるハスタ。
その様子を見ながら、レイは3人に軽く挨拶をして満腹亭を後にするのだった。
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