第176話
「レイ君、無事で何よりだ」
時には走り、時には歩きと、かなりの強行軍でなんとか日が暮れる前にギルムの街に戻ってきたレイ達2人と1匹を出迎えたのは、強面の髭に満面の笑みを浮かべたランガだった。
警備隊の隊長であるランガが、思わずといった様子でレイを抱きしめてくる。
男に抱きしめられるような趣味は無いレイだったが、ランガの浮かべている笑みを見る限りでは無下にも出来ずに内心で溜息を吐きながらその行為を受け止める。
「隊長、隊長。その辺で。レイが困ってますよ」
「っと、ああ。ごめんよ」
部下の声で我に返り、レイを解放するランガ。
「いや、それはいいんだが……どうしたんだ、急に?」
「どうしたって……風の刃のメンバーから君達がガメリオンの希少種と戦ったって聞いてね。一応無事だったとは言ってたけど、実際にこの目で確認するまでは心配だったんだよ」
「……あぁ」
ランガの口から出た説明に、思わず納得するレイ。その隣ではハスタもまた同様に頷いている。
「あいつらは無事辿り着いたのか?」
「1人も欠けること無くね。ただ、借りてた荷車がモンスターに壊されてしまったって凄いショックを受けてたけど」
「……あぁ」
ハスタの口から数秒程前のレイと同じく納得の呟きが漏れるが、そこに宿っているのはレイのものとは違い、どこか同情が籠もった呟きだった。
金に余裕のないハスタにしてみれば、風の刃が言っていた冬に依頼を達成する為に街の外に出ると言うのが他人事ではないのだろう。
「まぁ、こうして2人の無事な姿も確認出来たし……」
「グルゥ」
自分を忘れるな、とばかりにレイとハスタの間から顔を出すセト。
その様子を見て笑みを浮かべつつ、ランガは干し肉を差し出す。
「もちろんセトのことを忘れたりなんかはしないさ。セトも無事でなによりだったね」
「グルルルゥ」
どこか得意気に鳴き、ランガの差し出してきた干し肉をクチバシで咥えるセト。
そんなセトの頭を撫でながら、改めてランガはレイ達に向き直る。
「さて、街に入る手続きをしようか。……それにしても無事で良かった」
改めてしみじみと呟くランガ。ランガにしてみれば自分達の領主であるダスカーがレイの持つ戦闘力を高く評価してるのを知っている為、その思いは尚更だっただろう。まさか自分達の上司が取り込みたいと思っている相手が、街で人気の食材でもあるガメリオンの希少種と戦って死んでたりしたら……そう思うと、ランガが安堵の息を吐くのも無理はなかった。
その後はいつものようにギルドカードを見せ、従魔の首飾りを受け取り手続きを終了して街の中へと入って行く。
「あ、ランガさん。数日中に家でやってる食堂でガメリオン料理が出ると思うので、良かったら食べに来て下さいね。色々と心配を掛けたお詫びにちょっとだけサービスするように父さんに言っておきますから」
ハスタがちゃっかりと、実家の食堂の宣伝をしてからだが。
「あー……この景色を見ると帰ってきたって感じがするな」
街中を歩いている人々を見て、思わず呟くレイ。
辺境にあるギルムの街だからこその活気と言うべきか、かなりの人数が街中を忙しく歩いている。
中には寒さから早く家に戻って暖かくしたいと考えている者達もいるのだろうが。
辺境にあるギルムの街だけに、ここには色々と稀少な素材や魔石が集まる。もちろんそれを他の都市やら街、あるいは村といった場所に輸出してはいるのだが、逆に買い付けに来る商人達もそれなり以上にいるので、常に街中にはある程度以上の人数がいる。そして秋も終わりに近付いているこの時期だけに、本格的に冬が来る前に……と考えた商人の数でギルムの街にはいつも以上にたくさんの者達が訪れていた。
そんな、久しぶりにギルムの街に来る商人。あるいは初めて来る商人や、その護衛の冒険者達がセトを見て驚愕の表情を浮かべながら固まったり、思わず後退ったり。そんな光景を既に慣れた様子でレイとハスタ、そしてセトの2人と1匹は大通りを進んで図書館のある方へと向かっていく。
「あ、ここです」
ハスタがそう言い、図書館の少し手前で脇道へと入る。裏路地と言ってもいいような少し狭い道を進んで約5分。やがて『満腹亭』と書かれた看板の掛かっている食堂が目に入る。
「へぇ……確かに綺麗なものだな」
裏路地にあるとは思えない、それこそメインストリートにあっても不思議ではない程度には綺麗でそれなりに大きな食堂だ。
「あははは。何しろ建て替えたばかりですから。……まぁ、そのおかげで借金が出来たんですけどね」
「それを返すのに一役買う為、ガメリオンの肉を欲したんだろう?」
「ええまぁ、そうなんですけど……でもガメリオンの肉を使った料理を売り切ったとしてもそれで借金を全部返せる訳じゃないですけどね」
「で、どうする? 見た所結構繁盛しているようだが。今から行ってガメリオンの肉を取ってきました、と言ってもお前の親父さんは困るだろ」
「……でしょうね。しょうがないので、取りあえず客の足が一段落するまで待ちましょう」
ハスタが呟き、どこかで時間を潰そうと提案しようとしたその時。
食堂の入り口から不意に顔を出した10歳に届かないような少女がハスタの顔を見て最初に驚きの表情を浮かべ、次に満面の笑みを浮かべて食堂の中へと叫ぶ。
「あー、お兄ちゃんだ。お母さん、お父さん。お兄ちゃんが帰ってきたよー!」
「あら、本当? なら何で入ってこないのかしら?」
「わかんなーい! でもお友達を……あ、セトちゃんだ。セトちゃんがいるー!」
レイの方を見て小首を傾げていたその子供は、セトを見るなり歓声を上げてセトへと抱き付いていく。
「セトちゃん、ふかふかであったかいー!」
「グルルゥ」
その滑らかな毛触りにうっとりしたような顔でぎゅうっと抱き付く少女。
そんな少女の様子に、どこか困ったように喉の奥で鳴くセト。
「お前の妹か?」
「あ、うん。妹のアルカ。ほらアルカ、セトが困ってるから離れなよ」
「やだ! だって今日はセトちゃんと遊べなかったんだもん!」
セトにしがみついたまま、首をぶんぶんと振るアルカ。首を振る度に三つ編みにした緑色の髪も激しく揺れる。
「ハスタ、アルカ、どうしたの? ……あら、お客さん?」
アルカの様子が気になったのだろう。40代程の、人の良さそうな笑顔を浮かべた中年の女が食堂の入り口から顔を出した。
「あ、母さん。うん。ほら、昨日ガメリオンを狩ってくるって言ってたでしょ? それを手伝って貰ったレイさん」
「まぁ……ハスタがご迷惑をお掛けしませんでしたか?」
どこかのんびりとした口調で尋ねられ、一瞬対応に迷ったレイだったがすぐに小さく頷く。
「問題無い。さすがに1年以上ランクD冒険者をやって来ただけのことはある」
「そんな。僕なんかレイさんみたいに1人でガメリオンに勝つことも出来ないし……」
思わず、といった様子で口を挟んできたハスタだったが、レイは首を振る。
「そもそもガメリオンはランクCモンスターだ。ランクDのハスタが、それもソロでどうにか出来ると思うのは傲慢だぞ」
「確かにそう言われればそうなんですが……やっぱり、レイさんの戦闘を見てしまうとどうしても……」
希少種とレイの戦闘の様子が脳裏を過ぎり、溜息を吐くハスタ。
「取りあえず、夕食はまだなんでしょう? なら2人共食べて行きなさいな」
「え? でもまだ客がこんなに一杯いるのに……」
「大丈夫よ。私達のことを思って危険な戦いを潜り抜けて来た息子よりも大事なお客さんなんて言わないわ。ほら、レイさんとか言ったかしら。貴方も」
「……いいのか?」
チラリ、と食堂へと視線を向けて尋ねるレイ。
確かにその食堂はハスタの言う通りかなり混雑している。並んでいるような客まではいないが、それでも色々と忙しいだろうことは容易に想像出来たからだ。だが。
「この子がお世話になった人をそのまま帰すなんてことは出来ませんよ。それに……」
そこまで言って言葉を止めるハスタの母親。その視線の先には、未だにセトへと抱き付いているアルカの姿がある。
「アルカもその子から離れたくないみたいだし、出来ればそうして貰えると助かるわ。……あぁ、そうそう。挨拶が遅れたけど、私はハスタの母親のエネドラよ。よろしくね」
ニコリと暖かい笑みを浮かべつつ、頭を下げてくるエネドラ。
その柔らかい態度に若干戸惑いつつも、レイはハスタ、エネドラの2人に案内されるように食堂の中へと連れ込まれる。
「セト、その子供は頼んだぞ」
「グルゥ」
最後に何とかそう告げるのがやっとであり、その言葉を聞いていたセトも既にアルカの態度にも慣れたのか穏やかに喉を鳴らして答えるのだった。
「……外から見る以上に繁盛しているな」
食堂の中に通されたレイが思わず呟く。
席の8割方は埋まっており、そこかしこでエールやワインと共にシチュー、干し肉、炒め物、サラダ、煮物といった夕食の料理が行き交っている。当然その食事を食べている客も賑やかに話をしており、その喧噪はうるさい程だ。
「さ、レイさん、ハスタも。座って頂戴。すぐにお料理を持ってくるから」
「そうか。なら頼む」
「母さん、僕はファングボアの煮込みをお願い」
「はいはい。ハスタの好物は取ってあるから大丈夫よ。えっと、レイさん。お酒は?」
「あー……じゃあ、軽いのを1杯だけ」
レイの言葉に笑みを浮かべて頷くと、慣れた様子でテーブルの間を通り抜けて厨房へと向かって行く。
「随分と大らかな母親だな」
「ええ、まぁ。大らかと言うか、多少天然な所が困りものですけどね」
そうは言いつつも、顔に浮かんでいる笑みはハスタ自身がそんな母親の性格を好んでいるのを読み取るのは難しくない。
いい親子関係なんだろう。そう思いつつも、これからの予定について尋ねる。
「で、これからどうするんだ? 俺の知ってる料理をお前の父親に教えればいいんだよな?」
「ええ、そうしてくれると助かります。ちなみにレイさんの知ってる料理に使う肉の量ってどのくらいなんですか?」
「それ程多くないな。メインじゃなくて、あくまでも具材の1つだしな」
「へぇ。楽しみですね。ここはお酒も出しますが、あくまでも食堂なのであと2時間もしないうちに閉店します。その時にお願い出来ますか?」
「俺は構わない」
そう言いつつも、自分の教える料理のことを思いだし……ふと思い至る。
(うどんを教えるのはいいが、醤油や味噌が無い以上、汁をどうする……? ここが海に近いなら魚醤とかがあったかもしれないが、近くに海は無い。となると、シチューやスープにうどんを入れて食べるのか? まぁ、カレーうどんがあるんだしありと言えばありだろうが。……駄目だ、俺が提供出来るのはあくまでもうどんであって、それをどうやって食べるかは本職に任せるしかないな。まさかこんな異世界で醤油やら味噌やらがある訳も無いしな。作り方だって知らないし)
内心で微妙に焦りつつも、料理は本職に任せようと丸投げをすることにするレイ。
「はい、お待たせ。ファングボアの煮込みと焼きたてのパン。野菜スープにチーズとハムのサラダよ。それとエールを1杯ずつ」
ある意味責任放棄とも取れる考えをしていると、エネドラの声と共に座っているテーブルの上へと次々に料理が並べられていく。
「うわっ、美味そう。ありがと、母さん」
「確かに美味そうだ。遠慮無く食べさせて貰う」
「ええ。うちの人ご自慢の料理だから、どうぞ」
笑みを浮かべてそう言い、かと思えば次の瞬間には他の客に呼ばれて去って行くエネドラ。
一応数人程従業員はいるのだが、客の数が多いのでエネドラもまた忙しいのだろう。レイは当然の如くそう判断し、ハスタと2人で夕食を口に運ぶ。
「……美味いな」
美味そう、ではなく美味い。実際にファングボアの煮込みを1切れ口へと運ぶと、じっくりと煮込まれた脂身の部分がまるで溶けるように口の中で消えて行き、後に残るのは肉の部分のみで、その肉の部分もまたレイの舌を楽しませる。そして次にパンに囓りつき、あるいはサラダを口の中へと放り込んで口の中に残っているこってりとした部分をさっぱりとさせる。
(確かにこれ程の料理ならここまで繁盛するのも分かる。ただ、惜しむべくは……)
チラリ、とフォークの先端に刺さっているファングボアの煮込みへと視線を向け、夢中で食べているハスタには分からないように溜息を吐く。
(いわゆる、洋風の煮込みだってことか。醤油が無い以上は豚の角煮ならぬ、ファングボアの角煮は無理だろうしな。確か材料は醤油、砂糖、みりん、生姜だったか?)
以前にTVか何かで見た料理番組をそれとなく思い出しつつ、再び溜息を吐く。
(砂糖、生姜は市場で売ってるのを確認している。けど、みりんや醤油は絶望的だろうな。かと言って作り方を知ってる訳でも無し。醤油は大豆を使うんだったか?)
そんな風に思いつつも、十分に美味い料理をゆっくりと味わいながら食べるのだった。
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