第178話

「おはようございます」


 ガメリオンを仕留めてギルムの街へと戻ってきた翌日。前日の約束通りに午前9時過ぎくらいに満腹亭へと顔を出すや否やエネドラに笑顔と共に声を掛けられる。


「ああ、おはよう」


 挨拶をしながら食堂の中を見回すが、既に朝のピークは過ぎている為か客の姿は殆ど無い。

 恐らく夜通し何かの依頼を受けていたのだろう数人の冒険者が、少し気怠そうに朝食を摂っているだけだった。


「ハスタは?」

「あの子は少し離れた場所にあるモンスターを解体する為の小屋で準備を……あら、噂をすればなんとやら」

「レイさん、おはようございます!」


 嬉しそうな笑みを浮かべつつ、元気いっぱいといった様子で挨拶をしながら食堂の中へと入ってくるハスタ。


「おはよう」


 エネドラにしたのと同じように挨拶を返しながら、厨房の方へと視線を向ける。


「で、親父さんの姿が見えないようだが?」

「……」


 レイのその言葉に、顔を向け合って思わず苦笑を浮かべるハスタとエネドラ。


「あの人ったら、余程うどんとかいう食材が気になったんでしょうね。朝に起きたら、仕込みをしてからすぐにうどん作りに挑戦して……」


 パァンッ、パァンッ!

 何かを叩き付けるような音が厨房の方から響いてくる。


「ご覧の有様よ。全く」

「……生地を叩き付ける音、か?」

「ええ。うどんにレイさんが言っていたこしを強くするってのを試しているんだって」

「いや、生地を叩き付けるような真似を教えた覚えは無いんだが」


 少なくてもレイ自身が昨日説明したうどんの作り方の中には、生地を叩き付けるというような工程は無かった。こしを出す為には袋に入れて裸足で踏むと説明したのだが……


「まぁ、あの人なりに色々と試しているんでしょう」

「そうだね。何しろ僕達の朝食に出て来たのがうどんの出来損ないだったし」


 苦笑を浮かべて朝食を思い出すハスタ。

 ハスタ達一家の今日の朝食は、うどんを作る時に上手く纏まらないものを茹でてスープで煮込んだもの。すいとんに近いものだったのだ。


「それでも味はそんなに悪くなかったでしょう?」

「父さんのスープだもん、そりゃあ不味い訳ないよ。アルカも嬉しそうに食べてたし」


 母と子の会話を聞いていたレイはふと気が付く。昨日はセトを見た途端に突撃していったハスタの妹のアルカの姿が見えないと。


「そのアルカは?」


 予想外の質問だったのだろう。一瞬ポカンとしつつも視線をハスタへと向けるエネドラ。


「ハスタ、アルカはどうしたの? 確か一緒に解体小屋に行った筈でしょう?」

「アルカは表でセトを見つけて……」

「大体分かった」


 どこか気まずそうに呟くハスタだったが、レイにはそれだけで表で何か起きているのか分かってしまった。恐らく昨日同様にセトへと抱き付いているのだろうと。何しろセトはギルムの街でもアイドルの如く好かれており、その好んでいる者達のかなりの割合を子供達が占めているのだ。そんな状態である以上、自分の家にセトが来れば喜ぶのも無理はない。


「……さて、じゃあ取り合えずガメリオンを出してくるか。解体に関しては昨日の話した通りにハスタに任せていいんだよな?」

「あ、はい。レイさんにはうどんの方を見て貰わないといけませんしね」

「分かったわ。じゃあいってらっしゃい。うどんの方はあの人と一緒に進めておくから」


 エネドラにそう言われ、レイとハスタは満腹亭から送り出される。

 そして表に出た2人が見たのは、当然と言うべきか、やはりと言うべきか。その首筋に抱き付いてシルクの如き毛並みを楽しんでいるアルカの姿だった。


「あー……セト。取りあえず俺とハスタはガメリオンの解体に行くけど、お前はどうする?」

「グルルゥ……」


 レイの言葉に、迷うように自分に抱き付いているアルカへと視線を向けるセト。

 その視線を向けられたアルカは、離れてたまるかとばかりにさらに力強くセトの首へとしがみつく。

 これがもしグリフォンであるセトでなければ、下手をしたら窒息していたかもしれない程度の力を入れて、だ。


「グルゥ」


 この様子では自分からはまず離れないと理解し、小さく鳴いてアルカへと顔を擦りつける。


「あ、やった。ほら、お兄ちゃん、セトちゃん私と一緒にいるって! いいよね!」

「そうだな。じゃあレイさんにもお礼を言うんだ」

「うん。ありがと、レイさん!」


 セトの首に抱き付いたまま器用に頭を下げるアルカに、小さく笑みを浮かべて頷く。


「気にするな。セトがお前と一緒にいたいと思ったからだ。セトが嫌だと言うのなら無理強いは出来ないがな」

「……すいません」


 苦笑を浮かべつつも小さく頭を下げるハスタに小さく首を振り、先を促す。


「それで、解体小屋ってのはどこにあるんだ? 満腹亭に肉を運ぶ為の場所なんだからそんなに遠くないんだろう?」

「あ、はい。そうですよ。ここから歩いて数分って所です」

「数分?」


 それならこの近くだろうと周囲を見回すが、あるのは裏通りの小規模な店だったり住居だったする程度だ。


「ここからは見えないですよ。こっちです」


 ハスタがそう言い、レイを案内するように先導する。

 満腹亭の裏の方へと。


(……なるほど。まぁ、確かにモンスターとは言ってもそれを解体するような場所を堂々と表に出せる訳がないか)


 納得しながら、そのまま歩くこと数分。満腹亭の裏側から少し離れた場所にその建物はあった。

 ハスタ自身は解体小屋と言っていたものの、その大きさはとても小屋と呼ぶべきものではない。どちらかと言えばちょっとした倉庫と表現するのが正しい。もちろんと言うべきか、当然と言うべきか、その建物自体はそれ程立派な建物ではない。むしろどちらかと言えば貧相と言ってもいいだろう。廃材等を利用して作られたのが目に見えて分かる外見をしている。


「あははは。これでも父さんがかなり無理をして建ててくれたんですよ。その、満腹亭の方を増築した時に余った材料とか、しょうがなく壊すことになった場所の材料とかを利用して。……でも、その為に借金の額が増えてしまったんですよね」

「そうか」


 頷きつつも納得するレイ。

 ハスタがガメリオンの肉を強く求めた理由に納得出来たのだ。

 もちろんハスタ自身が家族思いだと言うのもあるだろう。だが、自分の仕事に使える場所を親の借金で建てて貰ったのにある種の負い目も感じているのだろうと。その負い目を払拭する為に少しでも早く借金を返したいのだと。


「……さて、じゃあ解体を始めましょうか。入り口はこっちですから付いて来て下さい」


 ハスタの案内に従い、解体小屋の中に入っていく。正面にある巨大な扉は解体するモンスターを運び入れる時に使うものなのだろう。ただ、今回に関してはガメリオンがレイのミスティリングの中に入っているので使う必要が無いのだが。


「これが解体小屋か」


 解体小屋の中を見回して呟くレイ。

 木の床といった洒落た物はなく土を踏み固めたものがそのまま床になっており、端の辺りにかなり大きめの台が存在している。そして台の上には巨大な、人の腕程の長さがある包丁を始めとして長さの違う10本程の刃物が並んでいた。恐らく大雑把にモンスターを切り分けた後にあの台の上で肉を切り分けるのだろうとレイは予想して小さく頷く。そして台の近くにはこれもまた恐らく切り分けた肉を運ぶ時に使うのだろう荷車が存在していた。


「何か、レイさんみたいな凄い人にそうまじまじと見られるとちょっと照れますね」

「そうか? 俺としてはこう言う作業場があるというのは羨ましいけどな」


 その時にレイの脳裏を過ぎったのは、これまで溜め込んでいたモンスターの死骸から素材を剥ぎ取ったり、肉を得る為に悠久の力と共に行った街の近くにある林だった。外でそのような作業をする場合は当然血の臭いに寄ってくる他のモンスターを警戒しないといけないし、あるいはさらにモンスターの動きが活発になる夜を迎える前に街に戻らないといけないという時間的な制約がある。それを考えれば多少貧相な建物であっても、こうして街中にモンスターの解体を出来る場所が確保されているというのはありがたい限りだろう。


(……そうか。金もあるんだし、ギルムの街でどこか使われていない土地を買い取ってここみたいな場所を作るというのはあり、か? ……いや、そもそも大量のモンスターを倒す機会がそうそうある訳じゃないしな。これが魔石で習得したスキルを試せる場所があるのならいいんだが、まさかそこまで広大な土地がある訳じゃないし。まぁ、あればあったで便利なんだろうが、そこまでして欲しい施設じゃないしな。となるとここを借りるのがベストか)


 内心で考え、ハスタへと向かって口を開く。


「ハスタ、確か今回の件を手伝った礼として10回程俺が仕留めたモンスターの剥ぎ取りを手伝ってくれるって話だったよな?」

「はい? どうしたんですか、急に? 確かにそういう約束でしたけど」

「その件だが、剥ぎ取りの手伝いはいらないから、時々ここを俺に貸してくれないか?」

「え? ここを?」

「ああ。街中で剥ぎ取りが出来る場所というのは貴重だしな。どうだ?」


 そんなレイの提案に、数秒程悩むハスタ。

 ハスタにしても実際にレイの戦闘力を見る前なら素材の剥ぎ取りはそれ程手間だとは思っていなかったのだが、実際にレイの実力を見てしまえばそれがランクD冒険者としてはどれ程に規格外なのかを理解してしまっている。

 以前酒場でレイが大量の素材をギルドへと持ち込んでいるという話にしても、依頼や戦闘を何回かこなし、それがある程度溜まってから持ち込んでいるのでは? と考えていたのだが、昨日の戦闘力を見る限りではもしかして1度の依頼でかなりの量を倒しているのではないかと思い至ったのだ。

 実際、レイにはミスティリングという存在があるのでハスタのように思っている冒険者は実はそれなりにいる。レイ自身がなるべく触れない方がいい存在であると見なされているのでその誤解もなかなか解けないのだった。

 そしてその誤解が解けたハスタにしてみれば、レイからの提案はそう悪い物では無い為に消極的ではあるが賛成する。


「その、食堂で出す料理の肉をここで解体している時があるので、それ以外の時なら……」


 そんなハスタからの答えに、レイは躊躇うことなく頷く。

 何しろレイが使うのはそれ程の頻度ではない。素材の剥ぎ取りを仕切れない程大量にモンスターを倒した時に使わせて貰おうと思っているのだから。


「さて、話は決まったな。じゃあ早速ガメリオンを出すか。……通常のガメリオンと希少種のどっちを最初に出す? それとも2匹一緒の方がいいか?」

「うーん、取りあえず2匹同時だと場所の問題もあるので、普通の方をお願いします。希少種の方は後回しで」

「分かった」


 ハスタに頷き、地面に血の跡が付いている場所へと移動してミスティリングからガメリオンを取り出す。

 レイが斬り飛ばした頭部、ハスタが斬り飛ばした尻尾、そして一番大きな胴体だ。


「ありがとうございます。じゃあ早速僕は解体に入らせて貰いますね。レイさんは食堂に行って父さんのうどんの方をお願いします。何しろ上手く行けば一気にうちの食堂が繁盛しそうな起死回生の料理ですしね」

「……そこまで大袈裟なものじゃないんだが。まぁ、それならそうさせて貰おうか。じゃあこっちは頼んだぞ」

「はい! このガメリオンを処理できたら一度食堂の方に戻りますので」


 ハスタは、解体小屋から出て行くレイの背中を見送り早速ガメリオンの死骸へと視線を向け、台の上から解体用の包丁を手に取り、その刃先をガメリオンの毛皮へと突き立てた。

 生きている時は刃に対して強い防御力を持つ毛皮だが、死んでしまえばその効果も消える。ただし、この毛皮を使った防具は使用者が魔力を流すとガメリオンが生きている時程ではないが、それなりに高い防刃性能を持つとしてなかなかに需要の高い素材なのだ。特にガメリオンの毛皮は基本的にこの時期にしか市場に出回らないという希少価値もあるので、その分も考えるとそれなりの値段で取引されている。


「っと! けどさすがに大きいとやりにくい……かな!」


 腹の部分を切り裂き、まずは内臓を取り出してそのままバケツへと放り込む。次に力を込めて、毛皮に余計な傷が出来ないようにして綺麗に剥いでいくハスタ。

 その手際はさすがと言うべきで、レイと比べると圧倒的に手慣れていた。何しろ冒険者になって自分でモンスターを狩ってくるようになったのはそれ程昔のことではないが、モンスターの解体自体は小さい時から家の手伝いとしてやっていたのだ。慣れない方がおかしい。

 3m程の大きさを誇るガメリオンの毛皮を10分も掛からずに全て剥がし終え、既にハスタの前に残っているのは肉の塊と言ってもいいような存在になっている。

 そして最初に心臓から魔石を取り、肉を骨ごと切り分けて行くのだった。

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