第160話

 ボルンターの屋敷で遭遇した1人の男と、ローブに身を包んだ2つの人影。その中でもリーダー格と思われる男へとデスサイズの柄を使って突き出したレイ。すると男に柄が命中する直前、ミナスと呼ばれていた方の人影がデスサイズの柄を受け止めたのだ。

 ……そのローブの内側から伸ばされた紫色の触手によって。

 そしてレイはその触手に見覚えがあった。エレーナ達と共に向かったダンジョンの最下層。そこに存在していた継承の祭壇でエレーナの護衛であった筈のヴェルがその本性を露わにした時に使っていた、あるいは使役していた物だ。そしてヴェルはベスティア帝国へと寝返っており、その触手はベスティア帝国の錬金術によって作り出されたものだと得意気に言っていたのだ。つまりは。


「……ベスティア帝国の手の者か」


 レイの口から漏れたその言葉に、レイと向かい合っている男達以外全員の視線がレイへと向けられる。その視線に込められているのは驚愕。


「馬鹿なっ! ベスティア帝国じゃと!?」


 ブラッソがそう叫びながら肩に背負っていた地揺れの槌を構える。

 フロンやムルトも同じく武器を構えるのを見ながら、レイは目の前に立つ3人へと鋭く視線を向けて呟く。


「まさかこんな辺境に出没するとはな」

「へぇ、何で僕がベスティア帝国の関係者だと思ったのか……聞いてもいいかな?」


 笑みを浮かべつつ尋ねる男。既に自分達がベスティア帝国の者だと隠す気もないのだろう。そしてそんな男を守るようにしてミナスとコルドは男の前へと進み出る。

 ボルンターの屋敷の応接室。その部屋の扉を境目としてレイ達と男達は向かい合う。

 ミナスとコルドが前へと出て、その後ろに男が。

 そしてレイ達はガラハトとレイが並んでおり、その2人を囲むようにして残りのメンバーがいつでも攻撃が可能なように武器を構えている。

 そんな一触即発の状況の中、それでも男は笑みを浮かべながら気安くレイに話し掛けてきた。それこそ、まるで自分達が旧知の仲であるかのように。


「確かに僕達はベスティア帝国の手の者だ」

「……随分とあっさり認めるんだな」


 ガラハトが後ろへと数歩下がりながら呟く。現在の自分の体調を考えた場合、戦いになった時に足手纏いになると理解しての行動だ。そしてそんな兄貴分を守るべくムルトがガラハトを庇うように前に出る。

 その様子を眺めつつも、特に気にした様子が無く男は笑みを浮かべて口を開く。


「何しろピンポイントにベスティア帝国と指摘してきたからね。他の国だったり、あるいはこの国の他の貴族だったりしたらまだ誤魔化しようがあったんだけど……そこまで的確に指摘するからには、僕がベスティア帝国の関係者だと見破る決定的な何かがあった筈だよね。聞いてもいいかな?」


 そう言いつつも、男の視線はミナスへと向いている。正確にはミナスを覆っているローブの内側から数本程伸びている紫の触手へと。

 見ているだけで生理的な嫌悪感さえ覚えるその触手は、うねりながらもローブの内側へと戻っていく。

 恐らくその触手が原因というのは男にとっても分かっているのだろう。それを承知の上で尋ねるのは、あくまでも触手で見破られたというのは予想であって確信がないからだ。


「その前にお前の名前を是非聞かせて欲しいな」

「へぇ? 僕の名前を聞いてどうするの?」

「何。それ程難しい話じゃない。名前くらい分からないと墓碑銘やら何やらで困るだろう? まさか適当に名前を付ける訳にもいかないし」

「あははは。それは確かに勘弁して欲しいな。どうせなら墓碑銘は自分の名前を付けて貰いたいしね」


 レイと男。その2人の会話は表面上だけを見るのなら和やかな談笑と言っても良かった。だがその会話の内容は剣呑であり、薄皮一枚剥がれた先にはレイの殺意と男の狂気染みた好奇心が存在している。

 周囲の者達がそんなギリギリの一線を感じ取って緊張に固まる中、沈黙を破ったのは男の方だった。


「まあいいや。別に名前を教えるくらいは構わないしね。僕の名前はポストゲーラ。よろしくね」

「馬鹿なっ! 儂にはリヴと名乗っておっただろう!」

「ん? ああ、そう言えばボルンターさんには適当に名乗ってあったっけ。リヴってのは偽名だよ。本名はポストゲーラ。よろしくね」

「……何でわざわざ偽名を?」


 そんなレイの質問に、無精髭の生えている頬を掻きながらどこか照れたように笑うポストゲーラ。


「だってほら、わざわざ操り人形が糸の先にいる自分を操ってる傀儡師の名前を知りたいからって名乗る必要はないでしょう?」

「なっ、き、貴様っ! 儂を人形だと……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁっ! 儂はアゾット商会の会頭、ボルンターだぞ! その儂を人形だと! 錬金術師風情が儂を馬鹿にするのもいい加減にしろ! やれ! 奴を殺して儂を馬鹿にした報いを受けさせろ!」


 ボルンターのその命令に、その後ろで控えていた盗賊の男が1歩踏み出す。

 その足捌きの滑らかさはアゾット商会の裏を纏めていたテンダには劣るものの、それでもその辺の低ランク冒険者に比べると滑らかと言ってもいい動きだった。

 音を立てないような足履きで前へと進み出て、懐から取り出したナイフをポストゲーラ目掛けて素早く投擲する。

 投げられたナイフの刃が毒か何かの液体によって濡れているのを確認出来たのはレイを含めて数名程度だっただろう。少なくてもボルンターやムルトにそれを見抜くことは出来なかった。だが……


「おや? 何かしたかな?」


 ポストゲーラの笑みを含んだ声が周囲へと響く。

 その時に動いたのは、ポストゲーラを守るようにしてレイ達との間に立ちはだかっているミナスではなく、コルドと呼ばれたもう1人の方だ。ミナスと同様、紫色の生理的嫌悪感を生じさせる触手をローブの隙間から伸ばし、ポストゲーラの顔面へと向かって投擲されたナイフを掴み取っている。しかもナイフの柄の部分を触手でしっかりと握りしめて掴み取っているのだ。素早く投擲されたナイフの動きを完全に見切っていなければ、到底出来る芸当ではない。そして次の瞬間。


「ぐあっ!」


 触手によって素早く投げ返されたナイフが盗賊の男が放った速度よりも鋭く、空気を切り裂いて持ち主の下へと戻る。

 盗賊の男もさすがにボルンターの護衛を任されているだけあってそれなりに腕が立ったのか、あるいはコルドが特に投げ返す場所を気にしなかったのか。投げ返されたナイフは男の頭部や喉、あるいは心臓と言った急所ではなく右肩へと深く突き刺さっていた。

 苦痛の声を漏らしながら床へと膝を突く盗賊。何しろそのナイフの刃には痺れ薬がたっぷりと塗られていた為に急激に薬が身体に回って身動きが取れなくなったのだ。


「……」


 本来であればここで盗賊の男に追撃を仕掛けるなりなんなりするべきなのだが、コルドはそのままポストゲーラの側に立ち尽くす。


「なかなかやるな」

「でしょう? あの2人は僕の護衛としては十分な力を備えているんだ。だからさ、君達も僕に手を出さないでこのまま見逃した方がいいと思うよ?」


 床へと倒れた男へと視線を向けながらレイが呟くと、ポストゲーラがそれに言葉を返す。


「兄貴……なんだってベスティア帝国の奴何かと取引を。ラルクス辺境伯にこのことが知られたら、最悪アゾット商会は潰されるぞ!?」


 ガラハトの上げる声に一瞬だけビクリとしたボルンターだったが、すぐにまた喚き出す。


「ええいっ! 黙れ! とにかく儂を侮辱したその男を何とかしろ! そうすれば今回の件は無かったことにしてやる!」

『……』


 何を言ってるんだ? レイ達一行はそんな目をボルンターへと向ける。

 この期に及んで、まだ自分の立場が無事だと思っている老人の姿。それはいっそ喜劇と言っても良かったかもしれない。


「ガラハト、そこの老害は放っておけ。今はこいつを確保するのが重要だ。まさかベスティア帝国の錬金術師がこんな辺境にまで入り込んでいるとは思わなかったからな。成り行きとは言っても、このミレアーナ王国に所属している以上はそれなりに義理は果たしておきたい」


 そう言いつつも、レイの脳裏にはエレーナ達と共に継承の祭壇に挑み、その儀式の途中で裏切ったヴェルの姿が過ぎっていた。


(まぁ、俺のことを知らなかった所から見てヴェルとの関係は無いんだろうが……それでもこいつを捕らえればベスティア帝国に対するダメージにはなるだろう)


「そこの老害、お前には後で用があるからな。今は動かずにそこでじっと怯えていろ」

「なっ、き、貴様! アゾット商会の会頭である儂に向かって」

「黙れ。今はお前如きに構っている暇は無いんだ。余計な動きをすれば、それこそ巻き込まれて死ぬぞ?」

「ぐっ……」


 死ぬと告げているレイの目に本気を感じたのだろう。憎々しげに睨みつけはするが、それ以上何を言うでもなくソファへと座り直す。

 この辺の度胸はさすがと言うべきか。色々と問題はあってもアゾット商会を運営してきただけにそれなりに度胸はあるのだろう。


「……どうやら僕を捕らえるつもりのようだから、一応忠告しておこうか。ミナスにしろコルドにしろ、その辺の冒険者よりは余程強いよ?」


 ポストゲーラのその言葉に、ムルトはゴクリと唾を飲む。その隣ではブラッソとフロンの2人も緊張に身体を硬くしており、本来であればこの中で最もランクの高いガラハトも、現在の自分の体調では足を引っ張るだけだと理解しているのか悔しそうに奥歯を噛み締めている。

 自分の思惑通りと内心で笑みを浮かべるポストゲーラだったが、そう思い通りに運びはしなかった。

 轟っ!

 大きく振るわれたレイのデスサイズが、応接室の入り口付近の扉を壁諸共に叩き斬ったのだ。

 その一撃で先程までの絶望感を吹き飛ばしたレイは、口元に笑みすら浮かべながら言葉を紡ぐ。


「安心しろ、この2人……いや。2匹、か? ともかくこの相手は俺とセトがする。お前達はそこの錬金術師が逃げないように見張ってろ。……いいか、こいつは恐らく転移する為のマジックアイテムを持っている。何か妙な動きをしたら手足の1本や2本は叩き斬っても構わない。とにかく逃がさないように注意しろ」


 継承の祭壇でヴェルが使った転移する為のマジックアイテム。それを実際にその目で見たことにより、レイはベスティア帝国に属している者の逃げ足の速さは十分に思い知っていた。

 4人が頷いたのを確認し、レイの背後からセトが姿を現す。


「グルルゥ」


 剣呑な目付きで目の前にいるミナスへと視線を向け、喉の奥で唸る。


「どうした? お前はこっちに来ないのか? もし来ないなら、俺とセトがこのミナスとかいう奴と戦うぞ?」


 デスサイズを片手に、コルドを挑発するレイ。

 数秒程部屋の中でソファに座っているボルンターの方へと顔を向けていたコルドだったが、すぐに興味を失ったかのようにポストゲーラへと問いかけるように視線を向ける。


「ああ、構わないよ。糸の切れた人形にはもう何が出来るって訳でも無いしね。相手をしてやってくれ」


 主人の許可を貰ったコルドは、ボルンターにもう興味は無いとばかりにレイ達の方へと歩き出してミナスの隣に並ぶ。

 その様子を見ながら、糸の切れた人形と言われたボルンターは視線に憎悪を込めてポストゲーラとレイの2人を睨みつけていた。


(くそっ、くそっ、くそっ! 儂を……この儂を馬鹿にしおって。絶対に許さんぞ。いずれ目にもの見せてやる!)


 内心で怒りを爆発させているボルンターだが、まさか自分が既にギルムの街の領主であるダスカーに切り捨てられているとは夢にも思っていない。この場を切り抜ければ、またこれまで通りの明日が迎えられると信じているのだ。


「ここは狭いからどこか広い場所にでも移動を……いや、する必要はないか。わざわざ向こうを有利にする必要はないだろうし」


 レイの武器である大鎌。そして体長2mを越える巨体を持つセトを見ながらポストゲーラが話を途中で切り上げる。


「別に俺はそれでも構わないが、そう簡単にそっちの思い通りになるのは面白くない……なっ!」


 その言葉と同時に地を蹴り、コルドとの距離を詰めるレイ。元々の距離が殆ど空いていなかった為、まさに一瞬でコルドとの距離は0になる。

 デスサイズという、2mを越える長さを持つレイがその間合いを0にする。それはつまりデスサイズの威力を最大限発揮出来る間合いを自ら捨てたことを意味していた。それを理解したのか一瞬意表を突かれたように動きを止めるコルドだったが、レイはそんな相手には構わずにデスサイズを強引に振るう。

 応接室の壁や扉を破壊しながら振るわれたデスサイズだったが、当然刃の内側にいるコルドに対しては有効な一撃を与えられはしない。……ただし、その柄の内側がコルドへと叩き付けられ、レイ自身の力とデスサイズの重量による一撃を受けた以上は当然堪えることが出来ずに吹き飛ばされ、応接室の壁を破壊しながら外へと投げ出される。


「グルルルゥッ!」


 その横では、こちらもレイと同じように壁など関係無いとばかりに振るわれたセトの鷲爪による薙ぎ払いの一撃で吹き飛ばされるミナスの姿があった。


(このままポストゲーラを確保して一旦退くか? ベスティア帝国の錬金術師が出て来た以上はもう商会のお家騒動どころじゃ……いや、ここであの得体の知れない2人を放って置く訳にもいかないか)


 1秒にも満たないうちにそう判断し、応接室へと足を踏み入れる。


「よし、俺とセトは奴等を仕留めてくる。お前達はここでボルンターとポストゲーラを見張ってろ!」


 その場に残った者達にそう言い残し、破壊された応接室の壁を飛び越えて外へと躍り出るレイ。

 セトもまた、その後に続くように新たに壁を破壊しながら外へと飛び出していくのだった。

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