第159話
ボルンターの屋敷にある応接室。そこで現在屋敷の主人であるボルンターは1人の人物と向かい合っていた。
ボルンター自身はいつものように傲慢な笑みを浮かべているが、それでも時々屋敷の中から聞こえて来る破壊音や怒声といったものに反応している。その手元には念の為のということだろう。見るからに見事な長剣が1本置かれていた。
初老とは言っても日々肉体の研鑽には手を抜いてないボルンターにしてみれば、長剣の1本や2本を振り回すのはそう難しい話ではない。いや、それどころかランクG冒険者のような駆け出しの冒険者と比べても、まず間違い無く武器の扱いには慣れているだろう。ボルンターの背後には盗賊風の男の姿が1人だけ、いつでもナイフを抜けるように意識しながらじっと佇んでいる。
そしてボルンターと向かい合って座っている男の背後には身体全体を覆い隠し、顔すらも確認できない2人の人影が一言も発さずに立ち尽くしていた。
「おや、どうかしましたか? 今日は妙に騒がしいようですけど」
ボルンターの向かいに座っている人物が口を開いて尋ねる。
その人物は40代程の男だ。どこか痩せぎすであり、頬や顎に数本伸びている無精髭や脂にテカっている髪の毛と合わさり、見る者に不健康そうな印象を与える。そしてその口から漏れているのは慇懃無礼とも言える言葉であり、自分より20歳は年上だろうボルンターに対してどこかからかうような態度を取っていた。
「……問題はない。この件については今日で片付く予定だ」
それに対してボルンターは男の態度を改めようともせずに小さく返す。
そう。本来であれば自分の権勢をこれ以上ないくらいに自覚しているボルンターが、慇懃無礼な男の態度に何も言わなかったのだ。
「へぇ。なら何で僕を呼んだんですかねえ? これが必要になるかもしれないから。……でしょう?」
ニタリ、とした笑みを浮かべた男が懐から取り出した指先程の小瓶をテーブルの上へと置く。
「……確かにいざという時の為にお前を呼びはしたが、あくまでもいざという時の為、保険でしかない」
そうは言いつつも、ボルンターの目はテーブルの上に置かれた小瓶へと向けられていた。
「いや、懐かしいですね。僕が初めて作り出したあの薬から既に20年以上の付き合いですか。この薬にしてもあれから改良に改良を重ねて今では既に別物と言ってもいいようなものになりました」
「ふんっ、薬か。良くもその口でほざけるものだ」
「薬は薬でしょう? そもそも毒薬だって読んで字の如く薬でもあるんですから。ただ、ちょっと。そう、ほんの少しだけ効力が強すぎるというだけでね」
「まぁ、お前のその戯れ言はいつものことだからな。それで、このど……いや、薬の効果は?」
「実験ではランクD冒険者の屈強な男が、僕のこの薬の塗ったナイフでかすり傷を受けた後に10日間程苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて。最後にはどうか自分を殺してくれと哀願しながら天に召されましたよ」
男の口から出たのは、これ以上ない程に残酷な内容。だが、ボルンターは表情も変えずに男の言葉を聞いていた。
「ふんっ、あの忌々しい愚物めが。儂と半分でも血の繋がりがあるというのが信じられん程に忌々しい」
「おやおや。それでもそんな相手を自分の手駒にするべく僕の作品を使ったのでしょう?」
「……結局あの阿婆擦れの血が原因なんだろうな」
「そうなんですか? それでもランクB冒険者としてアゾット商会の名前を高めるのに随分と役立っていたと思いますが」
「その程度しか役には立たなかったからな。儂の手の者に手柄を与えるという意味では多少は役に立ったが……しかし本人の意識が青臭い正義感に染まっているせいか、裏の仕事を任せることも出来ん。テンダも腕は立つが、そのせいで本人が半ば戦闘狂に近くなっているしな」
「くふっ、くふふふ。何だかんだ言いながらも十分活用していると思いますけどねぇ」
男がそう告げた時、その男の背後にいたマントを被った人影がそっと近寄り男の耳元で何かを囁き、すぐにまた元の場所へと戻る。
「そうですか……残念ですね」
不意に、これまでの慇懃無礼な態度から口調を改める男。その言葉には言葉通りに残念だという感情が込められていた。
「……何が残念だと言うんだ?」
「だって、ほら。分かりませんか? ボルンターさんご自慢の冒険者達は既に全滅しているらしいですよ?」
「何!? 馬鹿な、アゾット商会で雇っている冒険者達を殆ど全て集めたんだぞ? レイとかいうあの小僧が来ているらしいが、それでも戦力の差は圧倒的な筈だ。最もランクの高いガラハトにしても怪我で碌に身動きが出来ん以上、儂が雇っている冒険者達が負ける要素は無い!」
「それがあるから困ったものなんですよ。それにしてもレイですか。噂には聞いてましたが……余程実力のある冒険者のようですね。全く、幾ら量を集めたとしても質に対応出来ないと言うのは困ったものです。こうなるとやはり個々の質を上げるしか……いや、それも僕の薬を使えばある程度は可能なのだから、そうなると問題なのは最低限の質を持った者をより多く集めることが重要ですか」
ボルンターと喋っていて何やら思いついたのか、自らの世界の中に入ってブツブツと呟く男。
その様子を疎ましそうに眺めながらボルンターが再び口を開く。
「少し黙れ。それで、本当に屋敷に集まっていた冒険者達は倒されたのか?」
「僕の言葉を疑うんですか?」
「それは当然だろう。何しろ全滅したと言い出したのはお前だし、それを儂が確認した訳でもない。つまり今の所はお前が出鱈目を言っているとみなすこともできるんだからな」
ボルンターのその言葉を聞き、頬をピクリと引き攣らせる男。
「まぁ、僕としてはあくまで忠告しただけですので、それを聞かないというのなら別に構いません。ミナス、コルド、行きますよ。ここにいては騒動に巻き込まれてしまう。僕達に何か利益があるのならともかく、お家騒動に巻き込まれるのはごめんです」
ミナス、コルドと呼ばれたローブを被っている2つの人影に声を掛け、座っていた椅子を立ち上がり……次の瞬間、応接室のドアが開かれる。
男の手ではなく、他の者の手によって。
「っ!?」
それに気が付いたミナスとコルドは無言で男を庇うようにして前に出る。その視線の先に映ったのは数人の人影。その先頭に立っているのは30代程の男であり、ミナスが事前に聞かされていた情報からガラハトであると判断する。
「……誰だ?」
だがガラハトにしてみれば全身をローブで覆っている、見たこともない者達だ。思わずそう尋ねるが、すぐに目の前にいる人物が誰なのかを理解する。
「そうか、お前達が兄貴の客か」
「ええ、そうですよ。ボルンターさんとは以前から色々と取引をしていましてね。今日もそのつもりで来たのですが、まさかお家騒動の真っ最中とは思っても見ませんでした。だから今日はこれで帰らせて貰おうと思っているのですが……構いませんよね? ガラハトさんと仰いましたか。貴方にしても、まさか無関係の第3者をお家騒動に巻き込もうというつもりはないでしょう?」
どこかからかうように告げてくる男に、微かに眉を顰めながらも頷くガラハト。
「当然だ。兄貴に協力している冒険者であるのならまだしも、ただの商売相手にどうこうするつもりはない」
そう言い、道を空けるガラハト。それを見た男は軽薄な笑みを浮かべて頭を下げる。
「すいませんね。もしガラハトさんがアゾット商会の会頭になったりしたら僕の方からまた挨拶をしに来ますよ」
「待て! 儂をこの場に置いていく気か!」
さっさと部屋を出ようとしている男に向かい、ボルンターが叫ぶ。
ボルンターにしてみれば、ここで男に去られては自分の戦力は護衛として部屋にいる盗賊の男が1人のみ。もちろん自分自身もそれなりに腕に覚えはあるが、それでも目の前にいる冒険者達と互角にやり合える程ではないと分かっている。
ここで置いて行かれれば自分の人生は終わりだ。そう判断したボルンターは怒気も露わに男へ向かって怒鳴りつける。
「これまで引き立ててやった恩を忘れたのか!」
「そう言われましても、これは所詮お家騒動でしょう? なら僕達は……」
男がそこまで喋った時だ。それまでガラハトの後ろで、いざという時には前へと出ようとしていたレイの後ろにいたセトが唸り声を上げる。
「グルルルルルルゥ」
いつものように、上機嫌な時に上げる唸り声ではない。一種の怒気が籠もったかのような唸り声に、セトの姿が直接見えないボルンターでさえ思わず動きを止める。
(……ボルンターに対してではない?)
セトを落ち着かせるように撫でながら内心で呟くレイ。セトの視線は扉越しで姿の見えないボルンターに向いているのではなく、ガラハトと入れ違いになるように部屋から出ようとしている無精髭を生やしている中年の男。……いや、その男の側にいるローブを被って顔すらもフードで完全に見えないようにしている2人の人物へと向いている。まるで今にも飛びかかっていきそうなセトのその様子に、首を傾げつつも3人を注意深く観察する。
そんなレイの近くでは、突然そのランクAモンスターの本性とも言える凶暴性を露わにしたセトに、ムルトが半ば腰を抜かしそうになってハルバードを杖代わりにして何とか立っており、ブラッソとフロンの2人も緊張で顔を強張らせている。
まさに一触即発。誰かが動けば取り返しの出来ない事態になりかねない空気の中、面白そうな声を上げる男が1人。
「へぇ、グリフォンか。本物を見るのは初めてだね。……ねぇ、君が噂のレイ君だよね? もし良かったら僕にこのグリフォンを……」
「グルルルゥッ」
「……譲ってくれそうにはないね、うん」
言葉を放った瞬間に半ば殺気を込めて唸るセト。そんなセトにお手上げとばかりに男は肩を竦めて残念そうに首を振る。
(何だ? 何でこんなにセトはこいつらを警戒している? どこかで会った……訳はないか。もしセトが警戒を必要と判断するような相手なら幾ら何でも忘れる筈が無い。そうなると……)
セトはレイの言葉を理解出来るが、レイはセトの言葉を理解出来ない。いくら魔獣術で繋がっているとは言っても、それで分かるのは例えば『腹が減った』『眠い』『遊んで』といった大雑把な意志だけで、細かい所まではさすがに理解出来ない。それでもセトが警戒しているのだから危険な何かがあるというのは事実だとばかりに、セトを撫でていた頭から手を離してデスサイズをいつでも振るえるようにしながら口を開く。
「なあ、お前達……一体何者だ? セトがここまで警戒するような相手というのは普通じゃない」
「うーん、何者と言われてもね。僕達はボルンターさんの取引相手以外の何者でも無いよ?」
「……その割りには、大事な取引相手を見捨てようとしているようだが?」
「その辺はしょうがないさ。僕達が取引をしているのはアゾット商会であって、ボルンターさん個人じゃないしね」
(……僕『達』か。つまり背後に誰かいるのか? あるいはあのローブを被っている奴等を合わせて僕達なのか。それにボルンターの取引相手と言いながらも、次の瞬間には取引相手をアゾット商会だと言い切る辺り腹黒いと言うか何と言うか)
「ふざ……ふざけるなぁっ! 貴様、今まで目を掛けてきてやった恩を忘れおって! そもそも貴様等がこのギルムの街で仕事を請け負うようになったのも儂の……」
「ここでそれ以上言ってもいいの?」
何かを言おうとしたボルンターの言葉を遮るようにして男が呟く。そしてその言葉を聞き、反射的に息を呑むボルンター。
「へぇ、興味深いな。その辺ちょっと聞かせてくれると嬉しいんだが?」
ボルンターが本来であれば口に出してはいけないことを喋ったと思ったのだろう。フロンもまた興味深そうに男達へと視線を向けて尋ねる。
「悪いけど、さすがに守秘義務のようなものがあるんでね。第3者にそうほいほいと情報を与える訳にはいかないんだよ。……さて、そろそろいいかな? 悪いんだけど僕達も暇って訳じゃないんでね」
「まぁ、そう言うなよ。どうやらお前はボルンターの秘密について色々と知ってそうだしな。……特に、そこのテーブルの上に意味あり気に置いてある小瓶に関してとか、な」
レイの視線の先にあるのは、部屋の中にある応接セット。そしてそのテーブルの上に置かれたままになっている小瓶だった。
「っ!?」
ボルンターもレイの見ているものに気が付いたのだろう。慌ててその小瓶へと手を伸ばす。
そしてその行動こそが余計に怪しまれるというのに気が付いたのだろう。小瓶を握りしめてから忌々しそうにレイを睨みつけてくる。
「見ての通り、何か訳ありらしいしな。それに……」
ガラハトへと視線を向け、小さく頷くのを確認したレイは男へと視線を向けて持っていたデスサイズの柄を突き出す。
その速度はそれ程速いものでは無かった。あるいは、男が冒険者であったのなら特に何の問題も無く回避出来ていたかもしれない。そんな程度の一撃。だが不幸なことに男は冒険者では無く、その攻撃を回避することは出来ず胴体へとデスサイズの柄の先端が……
「っ!?」
突き刺さる寸前、ローブで身を包んでいた人影の片方、ミナスと呼ばれた方のローブの内側から何かが飛びだし、デスサイズの柄を受け止める。
……そう、ローブの内側から現れた紫色の触手が。
それを見て、レイはようやく何故セトが目の前の者達を警戒していたのかを理解した。何故ならその触手にレイはこれでもかと言わんばかりに見覚えがあったからだ。
紫の触手からデスサイズの柄を強引に引き剥がして呟く。
「……ベスティア帝国の手の者か」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます