第161話

 既に日付が変わり始めるその時間。貴族街の一画にあるボルンターの屋敷では、今まさに今回起こった騒動のクライマックスを迎えようとしている。

 応接室から、文字通りに庭まで吹き飛ばされたコルドとミナス。その2人と向かい会うようにレイとセトは対峙していた。


「……お前は……」


 その、対峙している2人を前に思わず声を上げるレイ。

 コルドにしろ、ミナスにしろ、さすがに壁を破壊する程の一撃を受けてはその身を覆っていたローブが無傷という訳にもいかず、所々が破れてその中身が見えていた。

 あるいは、レイの着ているようなドラゴンローブのようにマジックアイテムであれば話は違ったのだろうが、コルドとミナスのローブは本当にその身を人目に触れさせない為のただのローブだったのだ。

 何故そのようなローブが必要だったのかは、そのローブの中から現れた姿を見れば一目瞭然だった。

 コルドの方は顔の皮膚が甲殻類の、それも蟹か何かの殻のようなものになっている。その殻に覆われた顔の中で、目だけが蟹やエビといったものの目ではなく人間の目であり、それが余計に嫌悪感を抱かせる。そんなコルドに比べればミナスの方はまだ何とか人間に近いと言えるだろう。ただし、その顔はやはり異形ではあった。額から4本程の触覚のような物が生えており、その耳は30cm程にまでに巨大化している程度であったのだから。それでも、その外見はコルドと違って十分に人間の女の面影を残している。

 もちろん普通の人が夜にでもミナスと出会ってしまえば恐慌状態に陥る程度には人間離れしているのだが、それでも顔全体が甲殻類の殻に覆われているコルドと比べればマシだった。


「……モンスター? それとも亜人か? ……いや、そうか」


 2人の外見を見て微かに眉を顰めるレイだったが、やがて目の前にいる2人がどう言う存在なのかを予想する。


(ベスティア帝国が継承の儀式を簡易化させたとエレーナが言っていたな。つまりはこいつらがそれか?)


 内心で呟きながらコルドとミナスの様子を観察するレイ。

 継承の祭壇で正式に儀式を行ったエレーナに比べて、目の前にいる存在はどう見ても既に人間をやめているようにしか見えない。

 せいぜい人間とモンスターの合いの子といったところか。


「どうした? 我等の姿に恐怖したのか?」


 コルドが口を開き、感情の無い平坦な声で尋ねてくる。


(あそこまで人間を辞めていながら、人間の言葉は流暢に話せるとはな)


 内心でそんな風に思いつつも、握っていたデスサイズを振るい口元に笑みを浮かべる。


「まさか。ローブの中身が予想外に人間らしかったから驚いただけだよ」

「我等が人間らしい、と?」

「ああ。てっきりもっと化け物染みた顔をしているのかと思ってたからな」

「貴様、我等以外の魔獣兵を見たことでもあるのか?」


 戸惑ったように告げるコルドに、思わず内心で眉を顰めるレイ。


(魔獣兵というのが、簡易的な継承の儀式を受けた者達の名称だろう。だが今の言葉から考えると、その魔獣兵とやらはそれなりに人数が揃っていると見るべきか)


「さて、どうだろうな。例え俺がお前以外の魔獣兵とやらに会っていたとしても、それを聞いてどうする?」

「……何? それはどう言う意味だ?」

「少し鈍いな。それも魔獣兵になったのが原因か? ここで俺やセトに倒されるお前達がそれを聞いても意味が無いだろうと言ってるんだよ」

「心外ですね。魔獣兵である私達がただの人間である貴方に後れを取ると? 例えランクAモンスターのグリフォンがいようと、所詮はただのモンスターでしかありません。モンスターの力と人間の知恵。その2つを兼ね備えた私達魔獣兵の敵ではありません」


 レイの言葉に不愉快そうに言い返すミナスだったが、それでもやはり自分達よりも格上であるグリフォンに対しては警戒心を抱いているのだろう。セトが軽く身じろぎをする度に視線を向けて反応している。


「セト、ミナスの方は任せた。情報を引き出す為だったり、魔獣兵とやらの実物をラルクス辺境伯に引き渡したいから出来れば生かしたまま無力化してくれ。……ただし、あくまでも出来ればだ。もしお前の身に危険が及ぶようなら殺してしまって構わない。何しろ情報源という意味ではポストゲーラというこれ以上ない存在がいるしな」

「グルルルゥ」


 レイの言葉に小さく喉の奥で鳴いて了承するセト。そのやり取りをコルドは感情を浮かべずに一瞥し、ミナスは不愉快そうに眉を顰めている。


「どうやら魔獣兵という存在そのものを甘く見ているようですね。いいでしょう、その根拠のない自信を私とコルドが砕いて差し上げます」


 呟くや否や、着ていたローブを脱ぎ捨てるミナス。その下から出て来たのはまるでリザードマンのように身体の至る所を鱗で覆われた姿だ。その身体全てが鱗で覆われてはいるが、胸や腰の周辺はこちらも顔同様に女の面影を残していた。それだけに両肩から2本ずつ生えている紫色の触手が見ている者の生理的嫌悪感を刺激する。


「戦闘は不可避か。ならばしょうがない」


 コルドも呟き、ローブを脱ぎ捨てる。そこに現れたのは鱗に覆われてはいても未だに人間の形をしていたミナスとは違い、蟹と人間を混ぜ合わせたような姿だった。両腕は蟹やザリガニを思わせる強靱な鋏となっており、脇腹からはミナスの肩から生えているのと同様の紫色の触手が左右それぞれ3本ずつ生えている。下半身はイカやタコのように吸盤の付いた20本近い触手とも足とも言えるようなものが生えており、それぞれがウネウネと蠢いていた。

 その、予想を超えた異形の姿に思わず眉を顰めるレイ。

 レイ自身がその目で見た継承の儀式と言えばエレーナがエンシェントドラゴンの魔石を使って行ったものであり、その儀式を完全に無事とは言わないまでも終了したエレーナの姿は儀式を行う前と変わった様子が無かった。


(あの継承の儀式を簡略したとは言うが……こうして見る限りだと殆ど別物に近いな)


 内心で呟き、デスサイズを構えるレイ。その横では今にもミナスへと躍り掛かろうとしているセトの姿。


「生憎とこっちは明日色々と用事があってな。ここは手早く終わらせて貰うぞ」

「今日でその命を終えるのだ。明日の心配をする必要はないだろう」


 自分の方が格上だとばかりにレイの口から放たれた挑発の言葉に、相変わらず感情のない平坦な声を返してくるコルド。


「グルルルゥ」

「おいで、猫ちゃん。例えランクAモンスターだと言っても、所詮はモンスター。人の知恵とモンスターの能力。この2つを手に入れた私達魔獣兵を相手にするのは20年程早かったですね」


 戦意を込めて唸るセトに、鱗の生えた手で手招きをするミナス。

 そして……


「はぁっ!」


 まずは先制の一撃とばかりに、地を蹴りコルドとの距離を縮めてデスサイズを袈裟懸けに振り下ろすレイ。


「……」


 自分へと近づいて来たレイへと視線を向け、振り下ろされるデスサイズを目にした瞬間、下半身に生えている無数の足を動かして後退するコルド。だが……


「飛斬!」


 振り下ろした刃を返す一撃で飛斬のスキルを発動し、飛ばされる斬撃。その一撃にはさすがに驚き一瞬動きを止め、その結果回避は不可能と判断して両手の鋏を前へと突き出す。

 ギンッ!

 甲羅ではなく、金属音にしか思えないような音が周囲へと響き……


「残念だったな」


 平坦な声で呟きながらコルドは飛んできた斬撃を防いだ両手の構えを解く。


「なるほど、どうやらその鋏はかなり頑丈らしい。だが、飛斬で無理ならまだやりようは幾らでもある。むしろ魔獣兵とか言ったか? お前達のような奴等を相手にする為の訓練としては丁度いい相手だよ」

「……己の過信は身を滅ぼすぞ。いや、どうせここで尽きる命だ。好きに使うがいい」


(ヴェルの時は、あの紫の触手が攻撃を防いでいた。見た感じだとあの時の触手と同じように見えるが……まぁ、マジックアイテムか何かのように手で持っていたのと身体から直接生えている違いはあるが……飛斬を防がなかった、いや防げなかった? となると……)


「ふっ!」


 ミスティリングから取り出したナイフを投擲し、その後を追うようにして再びコルドとの距離を縮めるレイ。


「無意味なことを」


 呟き、脇腹から生えている触手を使い自らの胴体へと向かって来たナイフを弾く。だがそこまではレイの予想通りの行動だった。そして予想通りである以上は次の行動も既に終えていた。


「飛斬!」


 ナイフが弾かれた瞬間を狙い、再び振り下ろされるデスサイズ。そしてそこから斬撃が飛ばされ……

 斬っ!

 ナイフを弾いたばかりだった触手は、レイが放った飛斬を防ぐことは出来ずにコルドの左脇腹から生えている触手は3本が纏めて斬り飛ばされる。


「ついでだ、これも食らえ!」


 その言葉と共に振るわれるデスサイズ。その動作を見たコルドは、触手を斬り飛ばされた痛みに顔を歪めながらもほんの微かにではあるが唇を歪める。何しろ自分の腕を覆っている甲殻は頑丈極まりないのだ。これまでの戦闘の経験上、剣や槍、あるいは弓。果てには斧やハンマーの類を食らっても傷一つ付けられないどころか、中には武器の方が破壊されたことも多々あったのだから。


(このレイとか言うのが持っているのはマジックアイテムであるのは間違いない。そうなると武器を破壊することは出来ないだろう。だが、俺の殻が破壊されるというのもまず無い筈)


 そう判断したコルドだったのだが、レイの狙いは最初から見るからに頑丈な殻に覆われている上半身ではなかった。

 それに気が付いた時には既に遅かった。振りかぶられたはずのデスサイズはコルドの視界から消え去り、次の瞬間には下半身から生えている触手のうち半分近い10本程を切断されていたのだ。


「っ!?」


 下半身の触手のうち、大部分を失った。本能的にそう悟ったコルドは残った触手を使い大きく地を蹴って後方へと退避する。


(馬鹿な。下半身の触手をこうも簡単に)


 これまで魔獣兵として幾度となく戦ってきた経験はあっても、下半身の触手をここまで一度に切断された覚えはなかった。

 もちろんこれまでの戦闘で自分の殻に歯が立たないと知った者は、一見柔らかそうに見える下半身の触手を狙ってくる者もそれなりにいた。しかし見た目は確かにあっさりと切断出来そうな触手だが、分泌されている保護粘液とでも呼ぶべき液体に守られている為に並の刃物ではその切断力を発揮出来ない筈なのだ。それなのにこうもあっさりと触手の半分近くを切断されるとはコルドにとっても予想外の展開だった。


「魔力を通していないデスサイズの刃で切断出来るとは、どうやらそっちの触手は上半身の触手よりも防御力に秀でているって訳じゃないらしいな」


 デスサイズを鋭く振り、刃に付いている粘着力の高そうな液体を地面へと弾きながら呟くレイ。


「……」


 その言葉は、コルドにとってはまさに死の宣告にも等しい言葉だった。何故なら自分と敵対しているレイの攻撃力は今よりも更に上がるということを意味しているのだから。


「さて、殻の固さは確認した。胴体の方と下半身の触手についても大体分かった。……まだ何か攻撃手段があるか? もし無いならそろそろこの戦いを終わらせたいんだがな」

「……魔獣兵という存在を舐めて貰っては困るな」


 レイの言葉にそう返すと、次に目を見開くのはコルドではなくレイの番になる。何しろつい今し方斬り捨てた筈の触手の傷口から、肉が盛り上がるかのように伸びて10秒程で新たな触手が生えてきたのだ。


「なるほど。再生能力持ちか」


 呟きつつ、内心で眉を顰めるレイ。


(蟹のような甲殻類。脇腹からは3本ずつの触手。そして下半身はイカやタコの足ような触手。……どんなモンスターの魔石で継承の儀式を行ったんだ? 俺が知る限りはこんな特徴を持っているモンスターは存在しない。となると、単純に俺が知らないモンスターの魔石を使ったか……あるいは)


 デスサイズを構えつつコルドを観察するレイ。


(脇腹から生えている紫の触手に関しては、ヴェルが似たようなマジックアイテムを使っていたことを考えると、恐らくは後付けで埋め込まれたとかそんな所だろう。そうなると蟹のような甲殻類とイカやタコのような触手。共通点と言えば海の生物という所だが。……まぁ、いい。その辺を詳しく調べるのは俺じゃなくてラルクス辺境伯の部下の役目だろう)


「確かにその再生能力は驚いたが、再生するのはその下半身の触手だけ。……違うか?」


 その問いかけはある種のブラフだった。ただし完全に当てずっぽうかと言えばそうでもない。何しろ下半身の触手と上半身の甲殻ではあからさまに別物に見えたのだから。単純にそれだけを考えての問いだったが、コルドはほんの少しだけ表情をピクリと動かす。そしてそれだけでレイにとっては十分な答えだった。


「どうやら正解のようだな。ならどうとでもやりようはある!」


 鋭く吐き捨て、レイは地を蹴ってコルドとの距離を縮める。

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