第140話
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
その男は、暗闇に包まれ始めた街の中を必死に走っていた。身動きを阻害しないようにモンスターの皮で出来たレザーアーマーに、その手には鉄で出来たハルバードが握られている。だがそんな冒険者らしい勇ましい装備とは裏腹に、レザーアーマーに覆われていない部分には幾つもの切り傷が付けられており、その傷からは血が流れ落ちている。本来であればそれ程深くない傷で安静にしていれば問題が無かったのだろうが……街中を走っている男はそれどころではなく、傷口を治療もしないままに激しい運動をしている影響で傷口からは血が流れ続けていた。
「ボルンターのクソ野郎がっ! 幾ら何でもここまでやるか!?」
自分の尊敬する冒険者である、ランクB冒険者のガラハト。重傷を負ったガラハトに頼まれ、ムルトはその指示に従って行動をしていた。即ち……ガラハトの異母兄弟でもあるボルンターを守る為に、だ。
だが、その『守る』という行為はボルンターの権威失墜にも繋がる行動であった為、それに気が付いたボルンターが送り込んで来た私兵に襲われて身体中に怪我をしながら暗くなった街中を走り回っているのだった。
暗くなったとは言ってもギルムの街中であるのに変わりはない。昼間程ではないにしろ、道には幾人かの人影もある。だが、ムルトはそんな通行人に助けを求めるでもなく、一心不乱に目的の場所へと向かって駆け続けていた。自分を追っているのは所詮ボルンターの私兵。冒険者ランクにして最も高い者でもCランクがいいところだろう。それでも人数が人数であり、同時にガラハトからなるべく表沙汰にしないようにして欲しいという頼みもあって、助けを求めずに目的の場所へと向かっていたのだ。
自分が懇意にしている冒険者仲間から聞かされた情報。今回の騒動の引き金ともなった人物の下へと。
本来であればその人物からボルンターを守る為に行動をしているというのに、その人物へと助けを求めるというのは矛盾した行動だった。実際ガラハトからはその人物、レイへと関わるなと念押しをされているのだ。だが、それでも……
(ガラハトさんを守る為には、奴の力を借りるしかないっ! ……すまない、ガラハトさん。ガラハトさんが一番なって欲しくない展開になるかもしれない。けど、ガラハトさんが死んでボルンターの奴が生き残るなんて真似、俺は絶対に納得出来ない!)
内心で呟きながら街中を走っているムルトだったが、空を斬り裂くような飛翔音を耳にして、咄嗟に斜め前へと歩を進める。次の瞬間にはムルトが一瞬前までいた空間を何かが貫き、地面へと突き刺さる。
「くそっ、弓使いまで投入して来やがって……街中で正気か!?」
地面へと突き刺さった矢に一瞬だけ視線を向け、忌々しそうに吐き捨てて再び走り出す。
その後を追うかのように数本の矢が再度襲ってくるが、レザーアーマーという軽装備のおかげでその殆どを回避することに成功する。……そう、殆ど、だ。
「ぐっ!」
レザーアーマーを貫いて左肩に突き刺さった矢を抜く時間も惜しいと、唾を地面に吐き捨てて再び走り出す。
ここが表通りであれば夜になったにも関わらずそれなりに人通りがいるので、敵も弓矢を使ってくることはなかっただろう。だが、現在ムルトがいるのはいわゆる裏通りであり、日中でも滅多に人通りの無い所だ。先程から数人程とすれ違ってはいるが、その殆どがムルトが怪我をしており面倒事の真っ直中にいると見るやそそくさと離れていく。それを非難するつもりはない。自分だってもし似たような立場になれば同じような行動を取るのだろうから。しかし……
「くそっ、もう少しだってのに……」
ムルトの進行方向。夜の闇に包まれた裏道を塞ぐようにして2人の人影が姿を現す。1人が剣、1人が斧を持ったその人影はどう考えてもムルトを待ち構えていた。
「ちっ、こうなると矢で射られたのが左肩でまだ良かったってことなんだろうな!」
吐き捨て、右手で持っているハルバードを構えながら道を塞いでいる人影のと距離を縮めていく。
ハルバードは右手で持ち、左手はその動きを補佐するようにして使うムルトだからこそ矢で左肩を射られてもそれを苦にせずに済んだのだ。そして……
「どけよクソどもがぁっ!」
間合いに入るや否や、大きく振るわれたハルバード。その、斧と槍を融合させたような武器の利点である武器の間合い。それを活かしての大振りの一撃。それも、現在ムルトがいるのは表通りに比べると道幅の狭い裏通りなのだ。その道幅一杯に振るわれた一撃をそうそう回避出来る筈も無く……
「うわぁっ!」
「ちぃっ!」
剣を持っている冒険者はハルバードの一撃で刀身の半ばで破壊され、その勢いのままに剣自体を弾き飛ばされる。その一撃で威力の弱まったハルバードに、もう1人の冒険者が自らの持っていた斧を叩き付けて何とか受け止めた。
ハルバードと斧。その2つがぶつかりあって夜の闇に火花を散らす。
「うおりゃぁっ!」
だがムルトはハルバードの一撃に拘らず、斧とぶつかり合ったその瞬間己の武器でもあるハルバードから手を離して斧を持っていた冒険者へと全力を込めた体当たりを食らわせる。
「がっ!」
「ぐぉっ!」
その一撃に悲鳴を上げながら吹き飛ぶ斧の男。その吹き飛んだ先には剣を持っていた男がおり、ぶつかった衝撃で2人諸共に地面へと崩れ落ちた。ムルトはそんな2人に一瞬だけ視線を向け、気を失って動かないのを確認してから地面へと転がっていたハルバードを拾い上げ、再び走り出す。
ヒュッ!
そしてムルトが走り出すと再び聞こえる夜の空気を斬り裂く音。
「ちっ、ボルンターに雇われているにしては随分と仲間思いなことだ!」
狭い通りを、それでも不規則に動いて狙いを付けられないように走っていくムルト。
夜の、しかも数人が固まっていた為に弓での援護を控えていたのだろうが、誤射の危険性がなくなった為に遠慮無く再び矢を放ってくるようになったのだろう。
(クソッ、奴がいるのはもう少しだってのに……このままじゃ、追っ手の連中も一緒に連れていってしまう)
苛立たしそうに内心で呟き、ふと思いつく。
(そもそも奴の強さを考えればこの追っ手くらいは問題無い筈だよな。むしろ戦力的には助かるんだし。となると……)
ある意味では追っ手を押しつけるということなのだが、ムルトは自分の現状を考えるとそれも仕方が無いとばかりに考え直して裏道を走っていく。そして目標の建物が見え……
「そこまでだ!」
これ以上は行かせられないとばかりに、屋根を蹴って3つの人影が飛び降りてくる。
「ちっ、盗賊か!?」
「当たりだ。この裏道は確かに複雑に入り組んでいるし、逃げ回るのには最適だろう。……俺達みたいなのがいなければだがな」
短剣と長剣、中には短槍を構えている者もいる。その身の軽さや佇まいでムルトには目の前にいる者達全員が盗賊であるのを理解する。
ただでさえなる者の少ない盗賊という職業。それなのに、3人もの盗賊を配下にしているというのはさすがにギルムの街の武器取引を仕切っているアゾット商会ならではなのだろう。
盗賊達が口元に笑みを浮かべているのをみれば分かるように、本来であればムルトはこの時点で詰みだった。
……そう。本来であれば、だ。
盗賊達の誤算はたった1つ。だが、そのたった1つの誤算が限りなく大きな誤算だったのだ。それは……
「グルルルルゥ」
唸り声を上げつつ、ノソリと姿を現したモンスター。獅子の下半身に鷲の上半身を持つモンスター。本来であれば辺境であるギルムの街でもまず見ることが出来ないモンスター。それは即ち……
「グ、グリフォン!?」
盗賊達のうち、短剣を構えていた者が悲鳴のような叫びを上げつつ短剣を投擲する。そう、考えられる中でも最悪の存在に出会ったことにより半ばパニックになって殆ど反射的に持っていた短剣を投げ付けたのだ。
反射的に投擲された一撃であるが故に、その動作は訓練で身につけられたものがそのまま出た。闇夜を斬り裂くかのように放たれたその短剣は刀身を黒く染められており、まさに夜に使うにはこれ以上ない代物だった。
「グルゥッ!」
しかしそれはあくまでも人間を相手にしてのこと。ランクAモンスターであるセトにとっては、鉤爪を横薙ぎに振るえばそれだけで弾ける程度の一撃だった。
「ちっ、グリフォンだと!? つまりこの近辺に奴が……レイとかいう冒険者がいるってことか。皆、気を付けろ!」
リーダー格なのだろう。長剣を持った盗賊の声に、短槍を持った盗賊が表情を引き締める。短剣を持っていた盗賊もその声を聞いて何とか混乱から抜け出し、懐から新たな漆黒の短剣を取り出す。
じゃりっと音を立てつつ、姿を現す新たな人影。ムルトを挟むように盗賊達とは反対側に現れたその人影は背に矢筒を、手には弓を持っていた。先程からムルトを狙い続けていた狙撃手だ。
「ちっ、挟まれたか」
吐き捨てながらも、ムルトの目は決して絶望には染まっていない。何故なら盗賊達の背後にはグリフォンのセトが姿を現し、自分へと攻撃を仕掛けてきた者達へと敵意を込めた声で唸りながら戦闘態勢を整えているのだ。そして何よりセトの直ぐ近くにあるムルトが目指していた建物、パミドールという鍛冶師の工房までは後ほんの少しなのだから。
(問題は……あの、セトとか呼ばれていたグリフォンが俺を敵と認識しているかどうかだな。一応俺とは顔を合わせたことがあるんだし、覚えてるよな? いや絶対に覚えているはずだ。……多分覚えているはずだ。覚えてると、いいなぁ……)
一瞬だけ心で弱音を吐いたムルトだったが、セトの姿を見ていると次第に自分の中に生まれていた焦燥感が消えて行くのを感じ取る。
そう。何の根拠も無いのにきっと大丈夫だと。そう思い込んでしまったのだ。
果たしてそれは追い詰められたが故の思い込みだったのか、あるいは何らかの理由で自分は確実にここを切り抜けられると確信した為だったのか……それは分からない。だがしかし、ムルトはそれを根拠にして1歩を踏み出した。
1歩、2歩、3歩……ゆっくりと、助走のように踏み出された足はやがてスピードに乗り、徒歩から早歩きに、早歩きが疾走へと変わる。
「ちっ、奴を行かせるな!」
盗賊のリーダー格の男の声に従い、ムルトの背後にいた男が弓矢を構えて狙いを定めるが……
「その程度のことを考えてないとでも思ったのかよ!」
弓を引く、キリキリキリという音で自分が狙われているのに気が付いたムルトが、わざと盗賊達の男の方へと進路を変更する。そう、もし背後から放たれた矢がムルトに命中しなかった場合は盗賊達に放たれるように。
ここで一流の、それこそランクBやランクAの冒険者であるのならば躊躇せずに矢を放っていただろう。それだけの実力がなければAやBといった高ランク冒険者にはならないのだから。逆に言えば、それ程の高ランクの冒険者でなければ狙いを外すという可能性も考えなければいけない。
そして、アゾット商会に雇われている最高ランクの冒険者がムルトが兄貴分として慕っているガラハトであり、唯一のランクB冒険者なのだ。
(さっき俺が他の冒険者達と戦っている時にもこいつは同士討ちを恐れて矢を放たなかった。つまり……)
そんな、冒険者としての矜持や善意、良識といった不確かなものに賭けたムルトだったが、この場合はそれが見事に嵌った。予想通りに背後からの矢は飛んでこなかったのだ。
その事に盗賊のリーダー格の男も気が付いたのだろう。自分達に向かって来るムルトに向かって長剣を構え……次の瞬間、何の前兆もなく真横へと吹き飛ぶ。
「ぐがっ!」
グシャリ、と言うまるで生肉を壁へと思い切り叩き付けたかのような音が周囲へと響き渡り、その音を立てたリーダー格の男は一声呻いてそのまま意識を失う。それはある意味では幸いなことだっただろう。何しろ壁へとぶつかった衝撃で右腕の骨が折れ、腰の骨、肋骨といった骨も同様に折れていたのだから。もしその状態で意識があったとしたら地獄の苦しみを味わっていた筈だ。
「グルルルルゥ」
そしてそれを為したのは、当然この場にいる中でも最強の存在でもあるグリフォンのセトだった。
男を横へと吹き飛ばした一撃を放ち、いつもは円らなと表現するのが相応しい瞳に鋭く戦意を滾らせて周囲へと視線を向ける。
(よしっ、あの隙間を潜り抜ければ!)
セトの方へと走っていたムルトは、長剣の男が吹き飛ばされたことにより出来た隙間を通り抜けるべくより足に力を込める。
長剣の男が存在していた場所を走り抜けるということは、即ちセトのすぐ側を走り抜けるということになるのだが……既にムルトの心は決まっていた。
「セトォッ、後は任せたぁっ!」
盗賊達の間へと突っ込みながらそう叫び、そのままセトの横を通り過ぎ……果たしてムルトのことを覚えていたセトは、特に何をするでもなくそのまま見逃し、盗賊や弓使いの男へとその鋭い視線を向けて牽制するのみだった。
ムルトはその様子に内心で喝采しながら……目的地である工房へと飛び込んでいく。
「レイッ、ここにいるのか!?」
そう叫び声を上げながら。
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