第141話

「レイッ、ここにいるのか!?」


 そう叫びながら飛び込んできた男を見て、レイは何かを思い出すように一瞬だけ考え……すぐに目の前にいるのが誰なのかを理解した。

 少し前まで対処をどうするか悩んでいたアゾット商会とボルンター。そこに雇われている冒険者の1人であるムルトだと。


「ああ、ここにいるが。何の騒ぎだ?」


 身体の数ヶ所から血を流し、一瞬だけ見えた左肩には背後から矢が刺さっている。とても平和な筈の街中での姿とは思えず、右手に持った短剣を素早く投擲しながらムルトへと尋ねる。


「うわぁっ!」


 自分の方へと目掛けて飛んできた短剣。それも弓で放たれた矢よりも素早いその一撃に思わず悲鳴を上げて固まったムルトだったが、レイから放たれた短剣はムルトの顔の横を通り過ぎ……


「ぐっ!」


 今にもその後頭部へと短剣を突き立てようとしていた男の右肩へと突き刺さり、レイによって放たれた人外じみた膂力の一撃によりそのまま背後へと吹き飛んでいく。


「物騒な客を随分と連れているようだが」

「え? あ、ああ。いや……」


 自分が危機一髪であったと理解したのだろう。息を呑みながらも急いで工房の中へと入ってくるムルト。


「ったく、依頼から戻って来て早々に厄介事に巻き込まれるとはな。おい、小僧。ちょっとこっちに来い!」


 フロンがムルトを工房の中へと引っ張り込み、その口へと近くにあった布切れを噛ませる。


「もがっ!」


 突然のその行為に何をすると言わんばかりに呻くムルトだったが、フロンはそんなのには構わずレザーアーマーを強引に脱がせ、その下に着ている服も破いてムルトの左肩に刺さっていた矢へと手を伸ばす。


「肩からこんな矢を生やしたままじゃ邪魔でしょうがないだろ。ちょっと痛いかもしれないが、我慢しろ……よ!」


 布切れでムルトが碌に喋れないのをいいことに、無造作に肩から生えている矢へと手を伸ばし……一息に引き抜く!


「ぐっ、ぐもがぁっっ!」


 あまりと言えばあまりのその行為に口に詰め込まれた布切れを思い切り噛み締めるムルトだったが、フロンは慣れた様子で抜いた矢の鏃を確認。


「ふむ、取りあえず毒矢とかそう言うのじゃないな。運が良かったと言うべきか、はたまた向こうが本気の殺意を持っていなかったのか。まぁ、いい。パミドール、ここも鍛冶工房なんだから怪我をした時の為にポーションの1つや2つはあるだろ。ちょっと貸してくれ」

「……まぁ、こいつには事情を聞かないといけないからな。しょうがないか。……ほれ、貸したんだからきちんと返せよ。それなりに高価なポーションなんだからな」

「料金の請求は俺じゃなくてこの小僧にしてくれ」


 鏃を強引に引き抜くという、手荒いとしか言いようがない方法で矢を引き抜かれて痛みに呻いているムルトへと視線を向け、ポーションの入っている瓶を傾けてその液体を左肩の傷口へとかける。


「ぐっ……ふぅ、ふぅ、ふぅ……」


 ポーションによる治療で傷の痛みも大分治まってきたのか――その痛みの大半は強引に鏃を抜いたフロンのせいだったが――やがて呼吸が楽になっていくムルト。その様子を見ながら、レイは工房から表へと出て周囲を見回す。

 まず最初に目に入ってきたのは盗賊らしき男達2人が地面へと崩れ落ちている場面だった。そして最後の1人、短槍を持っていた盗賊もまたセトが振るった前足の一撃により吹き飛んで壁にぶつかり、そのまま気を失う。

 そして残っているのはセトとは離れた場所から弓矢を構えている男が1人に……


「出てこいよ、そこに隠れているのは丸わかりだぞ」


 チラリ、と工房の近くにある建物の陰へと視線を向けながら告げるレイ。

 だがその陰から誰かが出て来るような気配は無い。

 建物の影の方へと視線を向けながら暫く待っていたレイだったが、30秒程待っても誰も出て来る気配がないのを見ると、溜息を吐きながらつい先程投げた短剣により右肩を貫かれて壁へとぶつかって気を失っていた男へと近寄る。


「悪いな、恨むならお前を見捨てた仲間を恨め」


 気を失っている男へと声を掛け、右肩に根本まで埋まっている短剣を無造作に引き抜く。

 ビクンッ、気絶をしていても痛みを感じたのか1度だけ激しく痙攣する男。

 そのまま短剣へと視線を向け……次いで、男の握っている長剣へと視線を向ける。

 至って普通の、鉄で出来た安物の長剣だ。それでもハーピーの件で鉄鉱石の値段が上がっている今はそれなりに高価だと言えるのだろうが、レイはそんなことには構わずにその長剣を取り上げ……


「ふっ!」


 剣の柄を持ち、そのまま建物の影へと向かって投擲する。

 本来槍とは違い、剣というのはあくまでも振るうのが主体の武器だ。それはつまり、投擲するにしても剣自体の重心により空中で回転しながら飛んで行くのが普通なのだが……レイの場合は投げる時に剣の刀身が一直線になったタイミングで剣の柄から手を離すという風に投擲した為に、剣は回転することが無いまま一直線に空気を斬り裂きながら飛んで行く。


「ちぃっ!」


 舌打ちと共に現れたのは、槍を持った男と棍棒を持った男の2人だった。夜の闇に潜む為と身軽さを重視している為だろう、金属の鎧ではなく音の出にくい厚手の服を着ている。そして念には念をと言うことなのか、その服は黒く染められていた。


「……へぇ、その服から見て夜の戦闘に特化してる訳か。さしずめアゾット商会の暗殺部隊とかそう言った代物か? まぁ、そこまで大袈裟に言える程の実力は無いようだがな」


 挑発の意味も込めて嘲笑をしながらそう告げるレイだったが……さすがにアゾット商会の裏の人材と言うべきなのだろう。レイの隙を窺うようにそれぞれが自分の武器を構える。


「どうした? お前達の標的はこの工房の中だ。そしてこの工房の中に入る為には俺を倒さないといけない。……来いよ?」


 クイクイっと指を曲げて挑発するレイだったが、2人は特に何を言うでもなく武器を構えていた。そして……


「退くぞ」


 短く呟くと、そのまま脱兎の如く再び建物の影へと向かい姿を消す。

 入り組んでいる裏路地を知り尽くしているのだろう。殆ど速度を緩めもせずに夜の闇へと消えていくのだった。

 そしてふと気が付けば、セトに睨み据えられて動きを取れずにいた弓使いの姿も既に無い。セトの視線がレイへと向けた瞬間にこちらも脱兎の如く逃げ去ったのだ。


「グルルゥ?」


 どうしたの、とばかりに鳴いてくるセトの頭を撫で、何でも無いと首を振る。


(まぁ、これでムルトが俺と接触したのはボルンターに伝わる筈だ。そうなれば奴としても迂闊な動きは出来ないだろう。……それに)


 脳裏を過ぎるのは、領主の館でのダスカーとの会話。今回の件をいい機会とばかりに、ダスカーはギルムの街の病巣とも言える存在であるボルンターを切り捨てる算段をしていたのだ。即断即決。武断的な性格のダスカーならではの判断だと言える。

 もちろんそうするのにはボルンターが死んだとしてもアゾット商会の跡を継ぐ存在がいるから混乱が長引かないという判断もあるのだろう。このギルムの街が混乱するということは、即ち冒険者達も否応なくそれに巻き込まれることになり、同時にそれは何の罪もない街の住民達の危機にも繋がるということなのだから。

 あるいはこの地が辺境でなければそれを良しとした可能性もあるが、ここは辺境。常にモンスターの脅威が隣に存在している場所なのだ。


「ま、その辺は俺みたいな一介の冒険者じゃなくてお偉い貴族様が考えることなんだろうけどな」

「グルゥ?」


 最後に軽くセトの頭を撫で、再び工房へと戻るレイ。

 その背を見送り、セトもまた邪魔にならない場所で寝転がるのだった。






「お客さんはどうした?」


 工房の中へと入ると、フロンに声を掛けられ軽く首を振るレイ。


「実力差を感じたんだろうな。何も言わずに退いたよ。強さ自体はそれ程じゃなかったが、相手との力量差を感じ取れる能力はあったらしい」

「そうか。で、結局詳しい話はこいつに聞かないといけない訳だが……」


 ここまで走り通りしで至る場所に傷を受け、そして左肩には矢が突き刺さっていたムルト。矢を引き抜かれてポーションを掛けられ、ついでとばかりに身体についていた傷も粗方ポーションで治療されてその疲れが出たのだろう。今では気を失うかのようにして眠っていた。


「この様だ。どうする? 叩き起こすか?」

「あー……そうだな、どうするか」


 ボルンターとの交渉の時に腰を抜かしていたムルトが、それでも尚レイの下へと来たのだ。細かい理由までは分からないが、それでもボルンターの関係であるのは一目瞭然だった。本来ならここで叩き起こして事情を洗いざらい聞き出したい。だが……

 チラリとレイの視線が工房の奥へと向けられる。クミトが避難している鍛冶場だ。もしここで話を聞いた場合は、まず間違い無くパミドールやクミトを巻き込んでしまうのだ。それを思うと、そう易々とここでムルトから事情を聞くわけにもいかなかった。

 そんなレイの葛藤を感じ取ったのだろう。ブラッソは小さく溜息を吐くと気絶しているムルトをひょいっとばかりに持ち上げる。

 気を失っている大の男を軽々と持ち上げるその力は、さすがにドワーフ族とレイに妙な感心を抱かせる。


「さて。取りあえずここにいてはパミドール達に迷惑になるじゃろうし、事情を聞くのは別の場所の方がいいじゃろうて」

「そうだな……って、ちょっと待て。今回の揉め事は確かに俺が関わっているのは間違い無いだろうが、お前達がわざわざ関わる必要はないだろう。絶対に面倒なことになるんだぞ?」


 だが、そんなレイの言葉にブラッソはムルトを抱えたまま小さく首を振り、フロンは肩を竦める。


「確かに俺達には関わりが無いんだろうさ。だが領主の館で大方の話は聞いてるし、何よりも生死を共にした戦友を見捨てるなんて真似をするのは格好悪いだろう?」

「そうじゃな。それにもちろん打算もある。儂等とお主が協力してハーピー退治の依頼を受けたのは、ギルドに少しでも伝手があれば知るのはそう難しくはない。例えばこの街の武器の取引を仕切っている商会だとかな。そうすれば儂等が臨時とは言っても同じパーティだったというのはすぐに判明するじゃろう」


 後は分かるな? と言わんばかりに視線を向けてくるブラッソ。


(なるほど。人質の類にされる可能性もあると言う訳か。……まぁ、襲ってきた相手の力量を考えるとこの2人が後れを取るとは思えないが、それでも万が一がある。それなら一緒に行動した方が安全って訳か)


「分かった。なら付き合って貰おうか」

「うむ。それにな……」


 何かを言いかけたブラッソが、作業机の上に置かれたままの火炎鉱石へと視線を向ける。


「これの件がアゾット商会に知られたらどうなるか……予想はつくじゃろう?」

「……まあな」


 溜息を吐きながら火炎鉱石へと触れ、ミスティリングへと収納するレイ。

 ただでさえマジックアイテムやセトを狙って無茶を言ってくるような相手なのだ。レイが火炎鉱石を生成したというのを知ったら、それこそ金になる木を手に入れるべくどんな手段を使っても身柄を確保しようとしてくるだろう。


「悪いな、パミドール。騒がしくして」

「けっ、気にしてねぇよ。騒ぎが収まったらまた来いや。そん時はお前の剣もしっかりと手入れしてやるからよ」


 ぶっきらぼうに言葉を返すパミドール。パミドール個人としては、自分とそれなりに親しいブラッソとフロンの2人を助けてやりたいとは思うのだが、何しろ自分には家族がいる。

 チラリと鍛冶場の奥へと目を向けると、そこにいるのは自分の血を引いているとは思えない程に愛らしい顔をしている息子だ。そして家へと戻ればこんな自分を愛してくれた妻がいる。そんな2人を巻き込んで、このギルムの街の権力者が起こしている騒動に巻き込まれる訳にはいかなかったのだ。


(情けねぇ。5年……いや、10年前なら俺もこいつらと一緒に暴れ回っただろうにな)


 内心で吐き捨て、保身を最初に考えた自分に対して苛立ちを覚える。

 そんなパミドールの内心に気が付いたのか。ムルトを抱え上げているブラッソが笑みを浮かべながら小さく首を振った。


「気にする必要はない。何しろお主には守るべき家族がおるのじゃからな。そっちを守るのを最優先にして当然じゃ」

「そうそう、何しろパミドールみたいな強面に嫁いできてくれた嫁さんなんだろ? そんな珍しい趣味を持った女はそうそういるもんじゃないからな」


 フロンもまた、ブラッソの言葉に同意するように頷く。

 2人の気持ちを悟ったのだろう。一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした後に、すぐにその表情を笑顔へと変えるパミドール。……ただし、一般人が見たら獲物を前に獰猛に笑っている肉食獣のような笑みにしか見えない凶悪なものだったのだが。

 だが、そんな笑みを見慣れているブラッソとフロンは平然と頷き、レイもまた特に気にした様子も無く小さく頷く。


「さて、じゃあ儂等はそろそろ行くとするよ。今回の件が片付いたらまた寄るから、その時には武器の手入れを頼むとするかのう」

「任せとけ。面倒事はさっさと終わらせてから来るんだな」

「……クミトによろしくな」

「お前のことも姉ちゃんって慕ってるんだから気を付けろよ」

「短剣の手入れ、助かった」

「おう、またいつでも手入れしてやるよ」


 そうやって言葉を交わし、3人と意識を失っている1人は工房を出て行くのだった。

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