第107話
宿の裏で話していたレイとエレーナだったが、唐突にその口から『人工生命体』という言葉が出た為に思わずレイは驚きの表情を浮かべる。
「……どこで聞いた?」
エレーナの白魚の如き手に握られていた自分の手をゆっくりと離す。
その顔に浮かんでいるのは既に驚愕ではなく、エレーナの存在を見極めようとする目だ。
だが、そんな視線を向けられつつもエレーナは特に動じた様子も無く首を振る。
「安心しろ。別にその件でどうこうするつもりはない。……それに、私の体内には『戒めの種』が埋め込まれているのだ。レイの不利になるような情報を他人に喋ることが出来ないというのはお前が一番良く理解しているだろう?」
エレーナの口から放たれた『戒めの種』という言葉に、寝ぼけていた頭がようやく働いてきたのかその表情を緩めて口を開く。
「グリムと初めて会ったあの時か」
「そうだ。レイとセト以外の者はグリム殿の魔法によって時間を止められていたが、不幸中の幸いと言うべきか私は動きは止められていたものの意識は普段通りだったからな。そのおかげであの時の話を聞くことが出来た訳だ。恐らく私が持っていたエンシェントドラゴンの魔石があのグリム殿の魔法の効果に抗ってくれたのだと思うが」
「……そうか」
エレーナの説明に頷き、溜息を吐きながらセトへと寄り掛かる。
本来であれば口封じをするなりなんなりをしないといけないのだが、既に『戒めの種』という口封じの処理が終わっているのだ。それ故にレイとしてはこれ以上何かをする必要はないという判断だった。
「……で、それを知ったエレーナとしてはどうするんだ?」
「別にどうもしないさ。ただ……そうだな、良ければレイの世界のことを話してくれると嬉しいとは思うが」
何でも無いかのように話し掛けてくるエレーナのその態度に、意表を突かれたのか驚きの表情を浮かべるレイ。
「そんなことでいいのか? もっとこう、例えばさっきのパワー・アクスを無料で寄こせとか、他のマジックアイテムを寄こせとか」
「……レイ、あまり私を見くびって貰っては困るぞ。他人の弱みに付け込んでその人物の所有物を強請るように見えるのか?」
眉を顰めて軽く睨みつけてくるエレーナのその迫力に、思わず後退ろうとするレイ。だがセトに寄り掛かっている以上はそんなことも出来ずに、結局はその場で大人しくエレーナに睨みつけられるままになる。
そして数秒程エレーナに睨みつけられ、降参したとばかりに両手を上げて口を開く。
「悪かった。確かに今のは俺の言い過ぎだった。エレーナを侮辱するつもりはない。許して欲しい」
「ふん、私としてはレイにそういう風に思われていたというのが心外だったがな。……まぁ、いい。それにしてもレイが言っていた魔法使いの弟子という経歴は真っ赤な嘘だったのだな」
「そうなるな。だがまさか、異世界から魂の状態で引っ張ってこられて人工生命体として創られた肉体に宿されて蘇った……なんて話をしても信じられないだろう?」
まず無理だろう、と皮肉気に笑みを浮かべながら告げるレイにエレーナもまた小さく頷く。
「だろうな。私にしても、あの時にレイとグリム殿の話を聞いていなければとても信じられなかっただろうしな。それも、そのレイの魂を救ってこの世界に送ったのが魔人と呼ばれるゼパイルだというのであれば尚更だ」
「俺にしてもゼパイルが死んでから数千年も経っている世界だとはさすがに思わなかったよ。ゼパイルの知識を受け継いだりしたものの、その数千年の間で使い物にならなくなっている知識も多いしな」
ソファ代わりに寄り掛かっているセトの背を撫でながら呟くレイ。
「それはそうだろう。数千年もあれば変わらないことの方が少ないさ。……ちなみに、魔法使いの弟子というのが嘘である以上はレイが身につけているマジックアイテムはもしかして……」
恐る恐るといった具合で問いかけるエレーナに、あっさりと頷くレイ。
「ああ。ドラゴンローブ、スレイプニルの靴、吸魔の腕輪。……そして、アイテムボックスのミスティリング。この全てはゼパイル一門に所属していた錬金術師、エスタ・ノールの作品だ」
「なんともはやまぁ……知ってるか? 彼の御仁は歴代最高の錬金術師と言われているんだぞ? 現在世界でも最高峰の錬金術師達を擁する魔導都市オゾスの上層部も、彼女の弟子の末裔や血を引いている者達が大勢いると言う話だ」
「それは多分嘘だな」
ポツリ、と呟かれたその言葉に一瞬何を言われたのか分からなかったエレーナ。
「どういうことだ?」
「さっきも言ったように俺はゼパイルの知識を引き継いでいる。その中にあるエスタ・ノールという人物は弟子を育てる時間があるのなら自分の研究に集中するような性格だったし、そんな性格だから生涯結婚もしなかった。……まぁ、俺にあるのはあくまでもゼパイル一門に入ってからのエスタ・ノールについてだから、それ以前に弟子を取っていたり、あるいはエスタ・ノールの親族の血を引いているという可能性はあるから絶対じゃないがな」
「……伝説上の人物もレイに取ってみれば形無しだな」
本来であれば過去の偉人として祭り上げられている人物の、予想外の性格に思わず苦笑を浮かべるエレーナ。
そんな風に2人で1時間程話をしていると、やがて宿から1人の小柄な人影が近付いてくるのを発見する。宿の雑用を担当しているリンデだ。
「エレーナ様、お客様がお見えです」
さすがに相手が貴族と知っているのか、エレーナの美貌に薄らと頬を紅くしながらも丁寧な口調でそう伝える。
「客?」
「はい。ギルドからワーカー様が今回の件についてお話を聞きたいと」
その言葉に、ダンジョンの入り口にいたギルド職員がギルドへ連絡を入れると言っていたのを思い出す。
「そう言えばそうだったな。……まさか責任者自らが来るとは、予想外にフットワークが軽いものだ」
「まぁ、若かったからな」
「……お前や私よりも年上であるのは間違いないんだが。レイはどうする? 私と一緒に来るか?」
「いや、そういう面倒臭いのは俺は御免だよ。このまま今日はゆっくりと身体を休めるさ」
笑みを浮かべ、セトに寄り掛かったまま手を振って送り出す。
「ふぅ。確かにこのパーティのリーダーは私だからな。ワーカーに何があったのかを説明する義務も私にあるだろう。あぁ、そうそう。明日にはここを出るから、そのつもりでいてくれ」
溜息を吐きながらも立ち上がり、明日の予定を告げるエレーナ。
何しろヴェルが魔石を壊した儀式中断による気絶以降、休みを取っていないのだ。さすがにエレーナでも疲れを覚えているのだろう。
ましてや、その身はエンシェントドラゴンの魔石を取り込んだばかりなのだから。
そんなエレーナに対して小さく頷いて明日の件については了承する。
「グルゥ?」
今まで黙ってソファ役として横たわっていたセトが、大丈夫? とばかりに鳴いてエレーナの方へとその円らな瞳を向ける。
その愛らしさに一瞬だけ薔薇のような笑みを浮かべ、軽くその頭を撫でてからリンデと共に宿屋へと戻っていく。
「パーティリーダーってのはやっぱり大変なんだな」
その後ろ姿を見送り、白金貨2枚の入った袋をミスティリングへと収納して再びセトへと体重を預けると束の間の眠りを楽しむのだった。
宿の1階にある待合所。そこでワーカーはエレーナを待っていた。
座っていたソファから立ち上がって一礼するワーカー。
「エレーナ様、わざわざお手間を取らせてしまい申し訳ありません」
「気にするな。私としても街を出る前に報告はするつもりだったのだから、そちらから来てくれて手間が省けるというものだ」
エレーナはワーカーへと頷きながらその向かいにあるソファへと座り、それを見てからワーカーは宿の主人へと目配せをして紅茶を持ってこさせる。
「さすが貴族や大商人の泊まる宿ですね。紅茶も随分といい物を使ってます」
「うむ、確かにこのような場所で手に入る物として考えれば随分と高価な葉を使っているな。……さて、用件は?」
紅茶を口へと運ぶ所作にも優雅さが漂い、その姿を感心したように見つめながらワーカーは口を開く。
「継承の祭壇。そこで何が起きたのかを聞きたいのです。何しろ姫将軍と謳われるような方がダンジョンに挑み、その結果人数が半分近くになって戻って来たのですから。ここのギルドの責任者としては何があったのかを聞いておかなければならないのです」
「……ふむ。言ってることは分かるがこちらとしても話せること、話せないことがあってな」
呟きつつ、内心でどう説明するべきか悩むエレーナ。
何しろ貴族派の……それも、中心人物であるケレベル公爵に近い位置にいたセイルズ子爵家がミレアーナ王国を裏切りベスティア帝国へと亡命したという話なのだ。迂闊に話せる内容でもない。
(いや、正確には恐らくまだ亡命まではいっていない筈だ。私の手紙とヴェルの連絡、そのどちらが早く父上やセイルズ子爵に届くかの勝負だな)
エレーナの言葉に少し考える素振りを見せるワーカー。
彼にしても若くしてダンジョンのすぐ近くにあるギルドの責任者を任されている程の人物だ。エレーナの発言が政治的な意図があるというのはすぐに理解して小さく頷く。
「なるほど、では話せる内容だけでも構いません」
「そうだな……端的に言えば、私の部下2人がダンジョンのトラップに引っ掛かったりモンスターに襲われて死んでしまったという所か」
「……トラップとモンスター、ですか」
「ああ。トラップとモンスターだ。……私の言っている意味が分かるな? 少なくてもそうしておいた方がお前の為だ」
数秒、いや数十秒程視線を交わす2人。ただ視線を交わしているだけだというのに、その場ではまるで斬り合いを行っているかのような緊張感が周囲を満たす。
「……分かりました。私としても政治の話には関わりたくはありません。エレーナ様がそう仰るのでしたらそのようにしておきます」
「すまないな。後程謝礼金として幾らか届けさせて貰う」
「いえ、お気になさらず……と言いたい所なのですが、何しろこんな辺境のギルドですので支援をして貰えるというのなら歓迎させて頂きます」
先程までの緊張感が嘘のようにニコリと微笑むワーカー。そんな様子にエレーナも笑みを浮かべる。
お互いが笑顔を浮かべているのだが、2人共その笑顔はどこか空虚だ。ワーカーは張り付いた笑顔とでも表現すべき笑顔だし、エレーナはその美貌故にどこか人形染みた笑顔である。
心の底からの笑顔ではなく、あくまでも儀礼的に浮かべた笑顔。心から笑っているのではなく、表情だけで笑っている笑顔。
お互いがそれを理解しつつも、その底にあるものは出さない。……いや、出せない。
そんな、レイが見たら目を疑うような笑顔を浮かべつつもエレーナは腰のポーチからカードを取り出してテーブルの上に置く。
ダンジョン突入前にワーカーから借りた物で、相応の権限を所持者に与えるというものだ。
「では、このカードも返却させて貰う」
「ありがとうございます。お役に立ちましたか?」
「ああ。このカードのおかげで、ダンジョンに入る時に並んで無闇に時間を使わなくて済んだ」
「それは何よりでした」
相変わらずの笑みを浮かべつつ、そのカードを懐へと仕舞い込むワーカー。
「このカードを私に返却するということはダンジョンに関しては用は済んだ。……そう考えてもよろしいのでしょうか?」
「うむ。ここでやるべきことは全てやった」
「となると、近いうちに出立を?」
「近いうちと言うか、明日にでもここを発つ予定だ」
その言葉に、僅かにではあるが安堵の表情を浮かべるワーカー。
何しろ貴族派の中心人物であるケレベル公爵の息女であり、姫将軍としても名高いエレーナだ。もし万が一このダンジョンでその身に何かがあったとしたら、恐らくこのダンジョン周辺に村を越えて出来つつある街にも被害が及ぶだろうというのは予想が出来たからだ。
そのワーカーの様子を内心で推し量りつつも、先程同様の作り物の笑みを浮かべて会話を続けるエレーナ。
「そう言えば、もしよろしければダンジョンで印象に残ったことを教えて頂けませんか?」
突然のその質問に、自らが経験したダンジョンでの出来事を思い出しながら紅茶を口に運ぶエレーナ。
「そうだな。地図のある3階までは最短距離で進めたが、それ以降は手探りだったので時間が掛かったな。地下4階はまさかダンジョンの中に森があるとは思わなかったし、ウォーターモンキーの群れと戦うことになった。地下5階は……」
そこまで口に出し、一瞬言い淀むエレーナ。
(グリム殿に関しては言わぬ方がよいだろう。つまり、無限ループの罠に関しても同様か)
「エレーナ様?」
「あぁ、失礼した。地下5階に関してはアンデッドの巣窟という影響もあって嗅覚が使い物にならなくなる程に腐臭が漂っていた。人よりも五感の鋭い獣人の類は特に厳しいだろう。地下6階は大量の罠が仕掛けられていたのが厄介だった。最下層は……そうだな、直接戦闘にはならなかったが、ランクSモンスターの銀獅子がダンジョンの核を守っているというのは予想外だった。……こんな所か」
「ありがとうございます。特に地下6階以降にまで到達出来る冒険者の数は少ないので、エレーナ様の情報は非常に有益でした」
「何、こちらもそれなりに便宜を図って貰ったのだから気にする必要は無い」
それから10分程ダンジョンについての意見を交わし、やがてワーカーが立ち上がる。
「申し訳ありませんが、私はそろそろ失礼させて貰います。何しろギルドも小さいので色々と人手が少ないもので」
「そうか、今回は色々と助かった。先程も言ったが、明日にはここを出立するので会うのはこれが最後になるだろう」
「はい、分かっております」
ソファから立ち上がり、優雅に一礼をして宿を出て行くワーカー。
その後ろ姿を見送り、エレーナもまた自分の部屋へと向かう。
さすがに疲労を感じたので、そのままぐっすりと眠り……こうしてダンジョンを中心にして作られた村での最後の一夜は過ぎていく。
尚、レイはリンデに起こされるまで外で眠っており、セトは久しぶりにレイとゆっくりとした時間を過ごせて上機嫌になっていた。
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