第108話

 ミレアーナ王国の王都から1日程の距離にある巨大都市アネシス。

 その大きさは王国の首都であるカーフィリと比べても遜色のない規模であり、ミレアーナ王国第2の都市として広く知られていた。

 そしてその都市の最奥にある巨大な屋敷。宮殿と言っても納得出来るその屋敷こそがミレアーナ王国の派閥の1つでもある貴族派の中心人物、ケレベル公爵の屋敷である。

 広大な敷地内は手入れが行き届いており、外から見える範囲でもこのアネシスの観光名所の1つとして有名な場所になっていた。

 そんな敷地内の最奥にある屋敷へと向かって翼が4枚もある大型の鳥が空を裂くような速度で飛び込み、手紙を運んでくるモンスターや鳥といった者達が掴まる足場へと無事着地する。

 そしてその鳥が足場へと降り立った途端、屋敷のメイドや執事達が控えている部屋へと音が鳴り響く。止まり木が一種のマジックアイテムとなっているのだ。

 その音を聞いた執事の1人が止まり木へとやってきて、鳥の足につけられている小さなバッグから手紙を取り出し……差出人の名前がエレーナ・ケレベルとなっているのに気が付くと急いで屋敷の中へと戻り、主人の執務室へと向かう。

 足早に歩いて数分程で執務室の前へと辿り着き、一度深く深呼吸をして呼吸を整えてからドアをノックする。


「失礼します、旦那様、お嬢様から緊急の手紙が届きました」

「うむ、構わん。入れ」


 ドアの中からの許しを得て、中へと入る執事。

 執務室の中は白金貨数枚、あるいは光金貨数枚程の価値を持つ家具が置かれている豪華な部屋だった。

 だがよくある成金趣味といったものではなく、置かれているソファや机、椅子、本棚、テーブル等、そのどれもが落ち着いた雰囲気を醸し出す趣味のいい代物だ。壁に掛けられている絵画に関しても高名な画家が描いた代物であり、その絵画の値段だけで平民なら数十年は遊んで暮らせるだけの価値を持っている。

 そして部屋の奥にある執務机に座って書類を読んでいた50代程の男。その人物こそがこのミレアーナ王国でも最大級の権力を持つ、第2の王といってもいい存在であるリベルテ・ケレベル公爵その人だ。

 外見としては細身ではあるのだが決してひ弱には見えない。いや、逆に公爵として君臨してきた故の威厳というものがその身から滲み出ている。口元には豊かな髭が生えており、目元は娘であるエレーナ同様につり目がちであり、その視線の強さはケレベル公爵の意志の強さを感じさせる。


「失礼します。こちらがお嬢様から届けられた手紙でございます」


 執事が一礼し、執務机の上へと手紙を置く。


「では失礼いたします、旦那様」

「ご苦労だった」


 部屋を出て行く執事の背へと声を掛け、そのまま数分程読みかけの書類に目を通して読み終えた後で娘から送られて来た手紙を手に取る。


『開封』


 特定の魔力を持った人物にしか開封出来ないように魔法を掛けられている手紙を開封し、その内容へと素早く目を通し……数回程読み直す。


「……セイルズ子爵が寝返り、か」


 貴族派として長年目を掛けてやり、尚且つ頼りにもしてきた盟友の裏切りに微かに眉を顰める。

 そしてキュステの死亡という内容に不愉快そうに鼻を鳴らす。

 最後に書かれていた継承の儀式における成功とも失敗ともつかないその結果に小さく溜息を吐き、執務机の脇に置いてあった鈴を鳴らすと数分も経たないうちに扉のノック音が聞こえてきた。


「入れ」

「失礼します、公爵。お呼びでしょうか」


 入って来たのはケレベル公爵騎士団の騎士団長を務める人物であり、デジール侯爵家の次男でもあるフィルマ・デジールだ。

 30代後半という年齢であり騎士としてはそろそろ力が落ちてくる年齢ではあるのだが、そんなことを感じさせない程に鍛え上げられた肉体を持っている。その用兵の巧みさや戦況全体を見渡す視野の広さ、そして何よりも常に先陣に立つことにより騎士団の士気を否応なく上げるという勇猛さを持つ。

 本来であれば騎士団長ともあろう者が先陣に立つというのは言語道断なのだが、それを可能にする武力を持っている。まさにケレベル公爵領の守護神とも言われている人物なのだ。

 そんな自らの右腕とも言える存在に、ケレベル公爵は無造作に娘から送られて来た手紙を手渡す。


「では拝見させていただきます」


 自らの主君へとそう断り、渡された手紙へと素早く目を通していく。

 全てを読むのに1分と掛からずに大きく溜息を吐いた。


「セイルズ子爵が裏切り、ですか」

「うむ。せめて国王派や中立派に移ったというのなら、あくまでもミレアーナ王国内での出来事であり問題もなかったのだがな」

「さすがにベスティア帝国に対しては許容出来ませんな」

「そうだ。……フィルマよ、騎士団を率いてセイルズ子爵がベスティア帝国へと亡命する前に討てるか?」


 その問いに数秒程悩み首を左右に振る。


「恐らく難しいかと。ここからセイルズ子爵領までは騎馬だとどんなに急いでも2日は掛かります。そしてセイルズ子爵にしてもミレアーナ王国を裏切るというのなら最悪の事態には備えていた筈。そうなると追いつけたとしても相当ベスティア帝国の国境近くになるかと。そうなると戦闘が可能な時間はほぼ無いか、あってもごく短時間でしょう。そして下手をすればベスティア帝国側からも迎えの部隊が出て来るかと」

「……なるほど」


 フィルマの言葉に頷き、執務机を人差し指で叩きながら数秒思考し……その鋭い視線をフィルマへと向ける。


「フィルマ・デジール、竜騎士達で追撃隊を結成してセイルズ子爵を討て」

「……よろしいので? 確かに竜騎士なら騎馬隊よりも距離は稼げるとは思いますが、今言ったようにベスティア帝国から部隊が出て来る可能性もあります」

「構わん。この機会を狙っていた以上は恐らくこちらの情報も相当持ち出しているだろう。それをみすみす敵国に渡すというのは拙い」

「そうなると、竜騎士達の被害も出る可能性がありますが……」

「……止むをえんだろう。このような時の為にいる者達だ」


 竜騎士。それは文字通り飛竜を乗りこなす騎士であり、空を飛ぶことが可能な上に飛竜のブレス攻撃といった攻撃手段を持っている為、戦闘力は非常に高い。だが、その分飛竜の卵を孵す時から竜騎士が育てなければならず、その育成費用は非常に高額なのだ。それこそ、ミレアーナ王国第2の王と呼ばれているケレベル公爵が擁する騎士団でも20騎程度しか存在しない程に。


「それと、手紙に書いてあった魔獣兵という者達には気をつけるように言っておけ」

「了解しました。では私は早速出撃の準備に取り掛かります」


 一礼して執務室を出て行くフィルマの後ろ姿を見送ると、ケレベル公爵は娘から送られて来た手紙を脇に寄せて1枚の紙を手に取る。

 確かに娘から送られて来た手紙に書かれていた内容は非常に重要なものだったが、広大な領地を有しているケレベル公爵としてはそれ以外にも重要な執務が多々あるのだ。まず初めにエレーナの護衛騎士団の隊長であったキュステの家、即ち自分が信を置いているブラシン侯爵へその死を知らせる手紙を書く為にペンへと手を伸ばす。


「ふんっ、馬鹿者めが」


 最後に短くそう呟いたのだけがセイルズ子爵への最後の手向けとでもいうべき言葉だった。






「では、よろしく頼む」


 エレーナが馬車の御者席に座っている御者へと声を掛ける。

 本来であればそこに座っているのはヴェルだったのだが、そのヴェルは裏切って既にパーティ内には存在していない。他に馬車を扱える人材と言えばキュステもいたのだが、こちらも既に死亡している。レイとアーラは基本的に馬車を扱えず、だからと言ってまさかエレーナに御者の真似事をさせる訳にもいかない。その結果としてギルドで御者が出来る冒険者を雇うことになったのだった。依頼としてはまずギルムの街まで御者をして、その後ケレベル公爵領まで向かうという契約になっている。


「は……はい!」


 エレーナの美貌に気圧されたかのように頷くその御者の様子に思わず笑みを浮かべながら馬車の中へと乗り込むレイ。

 馬車の中では既にアーラが紅茶を用意しており、テーブルの上へとカップを置いていた。

 そのカップの数がエレーナに言われる前から既に3つでレイの分もあるのは、アーラがレイに対して気を許していることの表れだろう。

 あるいは馬車の中に置かれているパワー・アクスを譲って貰ったという事実があるせいかもしれないが。

 そんな風に考えつつソファへと腰を掛けると、少し遅れてエレーナが入ってくる。そしてレイに対して悪戯めいた微笑を浮かべてその隣へと腰を掛ける。


「レイ。御者の冒険者はセトに対して恐怖心を抱いていたようだったが、良かったのか?」

「いいも何も、セト自身は何をするでもないんだ。恐らくギルムの街に向かっている道中で慣れるだろうさ。エレーナ達もそうだっただろう?」

「私の場合は他にも人数が……いたからな」


 チラリと周囲を見渡したのは、ダンジョンへと向かう時には存在していたキュステとヴェルのことが頭を過ぎったからだろう。

 それを察したアーラは不意に窓へと視線を向ける。


「ほら、エレーナ様。馬車に乗る前にも思いましたけど、今日はいい天気ですね。こういうのが秋晴れっていうんでしょうか」

「……ふっ、そうだな。秋の収穫祭ももうすぐだ。それが終わればすぐに冬になるだろう」


 アーラがぎこちなく変えた話題に笑みを浮かべながら頷く。


(そう、すでに季節は秋。そして秋が過ぎれば冬になる。さすがにベスティア帝国と言えども冬に軍を動かすような真似はしないだろう。そうなると戦端が開かれるのは恐らく春、か。それまでに新たに手に入れたこのエンシェントドラゴンの力、必ず使いこなせるようになってみせる。ヴェル、戦場で貴様に会ったら容赦はせんぞ。キュステの仇はしっかりと討たせて貰う)


 エレーナの鋭くなっている視線に気が付きつつも、紅茶を口に運ぶレイ。


「エレーナ、このままギルムの街に戻ってラルクス辺境伯の所に顔を出して依頼は終了ということでいいのか?」

「……え? あ、あぁ、そうか。レイはこの依頼の間だけの臨時パーティだったな。すっかり馴染んでいたから……」


 思わぬ話を聞いたとばかりに軽く目を見開き、その後に頷く。


「そうだな。恐らくそうなると思う」

「そうか。長いようで短い依頼だったな。……いや、短いようで長いと言うべきか」


 これまでの出来事に思いを馳せているレイをじっと見つめていたエレーナは、やがて意を決したように口を開く。


「レイ、もしよければこのまま私達と共に来ないか?」

「……それは新しい依頼ということか? それとも」

「ああ。冒険者を辞めてうちの騎士団に入団しないかと言っている」


 エレーナの言葉を聞き、その隣で同じく紅茶を飲んでいたアーラが笑顔を浮かべながら頷く。


「それはいいですね。レイ殿くらいの実力があれば、すぐにでも上に来れるでしょうし」


 そんなアーラの笑顔を向けられつつも、数秒だけ考えたレイは首を横に振る。


「悪いが、知っての通り俺は礼儀作法とかには疎いんでな」

「そんなのは勉強すれば……」

「アーラの言いたいことも分かるが、そもそも基本的に貴族とは相性が悪いんだよ。エレーナやアーラは例外だが、俺とキュステの関係を思い出してくれ。恐らくあれが普通だ」


 キュステはレイを嫌悪して同じ空気を吸うのも嫌だと言うような態度を取りながら露骨に見下し、レイはキュステをプライドだけが肥大化した実力の伴っていない馬鹿貴族と同等の相手としてすら見ていなかった。

 ヴェルとの戦いの最後に多少お互いの意識が好転したとは言っても、エレーナとアーラはそれを見ていた訳でもない。

 そのことを思い出したのか、思わず溜息を吐くエレーナ。


「……そうか。残念だがレイの将来を私の勝手で決める訳には行かないからな」


 そうは言いつつも、やはり断られるとは思ってなかったのか残念そうに溜息を吐くエレーナ。

 その様子を眺めながら、レイはエレーナの求めに応じることは出来ないと紅茶を口へと運ぶのみだった。


(そもそも俺の目的は魔獣術によるセトの成長だ。騎士団に所属してしまえばモンスターの魔石を集めるのは今より大変になるだろうしな)


 内心で呟くレイの脳裏には、グリムの放った言葉が強く印象に残っていた。

 即ち一匹で一国の軍隊をも圧倒する強さを持つ魔獣。

 少なくてもそれは夢物語ではないのだ。何故なら自分へと魔獣術を託したゼパイルはその域に達していたのだから。

 その話を聞いてから、レイの中にはこれまでよりも尚強い欲求が湧き上がってきている。自分とセトはどこまで強くなれるのか、と。


(ゼパイルの話を信じるのなら、俺の中にある魔力は極めて強大な筈だ。つまりその魔力によって生み出されたセトもまた、潜在能力だけなら一匹で一国の軍隊を圧倒したというゼパイルの魔獣術で生み出されたモンスターよりも上の筈。より多くの魔石を吸収し、同時にさらに多くの戦闘経験を積む。俺自身もまた同様にこの身に眠っている魔力を十分に使えるようにならないといけない)


 チラリとエレーナの方へと視線を向け。


(そう、もう2度と大事な仲間達を危機に陥らせない為にも)


 こうして、馬車の中は多少沈みながらもギルムの街へと向かって真っ直ぐに進んでくのだった。

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