第70話

「……平和ですね」


 ダンジョンへと続く道を馬車で走りながらアーラがポツリと呟く。


「確かにそうだな。だがまぁ、無駄に戦いをする必要もあるまい」


 軍学の本を読んでいたエレーナがアーラの言葉に目を上げてそう返す。

 既に馬車は街道から外れ、道無き道を進んでいる。

 いや、正確にはダンジョンへと向かう者達に踏みしめられた地面が半ば道のようになってはいるのだが。

 そんな中を進む一同だったが、退屈そうなアーラの言葉が示す通りにその道行きは非常に順調だった。

 本来ならギルムからダンジョンまでは2泊程度が必要なのだが、マジックアイテムである馬車はそれを引いているウォーホースにもその効果を発揮して普通の馬よりも力強く、素早く馬車を引いている。そして元々馬車を引いているウォーホースはミレアーナ王国でも屈指の名馬なのだから、その道程が捗らない訳が無い。

 また、普段なら馬車を見つければ獲物だとばかりに襲い掛かってくるモンスターも、その馬車の隣を進んでいるセトを見れば殆どが格の違いを理解して身を隠す。偶に前日のアイアンスネークのように知能が低い為に格の違いを理解出来ず襲い掛かってくるモンスターもいたが、それらはセトに文字通りの意味で一蹴されてその命を散らしてはセトの食事となるべくレイのミスティリングへと収納されている。

 そしてその順調な道程の結果、ギルムからダンジョンまで1泊で到着するだろうという驚異的なペースで進んでいたのだった。


「でもですね、エレーナ様。こう何もないと緊張感が保てませんよ。せめて盗賊か何かくらい襲ってくれば多少は暇つぶしにでもなるのですが」

「アーラ、ちょっと好戦的過ぎるぞ」


 ソファでダンジョンの本を読んでいたキュステが呆れたように呟く。


「なによ。キュステだって暇そうにしてる癖に」

「ふん、私をアーラと一緒にして貰っては困るな。こうしてダンジョンについての知識を得ているので、暇という訳ではない」


 あるいはその一声がフラグだったのだろう。今まで何度か聞いた笛の音が馬車の中へと響き渡る。


「お前が妙なことを言うから……」

「私のせいにしないでよ。それにどうせまたグリフォンが全部片付けてくれるんでしょ」


 だがそのアーラの願いも裏腹に、この旅が始まってからはセトによって極短い間だけしか鳴っていなかった筈の笛の音は止むこと無く鳴り続ける。

 さすがにその様子に不安になったのか御者台にいるヴェルへと事情を聞こうとキュステがソファから立ち上がったその時、御者台と繋がっている扉が開く。

 そこから顔を出したのは、いつもの軽い表情が消え失せ、珍しく厳しい表情を顔に浮かべたヴェルの姿だった。


「モンスターはどうしたんだ?」

「……ちょっと拙いかもしれないな」


 キュステの問いに短く答えるヴェル。それだけで事態が面白くない方に進んでいるのだというのは馬車の中にいる者達全員に理解が出来た。

 キュステが魔槍を手に取り、アーラは剣を。そしてエレーナは連接剣を手に立ち上がる。

 当然護衛として派遣されているレイもまたいつでもミスティリングからデスサイズを取り出せるようにして立ち上がる。

 何故この場でデスサイズを出さないのかと言えば、単純に馬車の扉の問題だ。一応それなりに大きく作られている扉ではあるのだが、2mを越える長さを持つデスサイズを持ったままだとつっかえる可能性があった為だ。


「ヴェル、このまま馬車を進めるのは問題があるか?」

「ちょっと難しいっぽいかな」

「それはどういう理由でだ? 敵の速度の問題か?」


 エレーナの質問に黙って首を振るヴェル。こうして話している間にも、進路がずれないように小まめに進行方向へと視線を向けてはウォーホースを操っている。


「いえ、そもそも敵の姿が見えないんですよ。それなのに馬車の敵意感知は止まない」

「こっちから確認できない程に遠くからこの馬車を狙っているのか、あるいは姿その物が見えないか」

「アンデッドのゴーストだったりすると厄介ですね」


 アーラの言葉に小さく頷き、エレーナは方針を決定する。


「このまま敵を引き連れてダンジョンに行く訳にもいかないだろうし、それに何よりも逃げるのは性に合わん。……キュステ、馬車を止めろ。ここで迎撃するぞ」

「いいんですか? このまま逃げ切った方がいいような気がするんですが」

「くどい」

「はいはい。全く、うちの女王様は勇猛果敢っていうか猪突猛進……いえ、何でも無いですはい」


 アーラが無言で剣先をヴェルの顔の横へと突きつけると、冷や汗を垂らしながら大人しく馬車を止める。


「レイ、お前はまだ私達との連携が上手く行かないだろうから好きに動いて構わん」

「助かります。なら俺はいつものようにセトと」


 レイの言葉に小さく頷くと、アーラへと視線を向けるエレーナ。その視線で何を命じられているのか分かったアーラは、馬車が完全に止まったその瞬間扉を開けると真っ先に突っ込んでいく。その後ろを魔槍を構えたキュステが。そして最後にレイが表へと飛び出して瞬時にデスサイズをミスティリングから取り出す。


「エレーナ様、敵の姿発見出来ません」

「こちらも同じく」

「だろう? それなのに敵意感知は止むことなく鳴り続けているんだからね」


 御者台の上から弓を構えたヴェルが周囲を鋭く見回しながらそう告げる。


「……確かに敵の姿がないな。だが、敵意感知に反応があったということは必ず何者かがこちらの様子を害意を持って窺っている筈だ。各自油断せずに警戒せよ」


 エレーナの言葉を聞きながら、レイもまたデスサイズを構えたままで馬車の近くにいたセトの下へと向かいながら周囲を警戒する。

 周辺、というよりは現在レイ達が止まっている馬車の周辺は草原であり、少し離れた場所にはそれなりの木々が茂っている林がある。


(怪しいとすればあの林なんだろうが)


「セト、何か感じるか?」

「グルルゥ」


 レイの質問にも首を振るセト、グリフォンとしての五感を持ってしても敵の存在を感知出来ないらしい。


「このままだと一方的に攻撃を受けるか。なら保険は必要だな。……マジックシールド」


 デスサイズが魔石を吸収して習得したスキルの1つであるマジックシールドを使用する。すると次の瞬間、レイの横に光で出来た盾が形成されてデスサイズを振り回す邪魔にならない位置へと自動的に移動する。

 突然現れた光の盾に、エレーナ達の視線が一瞬だけ集まるがすぐにその視線は方々へと散らばり敵の痕跡を探す。

 だがそのまま数分が経っても敵からの攻撃は一切無く、そして敵の姿すら見つけられない。


「レイ、そちらで敵の姿は確認できたか?」


 馬車の反対側からエレーナに声を掛けられるが、レイやセトの感覚を持ってしても敵の姿を見つけることは出来ない。


「こちらでも敵の姿はありませ……」

「レイ?」


 話の途中で唐突に途切れた声に、エレーナが再度尋ねる。

 だが、レイはその質問に答えることなく鋭い視線を周囲へと向ける。


「グルゥ」


 セトもまた同様のものを感じたのだろう。警戒の唸り声を上げながら周囲を見回す。

 周囲にあるのは草原と林、そして夏から秋に変わる時特有のからりとした風が吹いていた。

 そんな中で、微かに聞こえたその音。


「レイ、どうした? 何か見つけたのか?」

「っ!?」


 エレーナの声が聞こえたその瞬間、殆ど反射的にレイはデスサイズを振り下ろしていた。

 そして周囲に響く金属音。

 その瞬間、確かにレイは見た。攻撃を弾いた先にある物を。即ち……


「エレーナ様、気をつけて下さい。巨大なカマキリです。それも馬車並の大きさの。それが透明になってこっちを狙っています!」


 レイの叫び声。そう、レイが見たのは馬車程もの体躯のある巨大なカマキリだった。そのカマキリが攻撃を放つ一瞬だけ姿を現し、その大鎌の一撃をデスサイズで弾かれ、また姿を消したのだ。


(光学迷彩みたいなものか? にしても何で音すらも聞こえなかったんだ? それにセトなら嗅覚での発見も可能だった筈)


 内心で疑問に思うが、田舎で暮らしていた時の知識を思い出しすぐに氷解する。

 カマキリというのは基本的には待ち伏せをして獲物を仕留める。つまりは音がしなかったというのは、単純にカマキリが姿を消してこちらを待ち伏せていたのだろう。そしてそのカマキリの射程範囲に偶然レイが入り、それを防いだ。

 臭いに関してはまだ不明だったが、そっちに関してはこの襲撃を退けてから考えればいいだろうと判断する。


「きゃあっ!」


 カマキリの姿を探していると突然悲鳴が聞こえてきた。そちらへと向かったレイが見たのは、鎧の右肩部分を破壊されながらも剣でカマキリの鎌を受け止めているアーラの姿だ。

 ここで初めてレイはカマキリの姿をきちんと確認する。

 大きさにして4m程度はあるだろう。身体を覆うようにして甲虫の甲殻のような物が備え付けられており、2対の鎌。つまりは4本の腕を持っている。

 今はそのうちの1本をアーラが防ぎ、反対側の鎌はキュステが魔槍で防いでいた。残り2本の鎌でその2人を仕留めようとするカマキリだが、その度に離れた位置から放たれるヴェルの矢とエレーナの連接剣がそれを妨害している。

 戦況を一瞬で確認したレイはエレーナへと向かい叫ぶ。


「エレーナ様、俺とセトが上空から仕掛けます」

「分かった! ただし、奴がカマキリだとすれば空を飛べる可能性もある。十分に気をつけろ」


 背でエレーナの声を受け、そのままセトの背へと跨がるレイ。


「セト、分かってるな」

「グルルルゥッ!」


 短く鳴き、数歩だけ助走をしてその翼を羽ばたかせる。そしてまるで空気その物を蹴り上げるようにして上空へと上がっていくセト。

 そのまま鋭く旋回し、エレーナ達4人と互角にやり合っているカマキリの上空へと向かう。


(……いや、互角というのは違うか。前衛2人がカマキリに足止めされてる為にエレーナの真骨頂である変幻自在な連接剣の攻撃や魔法を使えない、あるいは軌道が限定されるせいで威力を発揮出来ないのか)


 その戦闘の様子は上空からでも確認できる。カマキリも相応に知能があるのか、あるいは本能的なのかアーラとキュステの2人を丁度エレーナの盾になるように立ち回っているのだ。そしてヴェルの弓矢は威力不足であり甲殻を纏っているカマキリには牽制程度しか効果が無い。


「ったく、カマキリなら腹は柔らかいものだろうに。あんな鎧みたいなのを着てるとか。セト、行くぞ。俺の後に続けよ。波状攻撃だ」

「グルゥ!」


 セトが鳴いたのを見て、そのまま跨がっていたセトの背から飛び降りる。同時にデスサイズを振りかぶれるようにしながらカマキリの真上から落下していき……


「っ!?」


 その瞬間。カマキリの顔がグリンと180度回転して自分をその視界に捕らえたのを確かにレイは見た。

 そして一撃でアーラを吹き飛ばした後にデスサイズの大鎌並の大きさを持つ鎌を空中にいるレイへと向かって振るうのも。


「飛斬!」


 そのカマキリの仕草が、デスサイズのスキルの1つである飛斬に似ていたと判断したのは殆ど本能的なものだった。だがその判断がレイを救う。デスサイズから放たれた飛斬とカマキリが放った同種の攻撃。それは空中の丁度レイとカマキリの中間で衝突してお互いに相殺する。

 しかし忘れてはいけない。デスサイズが1つのレイに対して、カマキリは4本の鎌を持っているのだ。


「レイッ、避けろぉっ!」


 エレーナの声が響く中、キュステもアーラ同様に吹き飛ばされる。それもエレーナ目掛けてだ。

 レイに対する攻撃を妨害しようとしていたエレーナだったが、このまま攻撃をすればキュステを巻き込む。そして回避すれば吹き飛んでくる速度からキュステが怪我をする可能性が高いと判断し、そのまま受け止めるという選択をする。

 回復魔法を使えるキュステがこのまま吹き飛ばされて怪我をして戦力外になるというのは、目の前に存在する見たこともないモンスターを相手にする上でどうしても避けたかったのだ。


「スレイプニルの靴、起動!」


 地上でそんな出来事が起きていると知らないレイは、咄嗟に空を蹴ることが可能なスレイプニルの靴を起動。そして瞬時に空を蹴り素早く空中で態勢を整える。


「グルゥッ!」


 セトが鋭く鳴き、翼を羽ばたいてレイを背でキャッチしてカマキリから距離を取って着地した。


「セト、助かった」

「グルルルゥ」


 セトへと短く礼を言い、手に持っていたデスサイズを改めて構えてカマキリへと視線を向ける。

 その隣に吹き飛ばされたキュステを受け止めていたエレーナの姿が並ぶ。

 素早く周囲を見回すと、キュステは魔槍を持ってカマキリの後ろへと回り込もうとしており、ヴェルは矢を撃ち込み牽制をしている。アーラは先に吹き飛ばされた衝撃で馬車にぶつかりその意識を失っていた。


「レイ、これ以上時間を掛けては面倒なことになりかねん。一気に仕留めるぞ」

「分かりました。カマキリだけに飛んで逃げられても厄介ですしね」

「ああ。では奴を暫くの間引きつけてくれるか? 魔法で一気に倒してしまいたい」

「問題ありません。では……行きます!」

「こっちの合図を聞き逃すなよ」


 エレーナの声を背に、デスサイズを構えたままその射程距離まで踏み込んでいく。


「……」


 カマキリは無言でそんなレイを待ち受け、4つの大鎌を振り上げ……そのまま振り下ろす!

 先程自分が放った飛斬を相殺した同質の斬撃が4発。しかも微妙に時間差を付けてそれぞれに向かって来るのを察知するも、それに構わずにひたすら前へと出る。


(さっきと違って来ると分かっていれば対抗手段はいくらでもある!)


 最初の斬撃は身体を斜めにすることより回避し、2つ目の斬撃は魔力を通したデスサイズの一撃で斬り捨て、3つ目の斬撃は同時にデスサイズの柄で砕く。そして最後の斬撃に関しては先程の空中戦でも使わなかったマジックシールドで受け止めて相殺する。そのまま霞のように消えていくマジックシールドの残滓を横目にしつつ、さらに前へ。そこまですれば既にレイの目前にはこちらを待ち受けているカマキリの姿があった。


「はあああぁぁぁっ!」


 振り下ろされるカマキリの鎌に、レイもまたデスサイズで迎え撃つ。

 魔力を通したデスサイズの刃とカマキリの刃が撃ち合わさる……背後から隙を窺っていたキュステがそう思った瞬間、ザクリ、という音が響きデスサイズの刃は特に抵抗を受けるでもなくカマキリの鎌を斬り飛ばすのだった。


「……」


 自分の右上腕が斬り飛ばれたというのに、痛みの声を上げるでもなく無言で残り3本の鎌を振り下ろすカマキリ。

 その鎌を回避しつつ、再度一閃。左上腕の鎌を斬り飛ばす。


(何だ、この違和感は)


 確かに虫型のモンスターというのは痛覚がないタイプもいる。だが、それでも衝撃を受けたり致命的なダメージを受けたりすれば何らかの反応を示すのが普通だ。だがレイの前にいる巨大なカマキリは、己の腕であり同時に武器でもある鎌を2本斬り飛ばされても威嚇の声1つ上げないままに無感情に次の攻撃を繰り出してくる。

 そんな得体の知れない違和感に一瞬だけ気を取られ……その一瞬は致命的なまでの隙を産み出す。

 斬り飛ばされた左上腕の鎌を囮にでもしたかのように、残り2本の鎌を振り落とすカマキリ。

 本来のレイであれば回避するのはそれ程難しくない攻撃。だがカマキリに覚えた違和感故にそのタイミングを見失い……


「戦闘の途中で呆けるな!」


 カマキリの背後から投擲されたキュステの魔槍が、レイへと死を運ぶ筈だった鎌の一撃を弾く。

 鎌を弾いた魔槍はそのままレイの横を通り過ぎて地面へと突き刺さった。

 レイにしてもその千載一遇の隙を逃すことなく横へと大きく飛び、それを追撃しようとするカマキリにはヴェルから放たれた矢が邪魔をする。

 そして……


「退けえぇっ!」


 周囲に響くエレーナの声。その声を聞いたレイは、反射的に地を蹴り素早くカマキリから距離を取る。

 既にカマキリの周囲にはレイの姿しか無い。キュステは槍を投擲した後は素早く距離を取っているし、ヴェルは弓矢で攻撃していただけに元々距離を取っていた。アーラは気絶して馬車の側にいる。

 レイが距離を取ったのを確認したエレーナは、詠唱を終えた魔法を発動する。


『ライトニング・トルネード!』


 その魔法が放たれた瞬間、カマキリを中心にして風が集まり円を描くかのように竜巻を形成していく。その竜巻は最初はカマキリの足を止める程度の大きさしか無かったが、急激にその大きさを増して4mはあるカマキリそのものを覆い隠す程の大きさとなり、さらにその大きさを増していく。同時に魔法名通りにその竜巻には雷が絡みついており、中心部分に存在するカマキリは竜巻と雷という2種類の攻撃を竜巻が消えるまで食らい続けるのだった。

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