第71話

 レイ達の目の前で竜巻が消えていく。

 雷を纏ったその竜巻は、まさに風の上級魔法と呼んでも差し支えのない威力だった。

 そして何よりも驚くべきは、それ程の魔法を放ったにも関わらずエレーナにはまだ余力が残っていることだろう。

 連接剣を構え、不測の事態に備えるエレーナにはレイの目から見てもまだまだ戦闘が可能な状態に見えた。


(さすが姫将軍って所か)


 内心で感嘆の声を上げつつ、レイもまた同様にデスサイズを構えていざという時に備える。

 離れた場所では、地面に突き刺さった魔槍を引き抜いたキュステや矢を番えたまま弓を引き絞っているヴェルも同様に敵を警戒している。

 そんな状態で竜巻が消えていくのを見ながら、エレーナがレイにだけ聞こえるように口を開く。


「レイ、お前はあのモンスターの存在を知っているか?」

「いえ、初めて見るモンスターでした。ですが俺の冒険者としての見識はそう高くありませんので、単純に知らなかっただけという可能性もあります。エレーナ様は?」

「いや、私も初めて見るモンスターだ。だがあれ程の強さを誇るモンスターだ。噂くらいは広まってもいい筈だが」

「最初に見た周囲の景色に溶け込む能力。あれを使って待ち伏せをされれば普通の冒険者は何も気が付かずに文字通りに餌食になっているでしょう。それで広まらなかったのでは? それに普通に戦ってもあのモンスターは十分に強かったですし」

「だろうな。どの程度と見る?」

「少なくても、俺が戦った中ではオークキングクラス……と言ってもいいと思います」

「ランクBモンスターのオークキングクラスか。確かに私の印象としてもBランク以上Aランク未満といった所だ」


 そうしていざという時に警戒しつつも話をしていると、やがて雷の竜巻が完全にその姿を消す。

 その後に残っているのは竜巻に全身を切り刻まれ、同時に雷により焼き尽くされた巨大なカマキリの死骸のみだった。


「なんとかやった、か」


 安堵の息を吐くエレーナ。その隣ではレイもまた構えていたデスサイズを下ろす。キュステやヴェルもまた同様だった。

 戦闘が終わった直後の安堵した空気の中、エレーナが皆へと指示を出す。


「キュステ、回復魔法でアーラの治療を。ヴェル、お前はあのカマキリの魔石を……」


 だが、エレーナが最後まで声を出すことは出来無かった。


「エレーナ様っ!」


 驚愕に満ちたキュステの声が周囲へと響き渡ったのだ。

 その場にいた3人は咄嗟にキュステの方へと視線を向け、次いでその視線が向けられている方を向く。


「……何?」


 思わず漏れるレイの声。

 本来であればそこにはエレーナの魔法で命を失ったカマキリの死体が転がっている筈だった。

 ……否、その死体はあるのだ。あくまでも『まだ』という但し書きが付くが。


「溶けている、だと?」


 そう、レイが思わず呟いた通り4mを越える大きさを持つ巨大なカマキリの死骸が各所から細かな泡を出しながら急速にその姿を崩していく。

 その速度は瞬時にと言う程に早くはないが、かといって何か対処が出来るという程に遅くもなかった。

 そしてカマキリの溶けていく場所からは鼻に突き刺さるかのような刺激臭が漂ってきており、地面から生えていた草もカマキリの死体から流れ出る液体に触れると見る間に茶色く変色してカマキリの死体同様に溶けていく。


「これは……一体どうなっているんだ?」


 エレーナが唖然とした声を漏らすが、それに答えられる者はこの場に存在していなかった。

 そんな中、キュステがカマキリの死体があった場所を遠回りに迂回しながらエレーナへと近付いていく。


「エレーナ様。今の存在が何なのかは分かりませんが、少なくてもあそこから漂ってくるこの匂いが身体に良いとは思えません。即刻この場を離れるべきかと」

「うむ、確かにな。出来ればあのモンスターがどういう存在なのかを調べる為にも、一部分でいいから持って行きたかったのだが……」


 無念そうなエレーナの視線の先では既にカマキリの肉片一つすら完全に消えてしまっており、周辺にあった草を溶かした液体すらも既に存在していない。残っているのは鼻を突く刺激臭のみだ。そしてその刺激臭すらもそう遠くないうちに風が散らしてしまうだろう。

 つい数分前までは戦っていたモンスター。その姿が既に完全に消え失せたのを見てエレーナは思わず眉を顰める。

 違和感。そう、その胸に残るのは強い違和感のみなのだ。

 だからと言ってその違和感の原因を確認しようにも巨大カマキリの死体は既に無く、そうである以上はここにいてもただ無為に時間を過ごすだけだろう。


「出発する。キュステ、アーラを馬車に」

「お任せ下さい」


 エレーナの命令に従い、馬車の近くで気絶しているアーラを抱き上げるキュステ。


「ヴェルは馬車に異常が無いかを調べてくれ」

「お任せあれってね」


 いつものように軽い口調で返事をし、馬車や御者台を調べていくヴェル。


「レイはセトと共に念の為に周囲の警戒を頼む。あのカマキリが1匹だけとは限らないからな」

「分かりました」


 レイもまた頷き、セトと共に馬車から少し距離を取り周囲の気配や音へと集中する。


「グルゥ」


 セトもまた、レイの横で同じように周囲を警戒していた。

 そんな中、耳を澄ませ、いつでも敵に対してデスサイズを振るえるようにしながらもレイは内心で考える。


(あのカマキリ、少なくてもモンスターという括りには当てはまらないだろうな)


 そもそもモンスターというのは、倒した瞬間にまるで自爆するかのように消えたりはしない。魔物、モンスター、魔獣。色々と呼び方はあるが広義的な意味では皆生き物であるというのは変わりないのだ。


(それなのにあのカマキリはまるで自らの存在を消滅させるように……待て。今、俺は何を思った? 自らの存在を消滅させる? それはつまり自らが存在したという事実を隠したいということなのか?)


 そんな風に考えていると、背後から1つの気配が近付いてくるのに気が付き、そちらへと振り向く。

 そこにいたのは片手を上げて近づいて来ているヴェルだった。


「馬車に異常はないから、そろそろ出発だってさ。エレーナ様が君を呼んでこいって」


 さすがにあの巨大なカマキリと一戦を交えた後だけにいつもの軽い調子は出ないのか、多少疲れた様子でヴェルが告げる。

 その言葉に頷き、レイもセトと共に馬車の方へと向かうのだった。


「なぁ、レイ。君は冒険者だよな? さっきのカマキリ、どう思う?」


 馬車へと戻る途中、ヴェルがレイへとそう尋ねる。その問いにレイは小さく首を振る。


「さっぱりだな。少なくても俺の知ってるモンスターは死んだ途端にああいう風に溶けたりはしない」

「だよな。俺も今まで何度かモンスターとは戦った経験があるけど、倒した途端に溶けるのなんて初めて見たよ」

「……あれがモンスターかどうかも不明だがな」

「え?」


 ボソリと口の中だけで呟いた言葉だっただけに、ヴェルにも聞き取れなかったらしく改めてそう尋ねてくるが、レイはその問いが聞こえなかった振りをして馬車へと向かうのだった。






「来たか。では早速出発するぞ。証拠がないとは言っても、どう考えても異常事態だ。確かダンジョンの周囲にはギルドの出張所があった筈だな?」

「はい。こっちで仕入れた情報ではそうなってますね」


 気絶から目が覚めたのだろう、アーラがどこか気後れしたようにエレーナの質問にそう答えていた。


「あ、レイ殿。……足を引っ張って申し訳ありません」


 そしてレイの姿を見た途端、素早く頭を下げてくる。

 どうやらカマキリからの一撃を受けて気絶していたのを恥じているらしいと気が付き、苦笑を浮かべるレイ。


「気にするな。あのカマキリは最低でもランクBモンスターレベルの実力は持っていたんだ。それを何の前知識も無い状態でやり合えば不覚を取るのもしょうがない」

「ですが……」


 良く言えば純粋。悪く言えば猪突猛進といったアーラだけに、自分1人だけが気絶していたというのが堪えているのだろうとレイは苦笑する。

 実際あの巨大カマキリは、透明になったり飛斬と同様の攻撃を4つの鎌全てで行えたりとレイにしてみても色々と規格外の存在だったのだからアーラを責めたり笑ったりといったことは出来なかった。


「アーラがその身で奴の強さや危険性を証明してくれたからこそ、それ以上の被害が出なかったんだと思ったらどうだ?」

「エレーナ様……」


 慰めるように……というよりは事実を口にしたその言葉に、アーラはエレーナの方へと視線を向ける。


「全く、いつもの元気はどうした。この部隊のムードメーカーでもあるお前がそんな様子では雰囲気が暗くなるだけだぞ? それに今回ミスをしたと思うのなら、そのミスは次に取り返せばいい。違うか? 少なくてもいつものアーラならそういう風に前向きに考える筈だし、そういうアーラだからこそ私は好ましく思っているのだがな」

「はい、分かりました! 次こそはエレーナ様のお役に立って見せます!」


 心酔しているエレーナの励ましを聞き、殆ど反射的と言ってもいい早さで立ち直るアーラ。その様子に苦笑を浮かべつつも、エレーナは再び口を開く。


「アーラ、お茶を頼めるか? 全員分だ」

「はい、すぐに」


 エレーナの言葉に頷き、マジックアイテムで構成された調理場の方へと向かうアーラ。

 その後ろ姿をエレーナは柔らかい笑みを浮かべながら見送ったのだった。


「仲がいいんですね」

「ん? あぁ、確かにそう見えるか。何しろ私は公爵令嬢という立場なのに戦に身を置いている変わり者だからな。どうしても女友達というのは少ない。それに私に取り入ろうとする貴族達は数が多いが、アーラのように純粋に慕ってくれる者というのも同様にな。だからこそアーラは私にとっては掛け替えのない存在なのかもしれないな。……言っておくが、それだけでアーラを側に置いている訳ではないぞ? 実際にどれ程の腕なのかはお前もよく知っているだろう?」


 エレーナのその言葉に、ギルムの街で初めて会った時のことを思い出す。

 一撃の鋭さや速度は特筆すべき物は無い。だが、その腕力。あるいは剛力といった一撃はまさに一撃必殺と言ってもいいだろう。


「確かにあの力の強さは近接戦闘をやる上ではかなり有利な要素ですね」

「うむ。だがアーラには私の信を得る騎士として、もっと強くなって貰わないといけない。それとあの猪突猛進気味な所がなんとかなってくれれば文句は無いがな」


 そんな風に会話をしていたレイとエレーナだったが、やがて2人の目の前に紅茶の入ったカップがそっと差し出される。


「お待たせしました、紅茶です」

「ご苦労。……さて、全員ちょっと聞いてくれ。あのカマキリの件についてだ。……どう思った?」


 エレーナのその言葉で、馬車の中にいるレイ、アーラ、キュステの3人が厳しい顔付きになる。

 最初に口を開いたのは意外なことにキュステだった。紅茶で口を湿らせてからチラリと魔槍へと視線を向ける。


「少なくても、私が1人で戦って手に負える相手ではなかったですね。いえ、むしろあの戦いを思い返せば私はエレーナ様の足を引っ張っていたように思います」

「それは私も同じよ。私なんか足を引っ張る引っ張らない以前に一撃で気を失ってしまったし」


 キュステの言葉に、アーラが苦笑を浮かべながら言葉を返す。

 先程の落ち込み振りから考えると、その立ち直りの早さはアーラだからこそなのだろう。


「戦闘力もそうだが、何よりも厄介なのはあの透明になる能力だな。おまけにこっちが近付くまで身動き一つせずに待ち受けている徹底ぶりだから、俺やセトでもその存在に気が付くのが遅れた。どういう訳かセトの嗅覚でも臭いを感知出来なかったし、普通の相手ならあの透明な状態から鎌の一撃を受けたら対応するのは難しいだろうな」

「そうですね、確かにレイ殿の言う通りあの透明になる能力は厄介極まりないです。実際私もあの一撃で不意を突かれましたし。あの一撃を防げたのは殆ど運によるものでした」


 キュステに話し掛ける時に比べると、幾らか固い口調でアーラがレイの意見に同意する。


「他にも身体を甲殻のようなもので覆われていた為に攻撃が通りにくかったし、レイが使ったのと同じような風の魔法で斬撃を飛ばすという攻撃方法もあったな」


 再び紅茶で口を湿らせながら呟くキュステ。

 基本的にはレイの存在を努めて無視しているのだが、さすがに仕事のことになれば話は別らしい。


「そして何よりも異常なのは倒した後だな。倒した後に自らの身体を溶かして存在そのものを消してしまうような相手だ。尋常なモンスターではあるまい。……レイ、お前は確か魔法使いの弟子をしていたのだったな? 何か心当たりは無いか?」


 エレーナの言葉を受け、すぐに自分の設定を思い出すレイ。

 だが、設定はあくまでも設定であり現実ではない。


「ちょっと待って下さい。何か無かったか思い出してみます」


 エレーナへとそう告げ、久しぶりにゼパイルの知識を引き出していく。

 それから数秒、ゼパイルの知識の中で唯一それらしい物が見つかる。


「これは確実ではないですが……と言うか、この方法ならあのカマキリの現象を説明出来るかもしれない……というのなら1つだけ思いついたのがあります」


 レイの言葉に、エレーナも含めて全員が驚きの表情を浮かべる。

 エレーナにしても、言うだけ言ってみた質問だったのだろう。


「それはどういうものだ?」

「あのカマキリが錬金術で作られた一種の人工生物のような存在だった場合です。その場合はあのカマキリを造り上げる過程で、もし死にそうになったらその死骸から錬金術師の技術が流出しないように一種の証拠隠滅をする為の仕掛けを組み込むというのはあり得ます」

「……私は錬金術には詳しくないのだが、そういうことが可能なのか?」

「可能性はある、としか言えません。そもそも俺は師匠から錬金術については殆ど習ってませんから。今の知識にしても、会話の中でそういう風な物があるという感じで聞いた覚えがあっただけですし」

「まぁ、何も手掛かりが無いよりはいいだろう。ダンジョンについたら一応カマキリの件はギルドの出張所に知らせておくとしよう」


 その後も幾らかカマキリの件について話合ってはみたのだが、そもそも死骸が消滅してしまっては証拠となるようなものも無い為にレイのあやふやな考え以上の意見が出ることは無かった。

 そして、その日の夕方。ダンジョンとその周辺に出来た村へと馬車は辿り着く。

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