第23話

 ギルムの街の冒険者ギルド。その受付嬢でもあるレノラはポニーテールの毛先を弄りながら憂鬱そうに上司から渡された書類を眺める。

 その書類には色々と複雑な文章が書かれていたが、要約すれば以下の通りだった。


・レイという冒険者を注意して見ておくこと。

・その冒険者が貴族派と揉め事を起こした場合は直ちに上司に報告すること。

・その冒険者が他の冒険者に絡まれた場合も同様に直ちに上司に報告すること。


「はぁ……」


 書類を眺めながら思わず溜息を吐く。

 幸い現在はもう少しで昼の鐘がなる頃合いなので、ギルド内部に冒険者は殆どいない。いても少し早めの昼食を取っている数名程度。


「どうしたの、そんな溜息なんか吐いて」


 レノラの隣にいる同僚が不思議そうに尋ねてくる。猫の獣人であるケニーだ。猫族の特徴でもあるしなやかな肢体を見せつけるかのように伸びをしているが、それが余計に自分の胸の小ささにコンプレックスを感じているレノラに軽く嫉妬を抱かせる。


「ほら、これよこれ」


 大きな胸から目を逸らすようにして、持っていた書類を渡す。

 ケニーも昼前で相手をする冒険者が誰もいないのが暇だったのだろう。特に躊躇いも無く書類へと目を通す。


「えーっと、何々? ……ちょっと、これってどういうこと?」


 最初は好奇心で書類を読んでいたケニーだったのだが、その文章を読み進めるに従って頬が引き攣っていく。


「見ての通りよ」

「でも、基本冒険者同士の争い事にギルドは不介入でしょ? なのに何かあったらすぐに報告しろだなんて」

「それもだけど、最後の決裁印を見てみなさいよ」


 レノラの言葉に書類の最後に押されている決裁印へと視線を向け、一瞬動きが止まるケニー。数秒程してようやく口を開く。


「ちょっと、これってギルドマスターの決裁印じゃない!」

「そうよ」


 ギルドマスターの決裁印。即ちこの書類に書いてある命令はギルドマスターから命じられた物だということになる。


「あんた何やったの?」

「私は別に何もしてないわよ!」


 思わず疑いの眼差しで自分を見てきたケニーへと、強い口調で返すレノラ。


「だって、何もしてないならなんでギルドマスター直々の命令なんか受けてるのよ。と言うか、あんたこのレイって冒険者とどういう関係?」

「別に特別な関係なんかないわ」

「じゃあ、なんでこんな命令が?」

「そのレイって冒険者が人族だったせいか、ギルド登録時に私に話し掛けてきたからよ。その後の依頼を受ける時も私に持ってくるし」

「それって、そのレイって奴があんたを狙ってるんじゃないの?」


 ケニーの言葉に軽く首を振るレノラ。

 だが、ケニーの言っていることは決して間違ってはいない。何しろギルドの受付嬢と言えばギルドの顔である。当然受付嬢を採用する者も相応の美人を選ぶことになり、結果的に冒険者ギルドの受付嬢と言えば冒険者達の憧れ、高嶺の花、恋人にしたい相手、一晩でもいいから共に過ごしたい相手、という存在になる。

 レイもまたそういう意味でレノラを口説いてるんじゃないのかと言いたいケニーだったが、直にレイと接触しているレノラとしては自分が口説かれているという感じはしなかった。

 ギルドで受付嬢をやっていれば自然と冒険者達に口説かれる回数は多くなる。いや、日常茶飯事と言ってもいいだろう。ギルドには酒場のスペースもあるので、毎年数人は酔っ払ってレノラ達に酌をしろと絡んでくる者達が出て来るのだ。……もっとも、そういう存在はギルドの業務を妨害したとしてそのままギルドにある牢へと直行。翌日には業務妨害の罰金としてそれなりの額を泣く泣く支払う羽目になるのだが。


「それはまずないわね。そもそもこの書類に書かれているレイってあの子よ。ほら、鷹の爪と揉めた」


 レノラの言葉であっさりとレイを特定するケニー。ギルド登録をしに来た者に絡むタチの悪い冒険者というのはそれ程珍しくない。だが、はいはいと相手におべっかを使ってなあなあにして済ませるのが普通だ。それによって絡んできた冒険者との間に上下関係が生まれて色々と利用されたりすることになる。ただし、この場合の利用とは雑用を命じられるのが主であり、それによって冒険者としての経験を積むことも出来るので一概に悪いとは言えない。その為にギルドの方でも半ば黙認しているのだ。

 だが、その絡んできた冒険者。しかも一人前と見なされるだけの経験を積んできたランクDの冒険者達を相手に逆に喧嘩を売り、尚且つ勝って金や武器を奪うというのはレノラにしても聞いたことが無かった。

 もちろん冒険者を目指すのだからそれなりに血の気の多い者もいるし、そういう者はレイのように絡んできた相手に喧嘩を売ることもある。だが冒険者として経験を積んできた者と、冒険者に成り立ての者では戦闘経験が圧倒的に違うのだ。だからこそレイのような存在は強く印象に残っていた。


「あの子かぁ……グリフォンをテイムしてるって話だし、ギルドマスターにしても期待の新人って訳ね」


 脳裏にレイの姿を思い浮かべるケニー。ローブを纏い、巨大な鎌を持っているその姿は目立つことこの上ないのでさして苦労もせずにどのような人物だったのかを思い出すことが出来た。

 もっとも、大鎌という悪目立ちのする装備をしているせいでその容姿ははっきりと思い出すことが出来なかったが。


「でも、期待の新人ってだけでギルドマスターがそこまで特別扱いするかしら?」

「うーん、そのレイって子の実力は?」

「まだ受けた依頼は2件。ゴブリンとソルジャーアントの討伐ね。ゴブリンは10匹近くの討伐証明部位を。ソルジャーアントに至っては30匹以上の討伐証明部位を提出してるわ」

「……本当?」

「本当」


 ゴブリンはともかく、ソルジャーアント30匹をパーティも組まないソロで倒すというのはC級やD級でも苦労するだろう。少なくてもギルドに登録したばかりの駆け出しに出来ることではない。


「……あぁ、そっか。グリフォンを連れてるんだし、それなら出来るか」

「そのグリフォンを従えてることそのものがあの子の実力を示してると思うんだけどね」

「じゃあ結局、そのレイって子が期待の新人……どころか、既にきちんと戦力として数えられるからギルドマスターも目を掛けてるんじゃないの?」

「まぁ、その線が一番ありそうかしら」

「だってあの子って確かまだ15歳でしょ? その年齢であの実力じゃ将来的にSクラスも狙える逸材だろうし」


 ギルドランクS級。それは世界でも3人しか存在していない人外の実力を持つ者達だ。自分が注意しておくように言われたレイにしてもそのような存在になるのかもしれない。そう思うと、ゾクリとした何かを身体の内側に感じるレノラだった。


「で、その肝心のレイ君は今日来てないの? 朝にも見た記憶は無いけど」


 朝の混雑の中でも冒険者達個人個人を記憶しているのはさすが冒険者ギルドの顔である受付嬢といった所だろうか。


「さすがに2日連続で討伐依頼を受けたんだから、今日は休んでるんじゃない?」

「まぁ、それもそっか。ソルジャーアント30体以上だもんね」

「と言うか、何でいきなりレイ君呼ばわりなのよ?」

「だって、将来的に上に昇っていくのが確実な子なら親しくなっておきたいじゃない。年上女房もいいものよ? それにほら、私ってば男好きのする身体をしているし」


 得意げにそう言いつつ、その豊かな胸を腕で挟んで強調するケニー。

 その様子に、ピクリとコメカミに血管を浮かばせつつも口元に薄い笑みを浮かべるレノラ。


「確かにケニーはそうかもしれないけど、向こうがそうだとは限らないわよ? それに大体、幾ら才能があるとは言っても今はまだGランク。Sランクに昇格するとしてもまだまだ掛かるでしょうし、きっとその頃になったらケニーも立派な行き遅れなんでしょうね」


 レノラの言葉に、今度はケニーがピクリとする。


「あらあら、身体付きが貧弱な子は考えも貧弱なのかしら」

「……ケニー、喧嘩売ってるの?」

「それはレノラでしょう?」


 一触即発。まさにそんな状態の2人だったが、次の瞬間には昼を知らせる鐘の音が周囲へと響き渡る。

 2人の状態をまたか、と見ていた他のギルド職員や受付嬢達もさっさと昼食を取るべくカウンターから離れていく。

 後に残されたのは運悪く昼の当番として残された者達と、女のプライドを賭けて睨み合っているレノラとケニーのみ。

 喧嘩するほど仲が良い、近親憎悪、類が友を呼ぶ。色々と似たような言葉はあるが、レノラとケニーはまさにそれを象徴するような2人だった。

 こうして、平和とも言えないが危険でもないギルドの日常は過ぎていく。






「これがポーションか」


 ギルドで仁義なき女の戦いが繰り広げられている頃、レイは宿の部屋でベッドに腰を掛けて手に持っていたビーカーを眺めていた。ビーカーの中では青い液体が揺れていた。

 外では青空が広がり、太陽がこれでもかと日光を降り注いでいるまさに夏の好天と言ってもいい天気なのだが、今日のレイはギルドで討伐依頼を受けていなかった。

 目的としては一昨日のゴブリン希少種、そして昨日のクイーンアントからどのような素材が取れるのかを調べる為だ。その為に朝から以前にも行った本屋へと出向き、数冊の本を金貨数枚支払って購入したのだから。そして本屋を出て宿へと戻る途中で目に入ったのが道具屋だった。体力を回復させるポーション、魔力を回復させるマナポーションといった定番のものの他にも、毒消しや麻痺解除薬といった状態異常を回復させる薬、中には虎鋏のような罠といったような様々なものが売られていた。武器に関してはデスサイズ、防具に関してはドラゴンローブがある為にそれ程興味が無かったが、ポーションの類はミスティリングの中には殆ど入っていなかったので何となくその店に入り数種類のポーションを購入してきたのだ。

 尚、何故ミスティリングの中にポーションの類が入っていなかったのかというと、ポーションが発達してきたのがゼパイル達が消え去ってからという単純な理由だったりする。一応ゲームに詳しいタクムがその辺を発展させようとしたのだが、結局タクムが生きている間はポーションに対する研究が殆ど進まなかった為に当時はあったとしても稀少品であり、庶民やその辺の貴族が手を出せるような値段では無かった。


「飲んでも掛けてもOKねぇ」


 青い液体を見ながら呟くレイ。

 ポーションの使い方は至極簡単で、飲む、あるいは傷口に掛けるという2通りの方法があると道具屋の主人から聞いていた。

 効果としては飲む方が効果は圧倒的に高い。まず、怪我をした箇所だけでは無く肉体全体に効果が及び、尚且つある程度はその回復効果が持続する。そして多少ではあるが体力も回復するというおまけ付きだ。それに比べて掛ける場合はポーションを掛けた場所の傷は回復するものの、それで終わりだ。持続回復効果や体力の回復といった追加効果は無い。

 だが、それでもこの世界では基本的に傷口に掛けるという手段が一般的に広まっており、飲むという手段を取る者は限りなく少ない。何故か。それは単純にポーションが非常に不味いからだ。


「うえっ、確かにこれを飲むのは出来れば遠慮したいな」


 道具屋の主人から聞いた話を確認しようと、ポーションを1滴だけ指に垂らして舐めた次の瞬間にはその不味さに眉を顰めて呟く。

 その味は、日本にいた時に興味本位で飲んでみた青汁を極限まで濃縮したような味、とでも表現出来るものだった。


「確かに戦闘中にこれを飲むくらいなら多少効果が低くても掛けた方がいいだろうな」


 幾ら効果が高くても、その不味さの余り戦闘行動が不可能になる可能性を考えると飲むという行為はレイにとって自殺行為にしか思えない。

 尚、世の中にはポーションを好んで飲むような趣味人もいたりするのだが……レイにとっては信じられることではないだろう。

 それでも戦闘中の回復手段があるのと無いのではリスクが段違いなので、数個のポーションを買ってミスティリングへと収納しておいたのだが。

 後でセトへと渡したような常時回復効果のあるアクセサリを装備すればいいんじゃないか? とも思ったのだが、脳裏に浮かぶリストには回復効果を持ったアクセサリは存在していなかったのが判明してレイのぬか喜びに終わる。

 その後は本屋で買ってきた本を読みながら、クイーンアントの素材や代表的なモンスターに関して勉強しながらレイの休日は過ぎていく。

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