第9話
森から20分程移動すると、広い草原へと到着する。その中でも大きな岩のある場所へと降り立ち、レイはようやく一息を吐いた。
「取りあえずは一安心、か」
「グルゥ」
岩へと寄り掛かりつつ草の生えている地面へと腰を下ろすと、セトが喉の奥で鳴きながら頭を擦りつけてくる。
その頭をコリコリと掻きながら笑みを浮かべる。
「セト、お前のおかげで何とか森を脱出出来た」
「グルルゥ」
気にするな、という風に喉を鳴らす。
「取りあえずはここで一晩明かして、明日になったら街なり村なりの人のいる場所を探すとしよう。……もっとも、ゼパイルの知識によればこの周辺に街や村は無いようだが……さて、どうだろうな」
レイの胸に湧き上がる疑念。それは水熊や刃ムササビの情報がゼパイルの知識に全く無かったことだ。
確かに数百年ものブランクがあれば、情報が不完全であることもあるだろう。だが、自分達の隠れ家周辺に住み着いている魔物の情報が続けて2匹分も存在しないということがあるだろうか。獣である狼の情報については普通にあったのだから、完全に信用出来ないという訳ではないのだろうが。また、森の規模についても同様だ。ゼパイルの知識にあった情報ではもっと森が小さかった筈なのだ。少なくてもセトに乗って10時間以上を走り続けてようやく抜け出す……という規模では無かった。
「グルゥ?」
「そうだな。心配してもしょうがないか。取りあえず腹ごしらえでもして明日に備えるとしよう。セト、向こうにある木を持ってきてくれ」
視線の先に倒れているそれなりの大きさの木をセトに持ってくるように頼み、自分はミスティリングから水熊の肉のうち腕の部分を取り出す。
うろ覚えでの知識ではあるが、熊の掌の肉が美味いというのがあったからだ。
取り出した水熊の右腕をミスリルナイフでぶつ切りにし、近くに落ちていた枯れ木に突き刺していく。
「グルルルルゥ」
丁度串刺し肉が10本程出来た頃、セトが倒木を前足で転がしながらこちらへと戻ってきた。
その様子を見て、セトの力の強さに感心しながらもミスティリングからデスサイズを取り出す。
「まさか大鎌で一番最初に切るのが薪とか……ゼパイルが知ったら何ていうのやら」
そんな風に苦笑しながらも、デスサイズへと魔力を流し込みつつ刃を一閃、二閃、三閃と繰り出してはその度に倒木は小さく切り分けられて薪へと姿を変えていく。
十分な量が集まった所で焚き火の準備をして呪文を唱える。
『炎よ、我が指先に集え。小さき炎』
現れた炎が焚き火へと燃え移り、その炎から適度な距離を取って先程作った熊肉の串刺しを地面へと突き立てて野営の準備は完了だ。
さすがにミスティリングの中にも寝袋やテントといった野営グッズは入っていなかったので、目の前の焚き火がレイの一晩の友となる。
「グルルゥ」
早速肉が炎で炙られ始め、食欲をそそる香りが周囲へと漂うとセトがレイの方へと身を寄せていく。
待ちきれない、とでもいうように喉の奥を鳴らすセトに苦笑しながらまだ串に刺してもいない生肉を切り分けて与える。
「取りあえずこの肉が焼けるまではこれでも食っててくれ」
「グルゥ」
生肉の切り身をそのままクチバシに咥え、数度噛んで飲み込む。そしてその青い眼でもっとくれ、とねだってくるのを見ながら新しい肉の切り身をセトへと与える。
(人間ならよく噛んで食べた方がいいんだろうけど、グリフォンはどうなんだろうな)
そんな風にセトの餌付けをしながら5分程。ようやく焚き火で焼いていた肉にも火が通り、その串を地面から抜いて肉汁の滴る肉へとかぶりつく。
まず最初に感じたのは圧倒的に芳醇な肉の味だった。以前、近所に住んでいる猟師が仕留めた熊肉を食べさせて貰ったことがあったレイだが、その時の感想は『まぁ、不味くはない……かな?』というものだった。それに比べて水熊の肉はレイの知る熊肉とは既に別物と言っても間違いでは無い程の味だ。魔石を取る時に解体して結果的に血抜きをしたのが良かったのか、血生臭さは殆ど感じられずに微かに残るその血生臭さも野生動物特有の肉の味にプラスされて風味豊かな、と表現してもいい味になっている。
ただ、惜しむらくは調味料が全く無いので純粋に肉の味しかしないことだろうか。せめて塩だけでもあれば随分と違うのだろうが。
実はレイは知らなかったが、魔物の肉というのは基本的には持っている魔力が高ければ高い程に美味くなる傾向がある。もっともあくまでも傾向は傾向であり、魔力が高くても不味い肉を持つ魔物や、魔力が低くても美味い肉を持つ魔物というのも存在しているのだが。そういう意味では初めて食べるのが水熊の肉だというのは幸運だったのだろう。
「グルルゥ」
自分にもくれ、と顔を突き出してくるセトに串焼きを差し出すと、クチバシで器用に肉を串から取って口へと運んでいる。暫くその様子を眺めながら自分も肉を口に運んでいたレイだったが、一通り食べて満足した後はデザート代わりにクララの実を取り出して齧り付く。
甘酸っぱい果汁と果肉を持つその実を素早く腹に入れると、残っていた生肉に齧り付いているセトをそのままに横に置いていたデスサイズを手に取って立ち上がった。
「グルゥ?」
レイの様子に気が付いたセトが視線を向けるが、周囲に危険は無いと判断したのか再び生肉へと夢中になるのだった。
セトの様子に苦笑を浮かべつつも少し離れた場所まで移動して、デスサイズを近くにある岩へと立てかけてから身体の調子を確かめるかのように柔軟を始める。
レイの記憶にある玲二の身体は確かにそれなりの柔らかさを持っていたが、レイの身体は予想以上の柔軟さを持っていた。
まず、立ったままで膝を曲げずに手を真っ直ぐに伸ばすと掌がペタリと地面に触れることが可能で、さらにまだまだ余裕がある。
その後も中学や高校で習った柔軟運動を適当にこなし、数分。
「さて、準備運動はこれくらいでいいだろ」
そう呟き、岩に立てかけてあったデスサイズをその手に取り、両手で持って構える。
「はぁっ!」
気合い一閃。デスサイズの刃が空を裂く。だが、本人は何か気に入らないらしく、首を傾げつつ再びデスサイズを構えた。
「はぁっ!」
再度一閃。前の時とは身体の捻りが違っていた。デスサイズを振り下ろす時に腰の回転を意識し、その動きが正確にデスサイズに伝わるように放たれたのだ。
「まぁ、こんな具合か」
たった2度の振り下ろしでデスサイズの扱いを理解したのか、そのまま右から左への横薙ぎ、その逆に左から右への横薙ぎ、下からの掬い上げるような一撃と思いつく限りの素振りを延々と飽きずに繰り返す。
そんな状態が続くこと30分程。最初は腕力任せでどこかぎこちない扱いだったデスサイズを次第に自由に操れるようになっていく。その速度は普通の戦士や剣士といった存在が見たら嫉妬する以外にはない速度、と言えば想像が出来るだろうか。
袈裟懸けに振り下ろしたデスサイズの刃が地面にぶつかる直前で止め、刃を真上に来るように調整しながら跳ね上げてから、そのまま真横へと薙ぐ。
もし今の一連の攻撃が人間に加えられたのだとしたら、まず袈裟懸けに大鎌で斬られ、その後切り上げられた一撃で右腕を切断され、横薙ぎの一閃で首が胴体から飛ばされるだろう。
その後も大鎌を連続で振るい、時には水熊に対して使ったように柄を槍や棍のように使ってデスサイズの一撃と組み合わせたトリッキーな動きを見せつつも、よりデスサイズの扱いに慣れていく。
既に現在のレイが行っているのは当初の一撃を入れては止まって、また一撃、といったようなぎこちない動きではなく、演舞と言っても過言ではない程に研ぎ澄まされた舞となっていた。振るわれる刃の一撃はまるで空気を切り裂くかのような鋭さを持ち、柄で貫かれた一撃は生半可な鎧なら貫通するような威力があるように見える。
そんな死の演舞とも言える動きをレイは一心不乱に続けていた。そしてその動きはますます研ぎ澄まされていき……
「はぁああぁぁぁぁっ!」
渾身の一撃で真横にデスサイズを一閃してその動きを止めた。
「ふぅ、大体慣れたな」
デスサイズでの訓練を始めてから既に数時間。デスサイズの能力として使用者に殆ど重さを感じさせないというのがあったとしても、一度の休憩も無しに巨大な大鎌を振り続けていたレイは息一つ乱していなかった。
「さすが世界最高の魔術師達が作りあげた肉体ってことか。休み無しで動き続けても息切れ一つしないとはな」
額に汗がうっすらと浮かんでいるが、見て分かる変化と言えばその程度のものだ。
デスサイズを持って焚き火をしている場所へと戻ると、そこではセトがクチバシで薪を焚き火の中へと放り投げている所だった。水熊の右腕の肉は既に一欠片も残ってはおらず、綺麗に骨だけになって地面へと転がされている。
「グルルゥ」
おかえり、とでもいうように喉で短く鳴いてレイを出迎えるセト。
通常のグリフォンとは違い、セトはレイの桁外れの魔力を基に生まれてきているのでその思考力は人間に準拠、あるいはより高いものがある。レイの言葉を理解しているのがその証拠だろう。今もレイがやっていたのは自分の肉体のスペックを確認するというのと、大鎌という扱いにくい武器を使いこなす為の訓練だと分かっていたので甘えたがりのセトであってもじっと我慢していたのだ。
だから。
「セト、水を貰えるか?」
「グルゥッ!」
そんな大好きなレイに頼まれると、喜んで水球を発動させるのだった。
セトに出して貰った水球がプカプカと浮かんでレイの前で停止すると、そこに手を突っ込んで水を掬って顔を洗うレイ。
「……あ、しまった。タオルとかないのか」
すぐに失敗に気が付いたが、適当に手で水を切ると自然乾燥に任せることにする。
「グルゥ」
地面に座っているセトの身体へと寄り掛かると甘えるような声でセトが鳴く。
頭を擦りつけてくるセトの相手をしながら、内心で明日の予定を考える。
(取りあえず、当初の目的通りに街か村に行くとして……どっちに向かう? 幸か不幸か森からある程度離れても街道と呼べる物は発見出来なかった。となると、この森は余程の辺境にあると考えていい)
ゼパイルの知識を受け継いだと言っても、その知識の中には世界地図や日本地図のようなものは含まれていない。大雑把にどこそこの国の隣がなんとかという国で、その山脈を越えれば隣の国に……といったような情報のみだ。
そしてそんな情報ですらも数百年前のものであり、現在の情勢の参考にはならない。
(それに俺の嫌な予感が正しいと、ゼパイルの知識の殆どは役立たずになる可能性がある)
出会った魔物の情報が知識になかったり、森の広さの違い。それ等を考えると、もしかしてゼパイルの言っていた数百年以上の月日が過ぎている可能性が高いのだ。
「まぁ、その辺は街なり村なりに行けば判明するか」
「グルゥ?」
どうしたの、とでも言うように喉の奥で鳴いているセトの頭をコリコリと掻きながら何でも無いと首を振る。
「とにかく、明日だ。明日の朝になったら人のいる場所を探しに行こうか」
「グルゥ」
「見張りの方は、頼めるか?」
「グルゥ!」
セトの任せろ、とでもいうような鳴き声を聞きつつ、そのシルクのような体毛と心地よい体温に包まれて眠りに落ちるのだった。
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