第8話

 月明かりが降り注ぐ中、セトは夜の森を疾走していた。鷲と獅子という空の王者と百獣の王の両方の特性を持っているグリフォンだったが、その上半身は鷲のそれである。にも関わらず、セトの青い眼は仄かに降り注ぐ月光の明かりを頼りに危なげなく地面を踏みしめて、まさに夜の森を切り裂くかのような速度で走っている。

 セトの背に跨がっているレイはその様子に感心しつつも、その首を撫でながら口元に残り少ないクララの実を差し出す。


「グルゥ」


 森の中を走りつつも嬉しそうに喉の奥で鳴き、クチバシでひょいと咥えて咀嚼する。


「ゼパイルの知識が正しいならとっくに森の外に出てもいい筈なんだが……」


 呟きながら周囲の様子を確認するレイだったが、森はまだまだ続いているように見えた。


(数百年でここまで森が広がるのか? まぁ、魔術のある世界なんだしそのくらいはあるかもしれないか)


 内心で呟きつつも、どこか嫌な予感が胸を過ぎるのを止められない。

 その嫌な予感を無視するかのように、セトの首筋を撫でながら話し掛ける。


「それにしてもセトは凄いな。午前中からずっと走り続けてるのに全く疲れた様子を見せないし」

「グルゥ」


 レイに褒められ気をよくしたのか、さらに速度を上げるセト。

 その様子に苦笑を浮かべつつも、グリフォンとしても常識外れのその身体能力に感心するのだった。

 何しろセトが走り出してからは魔物にも獣にも1度も襲われていない。正確には走ってる途中で目が3つある猿だったり、50cmはあろうかという牙を持った猪だったり、耳が刃状になってるような1m近いウサギだったりに遭遇してはいたのだ。だが、そのどれもが森の中を高速で走るセトに追いつくことが出来ずに振り切られていた。

 レイとしては、戦闘経験を積む為だったり、まだ正確には分かっていない自分の肉体のスペックをきちんと理解する為、あるいはセトやデスサイズの成長を促す為の魔石の確保という意味もあって狼のような獣はともかく魔物との戦闘はしたいと思っていた。

 だが一旦魔物との戦闘を始めれば、それに釣られて集まってくる他の魔物や獣といった相手との戦闘を行わなければならないというのも狼との戦闘で分かっていたので、今はとにかく森を抜けるのを最優先目標としてひたすらにセトに森の中を走って貰っているのだ。


「グルゥッ!」


 その時。唐突にセトが鋭く鳴く。声に込められているのは警戒のようにレイには感じられた。


「セト、敵か?」

「グルゥ」


 レイの言葉に短く鳴くセト。

 だが、レイの目には月明かりだけではどこに敵がいるのかも見つけることが出来ない。

 それでもいつでも反撃出来るようにと、腰に差していた鞘からミスリルナイフを抜いて構える。


「グルゥッ!」


 走り続けているセトが鋭く左の方へと顔を向ける。同時に何かが暗闇の中から飛び出してきた。


「ちぃっ!」


 舌打ちをしながら反射的にドラゴンローブで身を守るように何かを受け止める。

 レイにとって不運だったのは敵が左から襲い掛かってきたことだろう。右から襲い掛かってきたのなら、右利きであるレイはミスリルナイフで迎撃出来たのだ。逆に幸運だったのはぶつかってきた相手が予想外に小さかったことか。おかげでセトの背から転げ落ちるような真似はしないで済んだ。


「ギィッ!」


 ドラゴンローブで包まれた何かが鳴き声を上げる。咄嗟に右手に持っていたミスリルナイフを口で咥えてそのまま左側のドラゴンローブに絡め取られている相手を掴み、目の前へと持ってくる。


「これは、ムササビか?」


 一見するとリスの様な姿と大きさをしているが、その手と足の間には皮膜のようなものが見える。ここまではレイの知っているムササビと同じだ。違うのは尻尾。何しろ本来はリスのようなフサフサな毛並みをしている筈の尻尾が硬質化しており、まるで刃のようになっているのだ。

 ただ、幸いなことに正面側から胴体を握っている為にその特徴的な刃の尻尾はこちらへと届いていない。


「ギィィィッ!」


 自分の身体を掴んでいるレイへと牙を剥き出しにして威嚇する。口から生えている牙は3cm程とレイから見れば小さいが、体長15cmの刃ムササビ(仮)にしてみれば十分すぎる大きさだろう。

 さすがにこの状況ではゼパイルの知識を探っている暇は無い為、左手で身体を捕まえたまま右手で首の骨を折る。死んだのを確認してからミスティリングへと収納。


「グルゥ!」


 再び鋭い声で鳴くセト。今度は頭上から襲い掛かってきた刃ムササビを口に咥えていたミスリルナイフを手に取って突き刺す!

 グニュウッという、肉を刃物で突き刺した感覚に微かに眉を顰めながら刃ムササビの死体をナイフから抜いてミスティリングへ。

 それから数分。木の上や茂みの中と至る所から襲ってくる刃ムササビをナイフで刺し、左手で捕まえてそのまま握りつぶし、セトが鋭い嘴で喰い殺し、鷲の鉤爪で引き裂く。だが、刃ムササビ達は仲間が幾ら殺されようとも構うことなく襲い掛かり、その度に死体を増やしていた。


「くそっ、切りがない!」


 既に慣れた様子で、ミスリルのナイフを空中で一閃。上下2つに分断された刃ムササビが地面へと落ち、それが瞬く間に後方へと過ぎ去っていく。

 このままでは大規模な火災を覚悟して火の魔術でこの辺り一帯を燃やしてしまった方がいいのか? そんな風に考えていた、その時。


「グルルルルルルゥゥゥッ!」


 注意を引くかのようなセトの声を聞き、視線を向ける。するとその視界の先では、ここまで延々と生い茂っていた木がようやく途切れているのが視界に入ってきた。


「出口、か」


 安堵の息を吐きながら、横に生えている木から襲い掛かってきた刃ムササビの胴体へとミスリルナイフを素早く突き刺し、息絶えたところでミスティリングへと収納する。


「セト、ここまで来ればもう飛んでも大丈夫だ。一気に刃ムササビ共を置いていく。行け!」

「グルルルゥッ!」


 了解、とでも言うように高く鳴き、今まで畳んでいた翼を大きく広げる。その翼は片翼だけでも2m近くの大きさを誇っていた。

 助走に関しては、ここまで走っているので既に十分速度が乗っている。その速度に乗ったまま、翼を大きく羽ばたき……セトが地面を蹴って浮遊感を感じた数秒後には、セトの姿は森に生い茂っている樹木の上にあった。

 夜空には雲一つ無い状態で月が輝き、月の光を地上へと照らしている。そんな夜空を、セトは翼を大きく羽ばたかせて飛ぶ。夜というのも関係しているのだろうが、夜空にはセトとレイ以外の他には何も存在していない。まさに自分達の貸し切りのようなその光景は、レイに改めてここが異世界だと強く認識させていた。

 だが、そんな時間も長くは続かない。


「グルルルゥッ!」


 何かを警戒するように鋭く叫ぶセト。その声を聞いたレイは、一瞬で意識を元に戻して周囲を鋭く観察する。


「……何?」


 周囲を見ていたレイの目に入ってきたのは、セトと同じように森の中から浮かび上がってくる無数の影、影、影。月明かりしかないので正確な数は把握できないが、それでも100程度はいるだろうと思わせる数だ。

 そこまでして追ってくる相手が何なのかというのはその影の大きさを見て殆ど反射的に理解してしまった。そう、それはつい今し方まで自分達を執拗に狙い続けていた刃ムササビで間違い無い。


(ムササビに出来るのは高い場所からの滑空だけってのが俺の常識だったんだが、まさか自力で空を飛べるとは……さすがファンタジー。だが、既に俺達は森を出ている。つまりはさっきまでのように火事を心配する必要も無い訳だ。今まで散々追い回してくれた礼はしっかりとさせて貰おうか)


 ミスティリングからデスサイズを取り出し、羽ばたいているセトの翼へとぶつからないように注意して構える。

 何しろレイの肉体に生まれ変わってからまだ2日程度。尚且つセトの背に乗って飛ぶのも初めてなら、その背の上でデスサイズを構えるのも初めてなのだ。下手にデスサイズを振り回してセトの翼を傷つけ、この高さから地上に墜落でもしようものなら助かる可能性は非常に低い。

 今までの森の中とは違い、柄では無く1m程度の大きさの刃をセトを追う刃ムササビの群れへと向けながら呪文を唱える。

 既に森の中では無いとは言っても、ここが森の上空だというのは変わらない。つまりここで使う魔術は広域破壊を行いつつも、その効果範囲は森の上空という限定範囲に留めなければいけないのだ。

 

『炎よ、踊れよ踊れ。汝らの華麗なる舞踏にて周囲を照らし、遍く者達にその麗しき踊りで焼け付く程に魅了せよ』


 呪文を唱えながら魔術の効果範囲を指定し、最後のキーワードを口に出す。


『舞い踊る炎』


 そしてレイの魔力により書き換えられた世界は、その姿を現す。

 人間大の炎が数十、数百とその姿を現して自由自在に夜空を動く。明るく輝く炎が周囲を照らしながら空中を動いているその様は、確かに炎による踊りと言ってもおかしくはない光景だった。炎の舞踏会の中にいる刃ムササビ達は必死の抵抗を続けるが、自慢の刃状の尾を使ったとしても、あるいはその鋭い牙を剥きだしたとしても炎に何らかの効果がある筈も無く、一体、また一体というように燃やし尽くされて消し炭となった身体が森へと落ちていく。自分達の叶う相手ではないと判断して森の中に逃げ込もうという刃ムササビ達もいたのだが、その殆どは舞うように空を動いている炎達に追いつかれて一瞬にして燃やし尽くされ、消し炭へと変えられる。それでも何匹かの刃ムササビは運良くレイの指定した魔術効果範囲から逃げ出すことに成功し、脇目も振らずに森の中へと逃げ込むのだった。

 魔術を使用してから数分。既に月明かりの照らす夜空に刃ムササビの姿は無く、魔術によって現れた炎もまたレイが指を軽く鳴らすとまるで今までそこに炎が存在したというのが嘘のように姿を消す。残っているのは翼をはためかせているセトに、その背に跨がったレイのみだった。


「グルゥ」


 夜空を舞う炎に花火を思い浮かべて眺めていたレイは、セトの声によって我に返る。


「悪い、ぼうっとしてた。……そうだな。取りあえず森からちょっと離れた所まで移動してくれ。そしたら一休みしよう」

「グルゥッ!」


 セトの雄叫びが数分前までは刃ムササビと炎が空を舞っていた夜空に高く響き渡り、そのまま翼をはためかせて森から離れるのだった。

 その道中、ふと先程の刃ムササビが気になりゼパイルの知識を探るが、水熊と同じように情報は存在していなかった。


(どうなっている? 幾ら数百年ものブランクがあるとは言っても水熊に続いて情報が無い、というのはちょっと違和感がある。これはもしかして……)


 レイの胸に嫌な予感が過ぎったが、疑念についてはそれこそ人のいる場所まで行かないとどうにも出来ないと判断して、ミスティリングにデスサイズを収納するのと入れ違いに刃ムササビの死体を1つ取り出す。

 同時に右の腰へと差していたミスリルナイフで刃ムササビの身体を切り裂いていくと、その心臓には数cm程度の魔石が存在していた。


「魔物、か。けど……」


 レイは先程の戦闘を思い出す。あの時、セトは刃ムササビをかなりの数食い千切っていた。そうなると当然魔石もセトに吸収された筈なのだが、スキル習得のアナウンスメッセージが流れた記憶は無かった。念の為にセトのスキルをチェックしてみるも、そこに表示されているのは水球Lv.1でやはり変更は無い。

 疑問に思ったレイは再度ゼパイルの知識を探る。

 それによると、魔石を体内に取り込めば必ずスキルの習得が出来る訳ではないらしいとあった。つまりは一度の魔石を取り込んだだけで水球を取得出来たあの水熊が例外だったということになる。

 また、余りに実力が低すぎる魔物の魔石を取り込んでも意味は殆ど無いらしいという事実も新たに判明するのだった。

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