第6話

 2mの巨体を誇った魔獣が、鈍い音を周囲へと響かせながら地面へと崩れ落ちる。本来は水で覆われていたその毛皮も、レイが解き放った炎の蛇の熱で完全に蒸発したのか既に普通の熊の毛皮と見分けがつかなくなっていた。


「何とか、なった……な」

「グルゥ」


 命を失い地面に横たわっている水熊の死体の隣で、レイもまた地面に座り込みながら思わず呟く。それを聞いたセトはいつものように顔をレイへと押しつけて来るのだった。


「セトもよくやってくれた。お前がいなかったらこいつにここまで綺麗には勝てなかっただろうな。下手をすれば森ごと焼き払われて……みたいな感じになってたかもしれないし」

「グルルル」


 セトの頭をコリコリと掻いてやりながら褒めてやる。セトもまた頭を掻かれるのが気持ちいいのか、猫のように喉を鳴らしながら上機嫌だった。

 そんな状態が続くこと数分。気を取り直したレイが立ち上がる。


「この魔物の死体をどうにかするにしても、取りあえずは場所を移動しないとな。恐らくすぐに別の魔物が来るのは間違いないだろうし」


 周囲は水熊とレイ達との戦いによる影響で木々が折れていたり、地面が削れていたりする。また、水熊が流した血の臭いや身体の内部から焼かれたことによる肉を焼く匂いも漂っていた。


「で、問題はこの水熊をどうやって持っていくかだが……セトの背に乗せていくか? いや、さすがに数百キロはありそうなのをセトに乗せるのは……いや、待てよ? もしかして……」


 悩んでいたレイの目に入ってきたのは、右手に装備されているミスティリング。ゼパイルの知識によると生き物を入れることは出来無いとあったが、水熊は既に死んでいるのだから問題は無いように思える。


「収納」


 水熊の死体に触りながら呟くと、次の瞬間には水熊の死体は跡形もなく消えていた。念の為に脳裏にリストを展開するときちんと水熊の死体と表示されていたので収納は完全に成功したのだろう。


「なるほど、生き物は無理でも死体なら収納可能なのか。……なら、あれは?」


 次にレイの目に映ったのはセトが三角跳びをした時に折れてしまった木だ。幹の太さが1m程もあるなかなかの大木。……とは言っても、この森の中では有り触れた大きさの木でしかないのだが。


「収納」


 その折れた木に触りながら呟くと、やはりこちらも一瞬にして跡形もなく消え去る。


「グルゥ」


 早く行こう、とでもいうように再び顔を擦りつけてくるセトの背を撫でながら行き掛けの駄賃とでも言うようにクララの実を手当たり次第にミスティリングの中へと収納してその場を後にするのだった。






「よし、ここまで来れば大丈夫だろう」


 水熊との戦いがあった場所から20分程移動した場所でようやく足を止める。本来なら20分程度の移動ではそれ程の距離が稼げないのだが、レイが履いているスレイプニルの靴の性能を考えると普通に歩いた時と比べて数倍の差があるので特に問題は無いのだろう。

 既に日差しもそれなりに高くなってきており、ジワジワとした暑さが周囲を包み始めていた。

 しかしレイは自動的に一定の温度を保ってくれる機能を持つドラゴンローブを着ているし、セトに至っては全く気にした様子は無い。それでもさすがに水熊との戦闘後に殆ど休み無しでここまで移動してきただけに、地面へと座り込んだ。


「グルゥ」


 撫でれ、とでも言うように頭を擦りつけてくるセト。その様子に心を癒されながらもミスティリングから先程採ったばかりのクララの実を4個取り出す。


「セト」

「グルルゥ」


 頭を掻いていた手を一端止め、クララの実を差し出すと嬉しそうに喉の奥で鳴きながらクチバシで咥えて皮ごと果肉を噛み砕いていく。

 その様子を見ながらレイもまたクララの実へと皮ごとかぶりつく。

 噛んだ瞬間に口の中に広がる爽やかな甘さと多少の酸味。その果肉をさらに噛み締めると、瑞々しい果汁が口の中いっぱいに広がっていく。

 レイにとっては初めて食べた味だった。……まぁ、東北の田舎町に住んでいたのだからそれ程珍しい果物を食べたことが無いというのも事実なのだが。

 ともあれ、予想外に美味かったクララの実を2個ずつ仲良く分け合って腹に収める。そうしたら次はいよいよ水熊の解体だ。


「セト、水熊の解体をするから血の臭いとかで他の魔獣が寄ってこないように警戒しててくれ」

「グルゥ」


 レイの言葉に小さく頷き、少し離れた場所へと移動して周囲を様子を警戒するセト。

 その様子を頼もしそうに眺めながら、ミスティリングから水熊の死体を取り出す。


「さて……とは言っても、どうしたものか。熊の解体なんてやったことないぞ」


 レイがやったことがあるのは、鶏の解体くらいだ。鶏は父親が闘鶏を趣味でやっていて、大会で負けた鶏を絞めるのを手伝わされていた。


「鶏と同じようにやると言っても、お湯が無いしな」


 鶏を絞める時は、基本的に紐で吊した後に首と足首を切って血抜きをして、それが済んだら熱湯を掛けて羽を毟っていく。この時、お湯を掛けることにより鶏の肉が締まり羽を毟りやすくなり、尚且つ毟った羽が濡れている為に空中を舞ったりしないのだ。

 そこまで考えて首を小さく振る。


「そもそも熊に羽なんか無いから鶏の解体の仕方は参考にならないな。ゼパイルの知識にもその辺は無いし。……しょうがない、独学でやるとするか。最低限魔石を傷つけずに入手出来れば後は俺とセトで食うだけなんだし。毛皮は……まぁ、綺麗に剥がせたらってことで」


 一応の方針を決定し、いざ解体! と思ったの束の間、自分の持っているのがデスサイズだけであるのに気が付く。当然ながら大鎌を使っての解体は非常に難易度が高いだろう。一度溜息を吐いたレイは、しょうがないのでミスティリングの中から使いやすそうな刃物を探して取り出す。

『ミスリルのナイフ』

 魔力と親和性の高いミスリル鉱石。その中でも最も高品質な鉱石を使って作られたナイフ。流した魔力量によって切れ味が変化する。


(まさかミスリルのナイフで解体とか……この世界にいる筈の他の冒険者達が知ったらどう思うことやら)


 まず間違い無くどやされるのは間違いない。あるいは泣き出す者も出て来るだろう。

 そのナイフを水熊の毛皮に差し込もうとした所で、ふと思いつき一旦ナイフを引く。ゼパイルの知識で水熊の情報を得ていなかったのを思い出したのだ。解体する際の注意事項や、高く売れる部分といった内容を知ってるのと知らないのとでは仕上がりに随分と差が出るだろうと思ったのだ。だが……


「ゼパイルの情報に、無い?」


 訝しげに呟くレイ。既に慣れた作業とばかりにゼパイルの知識から水熊に対する情報を引き出そうとしたのだが、その中には水熊に関する情報が一切無かったのだ。


(そうなると、ゼパイルが最後に魔術を使って精神世界とやらに引き籠もっている数百年の間に新たに現れた魔物なのか?)


 内心で疑問に思うも、知識が無い以上は自分で全てを判断するしか無かった。

 意を決して、まずは水熊の脇腹へと魔力を込めたミスリルのナイフを差し込む。するとさすがミスリルと言うべきか、あるいはレイの魔力量に驚くべきか。何の抵抗もなく、まるで水面に刃を刺したような感覚でスッとナイフの刃が毛皮へと差し込まれていった。


「これなら何とかなるか」


 そのまま筋肉に沿って毛皮を剥いでいくレイ。当然初めての経験だったので間違って毛皮を切る等のミスはそれなりにあったが、ナイフの切れ味のおかげで比較的綺麗な状態で毛皮を剥ぎ取ることには成功した。

 ひとまず剥ぎ取った毛皮はミスティリングの中へと収納し、まずは水熊の心臓へと魔力を流していないナイフを突き立てる。ズッと肉を切る感触の次にはコツッとナイフの刃先が何かにぶつかったので注意してナイフの刃でその異物を抉り取る。

 出て来たのは、レイの拳大の大きさの青色の結晶。それは一見すると宝石のようにも見えた。


「これが魔石か。青色ってことは水属性か。……まぁ、その辺は当然だな」


 魔石は宿していた魔物の属性によってその色を変える。ただし、それはあくまでも個体による差であり、同じ魔物でも火属性の魔石を持っていたり風属性の魔石を持っていたりと千差万別だ。そういう意味では、水熊は分かりやすい例と言えるだろう。


「魔石を取ったら後はそれ程気にする必要は無いな。俺やセトが食いやすいように適当に切り分けて……」


 ミスリルのナイフへと再度魔力を流し込んで骨ごと簡単に切り分けていく。

 熊の解体はそれから数分で終了した。今、レイの目の前には右腕、左腕、右足、左足、胴体、頭と6つに分けられた部位が並べられていた。


「グルゥ」


 血の臭いを嗅ぎつけたセトが、喉を鳴らしてこちらへと近寄ってくる。その視線は水熊の胴体から取り出した内臓へと向けられていた。


「……腹が減ったのか?」

「グルゥ」


 その様子を見ながら、既に癖になったようにセトの頭をコリコリと掻いてやる。


(さて、どうするか。ゼパイルの知識に水熊に関して何も無いから、この内臓が安全なのかどうかすら分からないしな。……まぁ、最悪ミスティリングの中に解毒薬とかはあるんだし、問題無い……か?)


 チラリ、と大きめの葉に置かれている水熊の内臓へと視線を向けて数秒考えて結論を出す。


「セト、食っていいぞ。ただ、胃と腸、精巣、肝臓は食わないようにな」

「グルゥ!」


 嬉しそうに喉を鳴らし、早速目の前にある内臓をクチバシで突き始める。

 レイが精巣と肝臓を食わないように言ったのは、うろ覚えの知識ではあるがフグの場合はそこに毒を持っていたとTVか何かで見たからだ。胃と腸は言うまでもないだろう。

 レイの為の食事の殆どを朝食として食べたにも関わらず、余程の空腹だったのかセトは瞬く間にレイに指示された以外の水熊の内臓を食べ尽くしたのだった。


「グルルゥ」


 ようやく一段落した、とばかりに鳴くセト。その様子は酷く満足気に見える。


「落ち着いたみたいだな、ほら、ちょっと来い」

「グルゥ」


 頭を寄せてきたセトのクチバシ、内臓を食べた為に汚れているそこを近くの木から取った葉で拭いてやる。


「グルゥ」


 それが気持ちよかったのか、セトは目を閉じて喉の奥で機嫌良さそうに鳴いていた。

 クチバシの掃除も一段落し、最後の仕上げとばかりに水熊から採取した青色の魔石を取り出す。


「グルゥ?」

「さて、この魔石を食う……んだよな?」

「グルゥ」


 当然、とばかりに頷くセト。もしかしたらセトにとってはデザート感覚なのかもしれない、と思いながらも拳大の青い魔石をセトへと差し出す。


「グルゥ」


 その魔石をクチバシで咥え……一飲みにする。


「……どうだ?」


 多少慎重になりつつも、セトへと尋ねたその時。唐突に頭の中で声が響く。


【セトは『水球 Lv.1』を習得した】


 それはまるでRPGのゲームで新スキルを習得した時に知らせるアナウンスメッセージのようだったが、レイはそのようなゲーム的な趣向を凝らす人物に不幸にも心当たりがあった。


「タクム、お前か……」




【セト】

『水球 Lv.1』

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