裸の終焉

曇りの夜空

裸の終焉

 (私のゴールっていったいどこなんだろう……私の生きる理由って何なんだろう)


 美種は深い夜の中でゆっくり、ゆっくりと足音を立てないように静かに歩いていた。しかしその顔は心の底から湧き上がってくる興奮を抑えきることができずに重い汗をにじませていた。彼女の鼓膜は荒い息遣いで粘着質に揺らされている。


 美種の身体には布切れ一つついていない。下着までも脱ぎ捨てており身体全身に生の風を受けながら歩いているのだ。プクリと膨らんでいる胸は不規則に揺れていき、手入れが不十分な全身の毛は風に当たるたびに歪にそよいでいく。

ただ靴だけはしっかりとはいていた。堅くてざらざらとするアスファルトから足の裏を守る為である。


 こじんまりとしたホテルへ続く入り組んだ道を進むための看板は先月の台風でへし折られた。そもそもホテルそのものは1年前業績不振で潰れた。それゆえにここは普通ならば人が来ない。


 来るのは余程冒険心のあるいまや天然記念物となった子供、もしくは人に言えないことを実行しようとする穢れた大人だけである。


(私は変態だ……肌に風が当たるたびにどうしようもなく身体が火照って子宮が燃えそうになるし、私以外からでた音が聞こえる度にビクビクって甘い電気が全身を流れちゃう……抑えられない……抑えたくもない)


 美種は決して悪い露出狂ではない、まだ性長が未発達な子供たちが決して自分の醜悪な中身を前面に押し出している裸体を見ないようにわざわざ場所も選んでいるし、そもそも誰かに見せたいと思っていないのだ。


 ならどうして裸で歩くのか、と彼女に問うたならば裸で歩きたくなったからと答えるしかないであろう。


(もっともっと裸で歩きたい。星や月に私を見てもらいたい……もっと自然と一体になりたい)


 美種の足は止まらない、ひたすら歩いていく。

 どこに行くのかも知らずに歩いていく、何処に着くのかも知らずに歩いていく、ゴールすらもはっきりしないまま彼女はひたすら歩いていく。


(服はもうずっと後ろにある……いま誰かに会ったら誤魔化せない……男の人に会ったら滅茶苦茶にされちゃう……でも歩きたい……何処まで行くのか確かめてみたい。

 分かってる、こんなことを続けていたらいつか絶対に破滅する、誰かに見つかるか、もし見つからなくってもどんどん私の身体はおかしくなっていってるから……

 でもだからこそ私は歩いてゴールを確かめないといけない)


 ザワザワと風に撫でられた木々や木の葉が心地の良い音色を奏でる。だがそれは服を着ている人の話、否、服を着ている人が昼に感じる音なのである。

 美種にとってただの風の音であっても大太鼓よりも身体を揺らすものであり、黒板を掻いた時よりも甲高い刺激をもたらすものであり、ベッドの上で最愛の人に囁かれる愛の言葉よりも妖しく心揺らすものなのである。


 少し地面が凸凹してきた、つま先が地面の突起を蹴った時美種はくすりと笑った。


(私の人生に起伏はなかった。平凡な家庭にありきたりの努力をしてそれなりの会社に入った。燃えるような恋も目の前が真っ暗になるような挫折も顔が真っ赤に染まるような恥ずかしいこともしたことはなかった。

きっとそれに特段の不満が無かったのが一番いけなかったんだろうね)


 美種は1年ほど前、男に襲われたことがある。恰幅がよく下半身の表情が顔に表れていた男だった。

 路地裏に強引に連れ込まれ声を出そうとするとこめかみを右手でぶん殴られた。そして抵抗する気力さえ失った美種は服を引き千切られて丸裸にされたのだ。

 だが運がいいのか悪いのか偶然大学生グループがタバコをふかそうと路地裏に大挙してやってきたのだ。恰幅がいくら良くとも数の暴力には勝てるわけがない。


(あの時、最初は怖くて怖くて仕方なかった。大学生たちがあいつをタコ殴りにしている時も安心どころか恐怖がますます増してた。むき出しになった本性が怖くて怖くて仕方なかった。

でも、私はそれ以上に興奮してた、男の人に見られることじゃなくって屋外で自分を守る鎧が何一つなくなってたことに興奮してた。男の人たちの丸出しの性根がたまらなく綺麗だと思った。

大学受験の本番より、初めて告白した時より、初めてセックスをした時より、ずっとずっとずっと興奮してたんだ)


月明かりが浮かび上がらせる木々の数が少なくなっていった。足場はさらに悪くなっていっている。


(太ももがかゆい……この前露出した時虫に刺されたんだったね)


美種にとってこのかゆみは勲章だった。自分が間違いなく自分の意志を貫き通したと言うことの証明であり、普通の人間では決してできない偉業を成しているという証拠。

 そう思った時、また全身に甘露が流れた。視界が鮮明になっていく。 


 不意にむわりと生暖かい風が吹いてきた。足が少し早くなる。


 ギシギシと何かを踏みしめている足を見てふと思う。


(これ要らない)


 唯一人間らしいものであった靴を脱いで放り投げた。どうせ安物だ、未練もない。


 美種は歩く、生まれたままの姿で歩く。もっとも獣に近い姿で歩いていく。

 本能のまま歩く、最も美しいと思える格好で歩いていく、自分の全てを捨てても構わないという覚悟を持って歩いていく。


 血が沸く、脳が輝く、神経が繋がっていく、子宮がうずいていく、心が満ちていく、魂が潤っていく。全てが自然に溶け込んでいく。


 これまでの人生はこの快楽を貪るためにあったのだと思えるほどの幸福に溺れながら美種は生まれたままの姿で歩いていく。


 ゴクリと生唾を飲むととても美味しかった。甘くて優しくてしっとりとしていてこれまで飲んだどんな飲み物よりも美味しかった。これまで飲んできたものは虚無だったのだろうか。


 口から入る空気もとても美味しかった。食感はフワフワしているが歯ごたえがある、味蕾を通してあらゆる味がやってくる。これまで食べたと思っていたことは虚構だったのだろうか。

 

やがて美種は確信をした。


(生きてる……私は生きてる……今、これまでで一番私は生きてる。ようやく見つけた、私の生きる理由。でも生きてる時間なんてすぐに無くなる)


 思考がドロリと甘く煮立った時、切り立った断崖が目の前に現れた。覗き込んでみるとすべてが呑み込まれるような重々しい黒色が谷間を覆いつくしている。


「これだね……これが私の生きる理由、いや生きてきた理由……絶頂のまま……幸福なまま」


 羽毛のように軽い足取りで歩を進めながら呟く。


「人生の終焉(ゴール)を迎えること」


 身軽な身体はいとも容易く闇に溶けた。美種は微笑む。


「あはっ、私の未来は輝いてるね」

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