62話・私が何も知らないとでも?

私の怒りの前にマレーネ夫人は苦痛な表情を浮かべた。シュガラフ前皇帝と繋がっていた夫人のどこを信じろと言うのか。


「トリッヒさまは散々私を馬鹿にしていました。あなただってそれは知っていましたよね? キランの命を狙わずに済むことになって気が楽になった? 嘘でしょう?帝国へと追いやるまで狙い続けたのだから嬉々としてやっていましたよね? シュガラフ帝国前皇帝に脅されていた? 馬鹿にするのもいい加減になさい。亡き前皇帝を悪者にしてしらを切るなんてあまりにも都合が良すぎるのでは?」

「皇妃さま?」

「私が何も知らないとでも? 私が武術を嗜むことを批難していたのは元将軍だけではなくあなたもでしょう? あなたが夜会に出て私のことを王家の恥だとか、王家の山猿と呼んでいたのは知っていますよ」

「そ、それは──」

「よくもペラペラと口から出任せが出るものですね? 母親が女優だったせいか演じるのが上手いこと」

「……!」

「なぜ知っているのかという顔をしているわね? あなたのご両親のことなら何でも知っていてよ。機密にされていたようだけど、某伯爵家当主が劇場で舞台上のある女優を見初め自分の娘よりも若い女に夢中になった。真実の愛は身分や年齢を越える──だったかしら? 一時、特権階級の中で有名だったそうですね?」


 この事は前世、私が閨話に前皇帝から聞かされたものだ。前皇帝は「老いらくの恋」に酔いしれていた。彼らに自分達の事を重ねてみて気持ち悪く思ったのを覚えている。

 でもそのことで糟糠の妻を追い出し若い愛人を妻として迎え入れた伯爵は世間の批難を買い、早々に当主の座を息子に明け渡すことになった。その後は地方で妻や子を連れて隠遁していたのに、死んだ時には妻や子は側にいなかったと聞くから薄情にも裏切られたに違いない。愛人としては金蔓にしか思ってなかったのだろう。

 私の言葉で夫人は口惜しそうに唇を噛みしめた。


「涙なんて止めて下さいね。私、悲劇に酔いしれた御方の涙は信じていませんの。ああ、そうそう。思い出しました。あなた方に批難されて悔し涙を零した私に山猿には涙も似合わないと笑っておられましたね」

「あれは言葉のあやで──」

「酷いものでしたよ。あなた方は父王がいないところでは平気で私や母を皆の前で貶める。それはシュガラフ帝国流だったのかしらね?」


 あの頃から不快でならなかった。その彼女とこうしてこの帝国で再会したのも面白くない。

先ほどトリッヒ夫妻の離婚はしていたという話にしっくりしない感じがしたのは、彼女はトリッヒと一緒になって私の事をあざ笑ってきたからだ。私は夫人に気を許してなかった。宮殿で会った時から警戒していた。


「夫の言動を諫めることもせずに一緒になって私を馬鹿にしてきた。しかもキランがオリティエさまを連れ帰ってきた後で、アリーダ王女と婚姻する前に生殖器官に問題がないと知れて良かったじゃないかと高笑いする将軍の隣で、キランさまをシュガラフ帝国へ送り出した宰相の判断は間違っていませんでしたわ。可愛げの無い王女よりも愛らしい奥さまを迎える事が出来そうで良かったと言っていましたね? まだ婚約解消の話も出ていない時に。そんなあなた達の言葉のどこを信用しろと?」


 あの日、キランがシュガラフ帝国から女性を連れ帰って来てショックを受けた私は回廊を歩いている時に彼らの会話を聞いたのだ。キランと将軍夫妻の会話を。彼らは私の存在に気がつかずに好き放題言っていた。


「夫人を捕らえよ。これは皇妃に対する不敬だ。過去の事とはいえ見過ごすことは出来ない。皇妃は余と並び立つ者だからな」

「陛下っ。妃殿下。お許し下さい」


 皇帝の言葉に隣室に控えていた近衛兵が入ってきて夫人を捕らえた。夫人は両脇を近衛兵に取られて顔を向けてきた。お慈悲をとでも言いたげな瞳から視線を反らした。自業自得だ。彼女はシュガラフ帝国からみれば小国でしかないゲルト国を馬鹿にしていたのだ。その小国の王妃や王女なんて尊敬するに値しないと思い込んでいたのだろう。

 シュガラフ帝国のような洗練された夜会から見れば、王城での夜会は野暮ったく見え田舎くさく思われたのかも知れない。


「嫌な思いをさせて済まなかった」


 近衛兵に連行されていく夫人を見送っていたら陛下から謝罪の声があがった。ふと、この人は私に謝罪するのはこれで何度目だろうと思った。


「いいえ。過去の嫌な事が清算出来て良かったです。ありがとうございます。陛下」

「あれがあなたをそのように見ていたとは知らなかった」

「彼女は人当たり良く演じるのが上手かったですから仕方ありませんわ」


 逆に信じてもらえて良かったですと言えばフォドラが席を立ち上がって目の前に来た。


「よく頑張ってこられましたね。わたくしには出来ないことでした」


 フォドラは私が自国でそのような目に合っていたとは知らなかったようで、私が明かした将軍夫妻の言葉に怒りを覚えたようだ。


「いいえ。私一人ではなかった。側にはノギオンもルーグもいてくれましたから」


 泣きそうになる私をそっと彼女は抱きしめてくれた。


「あなたには本当にこちらの都合に巻き込んで申し分けないことをしたと思っている。半年後にはあなたを解放しよう。勝手な言い分で大変申し訳ないがあともう少しだけ付き合ってもらえないだろうか?」


 皇帝が側に来てフォドラと顔を見合わせ言った。半年後解放と言うのは私と離婚すると言うことだろうか?  

 フォドラを見上げれば微笑まれる。陛下は彼女を正式に皇妃として迎える気になった? それなら私に言える事は一つだ。


「畏まりました。その日を一日も早くお待ちしております」



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