第2話・元凶が来た!


「ノギオン。ただいま。今日も大猟よ。鹿を沢山仕留めてきたの」

「お帰りなさいませ。アリーダさま。ではさっそく調理場の方へ運ばせましょう」

「頼むわね」


 夕刻。鹿狩りから帰って来た私を老齢のノギオンが数十名の使用人達と共に出迎えた。皆が一斉に頭を下げる。その動きは統制が取れていて、一分の隙も見せなかった。

さすがはノギオン。王城で王女付きの侍従長をしているだけのことはある。使用人達をしっかりと掌握──あーいえ、養育している彼の賜物だ。彼に槍を手渡すと告げられた。


「お客さまがいらしてます。お着替えをなさいませ」

「お客さまって?」

「晩餐を共にされるそうです。あなた方はわたくしと共に調理場の方へ」


 ノギオンはそれだけ言うと、私の背後に控えていた使用人達に声をかけ、鹿を調理場へ運ぶように指示を出し彼らに付き添って足早に行ってしまった。


 来客? 晩餐を一緒に? 誰が?


 頭の中に疑問符が増えていく。でも、この場で答えてくれる者は誰もいない。なぜなら出迎えに出た皆は速やかに持ち場に戻ってしまった。

 ため息つきつつ、階段を上るのは私、王女アリーダ。17歳。ゲルト国王唯一の子である私は、ある事情により瑕疵を負い王城を離れて静養中。

 ミゼリア地方にある小離宮に来てから早くも半年が過ぎた。ここに来た当初は心に受けた傷が大きすぎて部屋の中に籠もってはうじうじ悩んでいた。カビが生えてきそうなくらいジメジメして暗かった。

そのうち足から根っこが生えてくるんじゃないかと皆がそわそわしだした時に、ノギオンに言われた。


「そのように湿っぽいと本当にカビが生えてきそうです。幾ら嘆いていても何も状況は変わりません。気晴らしに狩りでもしてみては如何ですか?」


 と、部屋から追い出されて渡されたのは一本の槍。


 他国の深窓の姫君と呼ばれる方々ならきっとここでどうして槍なの? と、思うに違いない。気分転換に進めるとしたら他にピクニックとか、散策とか、観劇とかあるでしょうにと。

 でもこの私は深窓とは無縁の姫。幼い頃から野山を駆けて来たし、7歳の頃から剣術を嗜んできた。そのせいでノギオンに槍を目の前に差し出された時も「今度は槍か」と、素直に受け入れてしまっていた。

10年来の知人には「おまえは考えるよりもそうやって槍を振り回している方が生き生きして見える。適応性が高いな」

 なんておだてられて今では楽々狩りが出来るようになった。今日も楽しく狩りが出来たし、捕獲した獲物は同行してくれた猟師さんの村にもお裾分け出来たし、小さな善行を重ねたように思われて気分が良かった。


──それにしてもお客さまって誰かしら? 


 気になって仕方ないのよね。向かった自室では茶髪に焦げ色の瞳をした親しい女官のマナが出迎えてくれた。彼女は私と同い年。私付きの女官の中で一番年若く、話しやすい相手でもある。


「お帰りなさいませ。アリーダさま」

「ただいま。ねぇ、マナは知っている? お客さまがいらしていると聞いたのだけどそれが誰か?」

「あの御方ですよ」

「あの御方って……キラン?」


 彼女は顔を顰めた。普段から愛想の良い彼女が嫌う相手なんて決まっている。一人しかいない。あの御方と言う言葉から恐る恐る元許婚の名前を出せば頷かれた。やっぱり元凶(あいつ)か。気が重くなった。


「急な来訪でしかも今夜はお泊まりになられるそうですよ。どういうおつもりなのでしょう?」

「別にわざわざ私のご機嫌伺いなんかしなくとも王位には就けるのにね」

「まず先にシャワーを浴びられては如何ですか? 血生臭いですよ」

「そうね。そうする」


 狩りをあまり好まないマナは私を浴室へと追いやる。マナは狩猟が苦手なのだ。獣の独特の匂いや、獲物に止めを刺した時の返り血などが嫌いらしい。

運動して汗をかいた後のシャワーは気持ちが良かった。淀んでいるものを全て綺麗に洗い流してくれるような気がする。どうせならこの元許婚に対するやりきれなさも綺麗さっぱり流してくれたなら良いのに。

 シャワーを済ませて浴室を出るとマナの姿はなかった。きっと私の脱ぎ捨てた衣服をすぐに洗い場に運んでいったのだろう。


 私は洗い立てのブラウスに腕を通し、クローゼットの中からワインレッド色の上着を引っ張り出した。あとはベストと膝丈のキュロットを合わせ、革靴を履く。癖のない長い黒髪を同色のリボンで後ろに一つに束ねていたらマナが戻って来た。


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