第二十八話『再婚』
正式な交際から半年後、俺と中山さんは結婚した。
俺も中山さんも二度目の結婚だった。
そうしたお互いの立場と中山さんの強い希望もあって、式はやらずに籍だけ入れて、お互いの両親には報告の手紙だけを送った。
親しか知らないひっそりとした俺と中山さんの婚姻関係。
ああ、いや――俺の場合は、結婚のことを報告した相手がもう一人いた。
『おめでとう、セイ君……っ』
どこか鼻に掛かった声で、それでも精一杯の祝福をくれるのは、俺の元嫁である心愛だ。
半年前の不倫暴露事件以降、危険なインフルエンサー浮気女の動向を警戒すべく、情報交換と互いの安否確認のために俺と心愛は定期連絡を取るようになった。
しかし、結局インフルエンサー浮気女がこちらに何かしてくることはなく、俺達の定期連絡は、もっぱら俺が心愛に恋愛相談をしてもらう場となっていた。
「ありがとうな、これも心愛が色々とアドバイスしてくれたお陰だよ」
この半年間、心愛は俺の下らない悩みから重要な相談に対して、時間を惜しまず相談に乗ってくれた。
『っ……ううんっ、セイ君がたくさん悩んで、一生懸命に中山さんのことを考えてたからだよっ……本当に、良かった……っ』
電話の向こうで声を震わせて、それでも“良かった”と言ってくれる心愛。
しかし、その泣き方から察するに、心愛の中にあるのは純粋な喜びと安堵だけではないように思えた。
泣き方で心愛の心情が分かるようになっていた俺には、心愛の無理をした精一杯の気遣いが痛い程に伝わって来る。
『良かったっ……良かったねぇ……っ』
そして、そんな心愛の心情と涙声に当てられて、俺も胸が詰まって苦しくなった。
「ああ……ありがとう……本当にありがとうな……っ」
心愛の精一杯の気遣いが痛くって、そして、自分自身が不甲斐なくって……。
しかも、俺の自惚れでなければ、心愛未だに――――いや、だとしたら、それこそ別の女と再婚した俺が触れるべきじゃない。
それに、例え心愛の意識がまだこちらを向いていたとしても、それは他を知らないからというだけのこと。
もし、心愛が他の相手との恋愛を知ったなら、俺との出会いは別に劇的なものではなかったし、俺のした気遣いなんて何ら特別なことではなかったと分かるだろう。
だからこそ、俺は尋ねる。
「心愛の方は、誰か良い人は居たか……?」
この半年間、半ば挨拶のように聞いて来たことだ。
心愛には、俺と中山さんとのことで散々相談に乗ってもらったから、俺も同じようなことで心愛の力になりたかった。
しかし、心愛の答えはこの半年間ずっと変わらない。
『えへへ……居ないよぅ……まだ、ずっと……そんな気持ちには、なれないから……』
その声に、心愛の寂し気な微笑みを幻視する。
しかし、そうは言っても美人な心愛のこと。新しい仕事先でも周りが放っておかないだろうし、誘いだって多いだろうに……。
「良い――」
そして、“良い人が見つかると良いな”――と言い掛けて、俺は途中で口を噤んだ。
それを言い掛けた瞬間に、過去に間男が言ったとされる“心愛もそろそろ結婚しなよ”――という台詞が脳裏を掠めたからだ。
間男の時とは、台詞の意味もシチュエーションも立場も全然違うのに、なぜか俺は自己嫌悪を感じて続く言葉を失った。
気マズい沈黙が訪れる。
すると、気を遣ってくれたのはまたしても心愛の方だった。
『あ、えへへ……アタシなら大丈夫……とにかく、結婚おめでとう、セイ君。もし良かったら、また何でも相談してほしいな? もちろん、奥さんが良いって言ったらだけど……』
電話の向こうで、気を遣って微笑む心愛の顔が容易に想像できた。
不甲斐ない俺は、そんな心愛の気遣いに乗っかることしかできない。
「ああ……本当にありがとうな……また何かあったら、相談させてもらうわ。あのインフルエンサー女のことだって気に掛かるし、中山さんもその辺りのことは承知してるから大丈夫だ」
インフルエンサー浮気女や心愛との連絡のことは、もちろん中山さんには説明済みで許可ももらっている。
最初に中山さんに説明する際には酷く緊張したものだが、当の中山さんは特に気にした風もなく、快活に笑って言ってのけた。
“どんな理由で離婚したにせよ、後からでも良い関係が築けるならそうした方が良いに決まってるよ。ホラ!男なんだから過ぎたことでウジウジグチグチしない! ああ、もちろん、浮気は許さないけどね――”
恰幅の良い身体で豪快なことを言う様は、肝っ玉母ちゃんって感じだった。
そうして、俺が当時の中山さんを思い出していると、耳元で心愛の控えめな笑い声を聞いた。
『ふふふ……結婚したんだし、“中山さん”は無いと思うよ?』
それはもっともなツッコミだ。
「あはは、確かにそうなんだけどな。でも、俺もその呼び方に慣れちゃったし、中山さんと話し合って、しばらくはこのままで行こうってことになったんだ」
それに、結婚して苗字が変わることへの不安や恐怖は、俺との婚約時代に心愛が悩んでいたことの一つだったと教えてくれた。
そして、きっと心愛の時に俺に足りなかったのは、それに対する気付きとケア――気遣いや話し合いだったのだと思う。
だから、中山さんとはしっかりと話し合った。
もっとも、当の中山さんは、“再婚だし今更苗字なんて気にしない”と笑っていたけれど……。
『うん、そっか。えへへ……中山さん、愛されてるなぁ~』
少しだけからかうような口調の心愛。
俺は照れ臭くなったのと、ちょうど部屋の時計が目に入り、結構な時間を心愛と電話していたことに気が付いた。
「ああ、もうこんな時間か……悪い、もう夕飯の準備しなきゃならなそうだ」
今日は久しぶりに中山さんと夕飯が食べれそうだし、少し気合を入れて準備がしたい。
病院勤務で多忙な中山さんとは、同じ家で暮らしていてもあまり顔を合わせることが無かったりする。
でも、だからこそ、こうしてたまに時間が合う時には、お互いが積極的に一緒に過ごすようにしていた。
『うふふ、今夜は夫婦水入らずだね。それじゃあ、お料理するのに火とか重たい物とか気を付けて……またね、セイ君――』
さすがに決して短くない期間、身体の不自由な俺の世話をしていただけあって注意の方も的確だ。
だから、俺の方も素直に返事をし、また連絡することを告げて電話を切った。
「夫婦水入らずかぁ……」
心愛に言われたことを反芻して、俺は微妙な気持ちになる。
というのも、俺には中山さんとの関係において、心愛にも相談できていない重要な悩みがあったのだ。
「はぁ……」
そのことを考えると溜息が出る。
自分がここまで意気地がなく情けないヤツだったのかと、憂鬱な気持ちになって来る。
「えっと、心愛の時にはどうしてたっけ――」
しかも、俺には他に参考にできる経験が無いため、結局思い出して参考にするのは心愛とのこと……。
この期に及んで、俺は思考の中でさえ心愛に頼っているのだ。
俺は中山さんとの間に横たわる悩みに悶々としながらも、料理の準備を進める。
そして、準備が進む度に夜が近付いて来ることに、段々と落ち着かなくなって行く。
心臓が早鳴り、手が汗ばんで、身体は火照り、俺は自分が酷く緊張していることに気が付いた。
こんなの、それこそ大学生の時みたいな緊張の仕方じゃないか……。
「クソッ……ビビるな、男らしく行けっ……!」
俺は自分自身を鼓舞し、心愛にも相談できていない悩みを解決するべく気合を入れる。
そして、中山さんと過ごす今夜に向けて、ある一つの決意をするのだった。
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