第二十三話『会話』




 間男の両親と奥さんが帰った後、俺と心愛は久しぶりに向かい合って話をした。


「なぁ、心愛。怒らないって誓うから、最初から正直に教えてほしいんだ」


 そう言って、怒りや悲しみよりも、気恥ずかしさの方が先行する。気取ったつもりはなかったが、言った後で今のがクサイ台詞に思えてならず、顔が熱くなって来る。


 しかも、実際に今から行おうとしていることは、紛れもなくクサイことだ。


 俺の前置きと顔色の変化を察してか、目の前の心愛は肩をすくめて縮こまった。


 いや、まぁ……これまでの俺の振る舞いを思えば当然の反応だろう。今更ながら、よくDVで訴えられなかったと思う。


「えっと……どうして、俺なんかと付き合って、結婚してくれたんだ? 前に聞いた時は、一応結婚は自分の意思だって言ってくれたけど、本当のところを知りたいんだ……」


 怖がらせぬよう、ゆっくりと尋ねる。


 すると、心愛も雰囲気を察してくれたのか、静かに答え始めた。


「アタシね……セイ君と付き合うまでは、春詩音としか付き合ったことなかったんだよ……」


 ポツリと答えた心愛が、向こうからはセフレ扱いだったけどね、と苦笑いを浮かべる。


「だからね……最初はちょっと困ったけど……セイ君がたくさんアプローチしてくれたり、アタシなんかに告白してくれたのは、すごく嬉しかったんだぁ……」


 当初の心愛はかなり素っ気なかったけどな、と俺は軽い調子で笑う。


「あはは、デートには数えきれないくらい誘ったし、告白だって二回もしたからなぁ」


 すると、心愛も照れ臭そうにはにかんだ。


「えへへ……うん、すごく嬉しかった……特にね、ちゃんとしたデートなんて、アタシ生まれて初めてだったから……本当に楽しくて、新鮮で――」


 心愛は当時を思い出してか、動物園に行ったこと、水族館に行ったことを嬉しそうに話す。


「動物園ではさ、ちょうどライオンの赤ちゃんが見れたよね。あと、水族館で買ってもらったキーホルダー、今でも使ってるんだぁ」


 きっと、心愛はその美人な見た目に反して、異性関係では暗い青春を送って来たのだと思う。そして、当然のことながら、それを誰かに相談することもできず、間男しか知らないままに来てしまった。


 そして、同時に思う。


 認めたくはないが、心愛が春詩音と関わらず、美人に相応しい青春を送っていたのなら、俺みたいなブ男はまるで相手にされなかっただろうと――。


「楽しかったよねぇ」


 心愛が余韻に浸るように言う。


 そして、次にはその笑みを自嘲的なものに変えた。


「春詩音との関係はね、やっぱりアタシもずっと悩んでて……セイ君からアプローチしてもらってた時には、もう会ってもいなかったんだよ……でも、アタシは春詩音しか知らなかったし……不安だった……」


 でも――と心愛が顔を上げる。


「セイ君が諦めずに告白してくれて……まだ不安だったけど……それでもすごく嬉しくて……気が付いたら、自分でも無意識の内に、OKしてたんだよ」


 確かに、そんな感じだった。心愛自身もOKした後に唖然としていたのを覚えている。


「そしたらセイ君、飛び上がって喜んでくれて……アタシもだんだん嬉しくなって来て……」


 そうだ。俺自身、まさか二回目でOKをもらえるなんて思ってなくて――でも、心愛の表情を見て、後から無しにされたら困ると思って、格好なんか付けずに全力で喜んだんだ。


 今思うと、ちょっと脅迫チックだったと苦笑いが浮かぶ。


「二回目の告白でセイ君と付き合うことになって……春詩音にも、電話でそれを伝えたの……正直ね、この時はまだ……春詩音の反応とか、困らせてやるっていう思いが強かったと思う……っ」


 まぁ、それは当然だろう。春詩音にとってはセフレでも、心愛にとっては長年思い続けた初恋の相手だったんだから。


 そして、春詩音に俺との交際を告げたところ、帰って来たのは祝福の言葉だったと言う。


 “良かったじゃん”、“俺も心愛のことは心配だったんだ”、“機会があったらダブルデートでもしよう”――などなど……。


 しかも、そんなことを言っておいて、後から心愛に手を出すのだから真面じゃない。


「やっぱり……その時は、少しだけショックだったんだと思う……」


 そりゃそうだろう。もし俺だったら、確実に自棄になっていたに違いない。


「でも……そこからはセイ君と付き合えたから……直ぐに元気にしてもらえて……毎日楽しくて……付き合うってこういうことなんだってセイ君に教えてもらって……その内、春詩音のことも気にしなくなって……」


 当時を懐かしむように、心愛が目を潤ませながら微笑んでいる。


 俺は少しだけ、居た堪れなかった。


 心愛は特別のように言うけれど、俺がやったことなんて雑誌やネットに載っていた程度の恋人に対する普通の気遣いに過ぎない。


 しかもそれだって、婚約して心愛が我が物となったらすっかりとすっぽ抜け、想像に難くない婚約者の不安や悩みを気にもしなかった。


「幸せっ、だっだっ……の、にっ……ごめっ……な、さっ……っ」


 心愛は泣いた。歯を食い縛って、身体を震わせて、嗚咽を噛み殺しながら。


 そして、俺もここまで聞いて分かったことがある。


 心愛が俺の告白を受け入れた時も、春詩音との関係が戻った時も、弁護士にセクハラされた時も、全て心愛が何かに対して不安がある時なのだ。


 きっと、言えば心愛は否定するだろうが、結果的には俺も心愛の不安のおかげで心愛と付き合えた。


 当然、それは意図して付け込んだ訳じゃないし、間男のように不貞を働いた訳でも、セクハゲ弁護士のように犯罪に手を染めた訳でもなく、やましいことは何もない。


「アダジっ……じあわぜだっだのにっ……ザイデイなっ、ごどっ……ぜぇぐん、うらぎっでっ……ごぇっ……なざっ……っ」


 心愛がくしゃくしゃな顔で泣き続けている。


「だぐざっ……だぐざんっ、いどぃ、ごどっ……言っ、でぇっ……ごぇんっ、なざぃっ……っ」


 心愛に言われた暴言の数々――確かに今でも怒りがあるし悲しくもなる。勢いで放った言葉でも、吐いた唾は飲めないのだ。もちろん、それは俺が言い放った罵詈雑言も同様のこと。


「アダジがっ……ばがなぜぇでっ……ザイアグなっ、ぜぇでっ……ぜぇぐんっ、ぎっ、傷っづげ、でっ……ごぇっ……なっ、ざぃっ……っ!」


 でも、それと同時に、俺の身体が不自由になってからの生活と治療の費用を負担しつつ、俺の悪意に幾度となく泣かされながらも、介助と家事を献身的にしてくれたことも事実だ。


 もちろん、未だに疑わしい気持ちはある。モテない男の性も手伝ってヒステリックかつ過激に浮気をなじりたい思いもある。一時なんて的外れにも結婚詐欺を疑っていた程だ。


 でも、今回のことで、人の気持ちや考えなんて分かった物じゃないから、結局はその行動によって示したり察したりするしかないのだと思った。


 甘いかもしれないし、ヒロイズムに酔っているだけかもしれない。


 だけど、心愛は謝罪の気持ちを示したんだと俺は判断した。


 だって、もし自分が逆の立場だったとしたら、あれだけの罵詈雑言を浴びながら心愛のように献身できるかと言うと、絶対に無理だ。


 きっと途中で、ネックレスを壊した時のようなテンションで逆ギレるか、開き直って弁護士を挟み自分がなじられないように粛々とケジメを付けただろう。


 だからこれは、偉そうに言うならば、裏にどんな理由や魂胆があれ、俺にはできないことをやってのけた心愛への敬意でもある。


「なぁ、心愛……」


 泣いている心愛に声を掛ける。


 声が微かに震えて、喉が苦しくなった。


「俺達、ちゃんと離婚しよう」


 積もり積もった思いを、俺はやっと口にしたのだ。



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