第二十二話『合意』




 心愛の言に、その場の全員が動き出す。


 奥さんも、間男の両親も、心愛自身も、そして俺さえも、インターホンの録画とセフレハーレムのプリント画像を見比べ始める。


「あった、これじゃないかしら?」


 やがて、奥さんが一枚のプリント画像を指して声を上げた。


 その場の全員が身を乗り出して、インターホンの映像とプリント画像を見比べる。


「うん、アタシもこれだと思ぅ……ぃます」


「ええ、そうね。私も同じ人だと思う」


 心愛と間男の母親も、神妙な面持ちで頷き合っている。


 なんだろう? やっぱり女性同士の共感能力の高さなのか、全員が複雑な立場であるはずなのに、妙な団結感さえ見て取れる。


「つまり……またうちのバカ息子が他人様にご迷惑を掛けたとっ……!?」


 間男の父親は真っ赤な顔で目を血走らせ、さながら地獄の赤鬼のような形相で呟いた。


 だが、俺に言わせれば、少なからずお前の遺伝子や教育の所為もあるんじゃないのか――と皮肉が思い浮かぶ。


 だから、粛々と事実を述べた。


「ええ、どうやらその可能性が高いようですね。息子さんが心愛の名前を利用して、他の浮気相手を使い、私に危害を加えようとしたのかもしれません。実際に弁護士事務所でも、私は胸倉を掴まれたり侮辱されたりと酷い目に遭いましたので――」


 俺は自分の暴力のことは棚に上げ、間男の非道をアピールする。


 一応、その辺りの事実を知る人物はここにも二人程居たのだが、特に異論は上がらなかったため、そのままで通した。


 もしかして、こういうセコいところが俺の周りに人が寄り付かない原因なんだろうか?


 そう思いつつも、俺は畳み掛ける。


「こちらとしては、もう息子さんからの真摯な謝罪は期待していませんし、できれば関わりたくない。ですので、大変申し上げ難く、また非常識なお願いではあるのですが、慰謝料の請求はご両親にさせて頂ければと思います」


 俺とて、この件で親に慰謝料を請求する非常識は重々に承知しているため、かなり言葉にし辛かった。


 今だって、心臓がバクバクと鳴っているし、先方からの反応も怖い。


 でも、ここで了解を得られるならば、俺は弁護士を新たに用意せずに済み、逃げ回る間男を捕まえる手間もない。


 もちろん、これは俺側の一方的な打算塗れの提案だ。いくら憎き間男を製造した父親とはいえ、慰謝料の支払い義務などないのだから――。


 にもかかわらず、間男の父親は最大限の誠意を見せてくれた。


「ええ、もちろんです!慰謝料はこちらでお支払いさせて頂きます!この度は、愚息がとんでもないご迷惑をお掛けしまして、誠に申し訳ございませんでした! それに、奥様にも、本当に申し訳ないっ……!」


 そう言って、俺と心愛に向かって頭を下げる間男の父親。


 いや、間男がとんでもないご迷惑のはその通りだが、心愛のヤツだってその共犯だろう。


 だから、俺は苛立ちを込めてジロリと心愛を睨み付けた。


「っ!あ、あのっ!アタシは自業自得でっ、だからっ……ご、ごめんなさいっ!」


 すると、心愛はこちらにチラチラと視線を寄越しながら、顔をふにゃりと情けなく歪めた。


 それに対し、またイラっと来る。イラっとは来るのだが、今までのように心愛を傷付けてやろうという悪意や胸が重たくなるような憎悪はない。


 俺が「離婚する!」という方針を明確にしたからか、心愛を追い出し別居となって精神的にも距離が出来たためか、単に時間が経って落ち着いて来ただけか……。


 俺が心愛を見ながらそんなことを思っていると、間男の父親は毅然として言った。


「いいえ、奥様。うちの愚息は、奥様の名前を無断で使用し、無関係の第三者に奥様やご主人の個人情報を流しました。これは許されないことです」


 その名前の使用や個人情報云々が、法的に立証できるか、被害を訴える価値があるかはさて置き、間男の父親がその分も慰謝料を上乗せしてくれるというなら大歓迎だ。


 俺が慰謝料増額の期待に胸をふくらませていると、今度は間男の母親が呟いた。


「ええ、それに……ちょっとこの人数は……異常というか、病気……本当に、申し訳ございません……っ」


 間男のセフレ多さにドン引きしているようで、青い顔で口元を押えている。


「実は……私も興信所からは心愛さん以外の浮気相手の可能性も示唆されていたんですけど……時間とお金の都合で調査を切り上げてしまって……でも、まさかこんなに大勢だなんて……」


 奥さんは憔悴した様子で、証拠のプリントアウトに目を落としている。


 怒り、忌避、呆然……三者三様の反応。


 そして、それらを見せられて、心愛はどうして良いか分からずオロオロ。俺はさっさと交渉に移りたくてイライラ。


 やがては業を煮やした俺が、話を進めようと口を開きかければ、間男の父親の方から提案があった。


「ご主人……慰謝料の方はもちろんお支払いさせて頂くのですが、それとは別に、こちらにある不貞の証拠も買い取らせては頂けませんか?」


 その提案に、俺は一瞬固まった。


 この父親は、買い取った証拠をどうするつもりだろうか? やはり、いくら脳ミソ海綿体男であっても、この父親からすれば実の息子には変わりない。だから、やはり最後には間男と協力し、大元のグループライン共々闇に葬るつもりなんだろうか?


 だとしたら、それはあまり面白くない……。


「どうかお願いします!慰謝料と合わせてこれだけ出させて頂きます!」


 間男の父親は普段から持ち歩いているのか、カード型の電卓でその額を提示して来た。


「は――にっ、二っ……!?」


 俺は思わず電卓をひったくり、見た数字が間違っていないかを確認する。


 い、いやいや、待て。落ち着け。こんな額を本当に払えるのか? こう言っちゃなんだけど、たかが浮気の証拠と慰謝料だぞ? さすがに破格過ぎるというものだ。


 すると、俺の困惑が伝わったのか、間男の父親が力強く頷いた。


「支払いならば問題ありません。愚息の車や持ち物は全て売り払い、愚息のための保険も解約します。それに、私も一応は会社を経営しておりまして、その額であれば支払うことが可能です」


 なんと、お父様は社長さんだったらしい。


 そして、更に口を挟んで来たのは間男の奥さん。


「それに、これだけ相手がいるんですから慰謝料で回収します。逃がしません」


 そう言った奥さんは燃えるような瞳で拳を握る。


「私達もお嫁さんと孫を全力でサポートしますので、ご安心ください」


 と、間男の母親。


 どうやら、間男両親は完全に奥さん側に付いているらしい。


 俺の“間男を助けるのでは?”という懸念も見透かされたのか、現代の結婚制度を舐め腐ったセフレハーレムからもキッチリ慰謝料を取るとの宣言。


 だから、俺も納得し、もう一人の当事者に話を振る。


「俺は良い話だと思うけど……お前はどう思う?」


「へ? アタシ?」


 聞かれるとは思っていなかったようで、目を丸くする心愛。


「あの証拠はお前のスマホから出したものなんだし、お前も受け取るべきだろう」


 すると、心愛は首と手を振りながら、アタシは良いよぉ、などと言っているが、それでは困るのだ。


 ぶっちゃけ、俺が総取りしたいという気持ちがないでもない。


 しかし、もう俺と心愛の関係は先が長くないのだ。


 だからこそ、金の面はキッチリとしておいた方が良いだろう。


 俺は心愛を見詰めて言う。


「良いか? お前もちゃんともらうんだ」


 言い聞かせるように頷いた。


「……セイ君?」


 何かを感じ取ったのか、心愛が少し不安そうな表情でこちらを見上げて来る。


 パッチリと開いた綺麗なアーモンド形の目の中心に、キラキラ輝く大きな黒目が揺れている。


 少し童顔気味だが整った顔立ち。ずっと見ていたはずの顔なのに、随分と久しぶりに感じた。


「心愛、俺達の話をしよう」


 俺達の関係も、後もう少しだ。



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