第十八話『自問』
心愛のネックレスを破壊してから時間が経ってくると、さすがにある種の気マズさを感じた。
特に、心愛のヤツがキレたり逃げたりせず、俺を恐れながらも必死に気を遣って接しようとするものだから余計にだ。
特に今の俺は、何事も心愛の介助頼みとなっていたために、気が重くって仕方がなかった。
だからこそ、今回は本気で心愛を追い出した。
離婚や財産分与が済んでいない内に共有財産である家から閉め出すのはマズイと言われたが、もうネックレスの件で十分にマズイ……。
おそらく、俺はどこかのタイミングでDVを訴えられて終わるだろう。
「はあぁーっ……バカしたなぁ……っ」
俺は昔からここ一番で冷静さを失う。
間男を殴った時だってそうだ。あのイケメン面と言われたことにカッとなってやってしまった。
今回だって、そんな自分の性格が祟り、勝手に悲劇のヒーローぶって盛り上がり、かなり頭の悪い行動に出てしまったのだ。
そういえば、地元でもよく“お前は独り善がりだ”って言われてたっけ――。
「ぁあっ……やめやめっ!」
俺は頭を振った。
ダメだ。やはり俺と心愛の始まりの象徴だったネックレスを壊してから、これまで見えなかった自分の弱気が表面化して来たように思える。
実際に心愛を追い出して、その介助が無くなったことで生活が立ち行かなくなったことも問題だ。
家の中はあっという間に埃が舞うゴミだらけ。害虫が出ても追い詰められずに取り逃がし、慣れない車椅子の所為で家具や壁は傷塗れだ。
しかも、DV覚悟で追い出したにもかかわらず、病院への送り迎えと買い物は未だに心愛に頼っているのだから救いようがない。
「こんな調子で、やって行けるのか……?」
健常者からいきなり身体が不自由となった身としては、今更自分だけで全てのことを行えるとは到底思えない。
それに加えて、仕事は?年を取ったら?病気をしたら?
支援サービスだって万能じゃないし、それ以前にその手の情報と手続きが煩雑過ぎて訳が分からなかった。
「この先、どうなる……?」
生活保護?独居老人?下流老人?――電話での兄貴の言葉が思い出される。
もしかして、あのネックレスは、俺と心愛を縛る鎖じゃなくて、俺の命綱だったんじゃないか?
そんな嫌な想像に、背筋が薄ら寒くなった。
今離婚して本当に困るのはどっちだ? 不倫問題と俺の障がいの因果関係を証明できるか?病院では脳静脈の奇形という結論が出たのに……。もし仮にできたとして、いくら取れる?一億?二億?そんな訳ない。
俺に頼れる人が居ないのは、俺自身に問題があるからじゃないか? 自分の用でしか関わらなかった実家。忘れていた兄貴への負い目。誰かに言われた俺の性格への指摘……。
心愛の浮気について俺ができることは無かったか? 婚約者の心愛が抱える一般的な悩みや不安さえ俺は気にもせず、間男は言われなくとも気付いたと言う……。セクハラ弁護士にそれほど怒りを感じないのはなぜだ?本番をしていないから?それとも、間男と違ってイケメンじゃないから――?
浮気をする奴はクソだが、だからと言ってされる側は落ち度無く正しい人間か?浮気をするヤツと浮気をしないヤツの差があるならば、浮気をされるヤツと浮気をされないヤツの差もあるはずだ。俺と浮気されないヤツの違いは……?
「っ……!」
ダメだった。心愛を追い出すまでは常に被害者意識を持って居られたのに、怒りと恨みの対象が居なくなると、途端にネガティブな思考が自分に向かう。
キツかった。自責の念には終わりがなく、この先もずっとこんな感じかもしれないと思うと深い絶望が襲った。
もうこうなって来ると、心愛の浮気問題など俺の不安や絶望に比べたらクソ小さくどうでも良いことのようにさえ思えて来る。
「っ……不貞行為による離婚なら、慰謝料の請求権は三年間は有効……」
苦し紛れに、最近調べた知識を呟く。
そう――俺は心愛の浮気を受け、裏切りだの、不誠実だの、プライドだのと散々盛り上がっていたのに、最近ではセコい打算の下で心愛を利用しようとしていたのだ。
散々自分の世話をさせ、イビリ倒し、その上で離婚して慰謝料を取ってやろうと考えていた。
だからこそ、途中からは積極的に離婚を迫らなかった。
しかも、心愛がどんな心境と裏があるのかは知らないが、予想外に従順で、俺の世話役から金蔓、精神的サンドバッグを懸命にこなしていたから余計にだ。
一人で陥る自責よりも、心愛のいる苛立ちの方がまだマシでは……?
やはり、ここは俺の精神衛生上のためにも、心愛を戻した方が――。
「いやっ、ダメだダメだっ……!」
それではスッキリしない。プライドが許さない。
俺は浮気をされたんだ!だから、アイツらは破滅するべきなんだ!
ガキみたいな癇癪だけど、これだって紛れもない俺の本心だ。
俺の胸中には、打算と憐憫から心愛を受け入れたい気持ちと、裏切りに対する怒りから心愛を切り捨てたい気持ちが同居している。
前者は、これまで抱かなかった感情だ。
「ハッ――こういうのも浮気って言うのかね?」
気取った台詞が静かな家に響いた。
うん……俺は独りだと碌なことを考えないし言わないようだ。
でも、ここにはもう、心愛の泣き声も、家事の音も聞こえない。
俺はしばし考えてから、一応の結論を出す。
「しかし、やっぱり一度は、きちんとケジメを付けた方が良いだろう――」
まだ若干ヒロイズムに酔っている感じは否めないが、俺はそう結論付けた。
「そうなると、また弁護士を探さないとダメか?」
“また”――というか、自分で探すのは初めてだし、今にして思えば、これまでの俺は心愛へのイビリ以外は常に受け身だった気がする。
間男の奥さんに引っ張られて舞台に上がり、弁護士先生にセクハゲ弁護士を紹介され、病院に担ぎ込まれ、心愛にしつこく離婚を迫ることもなく、それどころか、身体の不自由を言い訳に心愛の介助を受け入れていた。
もしかすると心のどこかで、物事の展開が自分の想い通りにならないことに不貞腐れ、言葉や態度で不平不満を垂れ流していれば、誰かが何とかしてくれると思っていたのかもしれない。
展開に不満があるなら、自分で動かすしかないのに……。
「それに、俺が戦うべき相手は心愛だけじゃないしな」
正直、これまでの俺は、間男のことを無意識の内に避けていたように思う。
間男への怒りや恨みは心愛にも勝るとも劣らないものであるし、もっと攻撃しても良かったはずなのに、俺はそうしなかった。
おそらく、俺はこれ以上間男に負けることが怖かったのだ。
“なに一つハル君に勝てないからって――!”
心愛が言ったこあの台詞。
あの時、俺はまさに図星を突かれた思いだったのだ。
何せ、俺自身も最初に間男と対峙した瞬間に、格の違いと劣等感を植え付けられてしまっていたのだから。
「でも、やはり所詮はただのサルだったな。奥さんとの話し合いからも逃げ回っているようなヤツなら、大したことない」
それに、俺の中では弁護士先生からの最後の助言として据えているが、実際に交渉する相手は間男本人じゃないのだ。
上手く行くかは分からないけど、試してみる価値はあるだろう。
俺は私用のスマホを手に取って、心愛の番号を呼び出した。
「チッ――この期に及んで頼る先は浮気嫁かよ……」
しかも、今回は間男絡みのことで、場合によっては協力を断られる可能性だってある。
まぁ、そうなったらなったで、浮気嫁と間男の繋がりが見て取れるというものだろう。
そして――。
『はい!もしもしっ、セイ君っ?もしもしっ?』
直ぐに心愛が電話に出た。
待っていたと言わんばかりのその声に、心愛を追い出して以来となる苛立ちが蘇る。
イライラに体温が上がり、活力さえ戻ってくるような感覚だ。自分でもヤバイと思う。
「ああ、ちょっと頼みたいことがあるんだわ」
俺は、要件を伝える――。
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