第十九話『連絡』





 電話で良いと言ったのに、心愛は家までやって来た。


「うぁ……セイ君、具合は大丈夫……?」


 我が家の惨状を見て、真っ先に俺の体調を気遣う心愛。


 そういう心愛は、この家を出て俺のイビリから解放され余計な疲労と心労が無くなったためか、格段に色艶が良くなっていた。


 一方、俺は髪が伸びてボサボサ、髭はヤマアラシのようにモジャモジャ、何日も同じ服を着ていて、ホームレスどころか遭難者のようなのに、不公平だ。


 いや、俺が追い出したんだけどさ……。


「チッ――余計なことは喋るな。いいか? 今からお前にやってもらうことがある」


 俺は心愛を睨み付けながら言った。


「うん、分かってる。任せて!」


 心愛が腕まくりしながら頷いて、車椅子の俺を素早く我が家の寝室へと移動させ、こちらが声を上げる間もなく部屋から出て行った。


「ぇ――え? アイツ、何やってんの?」


 一人で寝室に残された俺は、閉められたドアを見詰めながら呟いた。


 いや、任せてってどういうことだよ。こっちはまだなんの指示もしてねぇよ。


 俺は呆然としつつも、ここまで有無を言わさずいとも簡単に運ばれたことに対して僅かばかりの恐怖を感じた。


 非力な心愛でもこれだ。もし、相手が強盗なら――ゾッとする話だ。


 失念していたが、今後はセキュリティ面でも色々と対策が必要なのだろう。


「日常生活も碌に送れてないのにか……?」


 気が重くなる話だった。


 俺が溜息をついていると、寝室の扉の向こうから、賑やかな音が聞こえて来た。


 久しぶりに家中に響き渡る、窓を開ける音、水を流す音、料理の音、洗濯機の音、掃除機の音――まるで、家が生き返ったみたいだ。


「アイツ、家事してんのか?」


 余計なことを――なんて強がりはとても言えない。


 俺はたった数日で、自分の置かれた状況と立場を嫌という程に思い知らされた。


 俺の中で、心愛と離婚するという意思は変わらないけど、一言ぐらいはマナーとして感謝を伝えるべきだろう。


 そして、そのためにも、少しぐらい身なりを整えないと――。


「とりあえず、服だけでも着替えておくか」


 俺は汗臭いシャツとズボンを脱ぎ捨てて、ウェットティッシュで顔や身体を拭き、無香料の制汗スプレーを浴びながら、新しい服へと袖を通す。


 最後に鏡を覗くと、さっきよりもだいぶマシな姿になっていた。


 俺が寝室で身支度をしていると、家の片付けが終わったのか、心愛が寝室まで迎えに来た。


「時間が掛かっちゃってごめんなさい。リビングに移動するよね?」


 言いながら、心愛が車椅子を押して来る。


 そうしてリビングまで移動すると、そこはいつかの時みたいにゴミ一つない見違える程に清潔な空間となっていた。


「洗濯物は乾燥までやってるからそのままにしてね。あと、ご飯の作り置きもしたから食べてくれると嬉しいな」


 そう言って、控えめに微笑む心愛。


 俺はそれに対し、酷く緊張して僅かに目を逸らしながらも呟いた。


「あー、その……助かった、ありがとな……」


 ぶっきら棒に、まるで照れたガキそのままだ。


 しかし、心愛はそんなカスみたいなお礼の言葉にも目を潤ませていた。


「っ……ぅうん、全然っ……どう、いたしましてっ……っ」


 思えば、不倫問題が始まってから、俺が心愛に礼を言ったのは初めてかもしれない。


 心愛の様子に、俺も少しだけ胸の奥が軽くなった気がした。


「心愛、聞きたいことがある」


 だが、いつまでも浸ってはいられない。


 今日心愛を呼びつけたのは、これを確認するためなのだから――。


「お前は、今間男がどうなってるか、どこに居るのか、何か知ってるか?」


 今更踏み絵のつもりなどなかったが、心愛はそう感じたのかもしれない。


「ぇ――あっ、し、知ってるって言うかっ……ちっ、直接本人から聞いた訳じゃないよっ!?もう春詩音とはっ、連絡とってないしっ……!」


 目を潤ませながら、必死に訴えて来た。


「ああ、分かった。じゃあ、それを教えてくれるか?」


 俺は心愛見詰めながらも落ち着いて尋ねる。


「ぁ――う、うんっ……えっとね、ラインで回って来たんだけど――」


 心愛の説明によると、どうやら間男の鈴木春詩音すずき はるしおんは、奥さんとの話し合いから逃げるため、現在は女友達やセフレ達の家を渡り歩いている状況らしい。


 というか、そんなにセフレがいるのかよ……。


 そして、心愛がスマホを見せて来た。



『今日めずらしくハルが泊まりに来てるんだケドさぁ、なんかあったのかな?誰か知ってる?』


『昨日までは私の家に居たけど……なんかハルくん、奥さんと喧嘩中みたいよ』


『マジで?もしかして、ウチらのことがバレたんかな?』


『ハルちゃんのことだし、わたし達以外にも恋人がいるんだろうし、わたし達とは限らないと思う』


『うげぇ……なんにせよ!めんどくさー!』


『わたしは落ち着くまで様子見るね、ハルちゃんによろしくぅ~』


『逃げたか……まぁ、さすがに旦那と子供いる人は踏み込めないよね』


『もう良いし!だったらこのままウチがハルのこともらうから!』


『いや、あんた人気商売だし不倫問題はヤバくない?』


『は?ウチの仕事はアホな信者さえいればヨユーなの!人気インフルエンサー舐めんな!』



 俺は画面のスクロールを一旦やめて、心愛に向き直る。


「このラインのことは、なぜ隠してた?」


「ち、ちがっ!隠してないっ!弁護士にセクハラされたりっ、セイ君が倒れちゃったりっ、色々あって一杯一杯でっ……アタシも忘れててっ……隠すつもりなんて、なかったよぉっ!」


 まぁ、俺も間男のことは避けていたし、あまり深くは突っ込むまい。


「あと、お前の履歴が見当たらないけど、消したのか?」


「う、ううん!消してない!アタシは元からラインしてない!セイ君と出会う前に春詩音に招待されてグループには入ったけど、一度も使ってないよ!」


 必死に否定する心愛。


「ああ、そうなのか。というか、間男のヤツが自分からお前らセフレをラインでひとまとめにしてるのか?」


 そんな扱い良く受け入れられるな……と引きながら尋ねると、心愛は赤い顔で俯き歯を食い縛った。


「うん……本当に、バカだよねっ、アダジっ……っ」


 一応、恥のような物は感じているんだろうか?心愛は少しだけ泣いた。


 俺はそんな心愛を眺めながらも考える。


 弁護士先生の話では、間男への慰謝料請求は実質的に間男の両親との交渉となると言っていた。


 ならば――。


「上手く行くかは分からんけど……よし、心愛。悪いがそのグループラインの履歴を全部コピーしてくれ」


「ぁ――うんっ、分かった!」


 そして、数分後。


 心愛はグループラインの履歴を保存して、更にそこからは俺と共に間男による不貞の証拠を抽出して行く。


「なんだこりゃ、セフレ同士が間男巡ってマウント合戦してるのか?」


 グループラインの履歴には、間男のセフレ達が如何に自分の方が間男から愛されているかのマウント合戦をしており、ハメ撮りや事後画像などを多数添付し合い証拠には事欠かなかった。


 そりゃこれだけ間男を巡るセフレが居れば、マウントや派閥やイジメが出て来るのが自然だわな。


「さて――俺は今から、間男の鈴木春詩音すずき はるしおんの実家と、慰謝料に関する話し合いの約束を取り付ける。場合によっては、心愛にも話し合いに同席して間男の両親に浮気について証言してもらいたい」


 俺はじっと心愛を見据えた。


「えっと……春詩音のお父さんとお母さんと話をするの?」


 すると、困惑したような顔で首を傾げる心愛。


 特に不満は感じられないが、一応聞いておく。


「なんか文句あるか?」


「あ、ううんっ!文句なんてないっ!」


 心愛が必死に首を振った。


 こうして、半ば強引に心愛の意思も確認し、俺はいざ間男の両親へと電話を掛ける。


『はぁい、鈴木でございます~』


 短いコールの後に、間延びした若いしゃべり方の女性が出た。


「あ、突然のお電話申し訳ございません、私は――」


  そこから、軽い自己紹介と共に、嫁と間男の浮気のこと、更にはこちらの現状について長々と説明すれば、途中からは相手も察したらしく話が早かった。


 翌日、我が家にて、話し合いの場が持たれることになったのだ。



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