第十六話『損得』
「そうですね……俺としては、先生からご紹介頂いた弁護士が仕事もせずに問題を起こし非常に迷惑しています。依頼してから随分と時間が経ちますが、今どれだけ状況が進んでいるのかさえ見えない。そうしたストレスも私が倒れることになった一因にあるのですが……逆に聞きたい、どうしてくれるんですか?」
お医者の先生も、過労や不摂生やストレスも原因の一つとして無きにしも非ず――といった感じだったし、全くの嘘ということはないだろう。
「それは……申し訳ございません……」
さすがの先生も渋い顔だ。
いや、分かってはいるのだ。この先生がセクハゲの犯行を暴いて型にハメ、俺達にも正直に報告し、この話し合いの場を設けてくれたということは――。
ただどうしても、今の俺の心境では、何事か企んでいるんじゃないかと疑わしい気持ちになってしまう。
俺は当初勘違いしていたが、弁護士は聖人でもなければ正義の味方でもなく、依頼者と報酬の味方であり、だからこそ信用され、そこは他の仕事と何ら変わらない。
そして、この先生は間男の奥さんの担当であり、彼女から報酬を得ている。
つまり、これまでの俺へのアドバイスや紹介も、最終的にはそこに繋がっている可能性があるのだ。
俺が警戒心を持って先生からの返答を待っていると――。
「あ、あのっ……アタシ、その人と付き合うなんて、絶対ムリですっ……!」
心愛が高学歴高収入の提案を蹴っ飛ばしやがった。
すると、対するセクハゲの方は、見るからにホッとはしているが、それでも複雑そうに顔を歪めている。
そして、それに反応したのは弁護士先生だ。
「ふむ……そうですか……やはり、難しいですか……」
過剰な程に重々しい雰囲気と、痛恨といった面持ちで低く呟いた。
「は、はい……イヤ、です……す、すみません……」
浮気嫁の分際で生意気なとは思ったが、それ以上に弁護士先生の過剰な反応が気になった。
「うーむ……そうなりますとぉ……」
先生が難しい顔で唸り始めた。
場の空気が張り詰めて、なぜか責められているような気持ちになってくる。
気が付くと、俺や心愛や義両親達の全員が、緊張した面持ちで先生の次の言葉を待っていた。
いつの間にか、先生が場を仕切っている――。
俺は少しゾッとして、慌てて口を挟んだ。
「ちょ、ちょっとすみません。えーっと、今回の件って、日弁連でしたっけ?そこのセクハラ相談窓口とかに相談した方が良い問題ですよね?」
先程からの立ち回りを見るに、先生としてもそういう方向性での解決は望んでいないように見える。
「そうですね、まぁ相談することは可能です」
先生が打って変わって冷静な声で返して来た。
そのおかげで、俺の方も少しだけ冷静になれる。
「そうですか……じゃあ、さっき先生に尋ねたことの続きなんですが、こちらから先生や担当弁護士に何かを要求することは可能ですかね? 俺も少なからず迷惑を被ったので、相応の要求をしたいんですが……」
相手はプロなんだし、交渉事で敵う訳がない。というか、そもそも敵対する必要もない。
こちらは素人らしく、相場なんか無視した要求をしてしまった方がかえって分かり易いだろう。
「それと、さっきそちらの先生が一方的に提示して来た八百万?でしたっけ? それについても、弁護士を続けるならもう少し誠意を見せて頂いても良いんじゃないでしょうか?」
すると、いつの間にか場を仕切っていた弁護士先生は、ほんの少し考えるそぶりを見せた後、俺に向けて言った。
「高木さんにご迷惑をお掛けしました件については、具体的には金銭にて相応の誠意をお見せするという形で如何でしょう?」
なぜか急に進んだ具体的な話に、俺は面食らいながらも頷く。
「ですが、高木さんが倒れられた要因とおっしゃるストレスについては、本件との因果関係の証明が難しいと思われますので、医療代などについては然るべき証明がなされないと賠償はいたしかねます」
言われてみれば当然の話なのだが、この先生に喋られると、まるで煙に巻かれているような、霧の中にいるような気分にさせられる。
また、知らず知らずの内に主導権を握られているんじゃないかと、型にハメられているんじゃないかと、不安な気持ちになってくる。
だが、ここに来て先生は、その表情を和らげた。
「それと、先程の八百万というのはあくまでも提案ですので、その部分についてはこれからすり合わせて行きましょう――」
先生が方針を変えたのか、それとも当初からの目論見通りなのか、そこからは落ち着いた雰囲気の中でスムーズに条件が決まって行った。
結果として、俺は常識的な額の迷惑料をもらい、心愛へのセクハラに対する慰謝料も八百万から割り増しとなり、最後は心愛側が今回の件を口外しないという念書に署名をし、この件は手打ちとなった。
予想外に呆気ない終わり。弁護士先生マジックだろうか?
「では、ここからは高木さんとの打ち合わせに移りましょうか」
先生の宣言と共に、心愛と義両親は応接室から待合スペースへと移動して、応接室には俺と先生だけが残った。
「改めまして、この度は申し訳ございませんでした」
頭を下げる弁護士先生。
「あ、いえっ……こちらこそ、失礼な態度を取ってすみませんでした……」
俺も慌てて頭を下げる。
「いえいえ、とんでもない。お怒りはごもっともです。私から紹介させて頂いたあの弁護士も、同様の案件に関する実績は結構あったものですから……」
真偽は不明だし、不倫問題の実績が多いからこそのセクハラ常習犯だったんじゃないの?とも思うが、先生いわく俺にハズレを掴まそうとした訳ではないらしい。
「先生、教えて頂ける範囲で良いんですが、間おと……
間男側に関しては、セクハゲ弁護士がノータッチであったために、今も全く状況が分からない。
「これは……私から述べるのはあまり良くないので、他言無用でお願いします」
そう前置いた先生の話によると、間男は奥さんとの離婚の話し合いを避けるために逃げ回っている状況で、ほとんど進展がないらしい。
だが、不幸中の幸いとしては、間男の両親が奥さん側に付いているので、慰謝料はきちんと支払われる見込みであると言う。
「鈴木さんのご両親は良識的な方々なので、高木さんの慰謝料に関しても実質的にはそちらと交渉するような形になると思います」
「えっと、ご両親が払うんですか?」
「ええ、そういった形での解決は結構多いですよ。特に経済力や社会的地位がある親御さんの場合、さっさと収束させたい、後々問題にされたくないという思いから相場よりも高めの慰謝料を支払うことが多いです」
ついさっきも、この場で破格の慰謝料が決まった交渉を目の当たりにしたけれど、双方が納得すれば相場というのはあまり関係がないのかもしれない。
まぁ、実際はその妥協点が折り合わないからこその相場なんだろうけど。
「なるほど。教えて頂きありがとうございます。では、次の弁護士の方には、相手方のご両親と交渉をしてもらう形になるんですね」
聞いてみると、弁護士先生は弱った表情を見せた。
「それなんですが……申し訳ございません。今はもうこちらから紹介できるような弁護士は居りませんでして……」
本当に弁護士が居ないのか、それとも、俺と関わることに懲りたのか……後者はさすがに、被害妄想が過ぎるだろうか?
いや――というか、そもそもが自分の弁護士なんだから、自分で調べて手配すべきことなのだ。
「いいえ、これまで状況に流されっぱなしだったので、少しは自分で動かないとダメですね」
動く――と自分で言っておいてなんだけど、どうしても不自由となってしまった己の身体を意識する。
「ふむ、高木さんは随分と冷静ですね」
そんな先生の言葉に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
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