第十一話『事情』





 俺は心愛の醜態にほくそ笑んだ後、自力で車椅子を進めた。


 久方ぶりの我が家の玄関アプローチ。なんだかすごく懐かしく感じる。


「ん、なんだ……?」


 玄関ドアへと続く途中の小さな段差部分に、金属製のスロープ板が設置されている。


 どう見ても、俺のために用意されたもんだよなぁ?


 一瞬どうするべきか迷ったが、俺はそれについては何も言及せず、ただ黙って車椅子を動かし玄関へと進むことにした。


「お、押すねっ……?」


 ゲロを片付け終えたのか、心愛が俺の車椅子を押して来た。


 その甲斐甲斐しいような雰囲気が、また余計に白々しく感じる。


 玄関ドアの前まで来ると、心愛は俺の前へと回り込み手慣れた動作で玄関の鍵を開ける。


 大きなドアがゆっくりと開けば、俺は視界に飛び込んで来た我が家の変わりように驚いた。


「なんだこりゃ……」


 壁の至る所には手すりが付けられ、小さな段差にはスロープ、そして、テーブルや棚の角にはやわらかそうなクッションカバーが取り付けられていた。


 すっかりと歩行困難者仕様の我が家である。


「あ、あのっ……勝手に、ごめん……病院で先生から説明を受けて……アタシと、お父さんとお母さんとで、やったの……」


 心愛が俺の乗る車椅子の車輪を雑巾で拭きながら、恐る恐る報告して来た。


「ああ、そう……そら、どうも……」


 無意識に呟いてから数秒後――ハッとする。


 俺は何を口走っているんだ? しかも、礼を言うにしても中途半端過ぎる台詞だ。


 何も考えていなかった。気が抜けていた。そんな自分が腹立たしい。


「っ……せぃぐんっ……ぜぇぐんっ……ぁいがどぉっ……っ」


 そして、俺の足元ではまた心愛が泣き始める。


 正直、鬱陶しい。


 もう俺には、心愛のどんな親切も、“どうせ健気な自分に酔ってるんだろ?”という捻くれた見方しかできないのだから……。


 俺は密かに深呼吸をし、一時的な冷静さを取り戻す。


「……話をしよう。俺もお前も、もういい加減にしないとな。だから、お前が俺の車椅子を押して、話をするためにダイニングまで連れて行ってほしい」


 俺は玄関にしゃがみ込んだ心愛をしっかりと見据えた。


 久しぶりに目を合わせる心愛は、涙に濡れた顔をふにゃりと歪めて情けなく微笑んだ。


 そして、ついに観念したのか、心愛は俺の車椅子を押して我が家のダイニングへ。


 部屋に入って直ぐ、俺はその清潔さ驚いた。俺が腐っていた時は、まんまゴミ屋敷だったが、今はゴミ一つ落ちていない。


 俺はダイニングテーブルの前に進められ、車椅子のままで着席となる。


「ああ、それと、お前の浮気の証拠も全部持って来てくれ。もちろん、ボイスレコーダーとデジカメも一緒にな」


 ここまで来たんだから、録音録画もしてきっちりとやろう。


 俺は所在なさげに立ち尽くしていた心愛に声を掛け、自らの浮気の証拠を用意させる。


 やがて、心愛が音も無く俺の対面に腰掛けた。


 今、俺達の間にあるテーブルの上には、心愛による不貞の証拠が山積みとなっている。


 それを見て、俺は改めて自分がどんな人間と結婚していたのかを思い知らされる。


「はぁ……さて、始めるか――」


 まぁ、いずれは弁護士も交えて事実確認はするんだろうけど、脳の足りない不倫者には、何度でも自分のやらかしたことを確認する方が良いだろう。


 俺は手始めに、証拠の一つである音声を再生させた。



『も~、本当はハル君と結婚したかったのにぃ、それなのにハル君が結婚しちゃったから、アタシは仕方なくセイ君と結婚したんだよ~?でも、いつかは責任取ってね、ハル君っ』



 対面の心愛がビクリと跳ねて、必死に声を上げ始める。


「ち、ちがっ!違うのっ!これはっ――」


 俺はそれを冷たく切り捨てる。


「違わない――この音声でお前自身が言っていることがお前の本心で、実際にここで語っている通り、お前は俺を騙して結婚し、その上でずっと浮気を続けていた」


 有無を言わさず睨み付け、俺は次の音声を再生させた。



『セイ君とは比べ物にならないくらいハル君とえっちする方が気持ちいい……アタシの本当の旦那様は、ずーっとハル君だよ……』


『セイ君、子供ほしいとか言うんだよ~。アタシがほしいのはハル君との子供なのにさぁ、ウケるよね~』


『んふふ、ハル君の命令通りにぃ、ここ二週間はセイ君にはおあずけさせてるよ?だって、心愛を好きにできるのはハル君だけだもん』



 目の前の心愛はガタガタと震えながら、弱々しく首を振って涙を流す。


「まず、間男とはいつからの関係なのか、最初から説明しろ。手すりだのスロープだのと白々しいことする前に、お前は人としての最低限の誠意を見せるべきだ」


 俺が再び睨み付けると、心愛はハッとした後に本格的に泣き始めた。


「ぅ、あ……ごべっ、ごぇん……ざぃっ……ごべんな、ざぃぃっ……アダジっ、酷いごとっ……じょうごっ、見でっ……ぜぇぐんっ、倒れでっ……だぐさんっ、ざいでい、な、ごどっ……ごべっ……っ!」


 非常に聞き取りにくいが、俺が倒れる前に見ろと命じた証拠類にはきちんと目を通したらしく、本当かは疑わしいが自身の非道にも思うところがあったと言う。


 心愛はテーブルに突っ伏し号泣し始めた。


 だから、俺は浮気の音声をリピート再生して待つことにする。


 そして、多少の時間が経って心愛が落ち着いて来た頃、俺はそっと呟いた。


「できれば、その最低なことをしたお前から、せめて本当のところを語って、誠意の欠片でも見せてほしい」


 落ち着いて語り掛けたのが良かったのか、それともリピートされる自分の浮気音声に耐えられなくなったのか、心愛はやっと事情を語り始めた。


「は、ぃっ……ハルぐ――春詩音はるしおんとは……子供の頃からの、幼馴染で……だから、関係自体は……セイ君と出会うずっと前からで……っ」


 心愛の説明によれば、間男とは子供の頃からの付き合いであり、肉体関係の始まりは中学までさかのぼるらしい。


「訳分からん。そんな頃から付き合ってて、なんで途中から他人を巻き込むんだ?」


 思わず素で聞いてしまう奇怪さだ。


「っ……ご、ごめなさっ……でもっ、違くてっ……アタシと春詩音は、付き合ってたわけじゃ、ないんだよ……」


 心愛いわく、間男の鈴木春詩音すずき はるしおんは、その結構な美男子面で昔からよくモテて、常に複数人の女性と交際しており、心愛はその中で単なるセフレの一人に過ぎなかったらしい。


「自分でも、バカだって思うけど……アタシにとっては、初恋だったし……ハル君、色んな人とえっちしてるから……すごく、上手で……っ」


 調教師に初恋してしまったようなもんだろうか? それで、どんどんと深みにハマってしまったのだと言う。


「はぁ……じゃあ何か? 俺は間男の精処理用のオモチャと結婚したって訳か? マジざけんなよ、クソオ〇ホ女がっ……!」


 俺だけじゃない。俺の親兄弟、親戚に友達に同僚は、そんな結婚式を祝福させられたのか?


 俺が憎悪を込めて睨み付けると、さすがの心愛も言われた言葉と共に相当に効いたらしく、背後にあるキッチンの流し台に取り付いてリバースし始めた。


「っ――ぉごぇえっ……!」


 ダイニングに汚い音が響き渡る。


「おいおい、なんでお前が吐く? 単なる精処理用のオモチャだってことは自覚してたんじゃねぇか。それでも間男から離れず精処理玩具を続けて、俺を騙して結婚までしたんだろうが――」


 俺は再度、浮気の音声を再生させる。



『んふふ、ハル君の命令通りにぃ、ここ二週間はセイ君にはおあずけさせてるよ?だって、心愛を好きにできるのはハル君だけだもん』



 再生を止める。


「この分じゃ、俺との結婚も間男の命令なんじゃないのか?」


 核心を突く指摘に、流し台でへばる心愛の背中がビクリと跳ねた。


 ああ、本当に最悪じゃねぇか――。



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