話九話『病状』




 お医者の先生は、開口一番に謝罪した。


「すみませんでした。今後の高木さんの生活のことを相談させてくれと言われたのでご家族をお通ししたのですが、まさかあんなに激しいやり取りになるとは……気分が悪いとか、頭が痛いとかはありませんか?」


 先生はそう謝ってくれるが、こちらの方こそ申し訳ない限りだ。うちの家計は、俺も含めてどうにも冷静さを失いやすいようだ。気を付けなければならない。


 俺は自分の状態を感じ取り、先生に視線を向ける。


「平気、です……」


 とりあえず、吐き気や頭痛はないことを告げた。


「それは良かった。では、今後の方針ですが――」


 続く先生の説明によると、俺が倒れた原因である疾患は比較的軽度であることと、手術をするリスクなどを天秤に掛けた結果、点滴での保存的投薬治療が行われるらしい。


 そして、その後はできるだけ早期のリハビリに入り、俺自身もさっきから気になっている手足の痺れを改善して行く流れだと言う。


「正直なところを言いますと……軽度の障害が残る可能性があります……」


 その言葉には、素直にショックを受けた。だが、取り乱したりはしない。まだ、現実感がないだけかもしれないが……。


「ですか、高木さんはまだお若いですし、今回は直ぐに対処もできたので、早い内にリハビリに入れば半身の痺れもかなり改善されると思われます」


 直ぐに救急車を手配された奥様に感謝ですね――と先生。


 どうやら、俺がぶっ倒れた後で直ぐに救急車を呼んだのは心愛であるらしい。


「っ……!」


 俺は冗談じゃないと舌打ちをしそうになった。


 そんなことで、絆されたりなどしない。心愛による最低の裏切りの罪が消えることだってない。償いになんて、欠片もなっていない。今この時だって、俺の腹の底や胸の内では、心愛に対する明確な怒りと憎悪が黒々としたとぐろを巻いて息づいている。


 まだ、何一つ解決してやしないのだ。


 しかし、それでも、“心愛が俺を助けたことは事実――”だの、“恨みと感謝は切り離して考えるべき――”だの、俺の中で大人の対処を求めるクソッタレな部分がかま首をもたげ始めている。


 そして更に、そのタイミングで先生が口を開いた。


「それに、やはり通院時や日常生活の中には危険がありますから、可能であれば誰かしらの手を借り介助を受けた方が、ご本人にとっても、周りにとっても安全です」


 確かに、俺が無茶した所為で他人様に迷惑や怪我を負わせるような事態になったら最悪だ。


 だがしかし、この状況で、なにやら先生までもが俺に浮気嫁の手を借りることを促しているように感じられる。


 いや、治療に当たる先生の立場からすれば、安全策を勧めるのは当然なのかもしれないが……。


「あの、先生……今回、倒れたの……過労、とか……不摂生、ストレス……関係、ないですか……?」


 自分でもみみっちいとは思うが、つい心愛に関することで何か原因がないかと性格の悪い聞き方をしてしまう。


「もちろん、あります。それらがトリガーになった可能性はあるでしょう。あるんですが……」


 先生は難しい顔で唸った。


「通常、高木さんのように四十歳以下で発症した場合は“若年性”と分類されるんですが、若年性の場合、脳静脈の奇形といった先天性の要因が背景にあることが多いです。なので、ストレスや不摂生はもちろんですが、そちらの方が直接的な問題だった可能性が高いと思われます」


 その説明に、思わず眉間にシワが寄る。


 つまり、大元の原因は俺自身にある可能性が高いと言うのだ。


 この時点で、俺は不貞腐れてやる気を失った。


「色々と込み入った事情もお有りのようですが、受けられるのであればご自身と周囲のためにも、介助を受けることをお勧めします。それでは――」


 お医者の先生は最後にそう締め括り、足早に病室を出て行った。


 入れ替わる形で、両親と心愛と義両親達が再び入室して来る。


 そして、静かで重苦しい空気の中、最初に口火を切ったのはお袋だった。


「もう一度お父さんとも話し合ったんだけどね……やっぱり、母さん達も仕事があるし、あんたが実家に戻って来てもお兄ちゃんや奥さんや孫もいるから部屋もないし、地元じゃ病院も遠いし……もちろん、あんたの気持ちもわかるけど……ね?」


 まるで、慰めるように言うお袋。


 横のオヤジは仏頂面で腕を組んでいるが、それについて何ら言及はない。


「母さん達も、たまに様子を見に来るから……」


 ああ、分かっているさ、オヤジやお袋にも自分の仕事や生活がある。俺だって、今まで自分の仕事や生活を優先し、面倒くさいから、疲れているからと言い訳して、両親に対して碌に連絡も取らなかった。


 それに現実的に考えて、心愛や義両親が何を企んでいるのかは知らないが、俺が浮気嫁の世話になる方が現実的だってことも分かっている。


「セイ、君……っ」


 すると、次に口を開いたのは、浮気嫁の心愛だった。


「どうか……セイ君のお世話を……させてほしい、です……」


 枯れ果てたしゃがれ声で呟き、心愛が頭を下げる。


 それに続いて、まるで畳み掛けるように義両親も頭を下げて来た。


「前回は突然押し掛けた上に無礼なことをして大変申し訳ありませんでした。治療費も生活費も全てこちらで負担させて頂くので、どうかお願いします」


 毎月俺の給料から仕送りさえ受けていた癖に、どこにそんな金を隠し持っていやがったんだ?


 そんな俺の訝し気な視線に気付いたのか、義母が説明を加える。


「車や持っている物を売りました。私もパートに出るつもりです。清司郎さんには毎月仕送りまでして頂いて……そのお金も少しずつでも返させて下さい」


 ハッキリ言って、嘘くさい。何も響かない。なぜ急に掌を返したのか、疑わしい。


 だが、それを口にするのは憚られた。


 俺のオヤジとお袋が、まるで咎めるような視線を俺に向けていたからだ。


 いや、おそらく二人は何も咎めてなんていなくて、俺の被害妄想なんだろう。


 むしろ、俺の中にあるクソッタレな偽善的部分が、泣き腫らしてボロボロの心愛と、やつれた義両親のヴィジュアルに同情してしまっているのが問題だ。


 それに、やはり寝たきりで身体が思うように動かず、俺も心身共に弱っているのだろう。


 ここにいる全員を敵に回してツッパリ通し、離婚を成立させて、慰謝料をふんだくって、その上で両親の手を借りずに不自由な身体で通院と生活を行う――そんな気力はない……。


 さっき、お医者の先生からも、俺が倒れることになった大元の原因は俺自身にあるとの説明を受け、なんだかすっかりと気持ちが折れてしまった。


 というか、俺がつかまされた無能弁護士は何をしているのだろうか?こういう時に役に立つものではないのか?


 だが、そう思う一方で、弁護士だって慈善事業ではないのだから利にならないことはしないだろう――という無駄に物分かりが良い考えも浮かぶ。


 いや、なんにしても、もうどうでも良くなってしまった。


 俺の目の前では、相変わらず心愛と義両親が頭を下げ、俺の両親が説得の言葉を尽くしている。


 そして、俺は最後のしみったれた意地とばかりに、不貞腐れたガキみたいに沈黙を守り続けるのだった。



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