第五話『襲来』




 我が家を襲ったチンピラ三人衆に対しては、きっちりと被害届を出した。


 すると後日、チンピラ女の旦那を名乗る金髪ツーブロックの兄ちゃんが恫喝に来たり、両親と思しき初老の男女が泣き落としに来たりもしたが、全部まとめて通報してやった。


 恫喝して来た金髪ツーブロックの旦那は証拠付きで警察に引き渡し、泣き落としに来た初老の両親も警官に注意を受けると来なくなった。


「はぁ、マジで疲れた……」


 そんなこんなで、ここ連日は心身共にまったく休まらない日々が続いていた。


 食事も喉を通らず、フラッシュバックしては嘔吐の繰り返しで、体重も大きく減ってしまったし、夜も碌に眠れずだから目元の隈も酷い有り様だ。


 そして、そんな俺の状態は傍から見ても異常だと思われたらしく、ついには職場からも療養休暇を命じられてしまった。


 そのため、俺は未だに思い出も愛情も嘘っぱちだったこのハリボテのような自宅で過ごしている。


 自分の精神衛生上を考えれば、会社に連絡してビジネスホテルやマンスリーマンションなんかを利用すべきなんだろうが、その手続きやら説明やら移動やらをする気力が全く湧かない。


 今だって、掃除や洗濯はおろか、碌に風呂さえ入っていないのだ。


「はぁ……だるい……」


 いつものように、高く積まれたゴミ袋を背もたれに、ホコリが舞う荒れ果てたリビングの真ん中で、無気力にゲロ臭い溜息をついていると、ちょうど我が家の電話が鳴った。


「弁護士か……?」


 こうして、たまに電話が掛かってくるのは、俺の担当弁護士からの経過報告だ。


『あ~、高木さんのお宅ですか?』


 電話に出ると、やはり間男の奥さんの弁護士先生に紹介された俺の担当弁護士だった。


『いやぁ、元奥さんなんですけどねぇ?まったく話が通じなくって参っちゃってるんですよ~。向こうのご両親も“娘に任せています”とか言っちゃって、話になんないっていうかぁ~……まぁ、もうちょっと粘ってみますよ』


 やる気があるのかないのか、一方的に愚痴を垂れ流した俺の担当弁護士は、言うだけ言ってさっさと電話を切った。


「はぁ……」


 今度は重苦しい溜息が出た。


 こうやって、担当弁護士から中身のない報告を聞かされる度に思い出すのは、弁護士事務所で吐き出された浮気嫁の心の内のこと――。


『もうセイ君なんかとは離婚だから!今回のことだって!むしろアタシとハル君の関係がバレて良かったし!清々する!』


『ハル君の方が全然かっこいいし!オシャレだし!デートのときだっていつも奢ってくれるし!えっちも上手でアタシのこと大切にしてくれて愛してくれる!』


 あそこまで啖呵を切っておいて、さっさと離婚に応じない理由はなんだろう?


 慰謝料か?世間体か?一緒になると息巻いていた間男の鈴木春詩音すずきはるしおんと、何事かあったのか?


「いや、それこそ俺には関係ないだろ……」


 自分へのツッコミにも力がない。


 もう心身共に疲れ切り、今はただ早く終わらせたい、早く荷を降ろして楽になりたい、その一心だ。


「というか、弁護士変えた方が良いんだろうか?」


 正直、紹介してもらった弁護士がきちんと仕事をしているのかが疑わしい。


 見た目も言動も軽薄で、どちらかと言うと間男側だろうとさえ思ってしまう。


 それに、ネット上の体験談なんかを調べると、離婚だの慰謝料だのと、もう少しスムーズに解決している印象なのだが……。


「いや、実際はこんなもんなのか?」


 ネット上の体験談は色々と端折って書いてあるみたいだし、実際はこれくらいの時間は掛かるものなのかもしれない。


 また、義両親から一切の連絡がないというのも腑に落ちない。義両親には、目を覆いたくなるであろう娘による不貞の証拠を山のように送ってあるし、弁護士だって訪ねているのだ。普通の感覚であれば、一言くらい謝罪があって然るべきだろう。


 なのに、義実家からはなんの音沙汰もなく、弁護曰く我関せずと言った様子らしい。


 やはり、所詮はあの浮気嫁を生み育てた親ということなのだろうか……。


 もはや、何もかもが疑わしく、心愛や義両親はもちろんのこと、自分の担当弁護士にさえ不信感が募る有り様だ。


 もう俺は、この先ずっと人を信用することができないのかもしれない――そう思うと、酷く寂しい気持ちになった。


 そうして、遅々として進まない状況と、フラッシュバックに心身を削る日々を過ごしていたある日のこと。


 ――ピンポーン!


 と、チンピラ三人衆の関係以降、初めて我が家の呼び鈴が鳴らされた。


『セイ君……! 居るんでしょう!? ここを開けてよっ……!』


 玄関の方から、くぐもった声が聞こえて来た。


「は……??」


 俺を“セイ君”なんて呼び方をするヤツは、あの女しかいない。


 俺はインターフォンの画面を覗き込み、顔を痙攣させた。


 画面には、弁護士事務所の前で決別した時と変わらぬ出で立ちで呼び鈴を鳴らす心愛の姿があった。


「ッ――なにしにっ……来やがったんだっ!!」


 ついその場で怒鳴り声をあげてしまう。


 頭の芯がカッと熱くなり、視界の端々が赤く染まって行くような強烈な激情を感じる。自分でも危険な兆候だとは思うが、抑えられそうにない。


 だからこそ、インターフォンのみでの対応を心掛けた。


「すぅーっ……ふぅ~っ……」


 俺は十分に深呼吸をしてから、インターフォンの通話ボタンを押した。


「はい……?」


 怒りを押し殺しているため、少々ドスの利いた低い声が出てしまう。


『ぁ……あの、セイ君……ここ、開けてよ……』


 こちらの心情が伝わったのか、急にたどたどしい言葉遣いとなる心愛。


 だが、当然俺は取り合わない。


「今さら何しに来た? というか、あれだけのことしておいて良く顔出せたな? そういうところも本当信じらんねーわ。どこまでも非常識っていうか……キチガイだろ、お前」


 画面越しとはいえ、殺意さえ湧く相手を前にどうしたって態度が荒くなる。


 もし、これを心愛に録音でもされていたら――と考えなくもないが、今の俺には感情を抑えるのが難しい。


「つーかよ、お前はさっさと離婚に同意しろよ。お前の有責なんだし、お前自身も“離婚だ!”だの“清々する!”だの言ってただろうがっ!クソめんどくせぇな!」


 悪態をついていると、徐々にエスカレートして行ってしまいそうだ。


 だから、一拍置くためにも心愛からの反応を待つ。


 すると、なんとこの浮気嫁、泣き始めやがったのだ。


『っ……うぅ……っ……ぅっ』


 インターフォンの画面内には、目元を拭い鼻をすすって嗚咽をもらす浮気嫁の姿。


「は?訳わかんねぇ。何の涙だよ、それ」


 コイツに泣く権利なんてあるんだろうかと心底不思議に思う。


 正体不明の生き物を見るような心持ちで見ていると、驚くべきことが発生した。


『ごぇっ……ごぇん、なざぃ……っ、ぜぇぐん……っ』


 なんと、これまで散々ゲスの限りを尽くして来た浮気嫁が、初めて謝罪の言葉を口にしたのだ。


「今更っ……何言ってんだよっ……!!」


 そう吐き捨てるものの、泣きじゃくりながら謝る心愛の姿はどうしたって胸に詰まるものがある。


 たとえ、結婚前から浮気をしていて、結婚や夫婦生活そのものが俺や周りの人間を騙して行われた詐欺紛いのことだったとしても、俺の方の心愛を想う気持ちにウソはなかったのだ。


 でも、だからこそ、傷も恨みも深くなり、許せるはずもなければ絆されるはずもない。


 それなのに、なぜだか俺は、インターフォンの画面の中で子供のように泣きじゃくる心愛から目が離せないのだった。



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