第二話『確認』





 弁護士事務所に着くと、間男の奥さんが契約した弁護士先生が待っていた。


 先生は、俺達が浮気現場――正確には事後だけど、そこへと突入したことに対する小言を言ってから、すぐに話し合いの場を設けてくれた。


 また、今日はあくまでも奥さんと間男との話し合いや交渉がメインとなるが、ここでの証言は記録され、それは俺と心愛の話し合いの際にも使えるらしく、後で俺には他の弁護士も紹介してくれると言う。


 そういえば、俺は自分の弁護士すら用意していなかった。改めて、自分が何も考えていなかったことを思い知る。


 浮気発覚から今日まで、俺はただの木偶の坊だった。


 しかし、ならばせめて、ここからは気合を入れて粛々と進めなければならない。


「では、まずは事実確認の方をさせていただきます」


 場を仕切る弁護士の先生が、そう宣言をする。


 まずは、不貞を行った者同士を引き離し、それぞれからの話を聞けば、浮気の期間は一年だとか二年だとか適当なことを言い、共通なのは相手が誘って来たと言うところだけだった。


 まぁ、所詮はそんなもんだろう。


 そして、再び全員で囲む応接テーブルの上には、間男の奥さんの提供による様々な不貞の証拠が広がっていた。


haru『ねぇ、旦那さんとするのと俺とするのと、どっちがイイ?』


coco『そんなの比べ物にならないくらいハル君の方がイイに決まってるって 笑』


haru『じゃあ、本当に愛してるのは?』


coco『ハル君に決まってるじゃん。じゃなきゃナマでさせてあげないし♪』


haru『俺のお願い通り、旦那さんにはナマでさせてないんだよね?』


coco『もちろんっ、アタシとナマでシていいのはハル君だけだよ~(*^^*)』


 見るに堪えない下劣な猥談。


 裏では嫁から酷く貶されていたことや、嫁が嬉々として裏切っていたことへのショックもさることながら、それ以上に人としての品性の無さに閉口してしまう。


 もはや嫁の心愛は、遺伝子か育てられ方か、またはその両方に問題があったとしか思えない。


「ち、違うよ!これは違うからっ!」


 別に聞いてもいないし、発言を許した覚えもないのにしゃしゃり出てくる心愛。


 すると、間男の奥さんが冷笑を浮かべた。


「あら、五年間も浮気をしておいて何が違うの?」


 その言葉に、俺は頭が真っ白になった。


 一年だとか二年だとか――不倫者達の言い分は、端から信じちゃいなかったけど、まさか五年も裏切っていただなんて……。


 俺が目を見開いて奥さんを見詰めると、泣き笑いのように顔を歪めた奥さんが頭を下げて来た。


「事前に伝えなくて、本当にごめんなさい。でも、事実なんです……」


 ここまでは表面上なんとか冷静に努めて来たが、それはさすがに看過できない話だった。


 俺は勢い良く椅子から立ち上がり、浮気嫁の心愛を睨み付ける。


「お、お前っ……じゃあ、結婚前から、ずっと浮気してたってことか……?」


 喉が小刻みに震て、思うように声が出せない。


「あ、ありえないだろ……お前、どんな気持ちで結婚式とかやってたんだよ……俺や俺達の家族や友達だまして……裏じゃ馬鹿にして笑ってたのかよ……!」


 結婚式で涙ぐんで喜んでくれた両家の親兄弟、わざわざ休日を潰して結婚式に来てくれた会社の同僚、余興やスピーチをしてくれた友人達――。


 俺は嫁の所業に対し、思ったことをそのまま口にしていた。


「やることが、人間じゃない……どうしてそんな悪意しかないことができるんだ……とてもじゃないけど、お前のことを人間だとは思えない……」


 首をゆるゆると振りながら、心愛から距離を取る。


「ち、ちがっ……待ってっ!アタシが本当に愛してるのはセイ君なのっ!心から愛しているのはセイ君だけなのっ!」


 セイ君――俺の名前が“清司郎”というため、恋人時代からそう呼ばれている。


 歴代の彼女の中でも俺をそんな風に呼ぶのは心愛だけだったから、正直言ってこれまではかなり嬉しく感じていたのだが、今となってはそれもただただ忌々しく空しいだけだ。


 そして、そんな俺の心情など知らず、心愛は涙をボロボロとこぼしながら尚も縋り付いてこようとする。


 その手が触れそうになった瞬間、俺は凄まじい怖気を感じて振り払った。


「触るなよ、汚いから――」


 引きながら冷静に呟くと、いよいよ心愛は泣き崩れた。


 本当はもっと言いたいことはあるのだが、今はあくまでも奥さんの交渉の場。奥さんからは格安で浮気の証拠を譲ってもらえたし、これ以上は邪魔をしないように自重しよう。


 そして、それを見計らったように、弁護士先生が奥さんへと尋ねる。


「奥様は何を要求されますか?」


 質問を受けた奥さんは、しばし小さな深呼吸を繰り返してから毅然として答えた。


「私は……両親とも相談しまして、離婚したいです。まだ小さい息子が一人いるんですが、先々の家庭環境や教育上のことを考えると、浮気するような父親はかえっていない方が良いだろうという結論になりました」


「わかりました。では、財産分与や慰謝料や養育費ですが――」 


 弁護士先生が話を進めようとすると、今までただ俯いて押し黙り、まるで被害者のようだった間男が、初めて顔を上げて異を唱えた。


「ち、ちょっと待ってよ!」


 間男はツイストパーマが掛かったアッシュブラウンの髪を振り乱し、その結構な美男子顔を悲痛に歪めた。


「こ、子供から父親を取り上げるっていうの!?君にそんな権利無いでしょう!?」


 間男は両手を広げながら、なんとも的外れで図々しい主張をする。


 そして、それを聞いた奥さんは心底失望したとばかりに溜息をついた。


「アナタっていつもそう……自分に都合の悪いことは棚上げして問題をすり替えるわよね。そういうところも無理だし、権利って言うなら、家族を裏切ったアナタに父親面する権利なんて無いでしょう」


 そっけなく言って、奥さんは弁護士先生に話を進めてくださいと言う。


 しかし、間男は尚も食い下がった。


「だ、だったら子供に聞いてみようよ!パパが居た方が良いかどうかって!それで決めようよ!」


 俺は口を挟むまいと黙っていたが、目の前で茶番を見せられいい加減イライラしてきた。


「横からすみませんがね、アンタまだ奥さんや俺に謝罪の一言もしてないだろう。車の中からここまでずっと被害者面で俯いて、ガキみたいに黙りこくって……かと思えば、保身のことになると必死になって――みっともないと思わないのか?」


 そもそも倫理観も常識も持ち合わせていないからこそ、不倫なんてことになったんだろうが、それでもこの場の空気ぐらいは読めるものと思っていた。


「ッ――はぁ?部外者は黙っていてくれる?これはうちの家族の問題だから!」


 間男は余程腹に据えかねたのか、立ち上がってテーブル越しに俺の胸倉を掴んで来た。


 胸元でワイシャツの繊維が避ける嫌な音がして、ボタンも二つ程飛ぶ。


「ハッ!そんなんだから!心愛もあんたじゃなくて俺の方が良いって言ってくれるんだよ!」


 その瞬間、視界が真っ赤に染まるような怒りが吹き上がり、俺は間男をぶっとばしていた。


 ああ、やっちまった……。




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