浮気嫁と別れたい

osa

第一話『突入』





 嫁の浮気が発覚した。


 しかも、浮気相手の男も既婚者で、所謂W不倫というヤツらしい。


 全てが寝耳に水だった。


 ある日突然、間男の奥さんなる女性が、エっグい証拠の数々を引っ提げて同じ立場である俺を訪ねて来た。


 しかも、そこからはあれよあれよという間に奥さん側の段取りで、浮気現場へと突入をする運びとなってしまった。


 というか、証拠も揃ってるし突入の必要はないんじゃ?――とは思ったが、奥さんはどうしても突入をして現場を押さえたいらしい。


 そして、それに同行する俺は、嫁の浮気に対するショックからなのか、はたまた状況に対し理解が追い付いていないのか、この期に及んでもどこか他人事で、間男の奥さんの言われるがままに動いていた。


「それじゃあ、準備は良いかしら、高木さん?」


 “高木”というのは、俺の苗字だ。


 今、俺と奥さんは、興信所が出してくれた車の中で、浮気者二人がラブホから出て来る瞬間を押えんと待ち構えている状況だ。


 そして、俺の準備は良くない。心の整理も踏ん切りも全然付いていなくって、なんの準備もできてやしない。


「は、はあ」


 だから、自分でも訳が分からない心境を表すように曖昧な態度で頷くが、気合十分の奥さんは構わずカメラを渡してきた。


「興信所の方々も撮影して下さるみたいですけど!私達も各々で撮ってやりましょう!」


 そう言って、彼女もカメラを構えた。


 きっと、この人も色々と鬱憤が溜まっているのだろうと思う。


 いや、それは当然のことだ。信じていたパートナーに不倫という形で裏切られ、これまでの出会いから結婚、夫婦生活などのすべてを否定されたのだから……。


 その証拠に、奥さんの様子を良く見れば、気丈に振る舞ってはいても手が震えて顔色も悪く、言動の端々には痛々しさや危うさが震えとなって表れている。


 なるほど――確かに傷付いた奥さんの心情を思うと、人としてだらしのない罪を犯した嫁や間男に対して怒りが湧いて来る。


 しかし、その一方で、同じ立場である自分は?となると、どうにも頭が回らない。


 なんというか、嫁の浮気に対する現実感がなく、現代人としての浮気に対する嫌悪感や忌避感はあれど、怒りや悲しみにまで到達できていない感じだ。


 自分のことなのに、どうなっているんだろう……?


 俺はどうにも煮え切らないまま渡されたカメラを手の中で弄んでいると、運転席の興信所のスタッフが声を上げた。


「あっ、出て来たみたいですね、行きましょう!」


 スタッフが車を降りる。


「さぁ、行くわよっ……!」


 次いで、奥さんがまるで自身を鼓舞するように呟いて、車の外へ。


 俺はそれに釣られるように、奥さんと興信所スタッフに続いた。


「あ、カメラカメラ……」


 この時点では、俺もカメラを回していないことに気が付くくらいの冷静さはあったのだ。


 しかし――。


 とある駅の裏手にあるラブホテルの出入り口から、一組のカップルが腕を組み寄り添い合いながら出て来た。


「ふぅ、今日は“ナマ”だったから余計に良かったよ。ありがとう、心愛ここあ


「もう、外で恥ずいってばぁ~。アタシもメッチャ良かったし、また準備してくるからナマでシようね、ハル君」


 聞くに堪えない会話をしつつ現れたのは、俺の嫁と奥さんの旦那たる間男だった。


 気付かぬは本人ばかりか、一目で不倫カップルだと分かってしまうような独特の不埒な雰囲気が漂っている。


 そして、それを見た瞬間に、俺の胸中にはドス黒い汚泥が溢れかえった。


「ぅぐっ……ぉごぉぇえっ……!!」


 結果、ビチャビチャと路上の側溝へと吐き戻してしまう。


 今日ここに至るまでに、間男の奥さんが掴んだエっグい浮気の証拠の数々を目の当たりにしても、どこか現実感がなく道端で汚物を見た程度の気持ち悪さしか感じなかった。


 だが、実際に自分の嫁が、他の男と性交後の雰囲気を漂わせながら寄り添う姿を見て、やっと俺の認識が現実に追い付いたらしい。


 あぁ……なんのことはない。今まで俺が何も感じなかったり、深く考えられなかったのは、単に自己防衛が働いていたからに違いない。


 だって、そうだろう?まさか自分の嫁さんが、結婚して夫婦生活をしてきた相手が、他の男に嬉々として股を開いているだなんて思いもしない。少なくとも、俺の嫁――心愛は、そういうことだけはしない人間だと思っていた。


 だが、現実はこれだ。


「アナタ!こんなところで何をしているのかしら!?」


 間男の奥さんが、勇ましく声を掛けた。


「ぇ――えっ……な、なんで……?」


 すると、間男は石のように固まったかと思うと、みるみる内に青ざめて行く。


 奥さんは自分の旦那である間男から視線を外し、未だに腕を組んだ状態のうちの嫁に顔を向ける。


「それと、高木心愛さんでしたっけ?アナタの旦那様もいらっしゃってますよ?」


 そして、ここにきてやっと、側溝に向かって中腰状態で口元を汚す俺と、浮気相手と腕を組む心愛の視線がぶつかった。


「なっ、なん、でっ……なんでいるのっ!?」


 心愛が悲鳴のような声を上げ、間男から手を放し、二歩ほど後退る。


「あら、酷いわね。アナタの旦那様、信じていたアナタに裏切られて吐いてしまったというのに……やっぱり不倫をするような輩って人の心がないのね」


 奥さんが冷たく言い放った。


「それでは、皆さん色々と話もあるでしょうから、弁護士事務所まで行きましょうか」


 興信所のスタッフが軽い調子で言うと、間男が明らかにうろたえ始める。


「え……ち、ちょっと待ってよ……べ、弁護士って……そんな、どういうこと……」


 自分のしたことを考えれば分かりそうなものだが、浮気するようなヤツに理性や常識を求めても無駄なのかもしれない。


 間男は震えながらも奥さんに向かって手を伸ばしたが、それを奥さんに無言で払い除けられた上、興信所のスタッフが守るように間に入って取りなした。


「まぁまぁ旦那さん、どうなるかの結論は分かりませんけど、ここでグチグチ言ってても余計に心証が悪くなる一方ですよ。さぁさぁ皆さんも行きましょう――」


 そうして促されるままに、俺達は興信所の車で奥さん側が契約した弁護士事務所へと向かう。


 車内では無言の行が続いた。


 特に不倫した者達は、まるで嵐が通り過ぎるのを待つように、ただ口を噤んで俯くばかり。


 嫁の心愛も間男も、その表情は見えず、悲痛に歪んでいるのか、ほくそ笑んでいるのか、分からない。


 だが、とにかくそれを見て、俺はまた気分が悪くなってきた。


 やがて、そんな重苦しい車内に、間男の奥さんのすすり泣く音だけが響き始める。


 なんとも悲痛な音だった。


 それを聞きながら、俺は潤みを感じ始めた自身の目を閉じ、耐え忍ぶ。


 涙をこぼさないことだけが、自分の最後の意地だとするように――。




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