番外編 木の実の宝石
ジンロン帝国皇帝フェイロンは厳しい顔をして、窓の外を見おろしていた。家に帰ろうとする親子達が紫微城内を歩いている。
ここはフェイロンの執務室だ。夕日が格子窓から差し込み、フェイロンの白い額を赤く照らしている。
ちょうど仕事が片付き一休みといったところだった。
「陛下。なにを難しい顔をしておられます?」
ユーエンは、フェイロンを見て尋ねる。
「ユーエン。お前は贈り物を選ぶのは得意か」
「……皇女殿下はまたお喜びくださいませんでしたか?」
「なぜわかる」
ムッとしたフェイロンを見てユーエンは心の中で苦笑いする。わからないはずがない。無敵のフェイロンをここまで悩ませる者など、皇女アンゲリーナしかいないからだ。
しかし、表情には出さない。
「カンでしたが当たっておりましたか」
「ああ、また駄目だった。なにをやってもリーナは戸惑うばかりなのだ。なにをやったら良いのか、皆目分からん」
フェイロンは暮れなずむ城下町を見ながらため息を吐く。
「皇女殿下のお好きなものはなんですか?」
「……」
ユーエンに問われてフェイロンは口を噤んだ。
答えられなかったのだ。
「……まずはそこからではないでしょうか」
「うむ……」
フェイロンは仲良く手を繋ぎ家路に急ぐ親子を見て、自分を不甲斐なく思う。皇帝などと呼ばれ高い塔に登り、帝国を手中に収めても、娘の好きな物ひとつ知らない。
「リーナの好きなものを調べることにする」
フェイロンは決意した。
*****
アンゲリーナとリュウホはギクシャクとしていた。
ここ最近、物陰からフェイロンがアンゲリーナの様子を窺っているのだ。
「フェイロン、変」
「とーたま、変」
ふたりはコソコソと囁きあう。するとフェイロンの殺気がブワリと立ち上る。これではリラックスして遊べない。
「……声、かけたほうがいいのかな?」
アンゲリーナは首をかしげた。
リュウホに対する殺気はダダ漏れだが、一応身を隠しているようなのだ。隠れているつもりのようだから、初めは気がつかない振りをしてやり過ごしてきたのだが、もう三日だ。
しかも、だんだん気配が煩くなってくる。
「声、掛けてやれば? 待ってるんじゃねーの?」
「まってる?」
「リーナから声がかかるのを待ってるんだよ、きっと」
リュウホが苦笑いする。
「そうかなぁ……」
アンゲリーナは信じられずにフェイロンのほうを見た。フェイロンは慌てて物陰に隠れる。
「かくれたよ?」
「隠れたな」
アンゲリーナとリュウホは声をひそめて笑った。
「やっぱ、声かけてやったら?」
「うん、そうする」
リュウホに言われ、アンゲリーナが声を出す。
「……あれぇ? とーたまがいた気がしたのにな。気のせいかなぁ?」
アンゲリーナが言えば、オズオズとフェイロンが現われた。
「……リーナ」
「とうたま、どうちたの? さいきん、ずっと見てた?」
「気づいていたか」
「とーたまのことならわかるよ」
クスリとアンゲリーナが笑うと、フェイロンはトロリと目を細める。
「そうか」
「それでどうしたの?」
「……リーナの好きな物が知りたくて観察していたのだ」
「わたしの好きなもの?」
アンゲリーナは小首をかしげる。
「ああ。なにが好きだ?」
「リュウホ!」
アンゲリーナが即答すると、リュウホがドヤ顔でニャハーと笑う。
フェイロンはムッと顔をしかめた。
「それ以外には」
「きんりゅうたま!」
「そして」
「にーたま!」
「そして?」
「……マルファときしたんとジュンシーと」
「と?」
「どうしたの?」
アンゲリーナは不思議そうな顔をする。
フェイロンは自分の名前がなくてガッカリとする。しかし、それはしかたがない。アンゲリーナを不遇な目に遭わせたのは、誰でもないフェイロン自身だからだ。
だからこそ、フェイロンは娘との関係を構築し直したかった。しかし、自分自身が愛されなかった子供だった彼は、子供の愛し方を知らず、どうしてもおかしな方向になってしまうのだ。
「……好きな「物」、人ではなく、欲しい物はないか?」
「うーん……。いっぱい、いっぱい、もらったよ。だからほしいものはとくにないです」
アンゲリーナは答える。父フェイロンも、兄キリルも、アンゲリーナのためならばなんでも用意してくれる。昔なら考えられなかった、美味しい食べ物は食べきれないほどだ。ふかふかの布団に、柔らかい服、毎日温かいお風呂には入れる。これ以上望んだら罰が当たるとアンゲリーナは考えていた。
幸せ過ぎて恐いくらい。
アンゲリーナは思うのだ。もしかしたらこれは夢で、朝が着たら土蔵の粗末なベッドで目を覚ますのではないかと。
「……そうか」
フェイロンは肩を落とした。アンゲリーナの好きなものを知ろうとして失敗してしまった。子供の好きなものさえ当てられないのだと、自分にガッカリする。
ガッカリするフェイロンを見て、アンゲリーナは戸惑った。なにか答えてやるべきだったと思いつつも、急には思いつかないのだ。
「……とうたまは?」
アンゲリーナがの声にフェイロンはパッと顔を上げた。アンゲリーナはそれに驚く。
「……とうたまの好きなものはなんでしゅか?」
アンゲリーナは思わず噛み、ボッと頬が熱くなる。
フェイロンは剣に結びつけられている端布を思わず触った。切りっぱなしの布にインクベリーで守護の文字が書かれている粗末な物だ。しかし、フェイロンには大切なものだった。アンゲリーナからもらった護符だったからである。
好きなものと問われて、フェイロンは固まった。
アンゲリーナとキリル、そして今は亡き皇后ファイーナ。フェイロンにとって世界はそれだけだ。『物』などいらないのだ。
「……私もない……」
「大切なものは?」
アンゲリーナの問いに、フェイロンはギュッと端布を握り絞めた。そして、逡巡する。
懐ふところから印籠を出し、その中身をアンゲリーナに開けてみせた。
黒いピカピカの木の実がひとつ、フェイロンの手のひらに乗せられている。まあるくスベスベとした見た目は、まるで黒い宝石のようだ。
「なぁに?」
リュウホもクンクンと鼻先を寄せる。
「椿の実だ」
「つばきのみ?」
「磨くとこうなる。昔……昔、ファイーナにやったものだ」
皇位継承権を捨て、紫微城の片隅で忘れられた皇子として生きていたフェイロンは、うち捨てられていた北斗苑でファイーナと出会った。ファイーナも国を亡くした王女として、不遇な生活を送っていた。
「かあたまに? どうしてかあたまにあげたの?」
アンゲリーナは興味津々で尋ねる。記憶にない母の話をもっと聞きたかった。母のことを知りたかった。
「昔、私は皇位継承権もなく、自由になる金がなかったからな。宝石など贈ることができなかった。だから、北斗苑で拾った椿の実を宝石のよう磨いたのだ」
その後、フェイロンは皇帝となりファイーナは皇后となる。ファイーナにはなに不自由ない暮らしをさせ、高価な品々も贈ったが、遺品の宝石箱の中にはこの椿の実が大事に残されていた。
紅玉や翠玉などと一緒に並べられた椿の実を見たとき、ファイーナとの思い出が青嵐のように吹き荒れた。とっくに捨てられていると思っていたのだ。
フェイロンはぐちゃぐちゃに乱された心のまま、優しく光る黒い実を自分の印籠へ入れたのだった。
それからというものこの椿の実はフェイロンにとって大切なものとなったのだ。
「すてきね」
アンゲリーナがニコリと笑って、フェイロンはハッとした。
「……素敵か? こんなものなぜ残しておいたのか、私にはわからない。もっと素晴らしい物をたくさん買ってやったのだ」
椿の実を乗せたフェイロンの手のひらに、アンゲリーナは手のを乗せた。
こんな簡単なこともわからないまま大人になってしまった父が少し不憫だった。
「かあたまはね、うれしかったんだよ」
「嬉しかった……? こんななんでもないものが?」
「うん!」
アンゲリーナの手がキラキラと微かに光る。ホンワリとしたなにかが、フェイロンの冷たい手のひらを温める。剣に結ばれた端布がフェイロンを撫でた。
「……そうか」
リーナがおまじないを書いた端布を私が外せないのと同じなのだな。
フェイロンはそう気がついた。
「うん!」
アンゲリーナが元気いっぱい答えると、フェイロンもつられるように笑った。
「リーナも欲しいか? ……その、……こんなたいしたものじゃないが……」
「作り方、おしえて? 作ってみたい!」
「そうか、なら、一緒に北斗苑へ行こう」
「うん!」
フェイロンはアンゲリーナを抱き上げた。アンゲリーナはギュッとフェイロンに抱きついた。
「かあたまのお話、もっと聞かせて?」
「……ああ」
思い出すとつらいだけだったファイーナとの日々。リーナと一緒なら、幸せになれるのはなぜだろう。
フェイロンは不思議に思い、アンゲリーナの髪を撫でた。
「俺も! 俺も! 一緒に行く!」
リュウホがガウガウと吠え、フェイロンの足元にまとわりつく。
賑やかな一行は、連れだって北斗苑へ向かった。爽やかな風が、青い木々を揺らす。キラキラと木漏れ日が落ちる。
幼い頃、ファイーナと過ごした眩しい日々を思い出し、フェイロンは小さく微笑んだ。
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