番外編 「17話.皇太子 キリル・シン・レイ」の後日談
朝から北辰宮内がバタバタとせわしない。金龍と天使が皇宮上空に現れたとの噂なのだ。キリルの侍女も朝から呼び出されている。
キリルは皇太子という立場でありながら、無茶な要求などしない子供だった。冷酷皇帝の息子ではあるが、冷酷な皇太子ではない。
キリルは侍女が来たことを確認すると、早口で問いかけた。
「三歳くらいの子供だ! なにを用意したらいい? まずは服は百着か? 二百着あれば足りるか?」
侍女はその勢いに気圧された。
「……なんのことでございましょう?」
侍女に問われてキリルはハッとした。
「今朝、標樹苑で金龍に抱かれた天使を見た」
「……天使……」
「保護することに決めた」
真摯な目で宣言されて、侍女は困惑した。
そもそも、天使など実在するわけがない。それを保護するとはどういうことか。保護することが可能なのかなどなど、聞きたいことは山ほどあった。しかし、皇太子がすでに決めたことである。一介の侍女が口出すことはできない。
侍女は小さく息を吸うと、考えることを放棄し職務を全うすることに決めた。
彼女は有能な侍女であった。
「服のサイズはいかがいたしましょう?」
「それがわからない」
「では、同じ年頃の子供が着るサイズを用意させましょう」
「! そうだな! 五百着。天使が着るのだ。どこへ出ても恥ずかしくない物を、今日中に用意しせよ」
侍女はクラリと眩暈を感じた。
皇太子が着ているような服は、基本採寸して作る。既製品などそれほど出回っているものではない。しかも、はじめに言っていた数より増えている。
「殿下、それはさすがに難しいかと思います。皇宮に納められる子供服などそれほど作られておりません」
「そうなのか?」
「本来なら採寸してから作る物ですので、見本として数着はあるでしょうが、三歳児となると……。それに、サイズの合わない服を数多く用意するより、採寸してから改めておあつらえになったほうがよろしいかと」
「たしかにお前の言うとおりだ。そうしよう」
「はい」
「では、今ある三歳児用の服から、天使の愛らしさを存分に生かすものを厳選して、それらすべて納めさせよ。それで足りるだろうか……?」
不安げに尋ねるキリルの様子に、侍女は顔を引きつらせた。たしかに、皇太子の権力を使えばできないことではない。しかし、いままでキリルが皇太子の権力をこのように使ったことはなかったのだ。
「……十分かと……」
「では頼んだ」
「はい。では、寝間着や装飾品も合わせて用意させましょう」
キリルは満足げに頷いた。
「ほかにはなんだ? なにが必要だ?」
「遊び道具や寝台などはいかがしましょう?」
「! そうだな。三歳児が喜ぶ物を調べて用意しよう。最新のおもちゃだ。それに、天使は大きな猫を連れていた。猫の喜ぶようなおもちゃも必要だな。寝台は最高級の物。すべて今日中に揃えられるか」
「はい」
「……それに、天使は勉強が好きなようだったから、机が必要だ」
「机、ですね」
「ああ、子供用の使いやすい物を。ペンや紙も必要だな」
「最高級の物を探してまいります」
「うん」
「猫の寝床も必要ですか?」
「そうだな。その猫はもしかしたら聖獣かもしれない。満足できるような物を用意したい」
「では、そのように」
キリルの命を受けて、侍女は手配をはじめようとした。
「あ……」
キリルがなにかを言いかける。侍女はキリルを見た。
「なにか気になる点でもございましたか?」
「いや……」
侍女は黙って言葉を待った。キリルがなにか言おうとし、逡巡してると感じたからだ。
キリルは皇太子でありながら、たまにこういった所を見せる。父から愛をもらえない子供は、大人に嫌われまいとすることがあるのだ。
侍女はジッとキリルの言葉を待った。
せかせば、殿下はきっと「なんでもない」と言ってしまうでしょうから……。
「いや、できれば……」
「はい」
「できれば……ユール国風の服をできるだけ集めてもらえないか」
「かしこまりました」
「……私の服も……」
「ユール国風のものをご用意いたします」
侍女が答えると、キリルはホッとしたように息をついた。
今は亡きユール国のものを集めるのは難しい。しかし、わかっていてもキリルはどうしても必要だと思っていた。標樹苑で見た妹は、簡素ではあったがユール国風のワンピースを身につけていたからだ。一番なじみの服を用意できたらと思ったのだ。
侍女はキリルの前から下がり扉をそっと閉めた。
突然ユール国のものをほしがるだなんて……。きっと、天使は殿下の妹君なのだわ……。
皇帝の目についたら殺されると言われている哀れな姫だ。亡国ユールから嫁いだ皇后の忘れ形見。女官長がいれば、北辰宮に入ることを許したりはしないだろう。
その女官長は今不在だ。
だからお急ぎでらっしゃるのね。妹君を『天使』として皇宮に迎え入れたいのだわ。
侍女は納得した。そして、気合いを入れる。
だったら、天使様が皇宮で暮らしたいと思えるようにしなくては!! 姫君に皇太子殿下を好きなっていただくのよ!!
キリルの望みを叶える。それこそが彼女の至福であったからだ。
******
侍女は夜を徹して準備した。既製品の中で、一番上等な品を集め、それでも足りないものは作らせた。
そうして、現れた天使を見た瞬間、彼女は心の中で泣いた。
……なんて……、なんて……尊いの……。まさに天使……!
皇太子の後ろに、オレンジ色の虎に乗った幼女がついてくる。喜び勇んだ皇太子とは対照的に、幼女の瞳は不安げに揺れている。その服装は質素なものだ。しかし、間違いなく皇太子の妹とわかる。
思わず膝をつきそうになりながらも、表情は崩さない。冷静沈着な侍女を装う。
キリルは周囲を見渡して宣言した。
「彼女は天使だ。私の賓客として失礼のないようもてなすように」
キリルの言葉に、侍女や宮人たちが供手をした。
天使と呼ばれた幼女は、恥ずかしがっているのか耳まで赤い。上目遣いでオズオズと周囲を見回し、ぎこちなくニコリと笑う。
「よ、よろしくおねがいしましゅっ」
天使の言葉に、「ひぇ」だとか「ふひ」だとか、変な音が周りに反響した。侍女は咄嗟にホッペの内側を噛み耐える。
天使は顔を真っ赤にして、アワアワとしながら言い直す。
「あの、おね、おねがいしましゅ、あ、しましゅ、しゅ、す!」
泣きべそをかきそうにして恥ずかしがる天使の頭を、キリルが優しく撫でて微笑んだ。
「よくできました」
キリルの言葉に、天使はウルリと瞳を潤ませ微笑んだ。
尊いー‼‼
侍女は無表情のまま、内心でむせび泣いた。
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