第41話41.リュウホを探して 1


 アンゲリーナは目を覚まし、困惑している。

 目の前には、厚い胸板があられもなくさらされている。

 覚えのないベッド。

 恐る恐る顔を上げれば、そこにはフェイロンの顔があった。


 び、ビックリして、心臓止まりそう!!


「目が覚めたか」


 フェイロンの声に、アンゲリーナはコクコクと頷いた。


 リュウホがいない! リュウホどこ?

 

 フェイロンのはだけた胸を押しやろうとすれば、身体に腕が乗せられる。


「どこへいく」

「……じ、じぶんのへや」


 アンゲリーナはオドオドと答える。その声はかすれていた。


「自分の部屋など使ってないではないか」


 少し避難の色が混じった声である。アンゲリーナは言い直す。


「……にいたまのへや」

「ダメだ」


 素っ気なく答えるフェイロンだが、アンゲリーナを離す気はなさそうだ。


「あの、はなしてください」

「ダメだ」

「どうしてですか」

「ぎゃくになぜ離さなければならない?」


 まるで子どものような物言いに、アンゲリーナはムッとする。


「リュウホをさがすの」

「身体が万全ではない。お前は丸一日眠っていたのだ」

「元気です」

「元気ではない」

「元気です!!」


 フェイロンは怒るアンゲリーナに目を細めた。


「無事で良かった」

「みんなぶじだったんですね? 町も?」

「ああ」

「良かった!」

「ああ、お前が無事で良かった」


 その声が、鼻声に聞こえてアンゲリーナはギョッとした。

 フェイロンはそっと顔を背ける。


「へいか」

「……」


 アンゲリーナの呼びかけに、フェイロンは反応しない。


「おこってる?」

「おこってなどない!」


 アンゲリーナの呼びかけに、フェイロンがバッと振り返った。

 潤んだ目元は赤くにじみ、鼻先はうっすらと桃色だ。


 このひと……、泣いて? 


 アンゲリーナはギョッとする。魔族も恐れる冷酷皇帝だ。それが、アンゲリーナのために泣いている。


 アンゲリーナはそっとフェイロンの頬に手を伸ばした。

 左頬に落ちた前髪が、サラリと揺れる。

 フェイロンは蕩けるように微笑んだ。


「リーナ」


 呼びかける声は甘い。

 アンゲリーナは自然と顔がほころんだ。

 以前は、フェイロンを信じられなかった。また捨てられても傷つかないために、期待もしたくなかった。


 でも、私を信じてくれた。助けてくれた。だから、私も信じたい。


「……とうたま」

「リーナ」

「とうたま」

「リーナ」


 フェイロンは慈しむようにアンゲリーナの髪を梳いた。アンゲリーナも答えるようにフェイロンの頭を撫でた。

 フェイロンは破顔する。


「頭を撫でられたのはいつぶりか」


 フェイロンの頭を撫でたのは、ファイーナが最後だった。

 

「とうさまもナデナデすきですか?」


 アンゲリーナは問う。ナデナデ好きなリュウホを思い出したのだ。


「ああ。リーナも好きか?」

「わたしもすきです」

「ではいっぱい撫でてやろう」


 フェイロンはそう言うと、アンゲリーナの頭を撫でた。

 最初は殴られると誤解され怖がられていたが、すっかり信頼している様子にフェイロンの胸は熱くなる。

 また涙がにじんで、それが自分でもおかしかった。


 ファイーナを失って、涙など枯れ果てたと思っていたのにな。


 自身の凍り付いた心が溶かされていくのがわかる。温かくて気持ちの良い涙だ。


「ねぇ、とおたま、リュウホは?」


 アンゲリーナは尋ねた。


「そんなにリュウホが心配か?」

「しんぱいです」


 アンゲリーナの即答にフェイロンはため息をついた。


「まずは医師の診察受けてからだ」


 アンゲリーナはフェイロンの言葉に従った。

 医師はアンゲリーナを診察し、雨の中魔法を使いすぎたため極度の過労と風邪だと診断した。

 フェイロンはアンゲリーナに軽めの食事を取らせ、風呂に入れた。

 その間ずっと、アンゲリーナは侍女たちにリュウホのことを尋ねたが、皆、わからないと首を振る。

 アンゲリーナはどんどん不安になってくる。


 無事だよね? ナンラン国の主のところに帰っちゃったのかな? でも、ナンラン国の主はリュウホが人になるって知ってるのかな? 帰る場所がなくなってたら。


 アンゲリーナはいても立ってもいられない。

 着替えがすんだアンゲリーナは、そのままリュウホを捜しに行こうと走り出した。

 しかし、三歳児ではすぐに捉まってしまう。


「皇女殿下、まだおやすみください」

「リュウホ、リュウホをさがすの!」

「下男たちが探しています。皇女殿下はお部屋にお戻りください」

「ちがうの! リュウホこまってるかも」

「リュウホは炎虎です。強いので大丈夫です」


 アンゲリーナはフルフルと頭を振る。

 今のリュウホは炎虎ではない。理由はわからないが子どもの姿になっていた。すぐに炎虎に戻っていたなら良い。でも、子どものままなら心配だ。

 しかし、それをどう説明していいのかわからなかった。炎虎でなくなったことを告げてもいいのか。そもそも、それは一時的なことだったのか。もし、それがリュウホの秘密なら、ばらすことはできない。わからないことだらけなのだ。


 嫌々をしてホロホロと泣くアンゲリーナに侍女たちは困り果て、キリルに助けを求めた。

 キリルがアンゲリーナを慰める。


「リュウホがいないの」

「だいじょうぶだよ」

「だいじょうぶじゃないの。リュウホがいないの」


 ポロポロと涙の粒が、桃色の頬を宝石のように転がっていく。

 瞳の中の青空が溶けてしまいそうでキリルは慌てた。


「リュウホは今さがしているから」

「みつからないよ、わたしじゃなきゃ、みつけられないの」


 エグエグと泣くアンゲリーナにキリルはオロオロとした。


「リュウホがいないの。さがしにいかせて、にいたま」


 キリルはアンゲリーナを抱き上げた。


「私といっしょに探しに行こう」


 キリルの言葉にアンゲリーナは頷いた。キリルのクビに抱きついて礼を言う。


「にいたま、ありがと」


 キリルはアンゲリーナの頭をワシャワシャと撫でた。

 途中でシュンシーとすれ違う。


「殿下、どこへいかれるのですか?」

「リュウホを探していてね。ジュンシーはどこかで見なかった?」

「あれから戻っていないのですか?」


 ジュンシーは最後、アンゲリーナをリュウホに託して標樹の下を去った。あれから、皇帝自ら皇女を連れ帰ったと聞き、何かあったのだろうとは思っていたが、土砂崩れの慌ただしさの中、先送りにされていたのだ。


 クスンとアンゲリーナの鼻が鳴って、ジュンシーは慌てた。

 ジュンシーはしばし考えた。


「……! そういえば、避難テントでリュウホのことを言っている少年がいました」

「いってみゆ!!」


 アンゲリーナは思わず叫ぶ。

 キリルとジュンシーは頷きあい、護衛を連れて避難テントに向かった。

 

「にいたま、おろして」


 アンゲリーナはキリルの腕から下りた。天鉞楼の前には、遠征用の大きなテントが張られていた。そのテントの中をアンゲリーナは見渡した。

 そして、一直線に走り出した。


「リーナ!!」


 キリルが呼びかけても振り返らない。

 ちょこまかと人混みの間をくぐって、リュウホまで駆け寄る。


「見つけた!!」


 アンゲリーナは飛び込むようにして、リュウホに抱きついた。

 リュウホはまだ汚れたままの自分に、綺麗な皇女が抱きついてきたことに戸惑った。両手を広げたまま動けない。


「……リーナ……。汚れちゃうよ」

「だったらきれいなふく、いらない。まえとおんなじふくでいい」


 アンゲリーナの答えにリュウホはなくなってしまった尻尾がピンと立つような気がして、ギュッと抱きしめた。

 アンゲリーナは嬉しくなって、リュウホの耳に囁いた。


「リュウホって呼んでいい?」

「うん! でも、なんでわかった?」

「だって、リュウホはリュウホだもん。目も、声も、いっしょだよ?」


 リュウホはクシャリと笑った。何度言っても誰も信じてくれなかった。でも、アンゲリーナが見つけ出してくれた。


 キリルやジュンシーが慌てて駆け寄ってくる。

 泥まみれの少年に皇女が抱きついていたからだ。


「リーナ!」


 キリルの咎める声に、アンゲリーナは振り向いて全開の笑顔で笑った。


「リュウホ、見つけた!」


 あまりのアンゲリーナの喜びように、キリルは怒る気をそがれて笑うしかない。

 ジュンシーはリュウホを見て呆然とする。先日、「リュウホだ」と名乗っていた少年だったからだ。


「……本当にリュウホだったのか」

「信じられないのが普通だよな」


 リュウホは自嘲した。


「でも、リュウホ」


 アンゲリーナはリュウホにくっついて離れない。


「とりあえずこれからどうするかは後で考えよう。一度北辰宮で来てくれないか」


 キリルが言い、リュウホは頷く。


「リュウホにご飯と、お風呂」


 アンゲリーナが言って、「そうだね」とキリルが笑う。


「あ、リュウホお風呂嫌いだった?」

「べ、べつに、入れるし!」


 リュウホはフンと鼻を鳴らした。



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