第40話40.土砂崩れ 3


 あたりには金龍が横たわっていた形のまま、土砂が残されている。

 ジュンシーは長く息を吐き出すと、アンゲリーナの頭を撫でた。


(なれなれしく触るな!)


 リュウホが吠える。

 ジュンシーは小さく微笑んだ。


「アンゲリーナ殿下ももうお休みください」


 そしてリュウホを見た。


「リュウホ。アンゲリーナ殿下をよろしく頼むよ」

(いわれなくても!)


 ガウとリュウホは答えた。


「我々は紫微城へ戻り陛下の指示を仰ぐ」


 ジュンシーはそう言って、その場を去った。


 アンゲリーナはノソノソと土砂を上り始めた。

 目の前には潰れた土蔵が押し流されてきていた。ループ前の寂しく悲しく悔しい思い出が詰まる、でもそれ以上に今のリュウホとの安らぎの場所だった土蔵だ。

 失ったことに呆然とし、そして、気がついた。


 北斗苑にいることでループ前の私は、この災害から守られていたんだ……。

 どうしてなんだろう? 皇帝は私を無碍にしておきながら、なぜ本当に捨てなかったのだろう。殺さなかったのだろう。どうして、北斗苑に閉じ込めていたのだろう。

 わからない。

 

 捨てられていたはずなのに、守られていた事実を目の当たりにして、アンゲリーナは混乱する。考えがまとまらず、葛籠箪笥のあった二階に逃げ込みたかった。

 泥の山をよじ登り、土蔵に近づく。瓦礫の間に葛籠箪笥が見えた。


(リーナ!)

「中だけでも、助けたいの」


 アンゲリーナは、葛籠箪笥の中を出すべく、周りの土砂を素手で掘り始めた。

 小さな爪に細かな瓦礫が挟まり痛い。

 リュウホもアンゲリーナの隣で土砂を掘る。

 やっと葛籠箪笥の鍵にたどり着く。リュウホは落ちていた標樹の枝をアンゲリーナに差し出した。

 アンゲリーナは服で標樹の泥を拭い、いつものように鍵の横の一輪挿しに挿す。ひしゃげてた標樹は弱々しく光っている。


「大いなる標樹よ。その輝かしい光をもう一度我に与えたまえ」


 アンゲリーナが願えば、最後の光を振り絞るように標樹が輝いた。そして、鍵のカラクリが動き出す。アンゲリーナは手慣れた様子で、北斗七星を指でたどった。


 鍵が開く。


 アンゲリーナは急いで戸を開けた。急がないと、浸水して汚れてしまう。

 中はすっかり泥で汚れていた。


「せめて日記を!」


 日記はぐちゃぐちゃに汚れ、修復は不可能そうだった。アンゲリーナはガクリと水たまりの中に膝を突いた。

 

「助けられなかった」


 胸に抱いた日記帳にアンゲリーナの涙が落ちる。するとその日記帳は一羽の白いシマエナガになって、空に飛んでいく。その一羽を皮切りに、葛籠箪笥の中身は、色とりどりの鳥になって逃げ出していった。


「ああ……」


 残されたのは緑色の着物だ。婚礼衣装として用意されたものなのだろう。金銀、螺鈿や真珠などが惜しみなく使われた豪華絢爛な着物だった。大きく鳳凰が描かれている。


 アンゲリーナは泣きながらそれを抱き上げた。


「ごめんなさい」

(泣かなくていいのよ)


 着物から声が聞こえる。閉じ込められていた皇女だろうか。


(私は未練。ここから解放されるのを待っていたの)

「でも!」

(誰にも知られずに死んでいくのが怖かった。私が抱えた思いがなくなるのが許せなかった。その思いのせいでここに縛られていたの。ずっとひとり、誰にも見向きもされず、永遠にこのままだと思っていた。でも、あなたが日記を読んでくれた)


 フワリと着物が舞い上がる。


(もういいわ。わたしはそれで、もういいの)


 アンゲリーナは胸に下げていた木札を取り出した。


「皇女さま、これは」

(それはあなたが持っていて。幸せになるのよ。アンゲリーナ)


 バサリと着物は羽ばたくと、着物の中の鳳凰に姿を変え、大空に羽ばたいていった。


 アンゲリーナは力を失って、木札を握り絞めたまま水たまりの中に崩れ落ちた。

 リュウホが慌ててアンゲリーナを舐める。


(おい! リーナ!)


 アンゲリーナは応えない。

 リュウホはいつものようにアンゲリーナの襟を咥えて戦いた。

 すっかり力を失ったアンゲリーナは、ダラリとしてまるで死んでしまったかのようだ。慌てて、標樹の根元にアンゲリーナを連れて行く。そこは、他に比べていくぶん高くなっており、木陰だったおかげか、周囲に比べて水に濡れていなかったのだ。

 ゴウと地面に向かってリュウホは吠えた。

 暖まった地面にアンゲリーナを横たえた。

 そして、今度は弱い声でナウと鳴いた。アンゲリーナを暖めるためだ。優しい声は温かい風になってアンゲリーナを包んだ。

 そうして、リュウホはアンゲリーナを中心にして丸くなって包み込む。ペロペロと身体を舐め汚れを落とし、身体全体で暖める。アンゲリーナの触れた場所から、リュウホの身体が冷えてくる。

 リュウホは炎虎の力を燃やし、自分自身の体温を上げていく。

 オレンジ色の毛並みが立ち上がり、チラチラと燃えるように光る。

 リュウホはナウナウとアンゲリーナに呼びかける。


(リーナ!)


 反応しないアンゲリーナを、リュウホは尻尾でトントンと叩く。

 冷たくなったアンゲリーナは動かない。冷えた身体がリュウホの体温をドンドンと奪ってゆく。


(リーナ! リーナ!)


 リーナは小さかったんだ。人の子どもはこんなに身体が弱いんだ。雨に濡れて冷えただけで、こんなになるなんて知らなかった。リーナの望みさえ叶えてやればそれでいいと思ってた。でも、それがリーナを傷つけた。


 リュウホは後悔していた。宰相の言う通り、一度休ませてやるべきだった。


(リーナ! リーナ! リーナ!)


 ナーナーと何度鳴いてもアンゲリーナは目を覚まさない。


 だって、リーナ、辛いって言わないから。痛いって、寒いって、なんで言わないんだ!!


 アンゲリーナの握りしめる木札越しに、リュウホはアンゲリーナを見た。

 木札を通して見るアンゲリーナは、出会った日の姿だった。皇女とは思えない、質素な服装。手入れの行き届かない髪。細い手足、荒れた指先。


 言わないんじゃなくて、言えないんだ。リーナは、辛いことに麻痺してた。気がつかなかった俺はバカだ!


 リュウホは、大きく吠えた。


(この声じゃ、助けを呼べない、リーナを救えない!)


 リーナを助けられないなら、炎虎の力なんかいらない! 炎虎の熱を全部リーナにあげるから、どうかこのまま冷たくならないで。どうか、お願い!


 リュウホのオレンジ色の毛が逆立ち、ブワリと大きな炎になる。しかしそれは、何も焼かない。アンゲリーナを暖めるだけに作られた炎だ。


「誰か! 誰でもいいから! リーナを助けて!!」


 悲痛な叫びが、リュウホを人に変えた。

 アンゲリーナの瞼がかすかに動いた。

 リュウホがアンゲリーナの顔をのぞき込む。


 アンゲリーナの瞳には、赤い髪の男の子が映っていた。短い髪は言うことを聞かない炎のように四方八方に広がって、勝ち気そうな大きな瞳はリュウホと同じ火眼金睛。金のピアスもリュウホと同じだ。

 ナンラン国風の膨らんだパンツに、腰のあたりに布を巻き付け、丈の短いベストを肌に直接着ている。

 

「リュウホ……?」


 リュウホの叫びを聞いて、フェイロンが駆けつけてきた。

 愛娘を抱きかかえる少年をギロリと睨みつける。


「リーナを助けて」


 リュウホは言った。


「お前なんか嫌いだけど、リーナを助けて!」


 フェイロンは無言でアンゲリーナを奪い取った。


「リュウホを怒らないで……」


 アンゲリーナそれだけ言うとグッタリと意識を失う。

 フェイロンはリュウホを一瞥し、何も言わずに駆けだした。


 リュウホはアンゲリーナの手から零れた木札を拾い、必死にフェイロンを追いかけた。

 六歳児の足は遅い。

 フェイロンにおいていかれながらも、リュウホは必死で北辰宮へ向かった。

 しかし、北辰宮の門前で、リュウホは門番に阻まれた。人の姿では、リュウホだと言っても信じてはもらえない。

 追い出されたリュウホは、姉のいる華蓋のナンラン国屋敷へ戻ろうかとも思ったが、人の姿で戻れば国へ強制送還されるだろう。リュウホが今まで自由気ままに過ごせたのは、聖獣炎虎の子どもだったからで、人になったらそうはいかない。


 とりあえずリュウホは、天鉞楼周辺に作られた避難テントで待つことにした。キリルやジュンシーに会えばなんとかなると思ったのだ。

 しかし、それは浅はかな考えだった。

 避難テントにユーエンとキリルが連れ立って現れたとき、リュウホはキリルに話しかけようとして、警護の騎士に止められた。話しかけることさえ許されなかったのだ。

 しばらくしてジュンシーを見かけ、むりやり話しかけ、自分がリュウホだと訴えたが信じてはもらえなかった。

 汚れてみすぼらしい六歳の子どもだ。身分を明かすものもない。

 リュウホは失意のまま、避難テントの片隅に座り、ただただアンゲリーナの無事を祈った。




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