第25話25.戦場にて 2

 

「他の妃を愛せとはもうしません。ただ、後宮を取り仕切り政務を助ける者として妃を立て、国民を安心させていただきたいのです」

「私の母はそうやって後宮に納められた。愚鈍な皇太子であった我が父を補佐させるため、祖父が国一番の才女と呼ばれた母を妃に据えたのだ。年若く有能な母は、愚かな父に憎まれた。そうしてどうなったかはお前もよく知っていよう。お前の叔母だからな」


 ユーエンは黙った。


 フェイロンの母リョウイは、有名な才女だった。そのため、当時の先々帝の目にとまり、年若かった彼女は先々帝の手元に置かれ娘のように教育を受けさせられた。

 しかし、それが徒となった。先々帝は自身の気に入った娘が婚期を迎えるやいなや、愚かな先帝の妃に決めた。しかし、先帝には既に側妃もたくさんおり、子どもも多くいた。いまさら父の選んだ妃、しかも年の離れた賢い娘を煙たく思っていた。


 初夜のちぎりで懐妊したリョウイを訝しみ、先帝はフェイロンを認めなかった。五歳で皇族と認められたのは、フェイロンに皇族の血が流れているのか確かめたからだ。逆鱗を与えられても、身体が受け入れなければ皇族の血ではない。血統を証明するには逆鱗の儀式を受けるしかない。そして、フェイロンは逆鱗を授かった。しかし、そのことが、かえって先帝に疑心を生んだ。

 フェイロンは、先々帝の子どもではないかと噂が立ったのだ。


 十歳の立志式を迎え、賢く才覚を現し始めたフェイロンを先帝は脅威に感じた。皇太子の座を奪われるのではないかと危ぶんだ先帝と皇太后は、先先帝を葬った。表向きは自殺だ。そして、先帝が皇帝の座に就いた。

 リョウイは先々帝の妾として殉葬(じゅんそう)させられ、フェイロンは皇位継承権を自ら返した。しかし、逆鱗があるため後宮からは逃れられずに、息を殺して生きていた。

 しかし、その後兄である当時の皇太子がフェイロンの妻だったファイーナを側室としようとする。フェイロンは怒り、皇位簒奪を決意したのだ。


 ユーエンは美しかったファイーナを思い出す。異母弟の妻だとしても、権力を使って欲したくなるのがわかるほど美しく朗らかな人だった。ユーエンも、フェイロンの妻であると知りながらも、淡い恋心を抱いたほどだ。

 

 しかし、ファイーナを失ってからフェイロンは生きる目的を失ってしまった。今までなら、手こずるような相手ではない相手にすら膠着状態を許している。この三年で精彩を欠いた皇帝の姿は、敵国にも伝わり、兵士の士気も下がっている。


 ユーエンは思う。


 愚鈍な先帝からやっとの思いで、政治を取り戻したのだ。また、皇族だけが利益をむさぼり、帝都だけが栄えるような時代には戻したくない。

 このまま過去に縋って生きて行かれては困る。そのためには、厳しいことも言う。もしわかっていただけないのなら、道を違える覚悟をしなければ。死んだ龍に国の未来は託せない。


「……リョウイ叔母様のことは私も悔しく思っております。ですが、ミオンはそれを知ってわきまえております」

「……ミオンか」

「ミオンなら過去を知った上で陛下をお支えできるでしょう。キリル殿下も懐いております。しかし、選ぶのは陛下です」


 フェイロンは大きく息を吐いた。

 ミオンのことは評価している。ファイーナ存命の頃から独身のまま女官長として皇后を支え、皇后の亡き今では後宮を守っている。誰か選ばなければならないのなら、ミオンが適任ではあるのだ。ミオンも三十になる。子どもを望むならギリギリの年齢だ。


 不満はない。が、愛もない。


 考え込むフェイロンの前に、伝令が走り込んできた。


「王都、キリル皇太子殿下からお手紙でございます」


 フェイロンはその手紙を開いた。


「紫微城上空に、金龍に乗った天使と炎虎が現れた、だと?」


 フェイロンは思わず口に出す。思わず端布を握り絞めた。

 ユーエンも怪訝に首をかしげた。


「幻覚でしょうか?」

「キリルはそれほど愚かか? 宰相の印もある」


 フェイロンの問いにユーエンは黙った。


「天使(リーナ)、天使(アンゲリーナ)か」


 フェイロンは呟いた。最愛の妻ファイーナが、お腹の子につけた名前だ。

 妻を殺した者に相応しくないと、口にしたこともなかった名前。

 ユーエンの言葉がまだ胸でジクジクと痛んでいる。


 私が他の妃と子をなしていたら……。ファイーナは残り、アンゲリーナは生まれなかった。そしてきっと、アンゲリーナはこの端布をくれた娘だ。


 握り絞めた手の中に、天使の守護印が描かれた端布がある。そのことに気がついて、フェイロンはおもむろに立ち上がった。


 目を背けてはいけないということか。


 しかし、その前に、目前の敵を倒す。


「金龍は吉祥の証し。天使の守護も得た。今こそけりをつける。ゆくぞ!」


 力強く立ち上がり、バサリと着物の裾が翻った。


 そこに以前と同じ皇帝の輝きを見て、ユーエンは息を呑んだ。


 龍は眠っていただけか?


 にわかには信じられず、しかし希望も捨てられず、ユーエンは深く頭を垂れた。




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