第26話26.初恋の人


 アレはキリルの膝の上で戸惑っていた。

 今日からキリルといっしょに勉強することになったのだ。

 その教師というのが。


 ループ二回目で私が片思いをした相手! そして魔族と繋がってた人ー!!


 アレはズーンと落ち込みながら、目をそらした。


「天使様、こちらは私の教師であり右腕のジュンシー・レアン。宰相の孫であり、私たちのいとこだ」


 おぅふ、名前も偽名だったのね……。


 アレは遠い目になった。アレには自分の名は『ハオラン』だと名乗っていたのだ。きっとすべて承知の上で、アレに近づいたのだろう。


 ジュンシー・レアンは今年十六歳になる。優しそうな紫色の垂れ目に、おっとりとした話し方、紫色のサラサラとした髪は、真ん中で分けられて生真面目そうだ。

 

 見た目からでは魔族となんて絶対関係がなさそうなのに……。人は見た目によらないのね。

 

 ループ一回目のときに知ったのだが、クーデターの黒幕は、宰相の息子であり皇帝の右腕と呼ばれたユーエンだったのだ。フェイロンを皇帝の座に就かせたレアン一族が魔族の国アンダと通じ、ジンロン帝国を手に入れた。ユーエンがジンロン帝国の皇帝となり、宰相の姪ミオンが魔族の王の第二妃となっていた。

 

 ジュンシーは二回目のループの際、アレの土蔵に荷物を届ける下級官僚『ハオラン』として、たまにアレの前に現れた。たまに土蔵へ顔を出す彼は、メイドたちの捨てた古新聞などを必死に読みあさるアレに、手を差し伸べ、隠れて本を差し入れたり、さまざまなことを教えてくれた人だ。


 虐げられていた北斗苑で、唯一優しく接してくれた年上の男にアレは依存した。一方的に思いを寄せ信じた男に、クーデターが起こることを教えてしまうのだ。しかし、ハオランはクーデター側の人間だったのだ。アレはハオランに自分の恋心を告げ、クーデター派から離れるように懇願したが、ハオランは断った。逆に、ハオランはアレをクーデター派に誘った。アレはそれを断る。

 そのいざこざを魔族に見られ、アレは魔族に殺されたのだ。


 今思えば、私に優しく近づいたのも、ミオンから監視するように指示されていたんでしょうね。それにしてもレアン家ばかり取り立てすぎ。


 アレは俯いたまま何も言えない。


「天使様?」


 ジュンシーは不思議そうにアレを見た。アレは目が合わないように、ツツと顔をそらす。少しだけ頬が熱い。


 でも、悔しいけど、顔は、顔は、好みなのー! でも絶対好きにはなってはいけない人! 注意しなきゃ。


 リュウホが怪訝な顔でアレを見る。アレはその視線に居心地の悪さを感じた。


「天使は人見知りみたいだ、ジュンシーとりあえず授業を始めてくれない?」


 キリルが言えば、ジュンシーは怪訝な顔をした。


「このまま授業を始めるのですか?」


 キリルの膝にはアレが座っている。

 

「…・・・だめなら、おそと、いきましゅ」


 また、また噛んだー!!


 アレは顔が真っ赤になった。振られたとはいえ、片思いの相手だ。恥ずかしいところは見せたくない。


「っあ、いえ、天使様がつまらないかと思いまして」


 なぜかジュンシーまで顔を赤らめて、目をそらした。

 キリルが不快そうな顔をして、リュウホがタシタシと尻尾を床に打ち付けた。


(なんだ? あいつ、ロリコンか?)

「リュウホ、へんなこといわないで!」


 アレが慌てて窘めると、キリルがアレを見た。


「リュウホはなんて言ってるの?」

(おまえだって、シスコン、ロリコン!!)

「あ、えっと、なんでもないですかんちがいれす」


 アレはアワアワと否定する。慌てたから舌がうまく回らない。

 リュウホは尻尾をタシタシと打ち付けながら、ナァァァウナァァァウと不満げに鳴いて見せた。


「何でもない様子じゃないよ? リュウホは何か伝えたみたいだよ?」


 キリルがアレに優しく尋ねた。


(ちゃーんと伝えろよ! お前ら全員ロリコンだって! 変な目で見るなって、そう言えよ)

「へんなめでなんかみてないから!!」


 リュウホの言葉に思わずカッと答えれば、ジュンシーはボッと顔を赤らめ咳払いをし、キリルはニヤリと笑う。


「ああ、リュウホは嫉妬してるんだね」


 キリルはそう言うと、アレをギュッと抱きしめた。


(おい! はなせ! 下ろせ! 下りろ! コイツ、マジで噛んでやる!!)


 リュウホがガウと吠え、キリルの膝に足を乗せた。


「にいたま、わたし、にいたまがよういしてくれたつくえでべんきょうしたいな」


 アレがねだるように小首をかしげる。ミンミン直伝のおねだりである。

 キリルは、キューンと心を掴まれ、デレリと頬を緩ませた。


「わかったよ」


 アレはキリルから解放され、自分の席に着く。

 リュウホは満足げにアレに付き従い、その足下に寝そべった。

 まだ、少し椅子が高くぶらぶらとする足を、リュウホが鼻先でつついた。


(なでろ)

「足で?」

(足でいいから)


 アレは靴を抜いてリュウホの背中を足で撫でる。

 リュウホは満足げに目を細めた。

 ジュンシーはそんなアレとリュウホの様子を微笑ましく思い、思わずニッコリする。


「変な目で見ないように」


 ピシリとキリルが釘を刺した。


「あ、いえ、子どもと動物の戯れは可愛らしいですね」

「天使が可愛いんだぞ?」


 キリルが答え、ジュンシーは黙り、授業を始めることにした。


「殿下は先日の続きを。天使様は何の勉強をしましょう?」


 ジュンシーはお絵かきあたり、せいぜい文字を教えれば良いくらいに考えていた。

 しかし、アレがオズオズと机の上に広げたのは帝国の歴史が書かれた本だった。

 思わず目を見張る。


「読めるのですか?」


 アレはコクリと頷く。


「じはじょうずにかけないんですけど……」


 ジュンシーは信じられずに、本をランダムに開いてアレが読めるか確認した。アレは子どもながらの舌足らずではあったが読んで見せた。

 葛籠箪笥にもらった木札で予習してあったのだ。


「すごい」


 ジュンシーは思わず感嘆する。キリルに勉強を教え始めたときもその賢さに驚いたが、アレはその上をいっていた。


「だから、いっしょに勉強すると言ったんだ」


 キリルは自分のことのように、フフンと胸を張る。


「天使様、天使様のお望みのこと、すべてお教えいたします。このジュンシーの持つすべてを吸収してください」


 ジュンシーは金の卵を見つけた興奮に包まれていた。言葉の通り、自分の知性のすべてをアレに捧げようと思った。


 この子は育て方によっては、皇帝陛下の母リョウイを凌駕する才女になるかもしれない。おじいさまに伝えなくては。


 ジュンシーは宰相である祖父から、天使の様子を見てくるよう命じられていたのだ。

 

 宰相は後宮について口を出すことはない。そのため、天使の件にしても静観しようと決めていた。皇族といえども家族内の問題であり、まずは家族の中で解決して欲しい。宰相としてではなく、フェイロンの叔父としてそう願っていた。 


 ジュンシーも同じ思いだった。親子げんかや兄弟げんかに巻き込まれるのは、職務ではない。しかし、実際のアレを見たら惜しいと思った。このまま北斗苑の片隅に捨て置いていい存在ではない。間違っても処刑などされるべきではない命だ。


 アレはジュンシーの勢いに気圧された。


 もともと教え好きな人だとは思っていたけれど……。


 事実ループ前に勉強を教えてくれたときも熱心だった。アレができるようになれば頭を撫でて褒めてくれた。それがアレには特別で、嬉しくて、頭を撫でてもらうためなら何でもできると思っていた。ジュンシーが褒めてくれるだけで、辛い境遇にいながらも天にも昇る気持ちになれたのだ。


 ジュンシーの問いにアレが答える。


「天使様、正解です。よくできました」


 ジュンシーはそう笑って、当たり前のようにアレの頭を撫でた。きっと彼のくせなのだろう。

 アレはそれが懐かしく、満たされる。条件反射のようにニッコリと微笑んだ。


 前はこうやって褒められるために一生懸命頑張っていたっけ。


 でも当時ほど心が震えないことを不思議に思った。


(なんだよ、そういうのが好きなのかよ)


 リュウホが拗ねるように言うと同時に、キリルがジュンシーを窘める。


「天使に気軽に触るな」

「ナデナデはうれしいです」


 アレが答えれば、キリルはむっとした。


「なら、私が撫でてあげる」


 子どもっぽい言い草に、アレは笑った。


(あほくさ)

 

 足下でリュウホが寝返りをうつ。フワフワとした毛皮がアレの足先をくすぐった。

 

 あの頃の私には頭を撫でてくれる人はジュンシーしかいなかった。でも、今は違う。


 アレはそのことが嬉しくて、幸せで、リュウホのお腹をワシャワシャと混ぜ返した。リュウホはそれを喜んで、アレの足を甘噛みした。


 キャッキャとじゃれ合うふたりを、子どもらしい笑顔で見るキリル。


 陛下や祖父はどう思うかわからないが、殿下は天使さまと共におられたほうが良い。私は、それに力を貸そう。


 ジュンシーは小さく決意した。


 幼い頃から目をかけてきたいとこが、家族の愛に飢えているのを知っていたからだ。




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